うま味調味料を作ろう! 後編

「勇者サマ、老後は私たちと過ごしてくださる約束でしたねー?」


 登士郎にはアロンドラとそのような約束を交わした記憶はない。おそらく太一にもないだろう。原作小説に書いていなかったはずだ。


「わたくしがご一緒できるのなら、その、竜宮城暮らしも悪くないですね!」


 言葉に詰まっていると、マーティが介入してきた。アロンドラは一瞬だけ面白くなさそうな顔をしたが、それは見間違いのような秒数であり、すぐに微笑みに戻る。


「近い将来の住処を確認しておきたいとのことでしたら、どーぞー」


 彼女の中では勇者の転居が決定事項となっているのか、拒否はさせまいという強い意志を感じて二の句が継げなくなる登士郎だった。とはいえ、昆布は必要である。うま味調味料を作らねばならない。ここでなんやかんやと言い争いをしていては昆布の入手が遠のくだけだ。


 ウランバナの家庭料理に昆布だしを使用しているものがないため、昆布もまた魚とおなじく食用とは捉えられていないのだろう。観賞用に育てられる草花たちとカテゴリーとしては同じだ。


「ああ。行こう」


 アロンドラの魔法により、水中での活動が可能となった勇者一行。なんだかモヤモヤした表情のマーティに関しては陸地に戻ってから弁明するとして、巨大な人魚の導きにより、竜宮城へとたどり着く。


「これが竜宮城……!」

「クレーちゃんは、初めてでしたね!」


 前回の来訪は、クレーがパーティーから外れているタイミングでの出来事だった。浦島太郎の昔話に登場するような、海の底で燦然と輝きを放つ寝殿造。


「どのようにして建てられたのか、実に興味深いですな」

「うふふ……」


 意味深に微笑んでみせるアロンドラはさておいて、昆布である。登士郎は庭園に等間隔に植えられた海藻を見つけ、鑑定スキルを使用する。


「あった」


 泳いで近付く。昆布は本来、水温の低い海でしか育たない。陸地と同じ服装でも寒さは感じていないので、このコンブはウランバナの環境に適応して独自の進化を遂げたコンブといえよう。異世界コンブである。


「アロンドラさん。こちらのコンブをいただいて帰っても?」

「ええー、いいですよー。私の『お婿さん』となってくれるのならー」


 登士郎の手が止まる。マーティだけでなく、勇者トレスを兄のように慕うクレーも固まった。


「? どうかされましー?」

「ああ、いや、その」

「魔王ネヒリムの脅威から陸地を救い、老後はこちらで悠々自適の生活を送る……よいではないかー?」


 アロンドラがぐいぐいと詰めてくる。登士郎はトレスの幼馴染みであり聖女であり、最も信頼のおける旅の仲間であるマーティに視線を送った。なんとかしてほしい。コンブは手に入れたいが、終の棲家を決めるのには早すぎる。


「トレスの気持ちも考えてあげたほうが! いいと思います!」

「我が輩もそう思う! アロンドラ殿はせっかちがすぎる!」


 女性陣ふたりから声が上がって、アロンドラはすっと表情を変えた。先ほどまでとは打って変わって、絶対零度の目つきになる。


「小娘たちは、ご自分の立場がわかっておりませーんねー?」


 ここは水中である。アロンドラの魔法がなければ、呼吸はできない。魔法にかけられているからこそ、陸地とおなじく酸素を取り入れて二酸化炭素を吐き出せている。呼吸ができなくなるということはすなわち死だ。ろくに装備をととのえていない勇者一行は、魔法の力がなければ溺れてしまう。


「大事な旅の仲間を人質に取られましたら、どうでしょー?」

「こやつやりよる」


 察しのいいクレーは『人質』という単語で理解した。人魚は魔族の一種である。アロンドラは魚の魔族だ。


「脅してトレスを『お婿さん』にして、アロンドラさんは嬉しいんですか?」

「……?」


 マーティの言葉が同じ言語として処理されなかったかのように、アロンドラは首を傾げる。人魚の魔族としては、強い人間を迎え入れてより強い遺伝子を残し、この広い海の平和を保たねばならない。魔王を倒すほどの実力者の血は、なんとしてでも確保したいのだ。


「だいたい、アロンドラさんはトレスの何を知っているんですか! トレスは、意地っ張りで、頑固で、融通が利かなくて、冗談は面白くなくて、寝相が悪すぎて八割ぐらいの確率でベッドから落ちて起きるような人ですよ!」


 事実だが、ほぼ悪口である。登士郎のトレスとしての部分が憤っている。


「しかも! 勇者としてのお役目である魔王退治から逃げて! 今は『ラーメン二郎』を作るために必死になっているような人です!」


 お役目から逃げた。逃げたのは登士郎ではなく太一なのだとしても、ぐさりと突き刺さる。登士郎は『ラーメン二郎』を作りたいのだが、作中の登場人物たちからすれば、勇者なのに勇者としてのお役目を果たそうとしないので、逃げているのと同義だ。


「まだ魔王を倒されていないのですかー?」


 アロンドラはトレスを『勇者サマ』としての価値で考えている。トレスの実態がどうあるかは気に留めていない。なので、マーティの告発はアロンドラへというよりはクレーのほうにダメージが入って“お兄ちゃん”の格が下がった。


「俺は二郎っぽいラーメンを作ったら、魔王ネヒリムを倒しに行く」

「……まだ倒していないのですか?」


 繰り返される質問にはがあり、登士郎はばつの悪そうな顔をして「はい」と答えるしかなかった。魔王ネヒリムを倒すのは、勇者サマとしてやらねばならぬことである。そこは間違えてはならないので、登士郎も自身に言い聞かせている。必ずやり遂げなければならない。


 けれども二郎系のラーメンを作りたい。

 材料として必要なのは、あとは(思いつく限りでは)うま味調味料だけだ。


「私は、もう倒されているものだとばかり」


 アロンドラは戸惑いを隠せない。早とちりしていたことにも気付けたようだ。


「聖剣プリエールも完全な状態ですが、まだです!」

「コンブが必要なんだ。クレーに、グルタミン酸を抽出してもらいたい」

「我が輩そういうポジション?」


 そういうポジションである。クレーには薬師としてかんすいを生成してもらったように、次はうま味調味料を作っていただかなくてはならない。


「クレーの力が必要なんだ。クレーでないとできない」

「お兄ちゃんがそう言うなら、仕方ないのぅ」

「だから、アロンドラさん、コンブをいただきたい。ラーメン作りに必要なんだ。協力してほしい」


 魔王ネヒリムの侵攻は陸地のみではない。海にも影響を及ぼしている。有害な物質を海に流したり、海中に向けて攻撃を仕掛けてきたりと、アロンドラもほとほと困っているのだ。魔王ネヒリムの脅威はいち早く取り除きたい。


「私の『お婿さん』になる話は」

「そこはまあ……倒してから考えさせてください……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る