勇者トレス・エイジャーの覚醒、そして

「ここは……?」


 背中が痛い。起き上がって周りの景色を見る前に、少年・・は自らの肉体が魔法陣の描かれた一枚岩の上に寝かされていたことを確認してしまった。何時間岩の上で寝かされていたのかは定かではないが、これで痛くならないはずがない。


「勇者サマ!」


 一枚岩のそばでうつらうつらとしていた少女が、少年の声に気付いて表情を明るくした。少女の身丈ほどの長さの杖を握っている。服装は、……の前に、少年は自らの両手と、見事に割れた腹筋を見て「わっ!」と大きな声を出した。その声は、ここ、クレイドル洞穴どうけつ内に響き、驚きのあまり少女が杖から手を放してしまう。


「ゆ、勇者サマ、その、アデンジェではお静かに……」


 アデンジェ。

 勇者サマと呼ばれた少年は首を傾げる。


「つかぬ事をお聞きしますが、ここは『ウランバナ』でしょうか?」


 少年は勇者サマらしいのだが、少年に勇者サマとして生きていた頃の記憶がない。ただし、少年にはこの世界に関する記憶はあった。その記憶の片隅にあった『ウランバナ』という地名を挙げると、よっこらしょと杖を拾い上げていた少女が「そうです!」と目を輝かせる。


「わたくしはウランバナの聖女、アーテル家のマーティです!」


 聖女マーティ・アーテル。

 名乗られて、少年の脳内でパズルが組み上がっていく。お下げの赤髪にブルーの瞳、白いローブを身にまとった、18歳の少女。職業は聖女で、持っている杖の名は聖杖オラシオン。この杖はウランバナで『聖女』として認められた女性が代々引き継いでいく。


(ここは『転生したら勇者だったからお約束通り魔王を成敗しに行く』の世界か!)


 少年――勇者トレス・エイジャーに転生した登士郎は心の中で叫ぶ。記憶が正しければ、聖女マーティに読心スキルはない。


「勇者サマが目覚めてくれて助かりました……」


 蓮実から『転生したら勇者だったからお約束通り魔王を成敗しに行く』こと『転勇』を「おもしろいから読めば?」とおすすめされたのは一週間ほど前のことだった。おすすめされたのはコミカライズされたものである。縦スクロールのマンガで、5話までは無料で公開されていた。6話目以降は広告を見るか24時間待つと次の話が読めるのだが、バイトの給料日だったこともあり、一気に最新話まで購入してしまう。


 勇者トレスを兄として慕う薬師シルトクレーテ・ポルタことクレーが、魔王ネヒリムの手下エルミターノ・フルーメンことエルと親睦を深め、エルが改心して勇者一行に仲間入りするまでが最新話。ちなみに蓮実の推しはエルであり、この最新話の展開に心を打たれて、身近な人たちにおすすめしまくっているらしい。


 クレーが妹キャラであるのもあって余計にそう見えるのかもしれないが、登士郎はマンガのクレーと蓮実が似ているように思えて仕方なかった。蓮実本人は「メガネかけてないじゃん?」と否定的だ。


 その後どうなるのか。続きが気になった登士郎は小説投稿サイト『カキヨミ』に会員登録して原作小説を読んだ。すでに200話以上が投稿されている。国内外の騒乱に巻き込まれながらもトレスが成長し、聖剣プリエールと仲間とともにいざ魔王ネヒリムの城へ乗り込まんとするアツいシーンまでで更新が止まってしまっている。


 作者、イタチレストが書いている近況ノートによれば、最終話までのプロットは完成しているが連載中の学園ラブコメ『先輩からも後輩からも激しく甘やかされるスクールライフ』こと『げきあまライフ』に手一杯で『転勇』まで手が回らない、続きを待ってくださっている読者のみなさまには申し訳なく思っている、とのことである。


 一ファンとして続きを待ち望んでいる登士郎であったが、まさかその世界に来てしまうとは。しかも主人公の勇者トレスに転生してしまうなんて。


「さあ、魔王ネヒリムを倒しに行きましょう!」


 杖の先端で脇腹をつんつんとつつく正ヒロインのマーティ。鎧の間の部分を的確に突いているのがポイント。だが、鍛え上げられたトレスの肉体にはノーダメージだ。


 二年半のラーメン二郎によって生み出された三段腹だけでなく、顔についていた贅肉が消えて精悍な顔つきとなっている。余分な脂肪が筋肉に変換されていた。転生による劇的ビフォーアフターである。


「俺が!?」

「そうですよ!」


 クレイドル洞穴のマナが滞留しているスポットをアデンジェと呼ぶ。マナが滞留しているスポットは異世界からの召喚にはうってつけの好立地とされている。よくよく思い出せば『転勇』のマンガ版の第一話で見た景色とそっくりだ。


 違うのは、聖剣プリエールが一枚岩の隣で寝かされていること。


「……これが、プリエール」


 トレスの肉体が徐々になじんできた登士郎は一枚岩から降りて、聖剣プリエールを持ち上げた。今の登士郎はトレスなので当たり前といえば当たり前なのだが、自分の持ち物のようにしっくりときた。トレスの持ち物ではある。トレスは鑑定スキルを持っているので、鑑定スキルを発動すれば、この剣がその辺の店で売っている剣とはわけが違うのがわかってしまう。そうでなくても原作知識のある登士郎にはわかる。伝説の剣として王家の装飾品のひとつとされていたが、トレスとマーティ、そして他のヒロインたちとの絆によって本来の聖剣としての力を取り戻したプリエールだ。一振りすれば、魔物は塵芥と化す。


 かの『転勇』の主人公、登士郎の前にトレスだった男子高校生の太一の姿はどこにも見られない。勇者サマとして行く先々のヒロインに惚れられて、いわゆるハーレムモノのような状態になっていたトレス太一が、トレス登士郎に上書きされてしまったかのように、いなくなっている。


「あの、マーティ。俺は太一ではないんだ」


 登士郎は正直に話した。マーティのきれいな瞳に見つめられていると、ウソをつけない。


「勇者サマの中から、何も言わずに、タイチがいなくなってしまって……勇者サマは抜け殻になってしまいました」


 マーティが視線を落として語り出す。タイチは逃げ出していた。あとは魔王ネヒリムを倒すだけだというのに。


「それが、どのぐらい前、ですか?」

「3ヶ月ぐらいかと……」


 小説版の『転勇』の更新が止まった時期とかぶってくる。……偶然の一致だろうか。


「このままでは、勇者サマの肉体がミイラになってしまいます。王様はわたくしに『もう一度、タイチを呼び戻すように』と命じました。王様としては、もちろんわたくしといたしましても、ネヒリムを倒さねばなりませんからね。だから、アデンジェに勇者サマを運んできて、召喚の儀式を執り行いました」

「再召喚、ってことかあ」


 物語の続きを望む登場人物たちの祈りが届いた。のかもしれない。


「あなたさまはタイチではないのですよね」

「残念ながら。俺は登士郎っていいます」


 マーティが明らかに残念そうな顔をしている。王様からの命令に反して、別の人間を転生させてきてしまったのだから、そんな顔にもなる。


「トーシローも、魔王ネヒリムを倒しに行ってくれますよね?」


 拒否はさせないぞ、といった強い意志が言葉の端々に込められている。勇者サマとして召喚された事実は変わらない。むしろ、初期装備として聖剣プリエールがあるぶん、条件はいい。ゼロから仲間を集めるのではない。仲間はすでにいる。


「――この世界には、ラーメン二郎がない」


 登士郎はラーメン二郎三田本店に向かっていた。三田本店のラーメンを平らげて、ラーメン二郎全店制覇を達成する。はずだった。それなのに、事故に遭ってしまって、気付けば異世界なうだ。


「はい?」

「その、なんですかそれ、って反応から考えても、存在しない。そもそも異世界にラーメンがあるかも怪しい」


 全200話の中にラーメンを食べているシーンはない。なかったはずだ。そもそも食事シーンが指折り数えるぐらいしかない。あっても一行で終わる。


「二郎のない世界なんて耐えられない!」


 聖剣プリエールの切っ先を、今の肉体トレスの首筋にあてた。登士郎は次のように考える。死んで転生してきたのなら、もう一度死ねば元の世界に死に戻りできるのではないかと。戻って、ラーメン二郎三田本店に行くしかない。


わたくしも死んで・・・・・・・・しまいます!」

「え」


 マーティに飛びつかれて、踏みとどまった。一度死んだ身であり、目的もあるから、二度目の死に恐怖は感じていない。だが、マーティのようなかわいい女の子を巻き込んでまで自分のわがままは押し通せない。


 聖剣の切っ先は床に刺す。この世界に来てしまったからには、魔王ネヒリムを倒しに行くのが正規ルートだ。


「わたくしたちは一蓮托生。運命共同体です」

「……ごめんなさい。知らなくて」


 小説版であろうとマンガ版であろうと、そのような設定があったかどうかまでは一読者の登士郎にはわからない。


「トーシローは召喚されたばかりなのですから、知らなくて当然です。ですので、」


 作中にはどこにも書かれていないのだが、異世界の人間を呼び出して、ウランバナを侵略しようとする魔王ネヒリムが使役する魔物たちと戦っていただくというのに、ウランバナの住民側がノーリスクとはいかない。勇者トレスの生命エネルギーと、聖女の生命エネルギー。このふたつを担保として、異世界召喚は成立する。


「わたくしがお手伝いいたしますから、その、二郎を作りましょう!」


 まさしく天啓であった。

 二郎がなければ作ればいいじゃない。


「二郎を作る……異世界で……!」

「二郎がどのようなものか、わたくしにはまったくわかりませんので、その材料やら工程やらはご教示ください」

「ああ! よろこんで!」


 家二郎を作った知識を活かせば、できないことはない。再チャレンジへの千載一遇の好機が、転生した異世界で到来した。


「作ろう! ラーメン二郎ウランバナ店!」


 力強くマーティの手を握る。それから登士郎は手をパッと離して「あ、いや、俺は弟子入りして教えてもらってないから、ラーメン二郎の屋号を勝手に掲げたらダメか……」と眉間に人差し指を添えた。


 登士郎は、素人トーシローである。

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