転生した異世界にラーメン二郎がないので死ぬしかない

秋乃晃

プロローグ、あるいは、登士郎の最期

 ラーメン二郎とは!

 北は札幌、南は京都に全国44店舗(2024年4月現在)を展開する豚骨醤油ベースのデカ盛りラーメンの代名詞である!


 その美味しさで家系いえけいのごとく『二郎』だとか『二郎インスパイア』と呼ばれるデカ盛りラーメンをリスペクトした一品を提供するお店が後を絶たない。


 いまや大手コンビニエンスストア各社が有名ラーメン店とタイアップしてラーメン二郎を彷彿とさせるビジュアルのチルド麺を開発しており、老若男女問わず、手軽に二郎風のラーメンが味わえるようになった。


 この物語の主人公・登士郎トーシローは、ラーメン二郎に魅せられた青年である。ラーメン二郎の愛好家のことを通称ジロリアンと呼ぶが、登士郎はラーメン二郎全店舗制覇を目前に控えた生粋きっすいのジロリアンだ。


 趣味が高じて“家二郎”を作ったこともある。


 家二郎とは、文字通り、家庭で作る二郎らしきラーメンのことだ。登士郎はユーチューブで家二郎の動画を視聴し、インターネットで調べた材料を買い集め、一人で丸一日かけて自作の二郎を完成させた。家で食べる二郎は、店で食べる二郎とはまた違う美味しさであり、登士郎は「機会さえあればまた作りたい」と思っている。両親からも好評だった。


 本日、登士郎はラーメン二郎の聖地・・として有名なラーメン二郎三田本店に行かなくてはならない。山田の作る至高の一杯をすすれば、現存するすべてのラーメン二郎のラーメンを食したことになる。ラーメン二郎全店制覇は、原点にして頂点をラストとすることを心に誓っていた。


 達成されたところで何かが叶うわけではない。だが、一つの目標が達成される瞬間とは、人間を一回り成長させるものである。精神的にも、肉体的にも。


「朝っぱらからどこ行くの?」

「え……二郎……」

「またあ?」

「この前行ったところとは違うんだって」


 早く出発しなければファーストロットに間に合わない。玄関でスニーカーを履くのに手間取っていたら、口うるさい妹の蓮実ハスミに捕まってしまった。蓮実は吹奏楽部の朝練習に向かうために、この時間に起床している。髪がひどい寝ぐせで爆発しているのは普段通り。ジェラートピケのもふもふのパジャマと相まって、小さなクマのようだ。


「二郎って、あの『ヤサイマシマシ』とかいうラーメンなんでしょ? 調べたよ? おにいちゃんさあ、あんなデカ盛りラーメンばっかり食べてたら、さらに太るよ?」

「今日のところに行ったら、明日からダイエットを始めるから!」


 二郎はヤサイがたっぷり乗っている非常にヘルシーな食べ物であるというのに、蓮実は何もわかっていない。ヤサイマシマシとはラーメンの上に乗っているトッピングを増やすための『呪文』である。コールと呼ばれることもある。ラーメンが提供される直前にトッピングの量を調整できるのが二郎の特徴だ。二郎系やインスパイアの店でも共通している。家系が麺の固さや油の量、味の濃さを訊ねられるのと同じだ。ヤサイの他には国産のニンニクの量やカラメという醤油タレを追加するかどうかを『呪文』により店主へ伝えることができる。なお、こちらのトッピングはすべて無料だ。有料トッピングは券売機で購入となる。


「ほんとにぃ?」


 ダイエットといえば、蓮実は誕生日に父親から買ってもらったリングフィットを三日でやめているのだが、この場では自分のことを棚に上げていた。蓮実が自らの体型を気にするお年頃だから、家二郎は蓮実の修学旅行中に作っている。登士郎は妹思いの兄なのだ。


 その兄が順調に肥えているという事実は、誰の目から見ても明らかである。太った原因が『ラーメン二郎』と結びつけられてしまうのは、体重増加のペースやタイミングから鑑みても、残念ながら避けられない。


「そうだ。蓮実も行く? 三田は比較的量が少ないほうだっていうから、蓮実も麺少なめにすれば食べきれるよ」


 登士郎の脳内に『百聞は一見にしかず』という言葉が通り過ぎる。兄がハマっているラーメンに興味津々な蓮実を連れて行けば、妹もハマってくれるかもしれない。


「行きません! 部活があるもん!」


 しかしながら登士郎の目論見は、一瞬でもろくも崩れ去った。蓮実には蓮実の人生があるので、無理強いはできない。吹奏楽部の一員として、夏のコンクールを後悔せずに全力を出していただくためにも、この一言で引き下がるしかない。


「それに、何よ、その『麺少なめ』って。大食い基準の店じゃないのさ」

「学生のみなさんがおなかいっぱい食べられるようにっていう山田のご厚意だよ」

「山田って誰」

「ラーメン二郎の創始者。通称総帥」


 蓮実はわざとらしくため息をつくと、自分の部屋に戻っていった。これから身だしなみを整えるのだろう。


「いってきまーす」


 スニーカーを履いて家を出た登士郎は始発電車で移動し、山手線に乗り換え、田町駅で降りた。電車内の広告を仰ぎ見つつ『蓮実のリングフィットの進捗を聞いてないな』と気付く。購入者の父親と、毎日のプレイ時間を報告する約束をしていたような。もしプレイしていないのなら、この兄に譲ってほしいと思った。


 自分でも『太った』という自覚がある。だから、エスカレーターではなく階段を選んで、意識的にもも上げ運動を取り入れていた。中学校、高校とバスケットボール部に所属し、先輩にしごかれながら基礎トレーニングを繰り返していたので、地道な努力の積み重ねが嫌いなわけではない。むしろ好きな性質たちだ。ダイエットに真面目に取り組もうと思えば、三ヶ月後には元の体型に戻っているだろう。


(田町なう。っと)


 二郎との出会いは、今から約二年半前。登士郎が大学に入学したばかりの頃へとさかのぼる。新入生歓迎会という名目の酒盛りで新宿へ行き、未成年なのでとアルコールを断り、酔い潰れた先輩たちを介抱してタクシーに突っ込んで、やれやれとため息をついた。


 そして、ふと見つけた黄色い看板――ラーメン二郎新宿歌舞伎町店。


 登士郎18歳は、まるで誘蛾灯に集る虫のように、黄色い看板へと吸い寄せられていく。お世辞にもきれいな店とは言えず、床は滑りやすいが、ラーメン二郎の店舗は大体そうだ。様式美である。


 周りが酒ばかりを飲んで料理に一切手を付けないので、運ばれてきたフライドポテトだとかからあげだとか、油物ばかりを食べてしまったぶん、空腹感は少ない。にもかかわらず、列に並んで、食券機に千円札を入れて850円の『ラーメン』の券を購入していた。ただし、麺の量を聞かれたときには正気に戻って「半分でお願いします」と答えている。


 導かれるままに着席して、他の客の『呪文』を聞いてルールを理解した。飲み会ではビールのジョッキを押しつけてくるような先輩たちに流されなかった登士郎だが、元来は空気が読める。


「ニンニク入れますか?」

「ニンニクで!」


 今となってはラーメン二郎の量に適応してしまい、胃袋が拡張されて、大ブタWにヤサイマシマシにしたとしても完食完飲できてしまう。が、二郎童貞を捨てたのは歌舞伎町の麺半分のニンニクだった。


 その滋味深い豚骨醤油のスープは五臓六腑に染み渡り、オーションの風味豊かな麺の香りが鼻から突き抜け、箸休めにしては多すぎるヤサイのシャキシャキ感がほどよく、ブタと呼ばれる厚切りのチャーシューを噛めば噛むほど笑顔になる。


 気付いてしまった。

 この世にはラーメン二郎という美味しい食べ物がある。


「山田のラーメン、楽しみだな……」


 横断歩道の赤信号を見上げながら、総帥こと山田拓美氏の作るラーメンに思いを馳せた。ラーメン二郎三田本店は、現在昼の部と夜の部に分かれて営業しており、夜の部は総帥の息子がラーメンを作っている。


 生粋のジロリアンとしては、総帥のが入ったラーメンを食べたい。総帥は細かいことを気にしないのでラーメンを提供する際にどんぶりに指が入っていようと気にせずにカウンターの上へ置く。この指が最後の(まったく隠れていない)隠し味となっている。


 信号が変わった。三田本店の近くには私立の有名大学がある。登士郎も学生の身であるから、その学力はともかくとして背格好では溶け込めていた。中肉中背である。


 しかし、なんだか周りの動きがスローモーションに見える。悲鳴にも似た音を発しながら、他の人たちは散り散りになった。


(え……?)


 アクセルとブレーキを踏み間違えたハイブリッド車が歩道に乗り上げて、フルスピードで突っ込んでくる。


 山盛りのラーメンではなく山田の笑顔でもない。

 ハイブリッド車の鼻面が、登士郎が現世で見た最後の景色だった。

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