ブタを捕まえよう! の3

 中国には三蔵法師という僧がオトモたちを引き連れ、仏典を求めて“天竺”までを旅する『西遊記』という物語がある。そのオトモのうちの一体、猪八戒はイノシシの漢字を使いながらブタの姿で描かれているように、ブタとイノシシは切っても切り離せない関係だ。というのも、ブタはイノシシを家畜化した生き物である。


 イノシシの幼体をウリボウと呼ぶが、ウリボウの状態から人間の手で飼い慣らしていると、ウリボウは環境に合わせて成長し、イノシシのようなツノが生えなくなるという。ツノが生えなくなった個体をかけ合わせつつ、飼料にこだわって肉質を人間好みに改良していったものが現在のブタだ。現在のブタも、人の手から離れるとイノシシの姿に近しくなっていく。


「なんであんたに渡さないといけないのよ」


 魔物の中でも魔力の保有量が多く、人の形とコミュニケーションが取れる個体を、この世界では『魔族』という。その種族の代表者であり、人間とは使用している言語の異なる動物たちの代弁者として人間たちに立ち向かう。


 ブタの魔族、エルはしかめっ面をしている。もしトレスが太一だったならば、エルは喜んでブタを差し出しただろう。トレスの中身が登士郎に代わっているという事実は、マーティと登士郎自身しか知らない。登士郎がトレスを演じ続けて、マーティが隠し通せば、誰も気付かない。


 鑑定スキルがあれば看破されてしまうが、このスキルは勇者トレスの“ギフト”である。ウランバナにおいて天賦の才能ギフトは、類似するものや似たような効果を発揮するものはあれども、基本的には唯一無二とされている。


「この世界でいちばん美味しいブタでラーメン二郎を作りたいからだ」

「さっき聞いたわよ! 第一、何よその『ラーメン二郎』って!」


 なろう系小説に多く見られる西洋風ファンタジーの、いわゆるナーロッパ(※なろう系とヨーロッパをかけ合わせた造語)な世界観の『転勇』だから、ラーメンなどという料理はない。それどころか、パスタもなかった。ウランバナには麺類が存在していない。小麦粉は主食のパンや嗜好品としての洋菓子を作るための粉である。


 小麦粉のその他の用途として(中華麺を作るためであって、失敗といえば失敗だったのだが)うどんを打ったのは、登士郎が初めてだ。ウランバナ史上初の出来事だった。


 薬師クレーの助力があってかんすいを手に入れ、試行錯誤の末に中華麺を作り上げた。このかんすいも固体のものと液体のものの二種類があり、小麦粉に対してどの程度のかんすいを入れるかの調整に手間取っている。副産物の中華麺たちは、個人商店にて販売され、ウランバナに『焼きそば』ブームが発生した。


 現在、中華麺は製造法のノウハウを野菜で買い取った女王プティットが統治するヘリテイジ王国で安定して生産されている。中華麺のみならず、うどんやパスタといった小麦粉を主原料とする麺類はすべてヘリテイジ王国で製造されるようになった。


 勇者トレスと聖女マーティのふたりで、二郎系ラーメンのあの太麺を作り出すべくあれやこれやと試しながら作っていた頃よりも圧倒的に供給が安定している。エルフたちが経営する製麺所によって、麺類は第二の主食としての地位を確保しつつあった。


「二郎は、俺の青春そのものだ」


 登士郎と『ラーメン二郎』の出会いのきっかけを生み出したのは、大学生活の開始直後に起こりえるよくあるイベントのひとつであった。が、バイトを始めたり車の免許を取ったり家二郎を作ってみたりと、その『ラーメン二郎』との出会いが、その後の登士郎の人生そのものをまるっと変えてしまっている。出会っていなかった場合の人生が考えられないぐらいに。


 北は札幌から南は京都にある『ラーメン二郎』の、各店舗の個性あふれる味を楽しんで、最後に三田本店のラーメンを啜りたかった。同じ屋号を掲げているにもかかわらず、同じラーメンではないのが『ラーメン二郎』の特徴だ。同じ店舗だというのに日によって、時間帯によって味が“ブレる”のも『ラーメン二郎』の愛すべきポイントである。


 せめて山田総帥の作る一杯を食べてから死にたかった。店に到着する前に、登士郎は事故に遭ってしまい、気付けば異世界だ。未練しかない。


「この異世界に二郎がないなら死ぬしかないと思った。そのぐらい、俺は『ラーメン二郎』を愛している」


 登士郎は自死を選ぼうとした。死ねば元の世界に戻れると考えたからだ。勇者トレスの幼馴染みであるところの聖女マーティが巻き添えを食らわないのなら、本当にあの場で命を絶っていただろう。


「俺は勇者トレスとして魔王を倒さないといけない。というのはわかっている。わかっているが、その前に、この世界で、この世界で最高の『ラーメン二郎』を作りたいんだ。だから、エルにも協力してほしい。頼む!」


 太一であると偽っていたほうが、ブタは入手しやすい。エルは太一を愛していて、告白をして、その返事を待っていた。太一へのその愛情を利用すればいい。明かさなければバレないのだから。


 しかし、登士郎はエルを騙したくはなかった。登士郎が『ラーメン二郎』を愛しているように、エルは太一を愛している。何が何でも『ラーメン二郎』を作りたいのだが、それでも、この判断は誤ってはいけないと思った。登士郎は、変なところで誠実さを出してくる。


「新しい勇者サマは、ずいぶんとワガママなのね?」


 頭を下げた登士郎を小馬鹿にするような口調だ。


「わたくしからも、お願いします!」

「マーティ……」

「わたくしも、トーシローの作る『ラーメン二郎』を食べたいのです」


 魔王ネヒリムを倒しにいくため、とはいえ、マーティは麺作りから材料集めまで、ここまでの二郎系ラーメン作りの全工程を手伝っている。登士郎ほどの『ラーメン二郎』への愛情はないものの、完成形を食したいのはマーティも同じだ。


「……まったく」


 聖女が勇者に同調して、魔族はため息をついた。勇者の中身が代わってしまい、登士郎には彼女らとともに戦った記憶はなく、小説やマンガで読んだだけの他人事だ。聖女マーティは、旅の仲間を募集した時に応募してきてくれた初めましての頃や、ピンチを打開してくれるカッコイイ姿や、太一への想いを打ち明けてくれた乙女な一面――エルの色々な顔を覚えている。


「わかったわ。ブタを用意してあげる」


 エルもまた、勇者を支えなくてはならない立場の聖女としてのマーティの苦労を見てきているので、今回もその一環として理解を示した。魔王ネヒリムを倒さねばならないのは、エルも同じである。


「ありがとう!」

「別に、あんたのためじゃないわよ。マーティのためなんだから、誤解しないでよねっ!」

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