第11話

 ワタシはゆっくりと目を開ける。

 心臓に手を当てると、ドキドキドキドキ、高鳴っていた。

 ぜんぜんフラットじゃない。山あり谷ありだ。これじゃあアルプスじゃないか。

 大きく深呼吸をする。

 頭の中ではまだ夢の残り香が漂っていて、神経をジーンとしびれさせている。

 指で唇をなぞる。

 反射的な行動。

 まぶたに浮かんだ光景。

 なぞる手が止まる。フラッシュバックした映像に、頭がフリーズする。

「な、なんて夢を……」

 まさか、キスする夢だなんて。それも、女性――クラスメイトとなんて!

 信じられなかった、考えもしなかった。

 ワタシがそんなことを望んでいただなんて、ワタシ自身知らなかった。

 同性愛者でも異性愛者でもなく、しいていえば、ワタシは誰も愛してなどいなかった。むしろ嫌いであろうとした。

 ワタシは独りであろうとした。

 それでも、彼女はワタシに――。

 ふと、まわりのことが気になった。

 ワタシは服毒自殺を図った。オーバードーズ。言い方はたくさんあれど、自ら寿命を縮めようとしたことは間違いない。

 こんなワタシがなぜ、あの薬を手に入れられたのかは、自分でもよくわからない。幸運で片づけることもできるし、何者かに仕組まれてたんじゃないかと陰謀の香りを感じなくもない。

 ただ、薬が見つからなくても結局は自殺をしていただろう。同じクラスの子が、先輩と怪しげな錠剤を取引する現場に居合わせていなかったとしても。

 ベッドから体を起こしてみる。頭に妙な違和感があった。ふらふらとしてなんか重たい。それに引っ張られるような感覚がある。手を伸ばしてみると、なにかかぶっているらしい。外してみれば、ケーブルだらけのカチューシャみたいなものだった。薬を飲むとき、こんなのつけたっけ?

 しかも、なんだか髪が長い気がする。それに、ずいぶんと長い眠りについていたような気だってした。

 不思議に思いながら部屋を見回してみれば、そこは自室じゃなかった。それほど広くはない部屋は清潔感にあふれていて、病室みたい。二つのベッドがあり、その間に立ちはだかるように、見たこともない装置が置かれていた。カチューシャはそいつと繋がっているらしい。

 そのコンテナほどの物体に隠れて、向こうで眠る誰かの顔は見えない。

 ワタシはそっと床へ足をおろす。ひんやりとした感覚はリアル。ベッドのヘリに手を置き、立ち上がろうとすれば、ふらりと体が揺れた。貧血か熱中症のときみたいに、体に力が入らない。

 何日、眠っていたのだろう。

 月の光に照らされた、巨大化したPCみたいな黒い物体に体をこすりつけ、ワタシは窓の方へ歩いていく。

 窓に映るワタシは橋姫みたいだ。げっそりとやつれた顔、髪はべっとりと額に貼りつき、体は柳みたいに細かった。ろうそくさえあれば、まさしくといったところ。

 しばらくの間、窓に映る鬼気迫る顔を見つめていた。

 少しして、首にかけられたネックレスに気がついた。

 手製のちゃちなやつは、誰かがかけてくれたのだろうか。その色あせたビーズたちは、かろうじてさくらんぼのかたちを保っている。

 なんで、それを握りしめて自殺しようと思ったのか。緋色の錠剤を流し込むときは考えもしなかった。

 でも今ならわかる。

「……砕けちりたかったんだ」

 あの時、あのグラウンドで、修復不能になった信頼関係と同じように消えてなくなりたかった。

 ワタシは首から懐かしいビーズをはずし、月光にかざす。セロファンでグルグル巻きにしているから不格好だ。でも、なかなか味があると感じもする。

 すこし考えて、さくらんぼを窓辺に置いた。置き去りにして、黒い装置の向こう側へ。

「やっぱり」

 ベッドに横たわっているのは想像通り、山河さんだった。最後にあった時よりも、ずっと大人びててずっと疲れきってるけど、間違いなかった。

 忘れるわけがない――彼女はワタシに唯一話しかけてきてくれた人なのだから。

 彼女についてワタシが知っていることはあまりに少ない。そのほとんどが、誰かがどこかで口にしたものをつなぎ合わせたコラージュ。お寺のご子息であり、山の頂上から高校までチャリで通っている。頼まれたら協力するお人好しで、頼まれなくたって困ってる人あれば進んで助けるほど。

 あだ名はイムさん。直球だけど、これほど彼女を表しているものもなかった。

 分け隔てなく優しいということはワタシも知っていた。いや、友達も話す人もテストの点を比べる相手さえいなかったワタシだからこそ、はっきり覚えている。

 だからって。

「ワタシなんか助けなくてもよかったのに」

 窓から差しこめる光に照らされた山河さんは、毒リンゴを食べた白雪姫のよう。体は石像のようにピクリともしていないけども、ただ、口元だけがすうすうと呼吸を続けている。

 赤い唇に目が行ってしまうのは、キスした夢のせいに違いない。思い出して、動悸がぶり返してきた。

 落ち着け、落ち着けワタシ。あのカチューシャでも見よう。……今思ったけどお揃いじゃないか。

 たっぷり深呼吸したのちに、ベッドのわきに置かれた台に気が付いた。そこには、にわかに鈍い光を放つ金属製のお椀が置かれていた。おばあちゃんちの仏壇に置かれていたものを何十倍にもしたようなやつだ。

 毛布からだらりと伸びる腕は、それを叩いていたかのように、お椀を向いていた。

 その物体へと近づいていくと、つま先が何かにぶつかった。飛び上がって見れば、バチのようなものが転がっている。そいつで、このビックなお椀を叩いていたのかな。

 ワタシはそれを拾い上げてみる。ひんやりとしていて、熱はない。

 何とはなしに、それでお椀の側面を叩いた。

 ゴーン。

 思いのほか大きくよく響く音色が、病室内を駆けめぐる。想像の何十倍も大きな音がしてワタシはびっくりした。今の時間は知らないけれど、昼間じゃないことだけは確かだ。誰かの睡眠を妨害しちゃったんじゃないかと不安になる。

 ワタシは、眠っている山河さんを見た。

 ちょうどその時、彼女の目がうっすらと開き、ぱちりと開く。

「あ」

 起きた。起こしてしまった。

 どうしよう。なんて言えばいいんだろう。

 ワタシの頭の中は騒然とする。未だ残っている夢の残滓と、話したいことと起こしてしまったという申し訳なさがごちゃ混ぜになって、なんだかよくわからなくなってきた。

 あたふたとしている間にも、ぼんやりとしていた山河さんの目が、力を帯びていく。

「ここは……」

「た、たぶん病院。えっと、山河さん、だよね?」

「そうだけど……あなたはだれ?」

 その言葉に、脳がフリーズを起こし、連動してワタシの体もまた硬直した。

 もしかして寝ぼけているのだろうか、それとも冗談?

 あれだけワタシを追いかけまわして、一緒に昼休みを過ごして、放課後には図書館で『人間失格』とか『ドグラマグラ』とか読んでよくわかんないって一緒に話してたのに?

 これが、自殺を図ったワタシに対する罰だっていうの。

「ごめん、なさい」

 ワタシは顔を上げる。久しぶりに見たようなそうではないような山河さんの表情はどこか申し訳そうな色を帯びていた。

「私、たぶん、貴女とは親しかったんだね。でしょ……」

 何も言えなかった。言おうとしても、言葉に詰まった。

「ひどい顔。私のせいだよね」

 くしゃりと山河さんの顔がゆがむ。悲しみに暮れた顔。

 一度も見たことのない、彼女の表情。

 心臓がぎゅっと縮んで。

「違う!」

 ワタシは詰まった言葉をそのまま発した。何が違うのか、考えもせずに。

 いつもだったら、考えて考えて考えて、悪い方に考える。それで、最悪だなんて口走っちゃうんだ。

 脳裏によぎった苦々しい光景を、あえて見ないふりする。

 あの時は逃げちゃったけど、今度は違う選択をしてみたかった。

「違うよ……ワタシはあなたに助けられたの」

「そうなんだ」

 山河さんはびっくりしているようだった。いきなり否定され、そのくせ助けられたとかなんとか言われたんだから、当たり前といったら当たり前だった。

 ワタシは、いつの間にかあふれてきていた涙をぬぐう。ぬぐってもぬぐっても涙は溢れてきてキリがない。

 だから、もう無視することにした。

「ワタシは守屋さとり。――あなたの友達だよ」

 部屋中に響きわたり反響する鐘のような音が、ワタシの言葉にかき消されていく。

 春の到来を告げる強い風と夜を滑るお月さまだけが、ワタシたちを見守っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眠り姫には目覚めのキスを 藤原くう @erevestakiba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ