第6話

 どうして雪原に血の跡があり、どうして私はそれを追いかけているのか。

 そうしなければならないという想いだけがあった。いや、それは正確ではなく、何かしなければという漠然とした感情が、私を突き動かしていた。

 つまるところ、他にやることがなかった。

 赤いしずくを追いかけないで、白い原野を走り回るというのも一つの手だが、そうしたところで何かが見つかるとは思えず、遭難するのがオチのような気がする。

 そこでいくと、血痕はガイドラインといえなくもない。誰が残しているのかは知らないが、これに沿っていると何かにはぶつかる。

 氷漬けの公園。

 廃墟と化した保育園とそこでの一幕。

 まだ、何かあるはずだ。

「……なんで、そう思うんだろ」

 疑問は言葉となったが、返事はない。返事があるかもしれないと思うのは、私がおかしくなっているからなんだろうか。

 右手に持ち続けているおりんへ目を向ける。そこに浮かんだ私の顔は引き延ばされ、歪み、カーブし、原型をとどめていない。何よりおりんは鏡のように磨きこまれてはいなかった。これじゃあ、私の顔がどんなもんか確認できないじゃないか。

 やっぱり、私は守屋さとりなのだろうか。

「守屋さとり」

 口はその言葉を覚えている。耳も頭も心だって……。でも、何かが違うという感じもする。何が違うのかはわからない。学生証には、名前と写真と通っている学校のことしか書かれていなかったのが悔やまれる。記憶をなくしたときのために、ライフハックの一つでも書いてあればよかったのに。

 そんなことを考えながら、学生証をくるくるもてあそぶ。

 手だけではなく足も動かし歩く。

 歩く。

 歩く。

 ひたすら歩いた。

 ポタポタと、一滴一滴几帳面に落としているかのような赤い涙は、どこまでもどこまでも伸びているようにさえ思われた。

 こうやって休みなく雪原を歩いていても、不思議と疲れはしない。でも、寒いし、心にぽっかり穴が開いたような感覚だってする。

 同じような光景。

 同じような行為の繰り返し。

「あっ」

 私は、回していたカードを滑り落してしまった。

 学生証が宙を舞う。それに手を伸ばす私。

 そのプラスチックの角に指が触れた瞬間、まるで逃れるように学生証が羽ばたいた。

 実際のところ、羽ばたいたかどうかはわからない。私には、蝶の羽ばたきのように見えたというだけで、私の指が弾き飛ばしただけなのを、責任転嫁しているだけなのかも。

 いや、それどころじゃない。

 私はさらに腕を伸ばしていた。歩いていたやつが、急に体を捻り、腕を伸ばす。そうしたらどうなるか。しかも雪上で。

 ものの見事に転倒した。

 脚をもつれさせ、1センチの雪の絨毯とその下の分厚い氷の層に半身がぶつかる。

 その時、手から離していないおりんが、不満を訴えるようにキーンキーンと体を震わせて――。


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