第9話

 気が付けば、私はお寺にいた。

 さっきやってきた場所と同じだが、そこには誰もいなかった。ただ、開け放たれた扉から夕日が差し込み、本堂の黄金の装飾を紅色に染めあげているだけ。

 喪服も袈裟の姿はない。

 ろうそくも揺らめく炎もなく、世界からヒトが消えてしまったかのような病的な静けさだけが漂っていた。

 まるでぽっかりと穴が開いた、心のように。

 私は膝をつき、正座をしようとして、その場に崩れ落ちた。ちょうど、神さまに五体投地で祈りをささげるかのようだったが、祈りをささげるような気分ではなかった。

「何が仏様だ……」

 信仰する存在に対する不敬な言葉が口を飛び出した。生まれてこの方、発したことのない言葉。驚きつつも、どこか冷えた目つきな自分もいた。

 ――助けを求めていないやつを助けるのはどうなんだ。

 ――自己満足なんではないか。

 頭から降ってくる黒い言葉。

 視界の先をちらつくおりんは、私自身が生み出す影に入って、すっかり輝きを失っていた。

 ぐるぐる考えが輪廻転生を起こし、私は途方に暮れる。

 私は……誰かを助けるために、助けるためにここまで。

 誰かって?

 その誰かは本当に助けを求めているのだろうか。助けを求めてるんなら、もっとわかりやすく、そう、ヘルプミーとか叫んでくれるんじゃないだろうか。

 わからない。

 どうすればいいのかわからなかった。

 むしゃくしゃした感情が胸の内でとぐろを巻き、心を焼きつかせていく。衝動が噴火し、私を突き動かした。

 こぶしが畳を叩きつける。

 そのはずみで、おりんがキーンと悲鳴を上げ、跳ねた。それはごろごろ転がり――白い足にぶつかって止まった。

 黄色のおりんを目で追っていた私は、突然現れた足に目線を上げる。

「あなたは」

 そこに立っていたのは、クマのぬいぐるみを抱えた少女。

 私と目線を通わせたあの少女だった。

 まるで、最初からそこにいたかのような存在感を彼女は発している。そうすることが当たり前かのように少女はおりんを拾い上げた。

 そして、とてとて私の前までやってきて、それを差し出してくる。

 私はくすんだ道具を見、それから少女を見る。幼い少女は目で何かを訴えかけていた。痛切に、ではない。あくまでも穏やかに、諭してくるかのように。

 お坊さんか――それこそ仏様のように。

「何をやれって言うの、私に」

「困っている人がいたら助けるんじゃなかったの」

 少女の言葉は、小学生にしてはあまりにはっきりとしていた。それが、槍のように私の心へ突きささった。

「助けようと思った、でも、相手がそれを望んでないの! それでもやれっていうの!?」

 私は叫んだ。感情のままに。

 瞬間、少女の顔に、拒絶するさとりの顔がサッとよぎった。

 叫び声はどこまでも響いていく。この小さな世界の果ての果てまで届いていくかのように思われるほどに。

 彼女はたっぷりと間を置き、そして、ゆっくり頷いた。

「だって、あなたが決めたことだから」

 ぷっくりと熱を帯びた手が、おりんを差し出してくる。

 夕日に燃やされ、金色に眩く光るおりん。それを受け取れば、お椀の中で乱反射する光が私を照らす。踊るようで、そしてあたたかい光が。



 そうして、私はすべてを思い出した。

 私がすべきこと、私がしなくちゃいけないことを。

 山河ケイスが、守屋さとりのためにやらなくてはならないことを。



 立ち上がった時にはすでに少女の姿はなかった。

 私以外誰もいない空間はどこか寂しくて、でも懐かしくもある。

 おりんはすでに光を失っていた。夕日は地平線の向こうへと消えようとしている。

「もう時間がない……」

 名残惜しかった。この懐かしい空間にもうちょっとだけいたいという気持ちはないわけではなかったし、記憶を取り戻すきっかけとなったあの少女の頭を撫でてあげたくもある。

 でも、それどころじゃなかった。

 私にはやるべきことがある。

 一度だけ本堂に礼をし、その場を後にする。黄昏の中へ向かっていくと、おりんが嬉しそうにゴーンゴーンと鳴りはじめた。

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