第8話
勘の鈍い私にも、この世界のルールとやらがわかってきた。
おりん。
このちっぽけな道具が鳴りはじめると、世界を移動するらしい。あるいは、世界が変わる。どっちしてもおかしなことが起きていることには変わりがない。
私が記憶している限り、世界は二転三転しないはずだし、おりんにもそのような効果は存在しないはず。
でも、この世界においてはそういうことになっている。ゴーンゴーンという音色が呼び水となっていることは明白だった。
そう結論づけ、改めておりんを見てみるが、この頼りのないツールがそんな力を持っているとは思えなかった。でも同時に、なにか神秘的なものを感じてしまうのは、私が単純だからなのだろうか。
小さく息をつき、周囲に目を向ける。
意識をすると同時に、世界が広がり、奥行きと色彩を持ちはじめた。私が見るから世界があると言わんばかりに。
今回は様々なガラクタからなる奇妙な世界だった。
シャーペン、コンパス、漫画、ハサミ、スニーカー、ジーパン、スマホ、机、テレビ……。
雑多なものが積み上げられ、崩れ、広がり、転がっている。空から降ってきたかと思えば、ごみごみとした山に落ちて、カラフルな雪崩を引き起こす。
ガラガラという音に包まれながら、私は空を見上げる。
果てのないグレー。油絵のような灰色の空は、今にも泣きだしてしまいそうなほどに濃く、重たい。いや、もう雨は降っているのかもしれなかった。モノが降ってくるという現象がここでは雨なのだ。
頭に当たったらどうなるのだろう。
そんな心配が頭をよぎった。不安が駆けめぐるが、体はすでに動いている。
行先はもう決まっていると言わんばかりに歩き出しているのだが、私にはトンと見当がつかなかった。それでも行くしかない。この先に探しているものがある。そんな直感が、今やはちきれんばかりに膨らんでいた。
足音はダークグレーの床に吸い込まれて消えた。あるいは、ガッシャンガッシャン落ちては崩れ、崩れては落ちる物音にかき消されている。
そこここに転がるのは、比較的小さなものだ。くるくるスピンするクレヨンは床を彩りながら足元までやってきて、ローファーの下敷きとなってばきりと折れた。
ゴミ捨て場。
それも、ゴミステーションから運ばれてくる大量のごみを集めているかのような大規模な場所。
この過剰なまでのモノは、一体何を暗示しているんだろう。
暗に示す。
「示すだなんて、なんでそんなことを……」
呟きに答える声はなく、私自身にも正解は思いつかなかった。
がれきの山を縫うように進んでいく。いつ、先のとがったものが、降り注いでくるかわからなかった。包丁がギロチンのごとく落ちてきてもおかしくない。あんなものが突き刺さったら、私の人生はあっという間にTHEENDだ。
時折、ぽくーんぽくーんと音がする。見れば、茶色い物体が落ちてきていた。それが今まさに、坂を駆けおりるラリーカーのように滑りおちてきて、私の目の前で止まった
そいつはいわゆる木魚というやつだ。ウロボロスのごとく尾をかじる魚が彫りこまれていて、どこかで見覚えがあるが、捻りだそうとしても思い出せなかった。
ウィンドミルのごとく回転する木魚を拾い上げ、道のわきに置く。
それから再び歩きはじめる。
今度は紙がサクラのようにひらひら舞っている。一枚拾い上げるとそれは馬券だった。私は一応女子高生で、競馬場には行ったことがない。でも、年末の様子なら一度見たことがある。間欠泉のごとく噴きあがる勝馬投票券をキレイだなって思ったくらいだが。
さらに降ってきたのはテストの答案用紙だ。名前欄には守屋さとりとあった。
「まただ」
また、その名前と出くわした。私と彼女とは何か因縁浅からぬものでもあるのだろうか。不思議な縁を感じながら、私はマルばかりの答案用紙に目を向けた。
薄い字で書かれた数式や証明はどれも正確無比で、非の打ちようがない。赤ペンが花丸を描いているのも当然だった。
……そこまで考えて、私は数学が得意らしいということを思い出す。Σの意味もしっかり覚えているし、それだけが取り柄だったのかもしれない。
私は、折り目一つないその答案用紙をそっと地面に置き、立ち上がる前にひっくり返す。テストの点数なんて、仮に満点であっても――いや満点だからこそ、他人には見られたくないよね。そんな私なりの配慮である。
答案用紙の上に、落ちたてほやほやマウスを置いて、私は周囲を見回す。白銀の世界と同様、前にも後ろにも右にも左にも、世界はどこまでも続いており、果てがない。
物は落ちつづけ、雪原には血が滴りつづける。
たとえ、私という存在がいなくとも、それは未来永劫続くのだろう。
先へと進むにつれ、落下物は徐々に小さくなっていく。大きなものは姿を消し、あきれるほどうるさかった物音は後方へと去っていった。
目の前では、本がバサバサ空を舞い、地面へ叩きつけられている。
ちょうど足元へ転がってきた本は、カバーが折れ、帯は外れ、スピンは吐しゃ物のごとくちぎれている。
表紙には『人間失格』と書かれていた。
なぜ、それが落ちてきたのか。見上げても答えはない。また本が降ってきたが、それが私の前まですべり落ちてくることはなく、バベルの塔を形成する1ピースとなった。
大の字に広がった文庫本を拾い上げる。開かれたページには文字が並んでいたが、私から逃げるようにページの外へと消え。
――わたしに近づかないで。
ページ一面に、書きなぐられた文字。すべては一瞬のうちに終わった。
私はそいつを放り投げた。
恐る恐る、ベージュの表紙を見てみれば、題名が変わっている。
『ワタシ失格』
私は逃げるようにその場を後にする。
山が小さくなっていくと、ずいぶん見晴らしがよくなった。
遠くには蜘蛛の糸と見まごうほどの落下体がある。時折、ぷっぷっぷ、と聞こえてくるのは、クラクションの音だろうか。
目の前には、小さな山に囲まれた空間があった。
それは舞台といっても差し支えはない。あるいは幕が上がる寸前のステージだ。満ちた緊張感で爆発しそうな。
その前にはパイプ椅子が並んでいる。錆びたそれらが見つめる先には、一人のセーラー服が膝を抱えていた。
私が着ているものと同じもの。
その陰鬱な横顔には、見覚えがあった。
「守屋さとり――」
喉から飛び出た言葉が、凪いだ世界を震わせる。果たして、目の前のさとりはこちらを向いた。
その目が私を捉え、大きく見開かれる。
驚きに、恐怖に。
小さな体がブルリと震え、殺人鬼から逃げるように後ずさる。
「来ないで」
私だって行くつもりはなかった。いや、行けなかった。言葉が通じたことが驚きで、私の存在を認識していることが信じられなかった。これまでずっと誰にも見つからなかったし、話しかけられもしなかった。
私は透明人間みたいなものだった。
クラゲのような傍観者だった。
パイプ椅子の隣でただ立ちすくんでいた私を、揺れる視線がつらぬく。
「ほっといてよ!」
彼女の言葉はか弱く、力はない。だが、私の体を雷鳴のようにつらぬき、確かに焦がした。
そうして、悲痛な泣き声のようにおりんがリンリン鳴る。
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