第3話
教室の扉をそっと開け、中の様子を窺う。
スライド式のドアは音もなく開いた。隙間から、いかめしい英語教師の声が漏れ聞こえてくる。
「守屋」
返事はない。いや、私には聞こえた気がした。
だが、教師が名前を繰り返す。じれったさを隠そうともしない声であった。
その声に、どこからか声が起き上がった。
フラフラとした幽霊のような声は、私の目の前からした。
枯れ木のような腕を必死に伸ばすその生徒は、一瞬、毛玉かなにかだと思った。だが違う。長い髪の毛からはぞうきんを絞ったようなうめき声が出ている。彼女が守屋という生徒らしかった。
彼女が言葉を発した瞬間、教室内が――世界さえもが息を呑んだように感じられた。まるで女王様が苛烈な命令を発したような、あるいは、魔女が呪いの言葉を口にしたようなざわめき。
それはあまりに小さく、代わり映えのしない日常に影響を与えることなく、三十番目の山河という生徒のはきはきとした声を最後に出席確認は終わった。
守屋さとり。
それが彼女の名前だった。
私はその名前に強烈な違和感を覚えていた。何が引きつけているのかはわからない。ただ、熱く焦がれるような興味が、じりじりと心の中で燃焼を続けている。
機関車のような感情に突き動かされるまま、私はさとりを目で追った。いや追うというのは正確ではない。寝ているのか、彼女は動かない。机に突っ伏し、竹ぼうきのような髪を四方八方に流している。
その存在感は、ないのにあってあるのにない。彼女は目立とうとはしていないんだろう。でも、周りがそれを許さない。
みんなみんな、さとりを遠巻きに見ている。一人の生徒を意識しないように意識している。その矛盾が彼女へナイフを突きたてる。
ナイフ。
私には見える、二十八本のナイフがさとりの小さな体を突きさし、とろりとした液体を迸らせる光景が。
深々刺さったナイフ。
朝の日の光を受け、冷え冷えと輝く短刀。
誰も気が付いていない。
刺した本人たちも刺された本人でさえも。
透明なナイフが赤く染まり、血が涙のようにしたたり落ちて、ぴちょんと控えめな音を上げる。一つの水音が呼び水となり、水音は大合唱へと変化した。
血の輪唱は、どこか卑猥なものにも聞こえて。
私は言葉を発しようとした。
だけど、私の言葉よりも早く、向こうの――教卓の前で予習をしていた女子生徒が立ち上がった。
その顔が、さとりを、その向こうにいた私を向いた途端、手元のおりんがゴーンゴーンと鳴りはじめた。
瞬間、世界が渦に包みこまれていく。
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