第十六章 聖騎士






 ジーク・ハルフリード───その名を知らない人間はこの国には存在しないだろう。〈聖騎士クルセイド〉に名を連ねる騎士の一人にしてケンリッドと並ぶ〈三英傑〉の一人。国の戦力の要石たる最優の騎士。


 俺自身、この人物を何度も目にしたことがある。常に民衆や他の騎士の連中に囲まれていて近くでその顔を拝んだことは無かったが、この圧倒的な気迫───間違いなく何度も感じていたあの聖騎士のものに他ならなかった。


 自身の憧れ。それに間違いなく最も近しい人物の一人である彼を前に身震いが止まらない。感激とも違う、飲み込みがたい感情が喉につかえた。


 だがしかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。目下の問題は何故その〈聖騎士クルセイド〉である彼がこの場にいるのかということだ。ここはイルミーナ先生の魔術研究工房。ただでさえ部外者の侵入を嫌う魔術師の工房において、議会からの使者である彼が自由気ままに悠々と行動を許されている理由が分からない。まあ、部外者という観点であれば自分たちも例外ではないのだが。



 「ちょっと、勝手に出歩かないで下さい! 部屋で待っているよう言ったはずですよ!」


 「いや何、あそこは少し窮屈でな。時間も早い方が良い。だからこうして迎えに来たというわけだ。心配せずとも建物の中は何もいじってはおらんぞ」


 「そういう問題ではなくて───」


 やはり出歩かれるのは心象に良くないようで、シフォン先生は不用意なジークに嚙みついている。だが、当のジークはシフォン先生の諫言を気にも留めていない。


 「大丈夫ですよ、シフォン先生。重要品は全てもう移動させていますから、そう気にする必要もありません。それよりもジーク・ハルフリードさん、わざわざこんな辺境までお越しくださったのにお待たせしてすみません」


 深々と頭を下げるイルミーナ先生。シフォン先生はどうしていいか分からずあたふたとしているが、ジークは口を閉じ、大きな曲線を描いて笑う。


 「他人行儀ですな。私と貴女の仲です、気なんて遣わんで下さい。むしろ浮足立って予定より早く来てしまった私の立場がなくなってしまう」


 これまでの豪快な態度から一変して、騎士らしい真摯な態度に変身するジーク。言葉遣いから細かい所作まで、まるで別人のように見える。だが、その一礼を終えた途端に破顔。先の歯をむき出しにした豪快な男の表情に戻る。


 単に粗暴な男かと思ったが、どうやら場を弁えた立ち回りもできるらしい。そういう事でしたら、と言葉を崩すなりイルミーナ先生とジークは何やら会話を進め始める。親しく話すジークを恨めし気に睨むシフォン先生だが、彼女もそれに異を唱えることはなかった。


 先生達が会話を推し進める中、自分とユリア、アルフレッタの三人はまるっきり蚊帳の外。自分達に用があるというからここまでついてきたというのに、目移りから急に放り出されたようで面白くない。いや、あの口ぶりだとどちらかといえばこちら側が本来目移りの対象だという事なのだろうが。


 だがどうやらその気持ちはユリアとアルフレッタも同じなようで、手持無沙汰を解消しようと三人そろって先生達の話に聞き耳を立てる。何やらこの〈鳥籠〉とそれを取り巻く施設について話しているようだが、しかし専門用語ばかりでイマイチピンとこない。

 自分としては聖騎士クルセイドを間近で見られただけでかなりの収穫なのだが、ならば尚更彼がここに来た理由が知りたくなるというものだ。だというのにか細く聞こえてくる会話の中にはそれに迫るものがない。

  

 ───そういえばあの男、何やら『巨竜退治』などと物騒なことを言っていなかったか。


 と、そんなことを思い出していた瞬間だった。



 「お、来たか」


 「⁉」


 ぐにゃり、と視界が歪む。視界につられ倒れそうになる体を立て直そうと足を踏み出した瞬間、揺れているのが視界ではなく今足をつけている床であることに気が付く。───否、床でもない。もっと根本的な場所が揺れているのだ。建物の揺れはその余波に過ぎない。

 地面より深い場所で発生している巨大な揺れ。廊下が唸り声をあげてうねり、ねじれ、軋み、ところどころで亀裂が発生している。この工房が、崩れるかもしれない。

 

 初めて感じるその感覚に思わず身を伏せる。ユリアを抱き寄せ、何とか身を守ろうと小さく纏まる。見ればアルフレッタも揺れに耐えかねて壁にもたれかかり頭を隠している。しかし、イルミーナ先生やシフォン先生、ジークの三人はまるでその揺れが来るのが分かっていたかのように平然とその場に立っていた。


 「な、何が……」


 長い振動がようやく収まり、体を起こす。何が起こったのか分からず、とにかく状況を確認せねばと周囲を警戒する。


 「あ、あれ!」


 廊下の壁に設置された窓を見て、アルフレッタが叫ぶ。その指さす方向、───地平に沈む山脈の一角が、ゆっくりと動き出しているのが見えた。


 「なっ……!」


 思わず窓に食いつく。打ちあがる土煙、山表から滑り落ちる土砂の濁流。やがてその山は四本の巨大な足を露わにする。短くも太く堅牢な手足。その一歩でいったいどれほどの面積をえぐり潰していくのか、想像するだけで寒気がする。


 まるで石臼のようにゆっくりと音を立て、周囲の物質全てを挽きつぶしながら『巨竜』はその全貌を露わにする。


 切り立った山嶺、蠢く大地。


 背中に山を背負うその姿は川や沼に生息するカメに似ているが、あまりにスケールが違いすぎて頭の中でその二種が結びつかない。そう、あれに比肩できる生物があるとすれば〈龍〉だ。生態系の頂点に立つ強大で生命力に溢れた幻獣。住処を追われ飛び立つ鳥類の群れを背景に動く姿は正に圧巻と言うほかなかった。  


 そして、あろうことかその龍は頭部をこちらに向けて歩き出したのだ。低いうめき声を上げながら、ゆっくりと地響きとともに行進する巨竜。まだかなり距離はあるが、あの股一つで村を跨ぐような歩幅であれば工房ここに辿りつくまでに一日とかからないだろう。


 「───〈山磑竜グラナキア〉。地中に生息する、いわゆる地竜の一種です。非常に長寿な種で数百年単位で生きるうえ、その重ねた年月に応じて体も大きくなっていくんですよ」


 にこにこと変わらずの表情で解説するイルミーナ先生。その巨竜の影響で自身の工房が壊れかかっているというのに大して気にする様子も無い。


 「いやはや、超長寿個体だとは聞いていたがまさかこれほどとはな」


 ごつごつとした顎を撫でながらジークもグラナキアをじっと見つめる。さすがの彼もあの巨体を前に驚いたのか、口調が僅かに強張る。


 「怖気づきましたか?」


 そんなジークを挑発するように、イルミーナ先生が問いかける。そして、その挑発にジークも即答で返す。


 「まさか。むしろ退屈せずに済みそうだと昂っていたところです。手出しは無用。アイツはオレ様一人で相手をさせてもらいます」


 「な───」


 無茶が過ぎる。相手は文字通り天災級の化け物だ。背中に巨峰を背負い、他の山や森を蹴散らし、すり潰しながら進行する生きる災害。矮小な人間がいくら集まったところで勝てる見込みがないというのに、まして一人でどうこうできるはずがないのだ。

 だというのに、イルミーナ先生もシフォン先生も特にその発言に口をはさむことは無く、さも当然のように手続きを進めている。まさかこの男を見殺しにでもするつもりなのだろうか。


 「ああ、それからもう一つ。実はジークさんにお願いがあるのです」


 「うむ、何だ?」


 そういえばと声をかけるイルミーナ先生。作業をシフォン先生に任せると、突然ジークの元へ俺達三人を連れ出す。


 「実は、この三人にジークさんの巨竜退治を見学させてほしいのです。この子達に〈神器〉を見せてあげてほしくて」


 「え⁉」


 「ほう」


 突如連れ出された挙句、訳の分からないお願いに巻き込まれ困惑する。思えば先程から困惑尽くしだ。そんな戸惑いをよそに、ジークは品定めでもするかのようにまじまじと三人の顔を順に見つめていく。

 ギラギラとした目に驚いたのか、裾を掴むユリアの力が強くなった。


 「ふむふむ、なるほど……。───うむ! よかろう! 英雄譚イーロエスの観客は多ければ多いほど良いからな! しかとオレ様の雄姿をその目に焼き付け、憧れに焦がれろよ! 少年少女!」


 だっはっはっは、と大口を開けて高らかに笑うジーク。その姿からは一瞬の迷いも気負いも感じられない、ただただ自信に満ち満ちた笑いだった。


 「では、私達も行きましょうか。ここでは巻き込まれてしまいますし、もっといい観戦場所があります。シフォン先生、後は頼みましたよ」


 「はい! 任されました! 生徒の避難と工房の防衛はお任せ下さい!」


 勢いよく、自信満々に敬礼のポーズで答えるシフォン先生。期待された喜びからか鼻息を荒くしているが、彼女もまたジークの失敗を疑っていない様子だった。


 そうして二人に見送られながらイルミーナ先生の後を追いかける。地を揺らす地響きの音。その振動が不安とともに少しずつ、しかし確かに大きくなっていくのを感じながら。





 「さて、ここからなら全体が見渡せますね」


 移動を開始してしばらく、半刻ほど歩いただろうか。先程までいた魔術工房から離れ、別の建物に入りさらに三階。解放されたベランダを見渡しながらイルミーナ先生が外の様子を確認する。


 白く塗装されたベランダ。木製の手すりが設置され、開けた視界には〈鳥籠〉の樹海が広がっている。右手には魔術工房、左手には現在進行中のグラナキアが見え、ここはその二点の直線上から少し離れた場所にある。先生の言う通り、ちょうど〈鳥籠〉内全体が見渡せる立ち位置だ。


 グラナキアの侵攻は思っていたよりも早く、まだ距離はあるもののはじめに動き出した地点からかなり近付いている。恐らくはその巨体で無理やりに山や谷間を越してきたのだろう。グラナキアが歩いた背後には挽き潰され、磨り潰された地肌が虫食い跡のように露出している。無残にも耕され地滑りを起こし、さらに広がっていく土砂の波。深緑の大地が土色に染め上げられていっている。侵攻の音も無視できないほど大きくなってきていた。


 「グラナキアは元来、〈山磑竜〉の二つ名の通り地中に潜り、長い眠りにつく休眠期を持つ種なんです」


 イルミーナ先生が口を開く。グラナキアの足音で聞こえづらいのを考慮してか、少し声を張った口調だ。


 「退化した翼部を地表に出し、風化させることで岩などに擬態する特性を持っているのですが、大きいものではそれこそ山を纏うほどにまで成長するんです。それを可能にしているのが翼部に生息する微生物。複雑になってしまうので簡単に嚙み砕いて説明すると、その微生物は魔力を急速に分解、結合して栄養分に変える働きを持っているんです。その微生物のおかげでグラナキアはその巨体を維持でき、また老廃物を背中に蓄積することで豊かな土壌を形成、文字通りの山を形成していくんです」


 何やら興奮交じりに語るイルミーナ先生。その言葉の端々から彼女の研究者としての熱を感じる。山岩に扮する生態を持つグラナキア。その巨大さの理由は分かったが、それと同時にハナから引っ掛かっていた疑問が浮き彫りになる。結果的にその疑問を代弁する形でアルフレッタが問いかける。


 「でも、なんでグラナキアが動き出すって分かったんですか? 聖騎士クルセイドの派遣も議会の決議が必要ですし、生徒達の避難に関しても前もって準備が必要そうですけど……」


 アルフレッタの疑問はもっともだ。聖騎士クルセイドは国防の要。緊急時以外の派遣には国王の承認と議会の議決が必要不可欠。今は国王が不在であるため議会の一存で認可は下るだろうが、それでもかなり前からグラナキアの所在とその目覚めを把握しておく必要があったはずだ。生徒の避難に関しても、そういわれれば〈鳥籠〉が魔術師たちの実験場だという割にはその姿を見ない。あらかじめ避難させてあったと考えるのが妥当だ。


 「ああ、それは単にグラナキアが私の研究の一環だからですよ。私の研究分野は魔法神秘学ですが、〈鳥籠〉の管理もその一環になっているんです。グラナキアは海を横断し大陸を渡る〈渡り龍〉でもあるため背中の山には独自の生態系が形成されるんです。それを研究するのが私の仕事、こんな貴重な調査対象は滅多にありませんから。この樹海もグラナキアから漏れ出た栄養分によって形成されたものなんですよ」


 グラナキアは大地を踏み潰す破壊の化身であるとともに大地に恵みをもたらす豊穣の女神でもあるという事か。魔力の循環による環境の形成となれば研究者が食いついてくるのも分かる気がする。


 だが、そもそもとして何故グラナキアは魔術研究工房に向かっているのかという疑問はまだ解消されていない。躊躇いもなく一直線に向かってくることを疑っていなかったような彼女の発言はどこか引っ掛かる。そんな自分の心中を読み取ってか、イルミーナ先生は言葉を続けた。


 「グラナキアの主食は鉱物、中でも魔力を多く含有している魔鉱石を好んで食べるんです。そのため魔鉱石が多く存在する場所に引き寄せられる習性があるんです」


 「? 工房には魔鉱石がたくさんあるんですか?」


 確かに、魔術師の工房であれば研究のため高純度の魔鉱石を貯めこんでいても不思議ではない。だがそれでもたかだか一人分の魔術師が扱う魔鉱石の量であの巨竜を満足させられるとも思えなかった。


 「いえ、グラナキアが目指しているのは王都〈パーナクトラ〉ですよ」


 「え」


 「あそこの地下には大量の魔鉱石が埋まっていますから、それを食べちゃいたいんでしょうね。私の工房はただ王都までの進路上にあるというだけです」


 なるほど、あの頭の固い議会がこんな辺境に聖騎士を派遣させた理由がようやく分かった。あんな山のような巨大な化け物が王都に侵入でもすれば王都がとてつもない被害を受けることは想像するまでもない。いくら堅牢なメラポニア城壁があるとはいえ、あの質量を受け止めきるのは難しいだろう。

 考えてみればこの〈鳥籠〉に設置された施設自体、全てグラナキアを覆うように扇状に配置されている。つまり工房含むこれらの施設はすべてグラナキアの研究のためのもの、『鳥籠』なのだ。



 「ですがあまりにも大きくて研究は本当に大変でしたよ。発見した時にはもう目覚めかけで、幻覚魔法や催眠魔法で何とか目覚めの期間を遅らせていたんです。議会へも打診して何とかギリギリまで粘って……。彼ら普段は面倒だからと何もしない癖して、王都に何か危害が及ぶとなった途端臆病になるんですから、本当嫌になりますよねえ。まあ結果として一日も無駄にすることなく調べ尽くせたので良しとしますけれども」


 「……」


 あくまで研究対象という事か。一般人である自分としてはいつ爆発するか分からない爆弾を秘密裏にずっと抱えていたという事実にドン引きも良いところだ。しかもそれが王都へ投げ付けられるかもしれないというのだから堪ったものでは無い。恐らく気が気でなかったであろう議会の連中に今回ばかりは同情する。


 「ですから、これで迷いなく殺処分できるというものです。ほら、向こうも準備できたようですよ」


 呑気に物騒なことを言う。魔術師というのが皆そうなのか、それとも先生が特別なのか。後者であることを願いつつ、イルミーナ先生の指した方へと視線を移す。


 右手に構えている工房、その屋根の上には既にジーク・ハルフリードが姿を現していた。




 

 両手を組み、仁王立ち。屋根に剣を打ち立て、男はまっすぐにグラナキアを見据える。健康的な白い歯をむき出しにする野性的な顔。堅牢な鎧に覆われた胸は己の力を振るうにふさわしい相手の出現による期待で今にもはち切れんばかりに膨れ上がっていた。


 「ちょっと、屋根に傷つけないで下さいよ。魔術工房は魔術師にとって敏感なんですから!」


 「貴様が防御魔術を張っておるのだ、この程度では擦り傷すら通るまい。それとも防御魔術は専門外か?」


 「うるさいうるさい、これだから議会の奴らは……、横暴で上から目線なんですよ! これでいいんでしょう!」


 文句交じりに展開される魔術防壁。青い文様を描きながら展開される結界が工房を覆っていく。


 「もういっちょ!」


 展開された防壁の文様が青白く光った直後、さらにその上に防護壁がいくつも展開されていく。先の案山子の防御結界とは比較にならない、はっきりと視認できる魔術の断層だ。


 「すごい、多重奏魔法……」


 アルフレッタの目が見開かれる。複数の魔法を重ね掛け同時展開する高等魔術、〈多重奏魔法〉。その中でも結界術はその難易度が桁違いだと聞く。結界で魔法陣を描きさらに防御魔法を重ね掛けする手法、言うのは簡単だがその実現には類まれなるセンスと技量が求められる。まさに魔法魔術の極致だ。


 「さあ、さっさと終わらせてください!」


 「おうさ、任せろ」


 大剣を握り、構える。大男であるジークと同じぐらいの刀身を持つ大剣を肩に乗せ、不動。じっ、と目の前のグラナキアを見据える。


 曇天の空。今にも雨が降り出しそうな空気の中、一滴の雫が地上に落ちる。地表に落ち、黒く冷たいシミを広げた直後、しかしその水分がたちまちに音を立てて消える。


 以後、雨が地上に到達することはなかった。天から滴る雫は全て、音を立てて宙で霧散していく。


 振動。小刻みに周囲が揺れる。グラナキアが起こす地鳴りではない。地面ではなく、大気が揺れているのだ。


 まるで大気がそ灼剣に共鳴するかのように。もしくは畏れ敬うように。うめき声を上げながら周囲を震わせていく。



 ───炎剣が、赫奕と大地を照らす。


 立ち込めるは白い水蒸気、鎧に付着する水分もすべて空へ還る。


 吹き荒れる突風。男の握る大剣を中心とした渦巻く力の暴風がそれら周囲にあるものを全て吹き飛ばしていく。煌々と輝く大刃。バチバチと光を走らせる焔は次第にその力を増し、その刀身を黒く焦がし、内側から焦がしていく。


 「───神秘、解放」


  瞬間、大剣を覆っていた黒墨が全て剥がれ落ち、その深紅の刀身を世界に晒す。まるで今この瞬間、その大剣こそが世界の中心であるかのように錯覚するほどの傲然たる存在感。圧倒的暴力がこの場を支配している。


 立ち昇る炎塔。まるで雲の合間から日の光が差し込んでいるのではないかと錯覚するほどの神秘的な光景は、しかし現実には異なる。掲げられた大剣、そこから発せられた巨大な炎の刃が雲間を貫いているのだ。


 膨大な熱量。燃え上がる炎に晒された大気中の水分は音を立てて蒸発し、舞い上がる木の葉はたちまちに塵となり灰に消えていく。


 そのような光景を前にして、尚も山嶺はその歩みを止めない。ただ悠然と、己が進路に立ちはだかる障壁全てをそのまま押しつぶさんと進み続ける。


 それを目にして、ジークもまたニヤリと歯を見せて不敵に笑う。その蒼き双眼が見開かれ、男は自身の力の名を叫んだ。


 「〈太陽剣エル・ラミーナ・デ・ソル〉───!」


 振り下ろされる大剣。それに連動するように寸分違わず炎の巨剣も弧を描いて目標へ伸びていく。


 「グオオォォ───!」


 激震。すさまじい振動が辺りを震わせる。燃える木々。砕ける岩石。ゴリゴリと激しい掘削音を鳴らしながら巨竜の外殻を削り、打ち砕いていく。


 驚くべきは工房に展開されたシフォン先生の防御魔法だ。これだけの熱量、これだけの威力を間近で受けながら、その防壁は熱の一切を内側に漏らさない。ありとあらゆる余波から完璧に工房を防ぎきっているのだ。結界術を専門に扱っている先生だという話は聞いていたが、その実力は間違いなく折り紙付きのものだ。


 その様子を見て判断したのか、ジークがさらに炎剣の火力を上げる。


 押しつぶすように振るわれた炎刃に耐えかね、態勢を崩すグラナキア。飛び散る火花は木々を焦がし、熱源では外殻である岩石の塊が赤く煮えたぎる溶岩へと姿を変え溶け出していく。

 

 ジワジワと炎刃が外殻を融解させ沈み込んでいく中で、ふと、その音が変化する。


 「ギャアァァァ───!」


 グラナキアの体からぐつぐつと水分が沸騰する音が沸く。噴水のように飛び散る血飛沫、それすらも地面に痕跡を残すことなく蒸発していく。それでも男は手を止めず、握る力を籠め続ける。


 「こいつで、終わりだぁ───‼」


 さらに一押し、止めとばかりに渾身の力が叩きつけられた。


 天を貫き、雲を割き、大気を焦がした深紅の刃は終に、山をも両断する。


 数千年、一つの生物として長すぎる一生を生きた巨竜は今、ただ一人の勇者によってその生涯の幕を閉じた。


 断末魔は無く、ただ静かに山は崩れ落ちる。宿主の死により微生物も住処を失くし、大量の養分とともに大地へ流れ出る。こうしてグラナキアは再び生命の循環へと還るのだ。



 「がーっはっはっはっは! 見事なりグラナキア。オレ様に全力を出させた貴様の生涯、忘れはせんぞ‼」


 全て焼き切れ荒野と化した大地で一人、男が笑う。曇天の空はいつの間にか糸くず一つない蒼に変わっていた。

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