第十四章 初めての学校②



 「くそッ……どこ行きやがった」


 溢れる人波をかき分け、大廊下を奔走する。探す対象はユリアその人だ。



 気分は最悪で、思い返せば今でも憎たらしさと情けなさとで煮えくり返ってくる。騎士団推薦。その話を何故わざわざ俺に打ち明けてきたのか知る由もないが、喧嘩を売ってきたことには違いない。普段であれば売られた喧嘩は上等買いするが、今日に限ってはその気にはなれなかった。負傷していた腕が痛んでいたせいか、それともあんな奴に殴りかかること自体が癪に障ったせいか。とにかく奴に構ってやること自体にきっと馬鹿らしくなったのだろう。


 興奮気味に頬を赤らめ、幼稚なほどに喜び笑う彼の目。その瞳が戸惑いと恐怖に染められていた。


 知ったことではないのに、悪いのはそんな話を切り出したあいつのはずなのに、胸の奥がずきりと痛む。彼は今でも裏庭で座り込んだままなのだろうか。あの誰も通らない孤独な隠れ家で。


 いや、今はそんなことを考えている暇はない。いち早くユリアを見つけ出さねばならないのだ。


 食事に夢中な奴のことだから、あの場所から動かないだろうと高をくくっていたのが裏目に出た。たどり着いた食堂には既にユリアの姿は無く、そこにあったのは大量に散らばる料理の残骸とそれに群がる野次馬達。ぞくりと嫌な予感が走り、慌てて今来たばかりの食堂を飛び出すこととなった。



 ルシドニア騎士学院は十年制の学校であり、合計七つの学部を扱っている。学院の主柱である〈騎士道学部〉に、それと双璧を成す〈魔法学部〉。歴史、神学研究を主にする〈文学部〉に宮廷美術を扱う〈美学部〉、官僚育成のための〈法学部〉に商業を体系的に研究する〈商学部〉、そして長い学院の歴史の中で比較的最近に組織された〈理学部〉。これらの学部がそれぞれ複数の学科に枝分かれし、その内情はより複雑になっている。学部・学科生になるのは四年生からなのでバルクにはまだ関係ないが、それだけこの学院が内包している生徒数は膨大である。何せ国中から未来ある秀才たちが集められているのだ。この学部の多彩さからも分かる通り、騎士学院と銘打っておきながら総合教育、研究機関としての側面も強い。


 中には留年したまま姿をくらましたり、辺境への調査へ長年出ずっぱりの者までいる。多種多様な種族、民族が集まるるつぼであるこのルシドニア学院の総学生数を正確に推し量ることはできない。


 加えてこの広大な土地面積に上下ともに広がる複雑な建築様式。もし転送門を使って各学科の〈学支棟〉にでも迷い込んででもしまえば探し出すのはさらに困難になる。昼休憩の終わりも近い。今日は午後の授業もあるのでなるべく早く見つけ出したいのだが、友人と呼べる者が一人としていないのだから目撃情報を聞いて回ることも出来ない。まさに八方ふさがりというわけだ。


 「どっちが世話係か分かったもんじゃないな……」


 金で装飾された大理石の大広間を抜け外に出る。青い影が差し込む外廊下に駆け込めば、そこには昼からの授業へ向かう人だかりで埋め尽くされていた。


 「な──」


 濁流のように押しては返す人の波。この中から一人でユリアを見つけ出すなどほぼほぼ不可能に近い。権力に屈するようで少し気は乗らないが、ここは諦めて先生達の手を借りるべきだろう。彼女の性格のことだ、ちょっとしたことから相手の不興を買って大事にならないとも限らない。


 「あれ? バルク君どうしたの?」


 諦めかけていたところにふいに声を掛けられる。

 この学校で俺に声をかけてくるような物好きは校内広しとはいえ非常に限られている。加えて底抜けに明るいこの声には聞き覚えがあった。


 「こんなところで会うなんて奇遇だね! なになに? もしかして会いに来てくれたの?」


 「アル⁉ ──のぁ⁉」


 声をかけるなりノータイムで抱き着いてくる女性。女性にしてはかなり大柄で健康的な四肢。骨太かつ豊満な体で締め上げられる。


 「く、苦しい……」


 「あ! ごめん大丈夫!?」


 宙に浮いた足をばたつかせてようやく気づいてくれたのか、締め上げていた腕をとっさにぱっと放す。


 「いってえ!」


 「大丈夫!?」


 しかしあまりに唐突に宙に放り投げられ、受け身を取れず尻もちをついてしまう。そのことにまた動揺したのか、彼女はあわあわとせわしなく動きながら引っ張り起こそうとしてくる。


 彼女の名前はアルフレッタ・ローレニー。魔術学部に所属する八年生で、学部は異なるが俺より五つ年上の先輩である。入学式の折に起こったちょっとした事件を契機に知り合うことになったのだが、それ以降よく向こうから絡んでくるようになったのだ。

 正直な話、自分が厄介者なこともあって変に人間関係を広めたくないのだが、避けようにも向こうから踏み入ってくるのだから避けようがない。


 「おい、ローレニー。何二年棒に構ってんだよ。マナも感じられない不感野郎に構ってると、お前まで落魄れるぞ」


 そら来た。五年も年が離れているうえに他学部の生徒。しかも騎士道学部と魔法学部はバチバチの対立関係にあり、魔法学部の生徒が『ルシドニア学院』に改名しようと企てているという噂も聞く。まあ、これはあくまで噂だが、そんな馬鹿らしい与太話が流れる程度には仲が悪いのだ。現に彼女のクラスメイトと思われる男がこちらに睨みを利かせている。あまり関わり合いにならない方がお互いのためだろう。


 「えー、久しぶりに会えたのにそんな酷いこというもんじゃナイジャンカ。バルクくんも久し振りに私に会えてうれしいモンネー!」


 「勝手に決めつけんじゃねえよ!」


 口を尖らせながら抱き着いてくる彼女を足で何とか抑える。なまじ力が強いせいで引きはがすのにも一苦労だ。


 「って、あれ? バルクくん、その腕どうしたの!?」


 「今更かよ!」


 遅すぎる気づきにこちらまであっけにとられる。腕の怪我に興味深々なようで、その長身を屈めて心配そうに包帯で縛られた腕を観察している。とは言っても真実を話すわけにもいかないから、ここは適当に誤魔化すべきだろう。


 「店前で転んだだけだよ。打ち所が悪くてな。うちの……その、召使が色々手伝ってくれるはずだったんだが、どこか行っちまってな。丁度探してんだよ」


 「へ、へえ~……、めしつかい……」


 「召使って言ってもうちの家族みてえなもんだけどな。最近新しく加わったんだよ。ユリアって言うんだけど……」


 説明を言い切ろうとしたが言葉に詰まる。家族──少なくともルドウィックやカーラはそう思っているし、俺もそうなると思っていた。だが昨日のことを思い出すと、そういった表現はこちらの勝手な妄想なのではないかと思え始めてくる。少なくとも俺だけは彼女を信頼しきるわけにはいかない。


 「召使いじゃなくて家族……。ユリア、やっぱり女の子……」


 発言を訂正しようとするが、当のアルフレッタはブツブツと何やら呪文のように独り言をつぶやき始めている。恐らく思考が漏れているのだろうが、残念なことに聞き取ることはできない。


 「アル? おーい、アルフレッタ」


 「わあ⁉ ごめんごめん! ──て、驚かさないでよ! ちょっとボーっとしてただけだって、ね?」


 「?」


 アルフレッタは何かを誤魔化すように身振り手振りで慌ただしく弁解を始める。


 「とにかく、俺はもう行くからアルも授業遅れんなよ」


 こちらから見える時計台がさす時刻から察するに、午後の三限目が始まるまであまり時間がない。これ以上引き留めるのはお互いによくないと思い、別れの口上を口にする。


 だが。


 「そんなことならお姉ちゃんに任せなさい!」


 彼女はその大きな胸を張ってどん、と拳で叩いてみせた。


 「え、いや、いいよ。こっちの問題だし、そっちだって授業があるだろ」


 「いやいや、何を言いますか。せっかくお姉ちゃんが手伝ってあげるって言ってるんだから、大船に乗った気でいなさいよ」


 ふふん、と得意げに鼻を鳴らして見せる。


 「でも──」


 「でももけれどももしかれどももなし! 青い柿はカラスをも食わんで候、私が食らってやるというのだから大人しく召し上げられなさいな! 据え膳食わさぬは女の恥ってね!」


 有無を言わさずずい、と詰め寄ってくる。彼女はよくこういう強引なところがある。見た目はおっとりしつつも健康的で年上の女性らしく大人の雰囲気を放っているのだが、口を開いたとたんにこれだ。大型犬にのような強力な好奇心と膂力でもって強引に押し込んでくる。人懐っこく、警戒心ゼロでおせっかい焼き。どんな人間であれ、彼女に目をつけられてしまえば彼女の「お助け」から逃れることはできない。


 「単位落としても俺のせいじゃねえからな!」


 保険とも威嚇とも取れない中途半端なけん制。そんなものでこの享犬を止められるはずもないのだった。





 「白髪黒目でメイド服の女の子……て、私その子見たよ!」


 早速役立ててうれしいのか、大きな声で大きな目をキラキラと輝かせながらアルフレッタは答える。その後ろで毛玉が激しく動いていた。


 「しっぽ出てんぞ」


 「ひゃんっ!」


 慌てて腰から生える白い毛房を抑えるアルフレッタ。他人の役に立ってうれしいのか、興奮を隠しきれない様子だ。普段あれほど神経質に隠しているのに簡単に人前で晒してしまうのは迂闊というかなんというか。だが、とにかくそれが本当ならユリアに関する目撃情報が早速手に入ったのは僥倖だ。


 「綺麗な子だったから覚えてるよ。メイド服なんて珍しいしなんかオーラ凄かったし」


 「オーラって……」


 抽象的な表現に困惑するが、ちょっと待て。何の素性も知らないはずの彼女が印象的だと語るぐらいなのだからユリアは相当浮いて──もとい目立ってしまっているのではないだろうか。


 再び昨日の彼女が思い起こされる。ただでさえ剥き出しの刃のような彼女なのだ。敵か味方か、思惑すら不明な状態でこの魔境。何が起きるか、もしくは起こすか、分かったものでは無い。


 「どこで見た!?」


 「ど、どこって転送門くぐる前だったから多分魔術学部の学支棟……だと思う……って、ちょっと!」


 アルフレッタの静止の声を振り切って走り出す。


 まさかの魔術学部の学支棟。道に迷った挙句、転送門をくぐって学支棟にまで迷い込んだのだろうが、よりにもよって場所が悪い。




 魔術師は自身の術式、研究を秘匿し秘伝とする。その性質が由来してか、魔術学部はよそ者を排除しようとする排他的な生徒が多い。騎士道学部と険悪な根本的な理由であり、正直他学部からも嫌煙されている要因なのだ。


 もしユリアが本当に紛れ込んでしまっているとして、そこでユリアが学院の生徒ですらないとバレたとして、彼女に対する生徒たちの拒絶はとてつもないものになるだろう。同じ学院の俺ですらそうだったのだから間違いない。


 「ちょっとバルクくん! どうやって転送門渡る気なの? 専用の校章が無いと向こうへは渡れないんだよ⁉」


 そう言われて立ち止まる。確かに人の移動が多い休憩の間は〈鍵〉が開けられているが、それ以外は各学部専用の校章が無ければ転送門を利用することはできない。昼休憩の終わりも近く、門に辿り着くころには鍵がかかってしまっているだろう。


 「私も行くよ!」


 後から走り出したであろうアルフレッタがものすごい勢いで追いついてくる。


 「いや、でも授業が……」


 「モーマンタイ! そんなことより人助けが最優先だって。ダイジョーブ、私優等生だから無欠席なの! 一回ぐらい休んだってヘーキヘーキ」


 サムズアップで自信満々に答えるアルフレッタ。本当に大丈夫なのかと心配になりつつ、正直その申し出はすごく助かる。


 「すまねえ、頼む」


 「任された!」


 二つ返事で返ってくる気持ちいいまでの返答。それを聞くや否や、二人揃って魔術学部への転送門に走り出した。







 全身がぐにゃりと歪むような感覚。眩しいような、暗いような。目を開いているのか、それとも閉じているのか自分でもよくわからない。踏み出した足が泥に沈んでいくような、気味の悪い浮遊感。赤、緑、青。瞳を焼く七色の極光。アルフレッタを握る手の感覚すら分からなくなった直後、両足は固い大理石の床を踏みしめていた。


 「終わったか……」


 何度やってもこの転送門の移動には慣れない。

 特に魔術学部へと繋がる門は生徒達が悪戯だったり魔術の実験だったりで勝手に刻まれた魔法陣が機能したままになっている。高度な転送門自身の術式によりその機能への弊害は打ち消されているが、魔術に慣れていない人間はその高密度の魔力で酔ってしまうのだ。この酔いも一時的なものですぐに回復するのだが、それでもきついものはきつい。


 普段から魔術を扱っている人間は当然魔力に慣れているし、常に体を自身の魔力の膜で覆っているため、この程度の弱体化された術の影響は受けないらしい。弱り切った俺とは違い、アルフレッタはピンピンしている。


 「さて……」


 どこから探したものか。


  〈学支棟〉というのは学部専用の研究施設のことで、各学部に一棟ずつ置かれ主にそれぞれの学部生徒が学び舎として扱っている場所のことだ。勿論他の教室や棟を使って講義を行うことも平時あるのだが、専用の研究室や研究材料、寮まで揃えられている学支棟はその広さもあってそれ一つで学校としての機能を果たしている。


 複数の学校が転送門と中央棟セントラルを通じて一つの学院として纏められている、というのが〈ルシドニア学院〉の正しい認識だろう。国内最大の学院という肩書は伊達ではない。


 とにかく、この学支棟は広い。そのうえ人数も密度で言えば先ほどまでいた中央棟セントラルと変わらないだろう。探し出すのは困難だ。


 「──うん、うん、やっぱり。バルクくん、こっちこっち」


 「? あ、ああ」


 未だ揺れる脳内を抑え、手招きされるままアルフレッタについていく。慣れない場所なのだからここの生徒である彼女に従った方が良いのは当然なのだが、やたらと足取りに迷いがない。


 魔術学部を象徴とする深緑に彩られたの絨毯に従いながら木製の廊下に入り、おそらくこの学支棟の中心と思われる広間をも抜け、中庭に入っていく。中庭には煉瓦で作られた屋根付き通路がそれを取り囲むように広げられ、複雑に入り組んでいた。中庭といってもその面積も過剰で、仕切っている通路を取り除けば一万人からなる大将軍ヘネラーンの大隊がすっぽり入るのではないだろうか。


 もうかなり歩いた。数ある学支棟の中でも最大を誇るだけあって面積は広大で構造も複雑怪奇。間違えて研究室にでも入ったりしてしまえば即死級のトラップがあったりするものだから気が抜けたものではないし、何より周囲からの異端児を見るような視線に四六時中晒され続けるのも中々にきつい。彼らのことだから一目で部外者だと気づいたのだろう。のけ者扱いされるのはいつものことだが、そこに殺意が混じるれば心中穏やかではない。

 

 なるべくここに長居はしたくないし、ユリアがこの視線に晒されていると考えると自然と足が速くなる。


 「うん、多分近いよ」


 ふいにアルフレッタが立ち止まる。思わずその背中にぶつかってしまうが、倒れそうになったところをひょいと彼女の大きな手に支えられた。


 「ほ、本当か?」


 「うん、そのユリアちゃんっていうのはバルクくんと一緒にいたんでしょ? 私って鼻が良いから、バルクくんに近い匂いを追ってここまで来たの」


 自慢げに鼻を指さし自慢げに喉を鳴らす。なるほど、そういえば初めて会った時もそんなことを言っていたか。

 

 「俺匂う?」


 「ううん、お花のいい匂いだよ。あ、でももし気になるなら香水とか貸してあげようか?」


 「い、いやいいよ。男が香水なんて柄でもない。それに香水って高いんだろ? もったいねえって……」


 懐から取り出される小さなスプレー型の香水を退ける。アルフレッタは体が大きいうえに力も強いから押しつぶされそうになるのをなんとか必死で持ちこたえる。──と。


 「馬鹿者! 杖も持たぬ魔術師がどこにおるか!」


 男の声が中庭に響き渡る。見ればそこには教師と思われる小柄の髭男と白髪の少女が対峙していた。


 どうやら、彼女はまた厄介事を引き連れてきたらしい。

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プラネテス 麻婆ナス @mabokamen

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