第十三章 初めての学校
「帰りてぇ……」
学校に到着して早々、いたたまれない気分に包まれる。
周囲から向けられる奇異の視線。道中すれ違う人々も皆振り返り二度見をする。忌避されるのはいつもの事といえばいつもの事なのだが、中でも今日は特異だ。
理由は言うまでもない。
「どうしたんですか、ボサッとして。急がないと次の授業遅れますよ」
いたたまれない原因である彼女──ユリアはその奇異の目に気付いていないのか、平然とした態度で教室の移動を急かしてくる。手には鞄が握られており、側を離れることなくピッタリとくっついている。
「いつもこんな感じなんですか? 余程周囲から避けられているようですが」
「誰のせいだと思ってんだ」
両腕を負傷した不良少年とそれに付き添う荷物持ちの謎のメイド少女。そのちぐはぐな光景が余計に周りの目を引く。
わざとやっているのかと疑いたくなるが、いや実際その節はあるのだろうが、もはや逐一彼女に文句を言う気力も無い。
彼女への抵抗も早々に諦め、大人しく次の教室へ向かうのだった。
*
事の発端を辿れば今朝にまで立ち戻る。
包帯で厳重に包装された両腕。不思議と痛みはもう消えているのだが、まだ全快には程遠い。先日の酒場での襲撃により負傷した両腕がまだ思うように動かせず、かといって家でじっとしているわけにもいかない。何せ今日は平日。普通に学校があるのだ。最近休みがちだったこともあり、成績のため少しでも出席を稼がねばと学校へ行く準備をしていたのだが、運悪くそこをカーラに見つかってしまった。
家族に見つかると面倒なのは分かっていたから早めに準備していたのだが、カーラは昔からそこらへんが敏感だった。未だにぐーすかといびきをかいて寝ているルドウィックとは異なり、カーラは朝早くから立ちふさがるかのように玄関前で仁王立ちしていたのだ。
もちろん過保護なカーラが息子の無理をみすみす見逃すはずもない。かといって俺もそうやすやすと学校を休むわけにもいかないため、カーラとの討論に駆って出た。幾度かの無為な口論を交わした後、カーラが妥協点を提示する。
「どうしても学校に行きたいって言うなら、ユリアちゃんを連れて行きなさいよ」
「え──」
唐突な提案に思わず動揺する。どうしてここで彼女の名前が出てくるのか。
ユリア───新しく加わった家族。ここ数日で当たり前のようになじんでいるが、依然、彼女については不明かつ不審な点が多い。特に先日の事件以降、俺の中での彼女に対する警戒度は上がっている。ここ数日は特に目立った動きは見せていないが、それでも彼女はどう扱っていいのか分からない存在だった。そんな彼女に付き添いを頼むのは内心穏やかではない。
「だって、両手使えないし荷物は重いしで危ないじゃない。私とルドちゃんは店の準備があるから行けないけど、カーラちゃんなら空いてるはず。お手伝いさんとして手伝ってもらったら良いんじゃないかしら。確か、執事さんの同行は校則で許可されてるのよね?」
確かに、貴族が多く通うルシドニア学院ではお手伝い兼護衛役として専属の執事や召使の同行が一名まで許可されてはいる。しかしそんなことをしているのはほんの一部の上流貴族のみで、一般ではほぼほぼいない。ましてや俺は平民の、しかもダーリントンの出身。下級市民がそのようなマネをすれば浮きに浮きまくることは目に見えている。いかに不良少年バルク・バードリックといえども、なるべく目立ちたくないのは常人と同じである。
「そもそも、あいつが俺に付き合うわけないだろ」
ユリアの他人嫌い、ましてや俺に対する嫌悪感に対してはあからさますぎるほどのものだ。しかも彼女は外界との接触を嫌っている。この話に乗ってくるとは思えない。
「まあ、あいつが良いって言えばいいけどさ……」
「いいですよ。乗ってあげます」
「な──!?」
返答はあっさりと、そして速攻で返ってきた。突然横から頭を殴られるような予想外の返答に言葉が詰まる。
「ちょうど、ここでの生活にも飽きてきたところです」
「飽きてきたって……」
この間の言動といい、面の皮の厚い奴だと口にしかけて、そのまま飲み込む。彼女相手には嫌味にもならないし、更に嫌味でカウンターをくらってその上カーラに注意されるのが目に見える。
「けどよ、ユリアはまだ文字もまともに読み書き出来ねぇんだぞ、本当に大丈夫かよ?」
「だから行くんでしょ、学校はお勉強するところなんだから。それに、先生に気に入られたら特別授業とか受けさせられるかもしれないじゃない」
「そんな制度無ぇよ……」
得意げに考えを述べるカーラにせめてもの抵抗をするが、ユリアの意思が判明した時点でこの決定は覆しようがないだろう。
「バルちゃん、怪我しないようにね」
いつものように玄関先で見送るカーラ。しかし、いつもと違いメイドが隣に一人。
結局、カーラに気圧されるまま彼女の学院への侵入を許すこととなってしまったのだ。
*
午前の授業を何とか終え、食堂で深くうなだれる。いつも以上に刺さる目線、その忌避の眼差しが自身の自業自得ならばまだ我慢して飲み込むが、根も葉もない我関せずのことで責め苦を受けるのは流石に耐えがたい。
そして、その元凶であるユリアはバルクへの給仕の役目を忘れて食堂のビュッフェを荒らし回り、周囲の注目を集めている。一応食事を取ってきてくれているつもりらしいが、一通り山盛りに盛られたプレートをテーブルの上に置いたきり、今度は自分の分を取りに行ってしまった。皿に盛っているのは肉に油物にスイーツばかり。でっぷりとしたウインナーやこんがりと焼きあげられた肉に目を輝かせながら、それらを塊ごと持っていっている。
少しは野菜を食べろ野菜を。
というか、皿に盛られても両手がふさがっている状態では食べようがない。当然足を使って食べるわけにはいかないし、犬食いなんてもっての外だ。これでは生殺しではないか。
そんな主人をほっぽり、自分は役目を果たしたととにかく暴れまわって他生徒の顰蹙を買い続けるユリア。頼むから給仕らしく大人しくしていてほしい。
「ちょっとトイレにでも行くか」
別に尿意があるわけでもないのだが、とにかく今は頭を冷やしたい。あの飢えた猛獣と同列扱いされるのも避けたいし、少しでも彼女と距離を離したいのだ。
席を立ち、そろりそろりと気取られないように出入口へ向かう。装飾の施された巨大な両開きのガラス扉。しかし、その正面が何だか騒々しい。透けた向こう側で人だかりができているようだった。
男女混合、というよりは女子の割合があまりにも高いか。皆食堂に向かっているわけではなく、外にある何かを中心として集まっているように見える。
と、次の瞬間、崩壊した集団の一部が入口からあふれ、人波となって襲い来る。騒音とともに食堂に広がっていく人の群れ。もちろん騒ぎの元凶はバルクではない。
騒ぎの中心にいる人物は金髪赤目の秀才美少年、レオポルドだった。いつもはキラキラと嫌味ったらしいぐらい自信家で、生徒先生問わず多くの人々に愛されている貴公子───なのだが、そんな彼が珍しく今日は人混みに流されるようにオロオロとしている。人探しでもしているかのようだ。
「あ」
ふと、お互い目が合う。ロックオンされたのか、彼らしく周囲に優雅な謝罪を振りまきながらも半ば強引に人混みをかき分け急接近してきた。何故だか嫌な予感がしたので逃げようかとも考えたが、一足遅かった。彼の白く細い指がバルクの両肩をガッシリと鷲掴みにする。
「ちょっと来てくれ」
ものすごい気迫。入学して以降彼と何度か顔を合わせることはあったが、こんなにも食い入るような鬼気迫る表情を見るのは初めてだ。
結局何の抵抗も許されないまま、いつもの裏庭へ連行されるのだった。
*
「で、何の用だよ。俺何かしたか?」
人気のない裏庭端に連れられて数分、何の意図も示さないまま黙り込むレオポルドに嫌気が差し、自分から口火を切る。急に話を振ったことに驚いたのか、当のレオポルド本人はオロオロとしている。そもそも話がしたいから俺を呼んだのではないのか。よくわからないが、明らかにレオポルドの様子がおかしい。
「あ、ああ、いやその……腕っ、その腕はどうしたんだい?」
「......道端でスっ転んだ。打ち所が悪くてこのザマだ」
喧嘩に大負けして両腕を折ったなんて言えるはずもなく、適当にそれらしいことを言ってその場を濁す。彼がどんな思惑でそんな質問をしたのかは分からないが、俺にだって少なからずプライドはあるのだ。赤裸々に自らの醜態を話すつもりは無い。
「そ、そうか......。あ、じゃあさっき隣にいた女性は……」
「見てたのかよ。あれはうちの新しい売り子だ。両腕が使えねえから給仕として世話してもらってんの」
果たして彼女が給仕の仕事を全うできているのかどうかという疑問はおいておいて、そう説明したほうが色々とスムーズだと考え、当たり障りないよう答える。すると彼は再び「そ、そうか......」と歯切れの悪そうに返事ともとれぬ相槌を打った。
「......」
「......」
沈黙が、二人の間にたちこめる。
「......なんも無えならもう行くぞ」
仲がいいわけでもない奴に時間を割いてやる道理も義理も無い。こっちはまだ昼食すら済ませていないのだ。午後の授業の準備もあるのに時間を無為に消費する余裕は無い。
それに先程からユリアのことも気がかりだ。一人食堂に放置してきてしまったが、よくよく考えてみると学校にあの獣を放流するのは悪手のように思える。あの性格にあの見た目、そして部外者であることを踏まえても問題を起こす要素しかない。やはり手綱は握っておくべきだ。肝心の握る手が無いのであるが。
「待って!」
背を向けて歩き出したところで、一際大きな声に足を止められる。普段からずっと高貴な振る舞いをしている彼だ。取り乱すような声は初めて聞いた。
「話す、話すから......!」
あまりにも情けなく、縋りつくような声。いけ好かない奴ではあるが、話す気があるなら聞いてやるぐらいの度量はある。というか、この様子では流石に無視もできない。
「君は、その、僕の最近の話は知っているかい? 皆が噂してる......」
「知らねえし興味もねえよ」
「ぁう」
バッサリと返答する。この期に及んで直接の言及を避けるつもりなのが気に食わない。再び自身の神経を逆撫でしようかというところで、しかしレオポルドは言葉をつづけた。
「じ、実は、僕......『騎士団推薦』に選ばれたんだ......」
「───は、ぁ?」
騎士団推薦。
その制度については知っている。毎年学年から数人の騎士団所属希望の優等生が選出され、〈七曜の騎士団〉に仮入隊することで実戦的な経験を積ませる制度のことだ。学院卒業後の即戦力として優秀な生徒を迎えることを目的としている制度だが、その門は狭く、競争率が高い。
というのも、最優秀の生徒が選ばれることから入隊後高い階級に就くことが多く、〈親衛隊〉・〈隊長〉の座を目指す者たちにとっては必須の出世コースとなっているからだ。無論、俺も目指してはいるが、推薦の選抜は通常四年生からのはずだ。
「正直僕も何が何だか分からなくて……、なあ、僕はこの推薦を受けるに値すると思うかい......?」
喉をこみ上げる熱を、歪に歪む口端を奥歯で噛み殺す。染み出る吐息が自分の体内から漏れ出たとは思えないほどに熱を孕んでいた。
何故その問いかけを俺に投げかけるのか。何故そのように戸惑っているのか。理解できなかったが、目を逸らしつつその場しのぎの言葉を探す。
「良いんじゃねえか。 てめえの実力が認められたってだけだろ」
そう実力。実力なのだ。知力に腕力、努力に財力、そして家柄でさえも、それらすべて実力。ならば認めるしかないのだ。
落ち着かせて、落ち着かせて、落ち着いてきた。コップギリギリまで水を貯めたような危うさはあるが、脳内の整理も追いついてきた。
先程の騒ぎの原因も理解する。
どういうわけかは知らないが、彼が二年生の時点で騎士団推薦に選ばれたことで話題の中心になっていたのだろう。普段から人気者の彼のことだ。あそこまで騒がれるのも納得はいく。そう、納得は、いく。
「そ、そうか。実力か……へへへ」
目の前の彼は少し恥ずかしそうに笑って見せた。
───正直、両腕が使える状態になくて本当に良かったと思う。
人差し指で頬を搔きながらはにかむ彼にはそれっきりとして、食堂へと歩みを進める。とにかく今はいち早くこの場を離れたかった。いや、離れねばならなかった。
「でも、どうして君は選ばれなかったんだろうね。バルクのほうがよっぽど……」
「───ッ」
我に返る。気が付けば自分はレオポルドに覆いかぶさるようにして、包帯でぐるぐる巻きになった拳を掲げていた。
尻もちをついた彼の瞳は血走った男を困惑と恐怖の色で写している。その男と目が合った。
「......だっせぇ」
顎の付け根までこみ上げていた熱が急激に冷めていくのを感じる。動けないままでいるレオポルドを直視できず、バルクは逃げるようにその場を後にした。
握りしめた拳が、ひどく痛んだ。
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