第十二章 無謀の対価
巨体。巨人。そんな言葉が連想される。まるで岩のように角ばった筋肉に褐色の肌。三ミールはあろう長身を屈め、巨怪は入り口から押し入ってきた。丸太のように太い手、露出する脚。羽織っている外套がまるでその意味を成していない。
「ごめんなさいね。二人にはワタシが行くまで待つよう言ったんだけど、先走っちゃったみたいね」
フードを捲る。現れる顔。やはり角ばった豪快な顔は、しかし化粧が施されており、赤い口紅が目を引く。そして何より、てっぺんだけ禿げたその頭皮には先の男達と同じく黒い入れ墨が刻まれていた。
細められる双眸。
──ユリアが一歩、後ろへ下がる。
「……何のつもりだよ、悪いがまだ開店時間には早いぜ。出直してきな」
「アラ残念、でもダイジョウブよボウヤ。ワタシ達が用があるのはそこの女の子だけ。大人しく引き渡してくれるなら何もしないわ」
獲物を見定めるようにユリアを舐めまわす視線。ユリアはその視線から避けるようにバルクの背後に隠れた。バルクも木刀を握る手を強める。
「悪いが、コイツも一応家族なんでな。はいそうですかって渡せるもんでもねえんだよ」
ユリアの先ほどからの態度から彼女にとって好ましくない事態、相手なのは分かる。ならばそれだけで十分だ。これまで通り、守る理由はある。
「アナタ、信用されてるのね。なかなか出来ることじゃないわよ」
「?」
「良いわ、場所を変えましょう。アナタもやる気みたいだし、味見させてもらうわ」
そう言うと、舌なめずりをしながら巨人は店の外へ出ていった。
*
辺りをぐるりと見渡すと、その巨人のオカマはバルクに向き直った。バルクも店を背にして木刀を構える。
ぎゅっ、と裾が引っ張られる。見ればユリアが裾端を握っていた。
伏せられた目が不安に揺れているのが分かる。
「バルク、私は……」
「安心しろって。俺は騎士だぜ? この店もお前も、全部守ってやるよ」
引っ張る手に構うことなく、前に進む。そう、俺はもう一介の学生ではない。俺は騎士だ。退いていいはずがない。
腰に手を当て堂々と待ち構える敵に対し、威圧の念を込めて睨みを飛ばす。しかし相手には伝わっていないのか、軽くウィンクでいなされた。
調子が狂う。向こうから勝負を吹っかけてきたというのにまるで相手にされていないかのような、ハナから眼中に無いかのような態度にいら立ちが募る。
「俺はバルク・バードリック。名前は?」
「?」
「決闘の前には名乗り合うのが礼儀だろ」
こちらは至って真剣に名を聞いたのだが、相手は可笑しそうに笑う。決闘の名乗りは契約の証。形だけとは言え、大事な決闘前の騎士の誓いの儀式だ。
「フフッ、ごめんなさい。別に馬鹿にするつもりは無いの。悪かったわね」
一言謝罪を入れると、背筋を伸ばし、まるでダンスを踊る前動作のように深く腰を折り、お辞儀する。
「私の名前はラヴィニア。お互い楽しみましょう?」
緊張感が走る。一触即発。お互いに闘いの火蓋が落とされるのを待つ。
「五秒、五秒時間をあげるわ。その間、私はあなたに何もしない。攻撃も無抵抗で受けてあげるわ」
「なッ……」
声が詰まる。コイツは、目の前のラヴィニアは決闘の儀を行ったうえでこちらに手加減することを宣言したのだ。これは相手に対する、戦士に対する侮辱に他ならない。
「勘違いしないで。別にアナタを馬鹿にしているわけでも、ハンデをやろうってわけでもないの。そう、言うならばこれは小手調べ。アナタが私と戦えるかを判断する、アナタが見極める時間。五秒なのはアナタの心意気を買ってのことよ。退くか戦うか、短いけどこの時間で見極めて頂戴」
つまりコイツはこの状況においてまだ俺の心配をしているということだ。敵意を向けられ、剣を向けられてなお、選択の時間を与えるつもりでいるのだ。そのふざけた風貌で、これ以上ふざけた物言いをさせてなるものか。
「ごーぉ、よぉーん……」
握りしめられた拳。火山岩のような堅牢な拳からカウントとともに一本ずつ指が開かれていく。
「さぁーん、にーぃ……」
乗らない。乗ってなるものか。このような悪辣で戦士の礼儀を重んじぬ者の誘いに乗るなど、それこそ戦士の恥だ。
この時間の間、バルクは指一本動かさないことを誓う。
「いーち……」
───羽音。影が音を立てて地を走る。
羽毛を散らしながら飛び立つ鳥の群れ。それに気を取られ、ラヴィニアの目がそれを追う。
──今だ。
決断したバルクの動きは早かった。ラヴィニアが気を取られたその一瞬を見逃さず、一気に間合いを詰める。決闘は名乗りを上げた時点で始まっているし、カウントも本来なら数え切っている。卑怯ではあるまい。
狙いはあの巨躯を支える足の膝。ラヴィニアはまだ鳥を追ったまま、こちらに気付いていない。
タイミング、呼吸、力の入りとそのすべてがシンクロし、急所である左膝関節を木剣による最大火力の会心の一撃が打ち砕く。
「もらっ……──ッ!?」
乾いた音。まるで巨大な岩を殴りつけたかのような重量感に腕が痺れる。
「ぜーろ♡」
開ききった五指。すさまじい衝撃が、バルクの顔面をぶち抜く。
脳をダイレクトに揺らすような強烈なインパクトがその小さな体を駆け巡る。と、そう認識した頃にはバルクの体は水切り石のように何度も地面にバウンドし、店のテラス席をぶち破って店内へと吹き飛ばされていった。
か弱い女性のような内股から繰り出されたその平手打ちは、その前動作からはとても想像のつかない圧倒的な破壊力でもってバルクの顔を体ごと吹き飛ばしていった。
「あらヤダ。ボウヤ、アナタ案外軽いのね。加減間違えちゃったわ」
予想外、というように驚きの表情を見せるラヴィニア。そこには何の挑発も侮辱の意もなかったのだが、その態度がバルクの神経をさらに逆撫でする。
「こん、の……やろ……ぉ」
口内で血の味と共に舌の上で転がる何本かの歯を吐き捨てる。揺れる視界、しびれる頭、何とか根性だけで立ち上がって見せる。
「大丈夫そうで良かったわ。男の子は元気でなきゃね」
「ふ、があああああ!」
四股踏みの体勢で待ち構えるラヴィニアに対し、バルクは無我夢中に突っ込んでいく。
「来なさい、抱きしめてあげるわ」
振り下ろされる木剣。しかし、それを片手で軽く受け止めると、そのままバルクを強く抱き寄せ、締め上げる。
「があ、ぁァァァ──ッ!」
ミシミシと、まるで巨大な掌に握りつぶされるかのようにバルクの全身がラヴィニアの巨体によって絞られていく。
苦しい。苦しい。苦しい。くるしい。
骨肉が悲鳴を上げ、痛みが脳天を支配するころにはバルクの意識は完全に潰えていた。
だらりと垂れ下がる四肢、力無く崩れ落ちるバルクの体をさっと支えると、ラヴィニアはまるで女性でも抱き下ろすかのように紳士然とその場に寝かせる。
「アラ?」
バルクの懐から一冊の本がずり落ちる。音を立てて地に落ちる本がラヴィニアの目に触れた。
「アナタ、見かけによらず読書家なのかしら? 偉いわねえ」
修繕、補装されており、読み込まれたことがその本の様子から伝わる。ラヴィニアはそれを拾い上げると、感慨深そうに眺めた。
「『アルトリウス・ガイウス英雄伝』。へえ、アナタもガイウスが好きなのね」
「返せよ、俺ん、だぞ......ッ!」
「あらアラアラアラアラ、まだ立ち上がっちゃうの?」
地面を這いながらラヴィニアの足首を握るバルク。だが、体がうまく動かない。
生まれたての小鹿のように、足をガクガクさせながら立ち上がる。体は限界に近いのに、異様な高揚感が湧いてくる。あの時、野盗に襲われた時と同じだ。
痺れる頭、混ざる視界。混沌とする意識。だが、まだ折れない。
「どりゃあぁぁぁぁ!」
木刀を振りかぶり、全力で左膝関節を殴りつける。腰のひねりと遠心力、足の踏み込み共に申し分ない。だが──
「残念。狙いは良いけど、まだまだね」
痺れる手足、ビクともしない足。直後に再び鉄の平手がバルクを吹き飛ばす。
「私の体格を見て膝を狙ったのは正解よ。ならどうして効かないのか。答えは単純、──パワーが足りないのよ、ぱぅわーが」
再び店の扉を突き破って吹き飛んでいくバルク。落ちた木刀が虚しく乾いた音を立てて地面に落ちる。
「アナタはよくやったわ。おやすみ、ボウヤ」
立ち込める土煙と崩れ落ちる外装。バルクが立ち上がってくる気配はない。
「さて、これで決着はついたかしら?」
大袈裟な動きで腰に手を当て振り返るラヴィニア。しかし、視界の先にいるはずのユリアの姿が無い。
高い破裂音が響く。衝撃は右の膝関節。仕掛けたのはユリア。その手には少年の木剣が握られていた。
「──ふゥん?」
驚きか疑念か、はたまた感心からか、ラヴィニアの声が微かに漏れる。
一瞬眉を顰めるが、すぐにいつもの笑みに戻った。
「アナタ達、面白いコンビじゃない」
瞬間に繰り出される打撃。その巨体からは想像もつかない鋭さを持った拳がユリアの腹を捉える。
「──ッくぅ!?」
ギリギリで腕を交差し、腰を捻って衝撃を受け流す。軽く体が吹き飛ぶが、ダメージは無い。しかしこれがただの牽制なのだから油断できない。
「良いわ、一曲お相手願いましょう。アナタ、フラメンコは舞えるかしら?」
先程までの無防備な構えから一変、背筋をピンっと伸ばし、手を差し出すラヴィニア。そこには今までのおどけた調子とは異なる、本気の気配が見て取れた。
「知らない」
不愛想に返すユリア。彼女にはダンスなんて教養は無いし、そんな余裕も無い。だが、目前の巨人は「それならそれで」とまんざらでもない様子だ。
「なら、私が一からリードしてあげ──」
「どりゃぁぁぁぁ!」
ヤケクソな力の限りの咆哮と共に響く乾いた打撃音。砕ける木屑。ラヴィニアの背中を思い切り椅子で叩きつけたのはバルクだった。
「ちょっ、アナタ元気過ぎない!?
「でぎの、じんばいなんで、ずんじゃねぇよ……!」
ラヴィニアの言うとおり、頭から流れる血で顔が半分塗り潰され、視界が歪む。手足も軽く痙攣を起こし、力が入らない。だが異様に、体も気分も軽いのだ。
「俺が、守るって言ったら、守るんだよ。……俺は、ユリアの騎士で、英雄になる男、バルク・バードリックだぞ……ッ!」
「興奮しすぎて痛みを忘れているのね」
よろけながらも拳を握り構えようとするバルク。満足に上がりきらないその腕を見てラヴィニアはため息を吐くが、それでも堂々と正面に向き直った。
「ダンスなら、俺が、ハァ……、相手してやる」
「あらヤダ大胆。でも強引なのは嫌いじゃないわ」
「へっ、悪いが、俺のはスラムステップなんでな。てめえの足先、バンバン踏んでくぜ……!」
「心配しなくても良いわ。私が手取り足取り教えてア・ゲ・ル」
高まる闘志。湧き上がる熱。ふらつく体を何とか意地で立て直し、今にも飛んでいきそうな意識をギリギリで引っ張り留める。
満身創痍の自分に対し、相手は無傷で当然焦る様子もない。余裕で勝てる気でいる。勝機など、誰が見ても無い。
だが言ったからにはもう後戻りはできない。焦る気持ち。だが後悔するほどの冷静さはもう持ち合わせてはいない。
呼吸を整える。
戦闘態勢に入り、木剣の存在を確かめ──って、あれ? 無い? なんで?
ふと我に返って状況を見直す。視線の先、ユリアが心なしか申し訳なさそうに自分の木剣を握っていた。
興奮のあまり、自分の一番大事な武器を開演の寸前まで忘れていたのだ。これはスーツを忘れたどころの騒ぎではない。
既に切って落とされた火蓋。突っ込んでくる筋肉。
避けるか? いや、そんなことを考えているようではもう間に合わない。何もできないまま、ただ体を強張らせる。
「やば──」
圧倒的な死の予感が視界を覆い尽くし──
「──そこまでだ」
互いに前のめりになったその瞬間、静止の声がそこに割って入った。
*
決して大きくはなく、威圧的でもない声。だが、一本芯の通ったその声は二人を止めるには十分すぎるほどだった。
「ただの喧嘩にしちゃあ少しやりすぎだな」
男は現場調査でもするかのように、辺りに気を遣いながら二人の間に堂々と割って入った。
少し癖毛気味の長髪に黄色の瞳。飄々とした態度を取っているが、その細やかな立ち振る舞いから常人でないことは明らかだった。
「ケンリッド、さん......?」
緊張が途切れたせいか、ふらつき倒れかけるバルクを腕で支える。
「悪いな、遅くなった」
一瞬穏やかな笑みをこちらに向けると、すぐに真剣な面持ちでラヴィニアに向き合った。
「ケンリッド……、〈炯鳴卿〉閃撃のケンリッド・マークスマンね」
「ほう、知ってくれているのか」
「ええ、当り前よ。有名人だもの。一騎当千の力を持ち、国の戦力の要とされる
「そうかい? ただの堅苦しい肩書だと思っていたが、アンタみたいな女性にも知ってもらえてるとなると捨てたモンでもないらしい」
「いやん、お世辞が上手ですこと」
微かに頬を赤らめると気持ち悪く体をくねくねさせるラヴィニア。ひとしきり悶えた後で、その目が真剣なものへと変わる。
「でもそうね、残念。アナタまで出てきてしまってはここまでのようね。珍しく熱くなりすぎたわ」
少し悲しげにそう呟くと、巨人は半壊した店に戻って伸びていた仲間二人を担ぎ上げる。どうやら撤退する気のようだ。
「待ち、やがれえ……!」
逃がすまいと何とか噛みつこうとするバルク。風に消え行ってしまいそうなうめき声ともとれる彼の声を、しかしラヴィニアは聞き逃さなかった。
ピタリ、とその巨体が静止する。
「まだ......終わってねえ、逃げんぢゃ、ねえ……!」
気管に血が入って激しく咳き込む。意識が朦朧とし始め、視界が上昇していく。聴力もほぼ失われた世界で、ラヴィニアの声が響く。
「誘いに乗ってくれたお礼に教えてあげるわ。いい? ボウヤ、『守る』って言葉はね、強い人間にしか使うことを許されていないの。特にあの子に対してはね」
炎の柱がラヴィニアを覆う。その姿が、陽炎のように消えていく。
「また会うのを楽しみにしているわ。その時は多分遊びじゃ済まないかもだから、もっと強くなっていてね。小さな英雄さん」
「アデュー!」
弾ける炎の柱。ラヴィニアの姿はその熱と共に消えていた。その様子を見届けて、バルクの意識も深く沈む。
店のテーブルの上にはお詫びと言わんばかりに金紙幣が五枚置かれていた。
その後のことはよく覚えていない。
騒ぎを見て集まってくる人々。事態の調査に努める国衛騎士。
泣いて飛びついてくるルドウィックとカーラ。現場の収集に努めるケンリッド。
意識が混濁する中で目にした光景。その景色のどこにも、ユリアの姿は無かった。
*
次に見た光景は赤黒く照らし出された自室だった。
静かな部屋。静かすぎる空間。
「──ッつう」
腕を動かそうとして、激痛が走る。見れば両腕とも包帯でぐるぐる巻きにされ、首元で三角巾に吊るされていた。
のどが渇く。
とりあえず何か水分を求め、バルクは階段を下りた。
静かな酒場広場。瓦礫が目に入る。店の中は半壊し、酒樽や瓶も割れて散乱している。壊れた椅子や机、バーカウンター。両腕が鈍く痛む。
「起きたか」
残骸の中に1人、ケンリッドが座っている。いつもの柔らかな目ではない、仕事の時の目だ。
「起きて早々で悪いな、少しお前に聞きたいことがある」
「ルドウィックとカーラは……」
「出払ってもらった。二人きりで話がしたくてな」
真剣な声色のケンリッド。思わず唾を飲み込むが、何を聞かれるのか心当たりがない。
「一週間前、ちょうど前回俺がこの酒場に来た日覚えてるか?」
「は、はい」
ユリアと共に街を歩き、ならず者達に追い回された日のことだ。よく覚えている。確かあの日、ケンリッドさんは用事がある、と言っていつもより早く帰っていたか。
「これはまだ非公開の情報なんだがな。あの日、哨戒中の国衛騎士の小隊がメラポニア外壁付近で消息を絶った。緊急の事態でな、国衛騎士団内で秘密裏に情報が共有され警戒態勢が敷かれた」
成程、そういえばあの日学校が休校になっていたのはそういう事だったのか、と勝手に納得する。だが、どうも内容が穏やかではない。
「哨戒に当たっていた部隊はスレッガー隊。部隊には隊長本人も同行していた」
隊長を含む一小隊の失踪。ここ百年近く大きな事件も無く平穏を保ってきたアストレイア王国にとって、その事実は非常にショッキングなものであった。しかも、国衛騎士団の隊長は〈七曜の騎士〉と称されており、
「翌日、遅れてオレも捜索に乗り出したんだが……、メラポニア城壁の外、西のグルコタス砂漠の入り口で発見、全滅していた」
「全滅……!?」
「部隊員十名と親衛隊が二名、そして隊長。その全員が、何者かに斬殺されていた」
スレッガー隊長といえば魔術を使った高機動の白兵戦を得意とする空中戦のプロフェッショナルだ。しかも各隊の精鋭である親衛隊も同行していた部隊が全滅。そう信じられる話ではない。
「すまないな。本来ならこういう話をお前にすべきではないんだが、問題はその犯人が誰なのか分からないというところだ。一人によるものとはとは考えられない。おそらく複数人による犯行。そして、この事件と同時期に現れた少女……無いとは思うが、何か彼女から聞いていないか?」
「いえ……」
ユリアは自分のことを喋らない。そもそも記憶喪失である。そのような話は一切聞かない。だが、何かを隠していることだけはバルクにも分かる。そして、何かに怯えていることも。
「今日の強盗犯は何か言っていなかったのか? 本当にただの喧嘩だったのか?」
「……」
歴戦の勘というやつなのだろうか、指摘が鋭い。もしかしたらケンリッドさんにはほとんど察しがついているのかもしれない。ユリアについて言ったほうが彼女のためなのかもしれない。
だが、バルクにとっても想像の域を出ない。何をどう説明しろというのか、自分ですらよく分かっていない。何より、彼女の怯えた顔が思い出される。
「何も、聞いてないです……」
結局、バルクは白を切るしかないのだった。
*
「かんぱーい!」
半壊したバードリックバー、だがその酒場にはいつもと変わらぬ賑やかさを誇っていた。
ケンリッドと入れ替わりで、待ってましたと言わんばかりに押し寄せた人の波。彼らは店の惨状など関係なしにガラクタをかき分けて座り込む。ルドウィックやカーラもその飲みに加わり、大繁盛といった様子。中には「穴があいてるほうが涼しくていい」という意見まで出はじめている。
「心配して損した……」
店の経営や今後のことを真面目に心配していた自分が馬鹿らしくなってくる。勿論今後の経営方針は考えねばならないだろうが、とりあえずは大丈夫そうだ。まあ、この酒場が続くのならばそれでいいか。どこか安心しつつ、その場を後にする。
喧しい騒ぎ声を背に、二階へ上がる。
その視線の先、階段の上にはユリアがいた。
「どうして言わなかったんです?」
何のことかは言われるまでもない。今日の強盗犯ということになっている男達がユリアを狙っていたことについてだろう。正直、自分でも言うべきだったのではないかと思う。だが怯えていた彼女の姿、それはあの男達に対してだけではないように思えたのだ。
「お前が言ってほしそうじゃなかったから......」
「……」
きょとん、といった様子だった。予想外だったのか、言葉に詰まっている。
「言ったほうが良かったか?」
選択を間違えたか、そう思ったがユリアはすぐに首を横に振る。
「いえ、賢明な判断です。 ……ついてきてください」
言われるがまま、ユリアについていく。入っていった先はユリアの部屋だった。
ユリアが住み始めて間もないということもあり、私物がほとんどない質素な部屋で、少し殺風景という様子だった。
ベッドに座るユリア。するとおもむろに服を脱ぎ始める。
「なぁ……!?」
慌てて顔を背ける。付き合った男女がそのような行為に及ぶというような話は聞いたことがあるが、ピュアなバルクにはまだ早すぎる。そもそもまだ付き合ってすらいないのだ。
「早い、そういうのはまだ早いって!」
「何勘違いしているんですか。蛆でも沸いてるんですか、頭」
あまりに冷静すぎる指摘。いったい何が違うのだと思い切って振り返ってみる。
「……ッ」
息を呑む。こちらに向けられた彼女の背中。シルクのように滑らかな白い背中にはしかし、それを割くように大きな入れ墨が彫られていた。
尾骨から首の付け根にかけて伸びる刺繍。肩甲骨とあばらに沿っては鳥の翼のような紋様まで刻まれている。
まるでユリアを抱擁するかのように刻印された赤い入れ墨は、色こそ違えど先の事件の男達を連想させる。
「これって……」
「詳しくはまだ話しません。私が信用に足ると判断したら、その時に」
「信用に足るって、お前は……」
「とりあえずはアナタが秘密を共有するに足ると判断したから見せたんです」
服を着なおし、バルクに向き直る。
「これは警告と脅し。あの男に報告しなかった時点でアナタも共犯者。今後も、このことは内密にお願いします。期待してますよ、私の騎士様」
そう言って、彼女は笑って見せた。彼女が見せた笑顔は、まるで深海のように深く、冷たかった。
「今までは信用してなかったって言うのかよ……」
少なくともバルクは彼女を家族として、仲間として信用していた。二人で困難を乗り越え、思いを語り、そして関係を築いたつもりでいた。
手に入れた騎士の称号が、彼女の騎士という虚像が、胸の波紋とともに揺れる。
もしかすると、自分はとんでもなく重大な事件に巻き込まれているのかもしれない。そんなバルクの後悔を他所に、彼女は下の階に降りていくのだった。
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