第十一章 嚆矢




 ユリアとの同居が始まってから、早くも一週間が経過しようとしていた。



 相変わらず口数少なく、珍しくしゃべったかと思えば皮肉が交じりる毒舌女である彼女だが、不器用なりに仕事に対しては真摯に取り組んでいる。というのもバルクに対してやたらと挑発的なユリアだが、意外にもルドウィックとカーラに対しては文句を言うことなく素直に従っている。特に本能から感じ取ったのかカーラに対しては特に従順で、むしろおびえる素振りすら見せている。バルクとしては普段生意気な彼女が塩らしくなって気味がいいのだが、ユリアの中の関係図がカーラ>ルドウィック>ユリア>>>バルクとなっていそうなことには異議を唱えたくなる。


 ともあれ、彼女の負けず嫌いな性格は勉学でも功を成し、最初は文字が読めないようで苦労したものの、日常生活の中で着々と文字を吸収し早くも日常的な名称程度なら読めるようになった。またバー周辺の立地も覚え始め、よく利用する店舗へのお使い程度なら任せられるようにもなった。

 

 周りもユリアという存在に慣れ始め、彼女目当てで来店する客も多い。正に看板娘というわけだ。最初は懐疑的だった近隣住民も、今は新しい共同体の仲間として受け入れ始めている。そして、バルクもまたそんな住民達の一人だった。


 素性も考えていることも分からない彼女だが、最近はそこまで警戒することではないと考え、接するようにしている。勉強を教え、仕事を教え、ルールを教え、そして衣食住を共にする。そんなバルクの努力が報われてか、最近は彼女から会話を始めることが多くなった気がする。


 ──内容はやはり罵倒や嫌味であるが。


 ともあれ、この状況は好ましいようにも思う。口数が多くなったのは彼女が心を開いてくれている証拠だし、自分としても二人黙って黙々と作業するより軽口を叩き合いながらのほうが気楽でいい。人手が増えて店の運営が楽になったのも事実だ。


 だが──


 「部屋入る時ぐらいノックしてくんねえかな!?」


 毎度毎度、何度言っても嫌がらせのように勢いよくドアを開けて押し入ってくるユリア。


 バァンッ、と弾けるように扉を開き、いつも見下ろすようにのぞき込んでくる。いったい何が目的なのか。


 とにかく朝の起き掛けは勘弁してほしい。というか、俺の目覚ましに反応して俺よりも先に起きてくるとはどういう神経をしているのだ。


 「何ですか、そんなに大声出して。毎度毎度近所迷惑ですよ。何か見られたくないモノでもあるんですか、いやらしい」


 「いやらしいのはお前の頭ん中と行動だよ!」


 本当に、男の寝起きは危ないのだ。そこのところを彼女は分かった上でやっている気がする。


 一時は寝室が同じになるのではないかと危ぶまれたユリアだが、無事カーラに見つかり部屋から隔離、ユリアの部屋へと連行されることとなった。カーラは日頃の寛容さが目立つが、それはそれとして線引きができる人物でもある。「まだ早い。まだ熟成されてないわ」というのが彼女の意見だった。


 かくしてバルクの貞操は守られたわけだが、相変わらずユリアは懲りずにバルクの部屋への侵入を試みている。抜き足差し足で音を消して部屋の前まで接近し、驚かすように扉をぶち開ける。完全に愉快犯だ。


この一週間足らずでで完全に日常となったユリアの奇行。これにより朝は騒々しく起こされるのだが必然、元々この時間に起きる理由は別にある。




 「……また素振りですか」


 呆れるように呟くユリアを無視し、上着だけ着替えると日課の素振りのために外に出る。何も面倒なら部屋にいればいいのに、なぜか文句を言いつつユリアもついてくる。彼女いわく、「護衛が護衛対象から離れるなんてありえない」とのことだ。




 ぶん、ぶん、と朝の心地よい風を切っていく。緑を含むさわやかな風。最近は少し温度も上がってきている。裏庭の木々も緑が生い茂り、次の〈太陽期〉の到来を知らせていた。


 勢いよく木刀を振るその横で、ユリアは座り込んでその様子を眺めている。見ていて面白いものでもないだろうに、毎日欠かさずにただ見ている。正直見られているのはやりづらいが、追い払う理由もない。それに、そのうち飽きて見に来なくなるだろう。気にすることもない。


 「……なんでそんな馬鹿みたいに毎日毎日剣を振っているんです?」


 沈黙に飽きたのか、ユリアが問いかける。


 「馬鹿みたいには余計だ。……英雄になりたいから」


 「英雄……前に言ってた?」


 「そう、アルトリウス・ガイウス。ガイウスも、毎朝素振りから一日を始めてたらしいぜ。だから、俺も最低限それぐらいはしねえと強くなれねえ」


 剣を振りながら呼吸の合間に答えるが、ユリアは「ふーん」と興味なさげに流している。


 「で、そのガイウスって人は強かったんですか?」


 「そりゃ聞くまでもねえよ。救国の英雄だぜ。伝説にもなってるんだ」


 そうは言いつつ、自分も実際に見たことがあるわけではない。何せ五十年以上も前の人物で、さらに当時国内の大戦で大勢の死者が出たこともあって彼と面識がある人物は少ない。国内でもほとんどの人物が伝記や伝承でしか彼のことを知らないだろう。


 「つっても、常識だしな。知っておいた方が良いよな」


 ニヤニヤと笑う姿が可笑しかったのか、首をかしげるユリア。丁度いい布教の機会だ。文字の勉強にもなる、今度本を貸してやろう。


 素振りを終え、滴る汗を拭いつつ、脱いで地べたに放っていた上着を手に取る。


 「フーッ、よし、行くぞ」


 座っていて付いた服の汚れをはたくユリアとともに、朝餉の支度をしに家に戻る。今日もまた、いつもの一日が始まるのだ。






 「「「「ごちそうさまでした」」」」」」


 朝食を終え、食器を片付ける。


 食器洗いはバルクの担当で、ユリアはモップで床拭き。というのも、この一週間で分かったことだがユリアは力の入れ方が苦手かつ不器用なのだ。手にした皿はすべて割るし、面倒くさがりでせっかちであるため配膳の仕事もロクにできない。ましてや料理の腕に関しては特段に酷く、とても客にお出しできたものでは無い。彼女の言い分として、「食事なんてただの栄養補給、どんな形であれ体内に摂取できればそれでいいのです」とのことだが、その本人がえづくほどなのだから目も当てられない。


 とにかく、彼女は今清掃を主にした雑用係として働いている。モップ片手にメイド服、というのが今の彼女の標準装備だ。


 「おう、それじゃあ二人とも店番頼んだぞ!」


 そう言い残し、ルドウィックとカーラが食料調達のため朝市へと向かう。今日は休日ということもあり、朝の市場は混む。帰ってくるのは昼過ぎぐらいになるだろう。それまではユリアと二人で店番、もとい店の設営に当たっている。


 「とはいっても、午前中なんてほぼ暇だけどな」


 元々夜の酒場としての役割しかなかったバードリックバーだが、実は昼間はカフェとして機能する。〈バードリック・カフェ〉、一年ほど前からバルクが暇な時だけこのカフェを運営しているのだ。もちろん腕はまだまだ未熟で付け焼刃、物好きな常連ぐらいしか来ない。朝から客が来ることなんて、本当に稀なことだ。急ぐ必要もないし、ゆっくりと準備すれば良い。


 「私は二階の清掃に行ってきます」


 まるで長槍でも持つかのような構えとともに決め顔でモップを持って二階に上がっていくユリア。それを尻目に、バルクもキッチンの清掃に入る。昼のカフェでは提供する食事も主にバルクが調理を担当するため、ただの掃除といってもいつも以上に熱が入る。勿論、主役であるコーヒーの手入れも欠かさない。酒場の常連を通じて手に入れた上質なコーヒー豆。開封してその匂いを確認し、一杯分だけ注ぐ。今回は簡単に焙煎した豆を透過式で抽出してみた。

 

 口に含んだ熱、鋭い苦みの後にやんわりとした酸味が舌の上を転がっていく。鼻から抜ける僅かなエグ味を含んだ芳醇な香りが心地よい。こうして良いコーヒーを嗜むと、この豆も果実の一種だということが感じられて、より一層深く楽しめる。


 うん、今日も変わらず美味しい。


 上機嫌でコーヒーの風味を確認し、次に取りだした牛乳をカップにドバドバと注ぐ。砂糖も一塩、二塩、三塩……とにかく好きなだけ投入する。かき混ぜた混合物を一気に口に含み、流し込む。飽和して溶け残った砂糖がじゃりじゃりと口の中で音を立てた。


 うむ、やはりこれがいい。


 コーヒーの風味も苦みももちろん好みだが、何よりも俺が愛しているのは甘味。人の味覚には五つの種類があるというが、その中でも甘味は何よりも優先される。食べ物は甘ければ甘いほど良い。


 勿論、これが自分の好みであるということは自覚しているので他人に振舞うときは淹れたそのままで提供しているが、自分へのご褒美なら別にいいだろう。ユリアには信じられないものを見るような目で見られたが、他人に自分の好みを好き勝手言われる筋合いはない。


 飲んだ食器を洗い、他の豆も準備する。あとは看板の付け替えとテラス席の準備だ。


 時刻は陽刻四時。丁度朝と昼間の間時間で、バー周辺を出歩く人波も落ち着いてくる頃合い。これからまた昼頃に人が増えてくることを見越して、こちらも開店の最終準備に取り掛かる時間だ。


 「あと一時間ぐらいか……」


 設営のため〈バードリック・カフェ〉の看板を手に取り、外に出ようとしたその時。




 チリン、チリン。





 入口扉の鐘の音が鳴る。まだ開店時間ではない。客が来るにしては早すぎる。ルドウィック達が帰ってきたのかと振り返るが、そこにいたのは見慣れた二人ではなく、外套を羽織った見知らぬ二人組だった。


 体格的に大人の男……だが、まるで靄がかかっているかのようにフードの下の顔が見えない。二人とも腰に剣を携えており、すでに左手を添えていつでも戦闘ができる状態でいる。ただ事ではない。


 「すみません、今まだ準備中で、あと一時間後には開店するんですが……」


 「小僧、聞くがこの辺りで最近おかしなことはないか? 何か事件があっただとか、例えば───見慣れない少女を見ただとか」


 こちらの投げかけには気も留めず、一方的に質問を投げ付ける男。少女──恐らくユリアを探しているようだが幸い、彼女は二階で掃除中だ。


 「……さあ? 少女と言えばうちは妹はいますけど、客なんていつも変わらない飲んだくれしか来ませんよ」


 この前の野盗の残党かとも思ったが、どうにも雰囲気が異なる。何より、彼らが羽織っているフードがユリアが最初に身に着けていたものと同じだ。恐らく認識阻害の魔術が編まれた特注品、それを身に着けているというのはやはり穏やかではない。


 ともかく、事情は知らないが、無断で開店前の店に押し入り、高圧的な言動をする者がまともであるはずがない。ユリアと鉢合わせることが不味いことは何の経緯を知らずとも分かる。


 「この女物の服はその妹のものか? やけに新しいが……」


 目ざとくクローゼットを開けては服を物色する男。その中からカーラが買ってきたユリアの服を漁り出す。


 「変に触らないで下さいよ。妹は潔癖症でうるさいんです」


 何とかごまかして早く帰るように促すが、それでも男たちは動くそぶりを見せない。


 ───ガタッ、と二階で物音がする。


 凍る背筋。男達もそれを聞き逃さない。


 「……妹とやらは上にいるようだな。是非とも顔を見せてもらいたいが……ッ!?」


 一閃。振り向きざまにバルクの一撃が男の顎を砕く。不意の一撃、歯と歯がぶつかり合う音に男はそのままノックダウンする。


 「小僧ォ!」


 剣を抜き、切りかかってくるもう一人の男。その一撃をバックステップで躱し、距離を取る。すかさず距離を詰めながら剣を振り回す男に対し、椅子をぶん投げて牽制、時間を稼ぐ。


 「ユリア!」


 その声に反応するように、ユリアが二階からバルクの木刀を投げる。それを受け取るや否や、バルクは一気に距離を詰めた。


 「!?」


 振り下ろされる剣に対し、木刀で男の握る手元を打ち払う。そのまま返す刃で胸を突き、男は沈黙した。


 「……やったの?」


 二階からユリアが下りてくる。聞きたいことは色々あるが、今はそれどころではない。


 「入れ墨?」


 男の腕や、顔には黒い入れ墨が刻まれていた。二人ともかなり入れているようだが、文様や入れる場所は異なっており、共通点は見られない。


 「何なんだこれ……?」


 もっとよく見ようと覗き込んだところで、勢いよく扉の開く音がする。


 「あーらアラアラアラ。もう始めちゃってるのね」


 耳が曲がりそうになるほどの調子の狂った声。低いのに高いと錯覚するような、奇妙な声が店に響く。


 極光を背に店に入ってくる『巨人』。その双眸がバルクとユリアを捉えるのだった。


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