第八章 喧噪な一日④




 ───今、この事態に至っても、私はヤツのことが理解できないでいた。


 多勢に無勢、助かる余地なんてどこにもないことなど誰の目にも明らかだ。


 単にヤツが勇敢なのか、それともそれすら分からない本物の馬鹿なのか。仮にヤツが勇敢だとして、それはただの蛮勇に過ぎない。軽々しく命を投げ出すヤツの振る舞いが、微塵も理解できなかった。



 初めて会った時の印象は『軽薄』だった。軽薄な髪、軽薄な声、軽薄な態度。恵まれた環境で育ったのだろう。抜けていて考え無し。常にどこか余裕を纏い腑抜けているヤツの姿が常に鼻につき、出会った瞬間から相容れないと悟った。


 ヤツの親も軽薄だった。起きた瞬間から強引に部屋から連れ出し、椅子に座らせられた。焼き立てのパンと卵、そして厚いベーコン。どこの誰かも分からない他人を家に上げ、あまつさえ施しまで与える始末。人の善意を信じて疑わない二人の態度。まるでこれまでの生き方を否定されているようで、彼らの心の余裕が心の底から恨めしかった。


 だから困らせてやった。たくさん飯を食べてやって、ヤツの財布を空にして、怒らせてやろうと思った。でも、少しやりすぎたと思ってヤツが払えない分は建て替えてやった。ほんの少しだけだけど可哀そうに見えて、哀れに見えて、自分を見ているようで御飯が不味くなったから。


 盗んだお金でだけど。


 だから、ディアッカ達と再会した時は天罰だと思った。神様なんて信じてないけど、私の人生を作った悪趣味なサディストの存在は信じてる。きっと私は彼にとっての都合の良いマリオネット。惨めな人生を肴にするための劇場。何をしても、必ずどこかで悪意のような障壁にぶち当たる。そう易々と盗賊団から逃げられるはずもなかったのだ。


 だから、私はヤツを裏切った。


 罪悪感なんて無かった。騙される奴が悪いし、温室でぬくぬくと生活している世間知らずへの意趣返しと思えば何てことない。ヤツの財布に盗んだ金を入れて、献上品として差し出す。こうすれば私はまた盗賊団としてやり直せる。そもそもヤツとは何の関係でもないのだから、裏切るも何もない。でも、そう、何の関係も無いのだから、命だけは取らないであげた。恨まれたくないだとか、憎まれたくないとか、そんな子供じみた理由じゃない。


 当然、何のごたごたも無く元鞘に戻ったわけじゃない。殴られもしたし、蹴られもした。返したといってもお金は減ってるし、一度逃げだしているのだ。こうなることは分かり切っていた。


 でも、死ぬよりはよっぽど良い。死にたくないから、私はヤツの家のことを話した。死にたくないから、ヤツが生きていることを話した。生きていくためなのだから仕方ない。これがこの世界の摂理。私はそれに従っただけ。恨まれる道理はない。大丈夫、毒は弱くしてあるし、ヤツは意外と足が速いからきっともうどこかへ逃げ去ってしまっているだろう。これでもう、ヤツと関わることも無い。


 ───そう、思っていた。



 「よお、何やってんだ?」


 殺されると思った。恨まれていると思った。だから、精一杯平静を装った。


 弱みを見せてはならないと、震える声を抑えて罵倒した。差し伸べられた手を振り払って、もう一度ヤツを裏切った。


 馬鹿なヤツ。逃げればよかったのに。助かるタイミングはいくらでもあったのに、どうしてヤツはここに来たのか。そんなに私を殺したかったのか。そんなに私が恨めしかったのか。


 分からない。どうしてヤツはまだ戦っているのか。どうして彼の顔を見たとき、私は恐怖ではなく安堵したのか。


 分からない。私にはヤツが、私が、分からない───、



 「怖えんだろ」



 声が聞こえた。人混みの中、死屍累々の群れの中で、血で顔半分をつぶしながら叫ぶ男。木の間からこちらを覗く射貫くような視線。見透かされたような気がして思わずたじろぐ。


 怖い? 何が?


 「怖えから、ビビッてその場その場の他人の顔色伺って、恨まれたくねえから俺を生かしたんだろ。くだらねえ」


 くだらない? 私の生き方が? 


 私がこれまで藁にも縋る思いで必死に過ごしてきた人生をくだらないと、ヤツはそう言ったのだ。私の生き方を、これしか知らない醜い生き方を、くだらないと、そう吐き捨てたのだ。


 ───私の生き方は上辺だけだと、私の人生は虚飾だと、そう言い切ったのだ。


 違う。私が態度を変えるのは相手を体よく取り込むため。


 違う。私がヤツを生かしたのは可哀そうだと思ったからで───


 違う。私は───


 「だったら、助けてくれって言え!」


 また一人、迫りくる敵を剥ぎ倒し、敵に打たれ、尚も男は叫んだ。


 「他に生き方を知らねえんだろ? 不器用な方法でやってきたんだろ? だったら教えてやる。助けてって言え!」


 何を、言っているのだろうか。そもそも、私は怖いだなんて思ったことは無い。今までこうやって、一人で生きてきたのだ。誰に助けを求めるでもなく、独りで。裏切られるかもしれない他人を信じるより、独りのほうがよっぽど生きやすい。独りなら、傷つくことも、傷つけられることもないのだから───


 「お前が助けてくれって言えねえと、助けられねえだろうが!」


 良いのだろうか、そんな世界があって。助けを求めて助けられる、そんな摂理があっていいのだろうか。受け入れてしまって、いいのだろうか。


 駄目だ。きっと弱くなる。きっと脆くなる。きっと、もう一人では立てなくなる。だから、私はこの手をもう一度離すべきなのだ。独りで生きていけるように、独りでも寂しくないように。なのに───


 「本当に、助けてくれる……?」


 声が漏れていた。震える声、風が吹けば消え行ってしまうようなか細い声。しかし、彼は聞き逃さなかった。逃してはくれなかった。


 男は拳握り、掲げて叫ぶ。


 「俺を誰だと思っていやがる、俺はバルク・バードリック。英雄になる男だッ!」


 感情が溢れる。あふれる感情のまま、世界に踏み込んだ。


 「私を、助けて……!」


 音を立てて、自分の元居た世界が崩れる。もう、戻れない。


 「ようやく言いやがったな、これでお前を守ってやれる」


 深く深呼吸し、向き直る。圧倒的劣勢の中で、尚も男の目は眩しく光る。


 「お前ら全員ぶっ飛ばして、英雄譚の序章にしてやらァ!」


 男の勇ましい声は正に、英雄の産声のようだった。



             *




 「はあ、はあ、はあ」


 朝日が、壁の向こうから顔を出す。赤白く照る大地。その光を背中に受けて、男は立っていた。服はボロボロで、もはやその体を成していない。剥き出しの背中も殺傷、裂傷、打撲で痛々しい傷がおびただしく刻まれている。だが、男は立っていた。三十にも及ぶ屍の上で、男は朝日をその身に浴びる。


 「どうだ、すげえだろ」


 やりきった。男は倒し切ったのだ。三十人近くの野盗達をその身一つで返り討ちにし、そして守り切って見せた。その小さな体で、まだ十四の身で、成し遂げて見せた。


 「ぅ……」


 流石に疲労がたまり、足元がふらつく。しかし、その瞬間を敵は見逃さなかった。


 「油断をしたねえッ!」


 「ッ!?」


 伸びた野党の山から飛び出した赤毛の女。


 気絶したふりして機会を伺っていたのだろう。気を抜いたバルクにサーベルを抜いた頭領、ディアッカが切りかかる。


 「ゴぺ……ッ!?」


 だが、その目論見は失敗に終わった。ディアッカの頭をユリアが木剣で横から殴り飛ばしたのだ。


 木剣を持つ手が小刻みに震える。だが、 バルクはその腕を両手で優しく包んだ。傷だらけで、血と泥にまみれた手。ひょっとしたら自分より小さい幼子のような手は、しかしカサカサと乾燥しており、またゴツゴツと角ばった肉付きから男の子だということを感じさせる。私を守った英雄の手。


 「へっ、やりゃあできんじゃねえか。あー、くそ、締まらねえ……」


 そう言い残し、今度こそ倒れこむバルク。その体をそっと、傷つけないように優しく抱きかかえる。


 スー、スーと寝息を立てながら腕の中で眠る少年。英雄だった男は今、腕の中で赤子のように眠っている。


 「変な人………」


 勝手に現れて、勝手に決めつけて、勝手に解決してしまった。


 でも、そんな勝手な奴に守られてしまった。そんな男に、私は無理やりこじ開けられたのだ。認めるしかない。


 男を背負い、朝日に照る街道を歩く。白い光と青い影のコントラストに彩られた街並みは、なんだかいつもと違って見えた。

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