第六章 喧騒な一日②




結局あの後もユリアは飯を貪りまくり、三軒目に入ろうとしたところをなんとか阻止、バルク達はメラポニア城壁周辺に来ていた。


 まだ食い足りないと言うのでパニーニを二人で食べながら城壁周辺、つまり王都の端を歩く。


 「アレがメラポニア城壁だ」


 正確には〈メラポニア城壁郡〉。この城壁郡は三つの城壁の総称であり、王都を中心として一番外側の外壁が〈ウル〉、二層目が〈ウルク〉、そして一番内側、三層目が〈ラガシュ〉と呼称されている。


 東西南北全方向に計十二棟の〈監視塔〉が設置されているのが一層目ウルであり、その高さは三十タール。


 二層目のウルクとラガシュの間には底なしの谷と呼ばれる〈奈落〉が存在している。


 「ウルクが二十タール、ラガシュが四十タール。つまり一番内側のラガシュが一番高いってことだ」


 「……」


 食べ物に夢中で果たしてこちらの話を聞いているのだろうか。さっき買ったばかりなのにもうパンを平らげている。とんでもない食いしん坊だ。


 「ところでお前、よく金なんて持ってたよな。その金一体どうしたんだ?」


 純粋に疑問に思い聞いてみる。


 格好や行き倒れていたところを見るにお金を持っているとはとても思えなかったが、彼女があの膨大な食事代を全て払ってしまった。実は貴族の御令嬢だったりするのだろうか。


「……ッ」


 だが、ユリアの反応は予想外のものだった。突然立ち止まり、明らかに動揺した様子を見せる。──何かまずいことを聞いてしまったのだろうか。


 「いてっ」


 ユリアに気を取られていたせいか、前にいた人とぶつかる。


 「あ、すみません」


 慌ててぶつかった相手に謝罪する。が、相手はこちらのことなど眼中に無いといった様子だった。


 「おい、こいつで間違いないんだな?」


 ぶつかった大男はその後ろに控えていた仲間と思しき一人に問いかける。


 「え、エエ、ソイツで間違いないでヤンス」


 おそらく手下と思われる小柄の男が答えた。


 「そのボロ頭巾と白い髪……間違い無い、コイツがオイラの財布を盗んだ盗人で間違いないでヤンス!」


 「え……?」


 思わず振り返る。ユリアは顔を伏せたまま、いつのまにか少しずつ距離をとっていた。


 「テメェ、オレ達が一体誰だか分かって盗みやがったのか? 舐めた真似してタダ帰れると思うなよ!」


 「これってどういう……あれ?」


 説明を求めてもう一度振り返るバルク。だが、ユリアはもう逃走を始めていた。


 「「「おい待てテメェ!」」」


 奇しくも大男達とバルクの心が重なる。



            *



 「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!」


 ユリアに追いつこうと全力で走るバルク。しかし───


 「速え!?」


 距離が中々縮まらない。スタートダッシュの差があったとしても、足の速さには自信があった。だが、距離は縮まるどころかさらに離れていく。


 「くそ、待てよテメェ!」


 「待てクソ女! 血祭りに上げてやる!」


 「オイラの財布返せ──!」


 逃走するユリアと追いかける大男達。その間でバルクもユリアを追いかける。


 スッ、とユリアが懐から何かを後ろに投げつける。思わずそれを躱すバルク。だがその後ろにいた小柄の男に直撃した。


 「いでっ! あっ、オ、オイラの財布だー!」


 小柄の男が歓喜に咽ぶ。だが──


 「中無ェじゃねぇか!」


 より怒りを強く、勢いを増してして追いかけてきた。


 「おいガキ! テメェあの女の仲間か!?」


 「いや、別にそう言うわけじゃ──」


 「なにぃ⁉ ならテメェも血祭りだぁ!」


 「ちげぇつってんだろ!?」


 最早和解は望めないようだ。バルクも敵だと判断され、血眼になって大男達が追いかけまわしにくる。


 ようやく何となく男たちの事情を察して気の毒に思うバルク。どうすべきかはまだ分からないが、とりあえずユリアとの合流を目指さなければならない。


 「あれ?」


 そういえばユリアの姿が見当たらない。一体どこに行ったのだろうか。撒かれたか。


 そう思ったのも束の間、今度は前方から土煙が上がり始める。強くなっていく振動。騒音を引き連れて、ユリアの姿が見えた。


 「ユリ……あ?」


 先程までこちらから逃げるように走っていたはずのユリアが今度はこっちに向かって走ってくる。そしてその後ろには──


 「間違いネェ、あの女ダァ! 俺の金返セェ!」


 同じくユリアに財布を盗まれたのであろう片目長髪の男とその仲間達がその犯人を血眼で追いかけていた。


 「いいいいいいぃぃぃいッ!?」


 こちらに走ってくるユリアは止まらない。もちろんそれを追いかける集団も止まらないし、バルクとその後ろの集団も止まらない。狭い裏路地には当然逃げ場もない。


 「ぶつか……ゑ?」


 ユリアとバルク、互いに正面衝突するかと思われたその瞬間、バルクの体に上から負荷がかかる。


 「俺を踏み台にしたぁ!?」


 軽やかに、まるで猫のようにバルクを踏み台にして家屋の屋根上へ跳躍、そして姿を消すユリア。その光景に一瞬気を取られるも、直後にバルクは二方向からの人の濁流に溺れるのだった。  



                  *



 「待て待て待て待てまてまてまてぇい!」


 狭い壁内にひしめき合う建物達。その上を荒々しく全速力で駆け回る。


 なんとか揉みくちゃ地獄を抜け出して、全身ぐしゃぐしゃにされながらもユリアに喰らい付こうとするバルク。


 ユリアの足は驚くほど速いが、バルクも負けてはいない。障害物を利用した最短ルートでユリアとの距離を縮めていく。


 バルクも無策で追いかけているわけではない。ユリアは気付いていないだろうが、この先には城壁警備隊の隊舎がある。そこまで誘導できればユリアを捕まえて追手からも匿ってもらえる。


 「地の利はこっちにあるってなぁ!」


 思惑通り、ユリアはまんまとラガシュの縁に沿うように設置されている隊舎の前へと誘き出された。


 距離も近い、このまま捕まえて──


 「んなぁ!?」


 飛んだ。いや、正確には跳んだ。


 住宅街と隊舎との間には大通りが通っており、屋根伝いに移動しようとすると一度地上に降りねばならない。飛び移るなんて芸当は出来るはずもない。が、目の前の少女が今やって見せた。


 「うっそだろお前……」


 ふふん、と少し得意げな顔で振り返るユリア。あいつは一体誰と戦っているつもりなのか。


 「ちぃ、やってやらぁ!」


 負けじとバルクもその足を加速させる。全身で風を切り、有り余る加速力をその身で受けながら勢いよく大地を──訂正、屋根を蹴る。


 「うおおおおおおおおぉッ……」


 跳躍。勢いよくその身を空中へと投げ出し───


 「ぶべッ」


 ゴツゴツした石の壁に無様に衝突した。


 「なんのッ、これしき……!」


 敷き詰められた石の隙間に指をかけ、なんとか駆け上がる。


 「おらッ!」


 窓から隊舎の中に侵入する。壁に衝突した顔がじんじんと痛むが、今は無視する。


 「お、おい小僧、お前どうやって入ってきた!?」


 「ごめん、通る!」


 突然の侵入に動揺する警備隊を押し除け、階段を使い隊舎の屋上を目指す。


 「見つけた!」


 屋上へ顔を出すと、ちょうどユリアが隣の隊舎へ飛び移るところだった。


 「待てって! なにも、お前をアイツらに突き出そうって訳じゃねぇんだからさ、話ぐらい聞けよ」


 こちらを訝しげに見ながら、ユリアは足を止めた。


 ──疑心暗鬼なのはこっちだっての。


 だが、これで何とか話ができる。


 「──見つけたよ。アンタ、ここがどこか分かってるのかい?」


 だが、そんなバルクの思いをよそに、別の声が遮る。竜の紋様が入った制服に甲冑の手足、赤い羽のついた兜。間違いない。城壁警備隊の支部隊長だ。


 長い真紅の髪を揺らしながら、部下を引き連れて歩いてくる支部隊長の女。その目はこちらをガッチリと捉え、明らかに敵対の意思を示していた。


 「ここは一般人の立ち入りは禁止、分かっててやってるのかい?」


 「いやぁ、すみません。ちょっと迷っちゃって……」


 何とか言い訳をして逃れようとするバルク。だが、女は目もくれない。その双眸はガッチリとユリアを捉えていた。


 「飛んで火に入る夏の虫とは正にこのことさね。カモネギとも言うんだった? オホホホホ!」


 デジャヴだ。


 「さぁ、アタシの財布、返しな盗人ォ!」


 「ぬあぁぁぁぁぁああ!」


 ユリアの手を握り、全力で逃げる。何で俺が逃げているのか、最早そんなことを考える余裕はなかった。隊舎から飛び降り、とにかくユリアを守らねばと全力で走る。


 「お前金盗みすぎだろ! 一体何人から盗んでんだ!」


 「いたぞ!」


 「どこだ!」


 「そこだ!」


 「見つけたぞ、女ぁ!」


 さらに先ほど追いかけていた二勢力がこちらを捕捉し、追いかけてくる。


 「チクショウ!」


 万事休す。目まぐるしく動く追手の群れに辟易しつつ、次の避難経路を探す。


 「……ッ」


 突如、握る腕をユリアが振り払う。何事かと振り返った時には既に別方向へと走り出していた。


 「あ、おい待て! そっちは……」


 静止の声も遅く、ユリアは再び狭い路地へと入っていった。だが、バルクは知っている。その路地の先は───


 「行き止まりだぜ」


 聳え立つ壁だった。

 前も左右も高い住宅の壁に囲まれた完全な袋小路。先ほどのように跳躍で飛び越えられるような高さではない。そして、唯一の逃げ道である背後からは先ほどの追手達が束になって道を塞いでいた。


 「ちょこまかと逃げ回りやがって、もう逃がさねえからな」


 短刀を抜いてじりじりと距離を詰めてくる男達。ユリアは諦めたのか、もう逃げる様子も抵抗する様子も見せない。かくなる上は───


 「下がってろ、ここは俺が───」


 ユリアを庇うように前に出る。逃げ場は無いのだ。戦うしかあるまい。

 多勢に無勢、丸腰で勝てる見込みもないが、だからと言って何もせず嬲り殺しにされるつもりもない。


 決意を固め、男達に挑みかかろうとしたその時、ユリアの手がバルクの手首を掴んだ。


 「? ユリ……」


 突然の事に何事かと振り返る。今は必死に抵抗策を考えている最中。もうこれ以上掻き乱さないでくれと苛立ちが遅れてやってきた瞬間、首筋に鋭い熱が走った。


 「───ッ⁉」


 反射的にユリアを跳ね除ける。首筋から広がる熱の感覚。向き合ったユリアの手には小さなナイフが握られており、その小刃が赤く塗れている。


 「お前……ッ」


 首元を抑え、止血をしながらユリアを睨みつけるバルク。対して彼女は冷静に、冷血に、獲物を追い詰める狩人のような目でバルクを見通していた。


 「狙われてる自覚のない獲物ほど狩りやすいってモンさね。英雄ごっこは楽しかったかい? カモガキ」


 先程の赤髪の憲兵が群れの中から姿を現す。ユリアの肩を抱き寄せるが、ユリアに抵抗する様子は見られない。


 「へ、みんなグルかよ。てめえに至っては憲兵の偽装までしやがって……」


 「いいや、ちゃーんと憲兵さ。れっきとしたメラポニア城壁群警備隊南東方面支部長ディアッカ・ミシュバ様だよ。こういうお堅い職に就いてる方が色々やれるのさ。こんな田舎町なら支部長の座だって簡単に取れるしねえ」


 「こんなガキ一人殺すのに大層なこった……。一文にもならねえってのに」


 「勘違いすんじゃないよ。アタシ達は狩りを楽しんでんのさ。金は二の次、物なんて直接奪えば事足りるってモンよ」


 どうやら本気で俺のことを殺す気でいるらしい。ユリアもグルだったことに衝撃を隠せないが、今はそれに執着する余裕はない。何か、何かしなければならない。


 だが、失血のせいかまともに立つことすらもう危うい。瞼が異様に重く、視界がふさがっていく。


 「ぅ────」


 ついに踏ん張ることができなくなり、顔面から地面に倒れこんだ。香る土のにおい。そして、ついにその地面の感覚すら遠のいていく。


 「───ュ、りぁ……」


 縋るような声が、のどから漏れ出る。それは助けを求めてのものか、それとも彼女を案じてのものか、自分でももう分からない。


 「───もう追ってこないで」


 薄れる意識の中で、ユリアの声が聞こえた気がした。






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