第七章 喧噪な一日③
「───カッ、ハ、はぁ」
混濁する意識。本日二度目の目覚めは、決して良いものとは言えなかった。
「あー、くそ、気持ち悪い……」
何か根源的な恐怖に駆られ汗が沸き立つ感覚と、胃の中身がひっくり返るような感覚に悶えながら、前後の記憶を思い出す。
「確かユリアに切られて……」
と、慌てて首元を確認する。首筋がヒヤリとした気がしたが、すでに血は止まっているようで薄く瘡蓋ができている。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、周囲はすでに暗く、黄色い街灯が夜の街道を照らし出している。どうやらかなりの時間気を失ってしまっていたようで、表道を歩く人々も昼間とは毛色が打って変わっている。時間帯にまで意識が回ったところで、ようやくバルクは自分の置かれている状況の理解に専念した。
倒れていた場所は先ほどと変わらず袋小路の裏路地。ダーリントンでの裏路地は暗黒街、殺人は珍しくないし、表の人間が好き好んで立ち入ることも無い。自分が簡単に放置されたのはそれが原因だろう。死体が見つかったところで特別騒がれるわけでもないし、そもそも発見されない。ちなみに、懐に入れておいた財布はしっかりと盗まれていた。
「何が『金目のものには興味ない』だ。しっかり盗んでんじゃねえか!」
本人達に届くはずもない、行方のない怒りで地団太を踏む。
「あとは……」
地面に広がる赤黒い液体。当然、バルクのものでないそれはおそらく偽装魔術によるものだ。
首筋にできた浅い切り傷。考えるに、倒れた原因は失血によるものではなく、刃に付着させた毒物によるものだろう。現に毒が抜けたのか、気を失ったばかりとは思えないほど体がピンピンしている。恐らくは弱い睡眠毒のようなものを使ったのだろう。どうして彼女がそんなことをしたのかは分からないが、今自分が生きているのは彼女のおかげとも言える。……非常に気に食わないが。
「あのヤロウ……」
思いだすと、いや、思い出さずとも腹が立ってくる。裏切られた上にお気に入りの一張羅のシャツも赤く染まってしまっている。堪ったものではない。
「だー! くそ! やめだやめだ!」
何が街案内だ。何が新しい家族だ。不幸続きでやってられるか。こっちは完全に被害者なのだ。これ以上関わる道理はない。このまま家に帰るのが正解だ。
意思を固め、不貞腐れながら帰ろうとするバルクの足。だが、ふいに立ち止まる。
『もう、追ってこないで』
意識の淵で聞こえた言葉は幻聴ではない。彼女はわざわざ殺人を偽造しておきながら『追ってくるな』と言ったのだ。本人にそのつもりがあるのかどうかは知らないが、どちらにしろなんと不器用なものか。そして、それを無視できない自分もなんと真面目なことか。
「あーーー、めんどくせえ。めんどくせえ、けど……」
パンッ、と両手で頬を叩く。
「負けたまんまってのも男じゃねえ。絶対に弁償させてやる」
既に行動が決まった事に、後から自分を納得させるための理由を付け足す。やはりバルクは真面目な不器用、『不器真面目』なのだ。
*
ユリアたちの場所はすぐに分かった。こればかりはバルクの情報網のおかげといっていいだろう。この地に生まれ、そして育ったバルクは家が街人気の酒場なこともあって顔が広い。果物屋から肉屋、武器屋から魔道具屋、しまいには炭鉱夫まで、すべて合わせれば街の情報全てが集められるだろう。何より、ユリアの容姿が特徴的なのが助かった。どうやらフードを被っていたようだが、ボロボロのフードを日中から被る人物はそうそういない。やはりあの姿は逆に目立ってしまっているようだ。
そんなこんなでバルクはユリアたちの居場所を突き止めた。野盗達は街はずれの廃墟を根城にしているらしく、話通りユリアの姿もそこにあった。
夜も深くなり、夜店も閉まり始めている。街からも遠ざかっていることもあり、月明かりのみが薄く荒野を照らす。
野盗達は廃墟の中で火を囲みながら酒を飲み、盗んできたであろう食料を食い漁っている。見張り番も酔いつぶれているようで、警備はザル。目的のユリアはというと野盗の輪から外れ、廃墟の外で一人黄昏ていた。黒い瞳に月を映すユリアに一瞬気を取られそうになったが、ここは敵の本拠地。周りの人間に悟られないよう近づいていく。
「よお、何やってんだ?」
「ッ!?」
突然話しかけられたことに驚いたようで、腰かけていた石垣から飛び上がる。多少、裏切られた腹いせに驚かしてやろうといういたずら心はあったが、まさかここまで過剰に反応するとは。
周りに悟られていないかと心配になるが、どうやらまだ気づかれていないらしい。ホッと胸を撫で下ろしつつ、余計なことはするものではないと深く反省を心に刻んだ。
ユリアの顔も驚きから警戒の表情、そしてもう一度目を丸くした後、すぐにいつもの冷たい目に戻る。この短い間に見慣れた人を見下すときの目だ。
「アナタ、馬鹿なんですか。私、帰れって言ったつもりでしたが、余程の死にたがりみたいですね」
「ああ、だから帰ってやったぜ。帰って木刀持ってきた」
腰に下げていた木剣を手に取り、自慢げに振り回す。自慢の愛剣と自身の技量を軽く披露したつもりだったが、ユリアの表情がより険しくなる。
「猿以下に期待した私の失態です、情けをかけるべきではありませんでした」
「へいへい、お情けゴチです。……兎にも角にも、俺はお前を連れ帰んなきゃいけねえんだよ」
深々とため息をつくユリア。いったい誰のせいでこうなったと思っているのか。俺だって好きでやっているわけではない。
「ほら、帰るぞ」
彼女の態度は気に入らないが、目的は果たさねばなるまい。ぶっきらぼうに手を差し伸べる。
「何のつもりです? まさか、私が本気で家族だと?」
「知るかよ。俺は良くても、ルドウィック達が許さねえんだよ」
「なら、あの能天気な二人に伝えておいて。つまらない茶番にこれ以上巻き込まないでって」
「お前……!」
思わずユリアに掴みかかる。自分が馬鹿にされたわけでもないのに、どうにもこめかみが熱くなる。
「何?」
掴むバルクの腕を振り落とそうとするユリア。だがバルクの手はユリアの腕を握ったままさらに強く握りしめる。
「痛ッ……」
ユリアの声にふと我に返り、力を緩める。何を熱くなっているんだと反省しつつ、ユリアに向き直る。だが、彼女はフードを深く被ったまま目を合わせようとしない。
「悪かったわよ」
珍しく素直に謝罪を口にするユリア。外套に隠れた腕が微かに震えているようにも見えた。
「せめて、どこか行くにしてもせめてあいつらに別れの言葉ぐらい言ってやれよ。あれでも心配してんだぜ?」
「でも私は……」
「最後に顔ぐらい見せてやれってんだよ。世話になったんだろうが」
一度家に帰った時に見たルドウィックとカーラの様子を思い出す。新しい家族の歓迎会だと言ってウキウキで御馳走を作り、せっせとサプライズパーティーの準備をしていた二人。何も言わずに二人の前から去るなんてあんまりではないか。
「……分かりました。直接言えばアナタは納得するんでしょう?」
「そういう言い方はやめろよ。俺にじゃなくて、アイツらのために言ってくれ」
わざわざ棘の引っかかる言い方をするユリア。しかし、けじめをつけさせるためにもここで彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。
「それにしても、アナタ本当に身一つでここまで来たんですか?」
「だから身一つじゃねえよ。木刀持ってきたつったろ。俺の愛剣、アスカロンだ」
自慢の木剣をこれ見よがしに見せつける。その様子にユリアは再び深い息を吐いた。
「馬鹿もここまでくれば哀れみを感じます。よく今まで人の社会に溶け込めていましたね」
「人を異常者みたいに言うんじゃねえ。お前も人の事言えねえだろ」
「その剣見せてください」
「人の話を聞けよ!」
ユリアの要望通り、木剣を渡すバルク。木材から彫ったこの剣は当時のバルクにとっては渾身の力作であったのだが、流石に今となってはアラが目立つ。そうまじまじと他人に見られるのはかなり気恥ずかしい。
「見かけによらず、手先が器用なんですね」
「それは皮肉かよ」
抑揚無く無表情のまま賞賛を述べるユリア。短い付き合いだが、彼女が素直に他人を褒めることをするような人物でないことは分かる。彼女が賞賛を口にするとすればそれは皮肉か嫌味の類だろう。
「私はアナタではなく、技術を褒めたんです。何を勘違いしてるんですか」
「……」
褒めてくれたのは本当のようだが、どうにも素直に喜べない。喜んだら負けな気がする。
「この剣、モデルとかあるんですか?」
「英雄〈アルトリウス・ガイウス〉の聖剣だよ。救国の大英雄の」
五十年前の実在した大英雄。アストレイアの国民で知らない者はいないだろうと端的に説明したが、彼女は「ふーん」と剣を眺めて聞き流している。まさか知らないのか。本当ならここで彼女にガイウス物語を熱く何時間も語りたいところだが、流石にそうはいかない。
「もういいだろ、返せよ。他の奴らに気づかれる前にさっさと帰ろうぜ」
返却を要求するバルク。だが、ユリアは剣を離さず、そのまま一歩下がった。
「は?」
「いえ、その必要はありません。もう役目は果たしましたから」
「ぶッ───」
後頭部に鈍い衝撃が走る。ふらつく足。鼻に抜ける血の匂い。ゴム玉のように脳内で弾む振動に耐え切れず、思わず片膝をついて倒れた。
「あれえ? なんで、たおれて、ない?」
「馬鹿、酔っぱらって手元がぶれてんだよお。可哀そうに。中途半端に生殺しだぜ」
いつの間にかバルクの背後には野党が二人、バルクを殴ったと思われる酒太りの男の手にはその凶器である棍棒が握られていた。それだけではない。気が付けば根城にいた野盗達全員がバルク達を、いや、バルクを囲っていた。
「飛んで火に入る夏の虫とは正にこのことさね。死んでも治んないんだ、恨むならアンタの筋金入りの馬鹿を恨みな」
頭領と思われる赤毛の女が笑みを浮かべながら姿を現す。どうやらまたもやハメられたらしい。
二度目の裏切り。二度目の死の予感。他の助けも無い夜深の荒野で、瀕死の獲物を囲う野獣たち。自身の軽率な行いを反省する余裕すら、今のバルクにはなかった。
*
赤く染まる視界。小刻みに震える手足。体が芯から冷えていく感覚に自身の死を予感する。周囲は敵に囲まれ、完全に孤立。持ってきた愛剣もユリアに奪われ、抵抗のすべもない。少しでも回復しようと呼吸を整えるが、はたしてその時間は与えてもらえるのだろうか。
「アンタ、あのバードリックバーの嫡子なんだって?」
女の声が耳に木霊する。自身の素性がバレていることに、背筋を別の悪寒が過る。
「棚から牡丹餅とは正にこのこと、アンタをダシにすりゃあの店からガッポガポよ」
どこからバレたのか、考えるまでも無い。漏洩元はユリアで間違いないだろう。ますます窮地に陥る。人の悪意に鈍感な、あの二人にだけは迷惑をかけたくない。
何とか状況を打開する術を探し出そうと、二重にぼやける視界で辺りを見渡す。一人離れて立つユリアと目が合うが、すぐに目を背けられた。
「ユリア、てめえ何で、そんな奴らとつるんでんだよ……」
分からない。俺には彼女のことが分からない。
初めて会った時のことを思い出す。黒曜石のように深く、鋭い瞳。彼女の清廉さを映した白髪。あの時見た彼女から感じた芯、まっすぐに向けられた美しいとすら感じた敵意が、今の彼女からは感じられない。あの時の剝き出しの彼女ならば決してこんな奴らとつるむような真似はしない。
「……何も、私はただ強い方に付いているだけです。アナタより、彼等のほうがよほど強くて有益だというだけ」
静かに、端的に、そして迷わず、彼女はそう言い切った。
「ダハハハハ、聞いたかよ! ガキ、てめえ雑魚だってよ! ひっでえ!」
「容赦ねえな!」
男達が腹を抱えて笑い出す。嘲る声がバルクの耳に響く。
「そういう事だ。アンタも大人しく諦めな。身代金をしっかり頂いたらみ身ぐるみ剥いで半殺しで許してやるよ。せいぜい良い声で鳴きな」
獲物を前に舌なめずりする野盗達。体のいい案山子を見つけたのをいいことに使い潰す気でいる。
「ジャアまずはオレからァ!」
鎌を持った男がバルクの背中に切りかかる。四つん這いに倒れたままのバルク。しかし次の瞬間、バルクの後ろ蹴りが男の顔を穿った。
「コイツ……ッ!」
「ただでやられるか馬鹿が! 生け捕りなんて舐めたこと考えてんじゃねえ、殺す気で来やがれ!」
堂々と啖呵を切る。この場を乗り切る自信があるわけではない。大声で自身を鼓舞せねば、今にも膝が笑い出してしまいそうなのだ。
「おらァッ!」
怒りに任せて殴りかかってくる大男、その拳を間一髪で避けて反撃。膝横を蹴り飛ばすが、倒れる巨漢に止めを刺す余裕はない。次の刺客が短刀を手に襲い掛かってくる。
幸い、相手の頭に血が上っていることと、こちらが丸腰ということもあり、相手は容易に踏み込み、安直に攻撃を仕掛けてくれる。単調な分、動きは読みやすいがそれでも手数が違う。
「ぐッ……」
棍棒の一撃が横凪に頭を打つ。何とか反撃するも、またもや視界が揺れる。反応が遅れ別方向からの攻撃がバルクの頬を掠める。
徐々に削られていくバルクの体。まだ半分以上敵が残っているというのに、既に限界が近い。
「くそったれ……」
続けざまに来る敵の群れ。回らない頭で尚も打開策を探しつつ、バルクは軋む拳を構え直す。
「ユリア、アンタもやるんだよ」
「え」
「アンタのこと、許したとは一言も言ってないよ。誠意を見せな」
「ユリア……」
「……」
木刀を握り、バルクを見据えるユリア。周囲の圧に押されるまま、ユリアはそのその切っ先をバルクに向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます