第四章 貧乏クジはいつも俺
「……やらかした……」
物言わぬ目覚まし時計を両手でガッチリと掴みながら、それが示す時刻を見つめる。
時刻は陽刻三時。始業のベルはとっくに鳴っている時間だ。
「遅刻どころじゃねぇな……」
まだ霧がかかった脳内で状況判断に努めるバルク。とりあえず起きなければと階段を下ると、下の階から物音が聞こえてきた。
「ルドウィック、お前起きてたなら声かけてくれよ」
半ばイライラしながらバルクは踊場から顔を出す。
いつも俺が起こしてやっているのだから、たまには逆に起こしてくれても良いじゃないか。
文句の一つでも言ってやろうかと下の階にいるであろう人物の姿を探す。
「──起きて早々不平不満とは、良いご身分ですね」
瞬間、全身の血流が早まる。
聞いたことがない女性の声。おかしい、ここに女性なんていないはず。
慌てて声がした方向を見る。そこにいたのはデッキブラシ片手に、給仕服姿でこちらを見上げる少女。揺れる短めの白髪と黒い瞳。その上から見下すような目には見覚えがある。
「お前、あの時の!」
「おーう、寝坊助さんめ、ようやく起きやがったか。あ、嬢ちゃんこれ頼むわ」
バルクの驚きもそのまま、頭をボリボリと掻きながら視界に現れたルドウィックはまるで当たり前のように目の前の少女に雑巾を渡し、机を拭くよう指示を出した。
「え?」
ルドウィックに言われた通り、そそくさとテーブルを拭いていく少女。その様子にバルクは呆気に取られる。
「おはようバルちゃん。よく寝れた?」
「カ、カーラ、これって……」
「あら、早速ありがとう。初日からごめんなさいね」
理解不能の状況を前に助けを求めるバルク。しかしそのバルクの意図には気づく事は無く、カーラも謎の少女に当たり前のように接し、頭を撫で回す。
──どうやら自分だけがこの状況に取り残されているらしい。
*
「──と、いう事で、私たちに家族が一人、増える事になりました‼」
「まてまてまて待て! 全ッ然わっかんねぇ!」
パチパチパチ、と喜びの拍手を叩くカーラとルドウィック。しかし説明が雑すぎて全く理解できない。家族? この女の事だろうか。まさかカーラが身籠ったわけではあるまい。
そもそも昨日、あの後夜まで少女の目が覚めなかったから明日ゆっくり処置について話し合おうという事になっていたはずだ。それが朝起きてみれば当たり前のように家族の一員として組み込まれている。一晩寝てる間に何があったというのだ。
「そもそもお前、誰なんだよ。俺はまだ名前も聞いてねぇんだぞ」
ひとまず話し合おうと全員で席に着く。勝手に話が進んでいるようだが、こちらは彼女の名前すら知らないのだ。
「あら、そういえば聞いてなかったわね」
そんな初歩的なことも聞いていなかったのか、とガックリするバルク。カーラは真面目で優しいが、抜けてるところが多すぎて心配になる。
「……ユリア。ユリア・ユスティアーノ」
ぼそり、と少女が呟く。少し低めの、冬の冷気のような質感を帯びていた。
「オレはルドウィック・バードリック」
「同じく私はカーラ・バードリック」
「よろしくゥ!」
「よろしくお願いします!」
阿吽の呼吸と言うべきか、二人揃って完璧で独特なポージングで挨拶を済ませるルドウィックとカーラ。そして、二人の目線がバルクに向けられる。
「……」
「ほら、バルちゃんも!」
「もう名前言ってんじゃねぇか!」
自分の口で言わなきゃダメよ、と急かせるカーラ。警戒と威嚇のため身構えていたバルクも流石に押し負ける。
「バルク・バードリックだ。……よろしくな」
「……ふん」
「お前今笑っただろ」
小さく、しかし明らかにバルクを見下した嘲笑を見せるユリア。品定めをするかのような彼女の目が解かれたが、その代わりにバルクを見る目が舐め切ったそれに切り替わっている。
「で、何でコイツが──」
「ユリアちゃん」
「コイツ──」
「ユ・リ・アちゃん!」
何度もカーラに訂正されて流石に言い淀む。どうしても名前を呼ばせたいらしい。
「……ユリアは何であんなところで倒れてたんだよ?」
咳払いで調子を整え、会話を主題に持っていく。
「それがユリアちゃん、覚えてないらしいの」
「何でカーラが答えるんだよ……」
またもや出鼻を挫かれる。まるで自分だけが前がかりになっているようで恥ずかしさすら感じてきた。実際はカーラ達に緊張感が無さすぎるだけなのだが。
「って言うか、覚えてねえってどういうことだよ。記憶喪失か?」
考えてみればボロ雑巾のような姿で草まみれの状態で行き倒れていたのだ。そうなっていてもおかしくはないのかもしれないが、信じるには彼女の態度が怪しすぎる。
「そもそも記憶喪失って、隠し事の常套手段だろ。何で簡単に信じちゃうかなぁ」
「そんなこと言って、連れてきたのはバルちゃんじゃない」
「ぐっ……」
ひそひそ声で話すも、痛いところを突かれた。確かに後先考えずに連れてきたのは俺だ。
「大丈夫、隠さなくてもいいわ。運命、感じちゃったんでしょう?」
「なぁ……⁉」
「恥ずかしがること無いわ。私とダーリンだって、一目惚れから始まったのよ」
「そう、出会いは突然に、けれど必然に。「二人を結ぶ糸は前世から、淀み無く解れ無く、性差の壁で途切れはしない!!」」
「ああ、ハニー。僕は君に会うために生まれてきたんだ」
「私もよ、ダーリン……!」
「他所でやってくんねえかな、頼むから」
二人そろっていつもの口上とともに熱い視線を注ぎ合う二人。こうなってしまってはしばらくは帰ってこない。会議の続行は諦めたほうが賢明だろう。
「はぁ……。まぁどうでも良いけどさ。オレがどうこう言える立場じゃねぇしよ」
「ムムッ、バルクそれはどう言う意味だ」
ため息混じりに吐き捨てるバルク。だが、それがルドウィックの気に触れたようだ。
「言った通りだよ。血が繋がってないことなんて、今更確認するまでもねぇだろ。他人の家に口出す権利なんざねぇよ」
「なんて事を……」
よよよ、と泣き始めるカーラ。それをルドウィックが熱く抱きしめる。
「私の育て方が悪かったのかしら……。やっぱり男二人で育てちゃったから……」
「そんな事ないさマイハニー。ただの反抗期、立派に育っている証拠だよ。ありがとう、君のおかげだ……!」
「あなた……!」
「ほんっとに頼むから他所でやってくんねぇかな」
もう何百回と毎日のように見たこのやり取り。マンネリ化した光景にうんざりとしながらバルクは部屋を出ようとする。
「あ、待てバルク! 新しく家族になるユリアちゃんにこの街を案内してあげなさいっ!」
「はぁ⁉」
カーラを抱きしめたままバルクに街の案内役を命じるルドウィック。部屋に戻って休もうとしていたバルクは不満を露わにする。
「どーせこの後クッチャネするだけなんでしょ! 学校サボっちゃったんだから、街案内ぐらいしてあげなさい!」
「なっ、確かにそうかもしんねえけどよ……」
ぶっちゃけとてつもなく面倒くさかったが、学校を休んだと言う罪悪感がちくちくと胸に刺さる。
「あーもう、わぁったよ」
少し悩んだ挙句、半ばヤケクソに返答する。
そう言われたら断れないではないか。バルクの正義感がサボった自分を肯定しようと言い訳を求めてしまっている。この空虚感は仕事でしか埋められないだろう。
そう、バルクは不器用に真面目、略して『不器真面目』なのだ。
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