第二章 バルク・バードリック



バルク・バードリックは〈王立ルシドニア騎士学院〉に通う二年生である。


 年齢は十四歳。保護者であるルドウィックと彼の酒場〈バードリック・バー〉でルドウィックのパートナーであるカーラともに三人で暮らしている。


 彼の生涯を説明するにはそれこそ十四年の時を要するが、その全貌を知る者は誰一人としていない。それはバルク本人もそうだった。


 聞いた話によると、自分は捨て子らしい。


 秋の終わり、息も白くなるような凍える雨の日に、幼いバルクは裏路地で拾われた。


 別にダーリントンでは珍しいことではない。今も多くの捨て子や身寄りのない浮浪児達が徒党を組み、彼らなりに生き抜こうと足掻いているのが自分の育った街なのだ。拾われただけ幸運というものだろう。


 だが、そのことをルドウィックはバルクが学院に入学した日にあっけらかんと言って見せた。


 きっかけは単なる疑問だった。普通、男と女の間から子供は生まれる。だが、ルドウィックはもちろん男だし、一見女性らしいカーラも実は男。同性夫婦だったのだ。ならば自分はどうやって生まれたのだろう? まさかコウノトリが運んできたわけではあるまい。


 そのことを何の気なしに聞くと、何の気なしに「お前は俺たちが拾ってきた子だからな」と返されたのだ。


 どうやらキャベツ畑の方だったらしい。


 その事実は、当時の幼いバルクにとってあまりに残酷なものであった。


 国内屈指の難関学校〈ルシドニア騎士学院〉に三位の特待生として入学し、新しい世界へ踏み入れようという高揚感。両親への感謝と自慢。その想いを挫くかのように設置された地雷によって、彼の学園生活は茨の道へと変わった。


 結論から言うと、バルクは華の学院生活で孤立するようになってしまったのだ。


 ルドウィックやカーラとの付き合い方が分からなくなってしまい、ぎくしゃくする毎日。二人とも自分のことを本当の子供のように接してくれているのは分かっているが、自分は二人の子供でないことを知ってしまった。まあいいか、で済ませられるほどバルクはまだ成熟していなかったし、真面目過ぎる性分もその一因だった。


 今まで気にも留めていなかった二人との齟齬が、生活の中でたまに感じていた認識の違いが、嫌な説得力を持ってバルクに降りかかる。バルクにはそれが耐えられなかったのだ。


 家庭がそんな状況で学校生活が上手くいくはずもなく、また〈ルシドニア騎士学院〉は貴族の子供達が多く通う学院であるため、親から寵愛を受けた子供が多い。そんな子供達との隔絶した距離感、平民出身で捨て子という劣等感からバルクは友人を作ることができず、学業も振るわずで孤立していくようになったのだ。  



       *



 「──このようにして、ロロはその生涯を〈七大陸周遊記〉として記し〈三賢〉として歴史に名を残す偉人となった。この文献により──」


 今日の午前の授業は座学だ。入学から三年間は基礎教養として様々な分野の教育が学科問わずで皆等しく受けさせられる。今はグレイストン先生による歴史の授業が行われているが、真面目に聞いている生徒は少ない。


 そもそも歴史の授業自体熱心に聞く生徒は少ないのだが、グレイストンは陰湿な先生であり、気に入らない生徒に対してネチネチと嫌味を言うことが多いため、あまり生徒から好かれていないのだ。


 前だけ向いて聞いているフリをする者、うつ伏せになって寝る者、ヒソヒソと友達と会話する者、紙に落書きをしている者、皆それぞれ時間を潰していた。


 「──?」


 不意に、後頭部に軽い衝撃を受ける。落ちたそれを拾うと、くしゃくしゃに丸められた紙だった。広げてみると、そこには『劣等生。下民は去れ。娼婦の子供』という書込みとともに、犬に股間を食べられて悲鳴をあげている自分の絵が描かれていた。後ろの方の席からはひそひそと笑い声が聞こえる。


 そう、二年目の学生生活、バルクは早々にして孤高の存在からいじめの対象へと変貌を遂げていたのだ。


 理由はバルクにも分からない。だが学生達がそれぞれグループを作り、居場所を形成していく中で未だに一人孤立したバルクは周りから見れば不審な存在で、不満のはけ口に最適だったのだろう。いじめの理由なんて、そんなもので十分なのかもしれない。


 「……何だよ」


 立ち上がり、先程の紙を投げてきたと思われる男の元へ歩み寄る。すると男が不機嫌そうに声を上げた。


 「戻れよ。授業中だぜ?」


 何も言わずに近づいていくバルク。無言の圧に男は気押される。


 「せんせー! バルク君が授業中に立ってま──」


 ゴッ……と鈍い音が響く。男が椅子から転げ落ちてうずくまり、バルクは拳を握り鬼の形相でその男を睨みつけていた。


 「せ、先生! バルク君がエルド君を殴りました!」


 女生徒の悲鳴が聞こえる。慌てて駆け寄る先生。恐怖と忌避、嫌悪を孕んだ他生徒達の視線。


 こうして、二年生になったバルクは早々にして、貴族達の学校で不良として名を馳せることになったのである。



            *



 「やっぱり、親がいないって話本当だったんだ」


 「入学早々上級生の頭かち割ったって話も本当っぽいな」


 「親がいないからあんな乱暴になったのかな」


 「いや、そもそもアイツの出身てダーリントンだろ? 貧民街出身ならそりゃあんな凶暴にもなるさ」


 「自分が退学になってもいいからって、他人にまで迷惑かけんなよな」


 学院ではバルクの話題で持ちきりだった。勿論、悪い意味で。元々噂の種はそこら中にばら撒かれていたが、今回の事件で芽吹いてしまったと言ったところだろうか。


 流石に居心地が悪くなったバルクは人通りの少ない裏庭の端に避難し、半ば放心状態でパンを齧っていた。


 やってしまった。ついカッとなって手が出てしまった。後悔が浮かんでは消えていく。すぐに感情的になるのは自分の悪い癖だと分かっているのに、ここ最近はより頭に血が上りやすくなっている気がする。


 もう彼らの輪に入れないのは確実だろう。この先、まだ八年以上ある学生生活のことを考えると頭が痛くなる。


 「二人になんて言えばいいんだよ……」


 ぼそり、と心が漏れた。


 「──問題児さんはこんなところで一人食事かい?」


 ふと、声をかけられて振り返る。今の弱音が聞こえてないかと焦るが、どうやら聞かれていないようだ。


 一瞬女性の声かと聞き間違えるほど透き通った美声。だが、声の主は男だ。


 男にしては少し長めの髪は美しい金髪で、癖っ毛気味だがその赤い瞳と良く合っている。肌は透明感を感じるほど白く、服装はきちっと整えられた、まるで貴族の象徴かのような出立をしていた。


 いや、『まるで』という表現は間違いかもしれない。彼はまさしく貴族の代表、この国の王族の分家に当たる〈ヴァーミリオン家〉の御子息なのだから。


 名前は確か『レオポルド・フォン・ヴァーミリオン』。バルクと同じ特待生、しかも一位で入学したエリート中のエリートだ。


 「……またお前かよ」


 彼とは教室も違うため接点は無いはずだが、たまに話しかけにくるのだ。優等生故に自分のような落ちこぼれのことも気にかけてくれているのだろうが、点数稼ぎに使われているような気がして、あまりいい気はしない。何より上っ面な態度が気に食わない。


 「あっち行けよ。俺は貴族サマとはソリが合わないんだ」


 「そんなこと言うなよ。これでも僕はキミが心配で様子を見にきたんだからさ」


 まったく、手がかかる。と言いたげに彼は肩をすくめる。


 正直、俺はこいつが苦手だ。絵に描いたような優等生で、先生達からの評価もよく、それでいて友達も多く、人望が厚い。彼の周りにはいつも人だかりができていた。バルクとは似ても似つかないし、まるで存在自体が自分を戒めるためにあるかのようで、幼稚な表現をするとシンプルに目障りなヤツだった。


 「ここは俺の領地なんだよ。たとえ王サマでも不法侵入は許さねえ」


 「分かったよ。僕も別にキミのちっぽけな小山を奪いにきたわけじゃない。邪魔をしてしまったようなら大人しく引き下がるさ」


 そう言うと彼は笑いながら手を振り去っていった。颯爽と歩く彼の後には星がキラキラと瞬いているような幻覚さえ見える。そしてバルクと離れてすぐ、もう彼の周り

にはその星に惹かれるように人だかりができている。


 「本当に何しに来たんだ、アイツ……」


 優等生のよくわからない行動に困惑しつつ、バルクはまたパンを貪り始めるのだった。



            *



 「それではこれより、剣術模擬試合を始めるッ!」


 午後の授業は〈騎士道学〉。その中でも人気な剣術の時間だった。


 模擬試合では教官に指定された内容で一対一、もしくは複数人でチームを作って競い合うのだが、今回は剣術に限定されている。


 教官の指示と共に始められる模擬試合。バルクと対戦相手は互いに木剣を構え合う。


 相手は同じクラスの……誰だったか。こちらを見るなりへらへらと笑っているが、名前が思い出せない。長身で丸眼鏡をかけたパッとしない男、という印象だ。


 「それでは、──始めッ!」


 号令と共に目の前の男が動く。


 瞬間、バルクの目に激痛が走った。


 相手の男が握りしめていた砂をバルクの顔に投げ付けたのだ。当然、剣術の鍛錬を目的としたこの試合では違反行為だ。教官が止めに入ろうとするが、もう遅い。

 「お前みたいな不良は、このウィッセルが成敗する!」


 しめた! と言わんばかりに木剣を掲げ、一直線に突っ込んでくる対戦相手。しかし直後にその体が浮き上がる。


 「かッ……⁉」


 バルクの鋭い前蹴りが腹部に差し込まれたのだ。続けて力強い右ストレートが顔面を貫く。吹き飛び、堪らず倒れ込む相手、しかしそれでもバルクは追撃を止めようとしない。馬乗りになり、左手で首を掴み、右拳を握り締めて振り上げる。そしてそのまま拳を振り下ろして──、


 「そこまでだ!」


 教官の静止の声がかかる。見ていた他の生徒たちも恐怖の目をこちらに向けていた。


 「やめろと言っている!」


 尚も左手で相手の首を絞め続けていたバルク。

 今度は教官の拳がバルクの顔面を穿つのだった。



            *



 「どうしてウィッセルを殴った。剣術試合と言ったはずだ」


 オレンジの夕日が差し込み、うっすらと室内の埃を照らす。息苦しさすら感じるほど狭い教官室に、バルクと教官は押し込まれていた。


 教官の責めを含んだ問いに目を背けたまま黙り続けるバルク。先に教官が痺れを切らして机を叩く。


 「答えろと言っているんだ!」


 「……なんで規則を破ったヤツに規則を守りながら戦わなきゃいけないんですか」


 目を背けたまま質問とも抗議とも、それともただの悪態ともつかぬ言葉を漏らすように口にするバルク。そんな彼に、教官もため息をついた。


 「仮にも騎士を目指すならば正々堂々、例え相手が無法だとしても正当に立ち向かわねばならん」


 「……」


 「とにかく、ここで学ぶと言うのであれば、私の指示を絶対遵守しろ!」


 「……」


 「どうしてお前はそんなに協調性が無いのだ。そんなではお前の両親も悲しむぞ」

 「返事ぐらいせんか!」


 「……はい」


 はぁ、ともう一度わざとらしく教官はため息を吐く。押しても引いても特に反応のないバルクに諦めたのか、いつものように反省の言葉を復唱させられると、バルクは指導室からつまみ出された。


「二度とこんな所に来るんじゃないぞ。二人で入るのは窮屈で堪らんのだ」


 首元を緩めながら、手で「あっちいけ」と指図する教官。先程と同じく無視を決め込んだまま、バルクはその場を後にする。


 ───きっとガイウスなら、やられたばっかりではいない。必ずやり返し、勝利してみせる。だから、俺だって……


 逡巡する想い。憧れの名を口にしながら、バルクはわざとらしく音を立てて廊下を歩いていった。



            *



 長い説教が終わり、教室へ続く廊下を渡る。教官は説教好きだが、下手に反応せず黙り込んでいればすぐに解放される。これがこの一年間で身につけた最速の指導室脱出法だ。


 ───それはそれとして、教室から、廊下から、人々の目線がバルクに刺さる。

 理由は分かっている。新学年早々、一日に二度も暴力沙汰を起こしているのだ。学生の噂の伝達能力を舐めてはならない。半日あれば全生徒が知っているほどに広まるだろう。ましてやバルクは元々危険分子扱いされていたのだ。根っこのある悪い噂は尚更すぐに広がる。


 「君さぁ、ほんっと空気読めないよね」


 教室の席に着いて早々、ざわめく教室の中、先程の試合の相手であるウィッセルが数人の仲間を連れてバルクに突っかかってきた。


 「あのさぁ、剣術模擬試合の意味、分かってる? ムキになって殴ったり蹴ったり、騎士の風上にもおけないよね」


 「そもそも、平民の分際でボクたち貴族を殴るって、おかしいことなんだよ? 誰のお金で君ら平民が食えてると思ってるんだよ」


 「常識が無いよね、コイツ」


 「そりゃそうだろ。だってコイツ、親居ないんだもんな」


 「聞いたぜ、お前の母ちゃん強姦されて殺されたって」


 「え、風俗で親父と心中したんじゃなかったっけ? ゴールドバレーに真っ逆さまって」


 「お前、流石にそれは盛りすぎだって」


 「アハハハハハ───」


 「──ッぬぅ!」


 笑い声を遮るように、再び鋭い右ストレートがウィッセルの頬を砕いた。





 全身傷だらけで一人、帰路に着く。赤い夕陽が差し込むダーリントンの路地。朝の賑やかさとは対照的に、静かに裏路地の住民が活動を始める。夜の炭坑に向かう子供達、夜の店を開こうとする商人たち。落魄れた街の顔は夜に現れる。


 この街が嫌いだ。まるで仮面をかぶっているようで、誰もが夜の顔に触れないように振る舞って、見て見ぬ振りをする。そんな、現実味の無い街が嫌いだ。


 学校が嫌いだ。集団を作って、格付けをして、その集団に入れなかった者が虐げられる。将来の権力と地位に媚を売る場所が嫌いだ。


 両親が嫌いだ。自分をこんな場所に放置して、記憶にすら残さず消えた、そのくせしていつまでも自分の人生に付き纏ってくる無責任な存在が嫌いだ。


 自分が嫌いだ。いつまでも下らないことを気にして、縛り付けられて、すぐに感情的になる短絡的な性格が大嫌いだ。


 十四年間、嫌いなものに囲まれた、嫌いなものばかりの人生。嫌いな者の人生。

 だが、そんなバルクにとって夜の酒場は彼の数少ない好きなものの一つだった。義両親であるルドウィックとカーラの二人で営む酒場。


 毎日炭鉱の仕事終わりに汗臭い常連客がここに集まり、仕事の疲れを癒していく。


 交わされる会話は仕事の話や商売、経済の話に所帯の話、くだらない下世話な話まで。内容こそ難しくて理解できないような話も多いが、自分もその大人の空間の一部になれている気がして誇らしかったし、絡みはうっとおしいが、ここではみんなが自分を対等に見てくれていた。


 だから、バルクにとって、ここは確かにかけがえのない居場所なのだ。きっと、騎士になった後もここの運営には携わっていくだろう。数少ないこの好ましい景色を絶やさないために。


 「おいバルクぅ、おめぇまだ毛ェ生えてねぇってまじかよ! ちょっとおじさんにも見せてみろ!」


 「やめろこのスケベジジイ!」


 ズボンを引っ張り下ろそうとする自称紳士達。


 訂正、やはりこの酔いどれ共は嫌いかもしれない。



 *



 夜、寝床についたバルクは枕元の小さな灯りをつけ、一冊の本を手に取る。


 表紙はボロボロに禿げ、ページも薄汚れて所々破れてはいるが、その度に不器用ながら修繕した跡がある。


 本のタイトルは〈アルトリウス・ガイウス英雄伝〉。


 かつて国を救った救国の大英雄。騎士の中の騎士。今も昔も、バルクの生きる指針となり続けている英雄の伝記だ。


 初めてこの本の内容を知ったのは、幼い頃にカーラに読み聞かされた時のことだ。その時の衝撃は今でも覚えている。


 今より貴族と平民との差が大きかった時代に捨て子から騎士に成り上がり、英雄として国を二分する大戦争を終結させ、さらに黒龍による国の滅亡の危機を退けた大英雄。


 魔法は使わず、ただその身と剣一本で天下無双の覇王となった男。


 そのあまりの英雄としての魅力にバルクは強く魅せられた。


 いつか、自分もそんなふうになりたいと思った。その想いは自分が捨て子と知ってからより強くなり、今は確固たる目標としてバルクの前にあった。


 今日もバルクはこの本を抱いて寝る。


 彼の原点と目標を抱いて、忘れてしまわないように。


 大切なことだから、間違えてしまわないように。

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