- 18 - 心に突き刺さった棘
大勢の人々が、罵声を張り上げている。
男も女も、子供も大人も老人も、そこには村中の人々が集結していた。そして皆、聞くに堪えない暴言を放っていた。
その標的は、たったひとりの少女だった。
化け物、怪物、死ね、消え去れ、二度と来るな……村人達が絶え間なく罵詈雑言を浴びせかけてくる中、少女はそれを背に受けながら、ただ黙って俯きながら歩いていく。
いつからこんなに嫌われていたのかは、覚えていない。
生まれてから数年しか経っていなかった頃、彼女を集団でいじめてきた悪い子供達全員を、念じただけで弾き飛ばしたことがあった。考えてみれば、あれが発端だったのかもしれない。あの出来事から、彼女には得体の知れない力が宿っているという噂が村中に広がり、それがきっかけで村人はおろか、両親すらも彼女を迫害するようになったのかもしれない。
決定的だったのは、村に現れた獣を返り討ちにしたことだ。
村に入り込んだそれは、大きな牙と爪を持つ獣だった。ひとたび暴れれば、村人全員が八つ裂きにされ、喰い殺される最悪の事態が目に浮かぶような――凶悪で獰猛で、見上げるほどに巨大な恐るべき獣だったのだ。
少女は、そんな獣をたったひとりで撃退した。
彼女が有する得体の知れない力は、見えざる刃のように獣の腹部を貫き、たったの一撃で物言わぬ屍に変じさせたのだ。
村人にも家屋にも、貯蔵されていた農作物にも、一切の被害は出なかった。しかし、誰も少女に感謝などしなかった。
彼女がいなければ、村人全員が獣の腹の中だったはずなのに――感謝するどころか、少女の力を恐ろしく感じた村人達は、ついに彼女の追放に打って出た。愚かなことに、命を救われた恩を仇で返したのだ。
暴言を浴びせられても、石を投げつけられて出血しても、少女は一切振り向かず、ただ黙って裸足のまま村を離れた。所持金も食べ物も、持ち物は何もなく、何日も替えていない衣服はボロボロで、見るからに痛々しい姿だった。もちろん、行く当てもなかった。
不思議なことに、何とも思わなかった。
村人や両親に罵倒されても、嫌われても、石を投げつけられても、心はまったく傷つかず、涙も出なかった。ただ、自分は生まれてくるべきじゃなかったのだとだけ思った。
ずっと虐げられてきたせいで、慣れてしまったのかもしれない。それとも根本的に、少女には生まれながらに心というものが欠如していて、ただ何も感じなかっただけなのかもしれない。
だが、今はもう違う。
あの頃のことを思い出すと胸が痛むし、涙が出そうになる。自分を罵倒して石を投げつけ、村から追い出した村人達や、それに加担した両親に対し、怒りと悲しみと、そして大きな恐ろしさを感じる。
幼かった頃は、そんな気持ちを抱いたことは一度もなかった。
自分は、生まれてきてもよかったんだ。
そう感じられるようになった今であるからこそ、芽生えた感情なのかもしれない。
◎ ◎ ◎
「う、っ……」
眩しい。そう感じたルミアーナは、思わず開けたばかりの目を細めた。
自分がベッドに横たわっていることに気づく。続いて、今自分がいる場所がどこかの一室であることを悟った。少し周囲に視線を巡らせてみたが、まったく知らない場所だった。
そばの椅子に座っていた誰か――服装からして侍女であろう若い女性と、視線が重なった。
侍女は目を開けたルミアーナに気づくと、息をのんで部屋の隅にいたもうひとりの侍女を振り向いた。
「副団長を呼んできて、早く!」
「はい!」
指示を受けた侍女が足早に部屋から出ていき、指示を与えた侍女はルミアーナのところへ駆け寄ってきた。
「あなた、大丈夫?」
敵ではないことは薄々感じられた。しかし、見知らぬ女性がいきなり目の前に現れて驚き、ルミアーナは思わずベッドの上で跳ね起きるように身を起こした。
瞬間、左肩を鋭い激痛が走り抜けた。
「うっ!」
痛みに全身を強張らせ、苦悶の声を上げる。
年若い侍女は、そんなルミアーナの背中に優しく触れた。
「動かないで。処置は施したけど、あなたの傷はまだ塞がっていないの……」
「傷……?」
喘ぐような呼吸をしながら、ルミアーナは自らの左肩に恐る恐る触れてみた。そこには何重にも包帯が巻き付けられていた。
さらに、今着ているのが自分の服ではないことに気づく。
ルミアーナが着ていた水色のマントも服も、彼女の身から取り払われていた。代わりに彼女が着ていたのは、足首くらいまでの長さがある白いネグリジェだった。彼女の傷を治すために、誰かが着せてくれたようだった。
ベッドに座り込んだまま、周囲を見渡してみる。
その部屋は、大きな窓から差し込む光に照らされていた。薬品の入った瓶がぎっしりと並んだ棚に、机の上に広げられた専門書……ここは医務室のようだ。ルミアーナが座っている以外にも複数のベッドがあったが、彼女以外に患者は誰もいないようだった。
「エバンさんが……このロヴュソールの騎士団副団長の方が、倒れていたあなたを見つけてここに運んできてくれたのよ」
ルミアーナは目を見開いた。
侍女はどうやら、目の前の少女が彼と、エバンと知り合いであるということを知らないようだった。
彼が……エバンが私をここに? そう思った時だった。
医務室の扉が開き、ひとりの少年が入室する。顔を合わせてすぐに、エバンだと分かった。エバンのほうも、ルミアーナに気づいたようだった。
お互いに、忘れるはずなどなかった。
ラスバル村でともに魔物と戦った、エバンとルミアーナは言わば戦友のような間柄だったのだから。
「彼女の具合は? 傷は大丈夫なのか?」
入室したエバンは、まず侍女にルミアーナのことを尋ねた。
「傷は完全には塞がっていませんが、出血は収まりました」
そこまで報告すると、侍女はエバンのもとに歩み寄り、彼に何かを耳打ちした。
ルミアーナには、彼女がエバンに何を伝えたのかは分からない。しかし、それを聞いたエバンは目を見開き、「間違いないのか?」と尋ねた。侍女はその問いに、神妙な面持ちで頷いた。
気にはなったけれど、ルミアーナは尋ねなかった。
「そうか、分かった。すまないが席を外してもらってもいいか? 彼女と話がしたいんだ」
「分かりました。もし何かあれば、すぐに呼んでください」
侍女がエバンに一礼し、医務室から出ていく。
それを見送ると、エバンはベッドの脇に椅子を置いてそこに腰を下ろし、ルミアーナに向いた。
少しのあいだ、互いに何も言わなかった。
ふたりしかいない医務室に、鳥の鳴き声が響き渡る。
「また会う気がすると君は言っていたが……思ったよりも早かったな」
沈黙を終わらせたのは、エバンのほうだった。
ルミアーナは彼から視線を逸らし、自分の手元を見つめて小さく頷いた。彼女の美しい銀髪が窓から差す光を受け、宝石のように輝いていた。
また会う気がする、ラスバル村での別れ際にルミアーナは彼にたしかにそう言った。しかし、このような形で再会するとは思っていなかった。それはきっと、エバンも同じだろう。
「あなたが、私を見つけてここに運んでくれたの?」
エバンのほうを向かないまま、ルミアーナは問う。侍女がさっき言っていたことだった。
「連れてきたのは俺だが、君を見つけたのはブルックスだよ。お礼を言っておくといい」
「ブルックス? あの子が……」
あの軍馬にブルックスという名を与えたのは、他でもないルミアーナだった。
「無理に訊くつもりはないが、一体何があったんだ? どうして、君はあんなところに……」
言いづらそうに、エバンが問うてくる。
彼が気を遣ってくれていることが、ルミアーナに伝わってきた。
ゆっくりと、ルミアーナはエバンのほうを向いた。彼の眼差しは真剣で、どうしてルミアーナがあんなに深い傷を負うことになったのか、どうしてあそこに倒れ伏すことになったのか、それを打ち明けてほしいという気持ちに溢れているような気がした。
「話せば、長くなるわ」
「長くなっても構わない、教えてくれないか?」
できることなら、思い出したくない出来事だった。
エバンの様子を見れば、無理やり話させる気がないのは明白だった。ルミアーナが拒否すれば、彼は強引に聞き出すような真似はしなかっただろう。
断ることは可能だった。しかし、ルミアーナは打ち明けようと決心した。
エバンからまた視線を逸らし、握り合わせた自分の両手を見つめながら、ルミアーナは口を開いた。
「ラスバル村であなたと別れたあと、私はアヴァロスタ女学院に戻った。そこで……」
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