CHAPTER 2 エバンとガルウィン


「先の戦で多くの兵を失いましたが、国や民への被害はありませんでした。不幸中の幸いといえるでしょう」


 ロヴュソール城内の会議室にて、ガルウィンが報告を行っていた。

 団長たる彼に加え、そこにはエバンも出席しており、さらには国王や宰相、大臣も着席している。国を預かる立場にある者達は、皆一様に神妙な面持ちを浮かべていた。

 夕陽がステンドグラスを通じて差し込み、様々な色に染め上げられた光が幻想的に会議室内を照らしていた。しかし、それに目を向ける者は誰もいない。


「髪長姫を投入されたことが功を奏しましたな、国王陛下……」


 宰相の言葉に小さく頷くと、国王はガルウィンに視線を向けた。


「ガルウィン、アストリアが魔族に魂を売ったというのは確かなのか?」


「間違いございません、陛下」


 頭を下げながら、ガルウィンが応じる。


「私もエバンも、他の兵達も目にしております。魔族が使う忌むべき術……死者の魂を魔物に変える、恐ろしくおぞましい、世の理を根底から崩壊させかねない、禁忌の魔術。さらに連中の鎧には、しっかりとアストリアの国章が刻まれておりました。それが確固たる証拠です」


 受け入れがたい報告だったのだろう、会議室内がざわめく。

 傍らで聞いていたエバンは、唾をのんだ。

 ガルウィンの言葉に、戦場での記憶が頭の中で蘇った。

 鮮血で真紅に染め上げられた戦場で、胸を突き刺された兵も首をはねられた兵も起き上がり、魔物へと姿を変えて迫ってきた。さらにアストリアの兵達はそれを『奇跡』などと褒めそやし、中には歓喜に震えるような者までおり、自分達が仲間を二度殺していることに誰も疑問すら抱いていなかった。

 死者が魔物に変じる光景は、表現できないほどに恐ろしかった。だがそれ以上に、エバンには仲間を魔物に変えても何も感じていないあのアストリア兵達のほうが、より恐ろしく思えていた。

 魔族の術とは、人の心まで蝕んでいくのか……そう感じていた時だった。


「エバン」


「はっ!」


 不意に国王に呼ばれ、エバンは慌てて立ち上がった。

 ガルウィンや他の臣下達からも視線を向けられ、緊張が全身を走り抜けた。会議中に考え事をしてしまい、猛省する。

 気持ちがよそに向いていることを国王に見抜かれた、何を言われるかとエバンは身構えた。


「顔色が優れないように見えるが、大丈夫か?」


 しかし、国王の口から発せられたのは、彼を気遣う言葉だった。


「いえ、大丈夫です」


 取り繕って答えた。

 まだ15歳とはいえ、副団長という立場にある以上、戦場に出た経験は浅くない。

 敵兵を殺害したことだって、エバンには数え切れないほどある。もちろん、ためらいがないわけではなかった。しかし、戦場においては慈悲など無用だ。

 殺さなければ、殺される。さらには、戦いとは無関係な罪のない民衆までもが命を奪われる。兵士ではない非戦闘員だからといって殺されなくても、捕虜にされれば、生き地獄と呼んでも足りないくらいの凄惨な目に遭わされるに違いなかった。

 国を、民を守ることこそ自分の務め。

 その使命を果たすためならば、迷いなく剣を振るう。エバンはいつでも、その想いを胸に戦場へと赴いてきた。


「ただ、申し訳ございません。仲間達の死まで利用するアストリア兵達が、恐ろしく思えてしまいまして」


 国王に対して、自分の気持ちを隠し通すのは無理だと感じた。

 だから、エバンは正直に心境を吐露した。

 あの戦争で多くの仲間を失った。少なくともエバンには、彼らを死の世界から引きずり出して魔物に変じさせ、戦場に突き出すことなどできそうになかった。

 国王は一応の理解を示してくれたらしく、小刻みに頷いた。


「謝ることはない。死者が魔物に変じる光景を目の当たりにすれば、恐怖を覚えるのも当然であろう」


 戦いに出ることには慣れているが、死者が魔物として蘇る光景には慣れていない。

 そんなエバンの心境を鑑み、国王は気遣ってくれていたのだ。


「しかしエバン、そなたには重要な役割がある。魔物との戦いの行方を左右すると言っても過言ではない、そなただけに担うことのできる重要な役割が……この意味は、分かっているな?」


 優しさが感じられた先程までとは打って変わり、国王の言葉には有無を言わせない雰囲気があった。

 エバンは自らに与えられた役割を思い返し、忠誠心と使命感を取り戻した。


「もちろんです、陛下」


 国王だけでなく、ガルウィンや臣下達もエバンに視線を向けていた。

 この場にそぐわないほどに、エバンは若かった。だがそれでも、剣の腕前や国への忠誠心は大人達にも負けていないつもりだった。


「引き続き髪長姫の見張り、さらにはラスバル村の調査の件も……よろしく頼むぞ」


「御意」


 主君たる国王に、エバンは頭を下げて応じた。



  ◎ ◎ ◎



 エバンとガルウィン。

 会議終了後、騎士団のトップとナンバー2である彼らは城の廊下を歩いていた。

 城には多くの人がいるものの、会議室前の廊下は出入りが多くないため、周囲には誰の姿もない。しかし床や支柱はもちろん、飾られた壺や像などの調度品も入念に磨き込まれ、埃のひとつも落ちてはいなかった。時間を見計らって、城の侍女が毎日清掃を行っているのだ。

 ふたりが歩を進めるたびに、彼らの足音が廊下にこだまする。


「エバン、大丈夫か?」


「ああ、平気……」


 自らを気遣うガルウィンの言葉に、エバンは応じた。

 会議中に戦での光景を思い出してしまい、国王に声を掛けられたエバン。もちろん、その様子はガルウィンも見ていた。


「陛下も言っていたが、死者が起き上がって魔物に変わる様子など、誰が目にしても気分のいいものではない。気にするな」


「分かってる」


 エバンは応じた。

 出会った当初こそ、エバンはガルウィンに敬語で話していた。しかしガルウィンが『その必要はない』と言ったので、今のように接していた。

 ガルウィンはエバンより、25歳ほど年上だった。正確な経歴はエバンにも分からないが、少なくとも10年以上は団長を務めており、長きに渡って騎士団をまとめ上げる役割を担ってきているはずだった。

 部下の兵士からの信頼は厚く、エバンにとっても彼は尊敬すべき上官であり、ともに死線をくぐり抜けて来た仲間であり、時に友人と呼べる存在でもあった。

 ――ただ、ひとつだけエバンにはガルウィンに対し、納得できないことがあった。


「これからどうする? もう休むのか?」


「いや、まずは墓標に。命を落とした仲間達を弔いに行く。それから、エルマのところへ行ってくる」


 ガルウィンの質問に、エバンは廊下のどこかを見つめながら応じた。

 すると、ガルウィンの顔に明確に陰りが浮かんだ。それは恐れのような、不快感のような……そんな感情が滲んだ表情だった。


「髪長姫には、くれぐれも気をつけることだ。一歩でも扱いを間違えようものならば、お前まであの娘の餌食になりかねないぞ」


 部下を気遣っての忠告と受け取れるが、明らかに他意が含まれた言葉だった。

 まるで、飢えた猛獣がうろつく檻へ入ろうとする者を見送るかのような言い方である。


「あの、団長……!」


 エバンが歩くのをやめると、ガルウィンも同じように足を止めた。


「戦いの時にもエルマを『大量殺戮兵器』と言っていたけど、どうしてそこまで彼女を嫌うの? 彼女の魔力は恐ろしいかもしれないけど、あの力があってこそ俺達は魔物に立ち向かえるんだよ」


 ガルウィンは答えなかった。エバンに横顔を向けたまま、振り向こうともしない。


「彼女がいなければ、今頃この国は魔物の手で陥落させられていたかもしれないし、それにエルマだって望んであんな力を与えられたわけじゃ……!」


 そこでエバンの言葉は止まる、止められる。

 やはり振り向かずに、ガルウィンが手の平を向けて彼を制したのだ。

 エバンがガルウィンに対し、納得できない唯一のこと。それは、ガルウィンが髪長姫――魔物を蹴散らしたあの少女を大量殺戮兵器と呼び、忌み嫌っていることだった。


「今は、その話をする気分ではない」


 戦争に加えて、会議まで行われたあとだ。

 団長であるとはいえ、ガルウィンもひとりの人間である。疲れを感じていて当然だろう。それを察したエバンは、もう言葉を紡ごうとは思わなかった。

 ガルウィンが彼女を嫌う理由を、エバンはこれまで尋ねたことがあった。しかし、明確な答えが語られたことは一度もない。


「私はもう休む。繰り返すが、髪長姫の扱いにはくれぐれも気をつけろ。ラスバルの村の調査の件もあるだろう、お前も早く用を済ませて休むことだな」


 そう言い残すと、ガルウィンは返事を待たず、エバンを振り切るようにして足早に去っていく。

 廊下に残ったエバンは、窓のほうに視線を向けた。

 夕焼けを背に、天に向かって突き出るようにそびえ立つ塔が見えた。あの塔こそが、これからエバンが向かおうとしている場所だった。





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