BLACK ROSE RAPUNZEL - 黒薔薇のラプンツェル -

虹色冒険書

CHAPTER 1 戦場に煌めく金色の髪


 阿鼻叫喚の戦場だった。

 幾人もの兵士達が入り乱れ、いたるところで激しい剣戟を繰り広げている。勇ましい掛け声に、悲鳴、剣が打ち付けられる金属音に、刃によって人体が切り裂かれる音。そこはまさに、沈黙や情けとは無縁な世界だ。

 すでにかなりの犠牲者が出ており、屍と化した兵はそこら中に倒れている。人体から流れ出た鮮血が、荒野を真紅に染め上げていた。

 殺された兵は、厳しい鍛錬に耐えてきた仲間だった。今朝、とりとめのない会話をして笑い合った友人もいた。その亡骸を抱き起こしたかったが、慈悲の欠片もない戦場においては、死んでいった者達を悼んでいる時間などない。

 絶命した兵士の顔には、苦悶の表情が生々しく刻み込まれていた。命尽きる瞬間まで激痛と苦しみ、それに恐怖に苛まれ続けたことが見て取れる。

 そんな彼らを振り切り、込み上がる感情を胸に押し込めながら、『エバン』は剣を片手に駆けていた。


(アロンド、ラズウェル、ディラン、無駄にはしない……!)


 死んでいった仲間達の名を心中で唱え、悼むこと。それが、この場でエバンができる唯一の手向けだった。もちろん、この戦いが終わったら彼らを丁重に葬るつもりでいた。

 屈強な大男が居並ぶこの場において、エバンの姿は一際浮いていた。

 というのも、周囲の兵士と比べて彼はあまりにも小さく、そして若い。そもそも、齢にしてまだ15歳の彼は、本来ならば戦に赴く年齢ではない。


「続け!」


 右手に握った剣を高く掲げ、後方を振り返りつつエバンは叫んだ。すると、彼につき従う兵士達が勇ましい声を上げて応えた。

 もちろん、エバン以外の兵士は全員が彼よりも大人で、10歳以上も年が離れている者も少なくない。しかし、彼に逆らう者は誰ひとりとしていなかった。

 大人顔負けの剣術の才能、それに兵士達をまとめ上げる統率力を持ち合わせていたエバンは、異例の若さで騎士団の副団長を任されていた。戦に赴く年齢にすら達していないのに騎士団ナンバー2の地位についていた彼は、『神童』や『天才』と評され、団員の兵士達からはもちろん、国からも大きな信頼を勝ち得ていたのだ。

 先頭を切って進軍していたエバンに、数人の敵兵が立ちはだかった。

 しかしエバンはためらいもせず果敢に戦いを挑み、ものの十数秒でその全員を倒し、無力化した。 


「アストリアの兵……!」


 仰向けに倒れた敵兵を見つめ、エバンは呟いた。彼の視線は特に、敵兵の鎧に刻まれた国章に集中していた。剣を握る右手に力が籠る。

 そんな彼にひとりの兵が歩み寄り、声を掛けた。


「副団長、やはりこいつらは……!」


 エバンは頷く。

 戦場では、一瞬たりとも油断はできない。会話をしながらも、エバンは周りの状況を見渡していた。ひとまず、自身の周囲に敵の気配がないことを確認する。しかし、ほんの先の場所ではまだ多くの仲間が戦っている最中だった。

 こうしているあいだにも、仲間達が命を落としているかもしれない。すぐに助けに向かわなければ。そう思ったエバンは、進軍を再開しようとした。

 その時だった。彼に向かってもうひとり、より体格が大きくて屈強な兵士が走り寄ってきた。

 くしゃくしゃに波打った黒髪を長く伸ばし、口元には髭をたくわえた、目つきの鋭い大男。声が届く範囲に踏み入るや否や、彼は口を開いた。


「エバン!」


「団長!」


 男の名は『ガルウィン』。

 エバンの上官にして、騎士団を束ねる団長だった。


「こいつら、アストリアの兵だ。友好関係にあるはずのアストリアが、同盟を破って侵攻してくるなんて……!」


 エバンの言葉を受けると、ガルウィンは苦い表情を浮かべた。

 襲ってきた輩が同盟を結んだ国の兵士であることは、鎧に刻まれた国章を見れば一目瞭然だった。


「ああ、まさかアストリアまでもが魔族の闇の力に目を眩ませるとはな……またも、『あれ』の予言通りか……!」


 ガルウィンが口にした『あれ』という表現が引っ掛かったものの、今はそのことを言及しているような状況ではなかった。

 アストリアは、同盟国の中でも五本の指に入る規模と戦力を誇る国家だった。敵に回せば恐ろしい相手であることは明白で、このまま戦いが続けば敗戦は目に見えている。

 さらに、単純な戦力差以上に、エバンには危惧していることがあった。


「だが、我々に負けはない」


 そう言い放ったガルウィンの表情には、この場には不釣り合いな笑みが浮かんでいた。


「それはつまり……」


 エバンが言うと、ガルウィンは頷いた。

 その時だった。後方から、何かが爆発するような音が鳴り響いた。

 喧騒に満たされた戦場においても隅々にまで響き渡る、ただの爆発とは違い、何らかの合図の意味を持つようなその音――振り返ると、空に青い花火が炸裂していた。

 それが何の意味を持って打ち上げられたのかは、エバンやガルウィンを初めとした、『ロヴュソール王国』に属する者にしかわからない。


「撤退命令……!」


 花火を見た兵士達が、続々と戦闘を放棄して後退していく。敵の動きを止めるために、各地で煙幕や閃光弾の光が上がった。

 青い花火は、『即時撤退』を伝える合図だった。


「国王陛下が、『髪長姫』の投入を決断されたとの伝令が入った。エバン、引き上げるぞ!」


「分かった!」


 ガルウィンに応じると、エバンは空いた左手で煙幕玉を放り投げた。それは相手の殺傷を目的とする道具ではなく、煙幕を巻き上げて敵の視界を妨げ、逃走の時間を稼ぐための装備だった。

 戦地から立ち去る最中、エバンは巨大な馬車を目にした。その馬車は、後退するロヴュソール兵とは対照的に、単独で戦地の方角へと進んでいた。

 金属製で見るからに重々しく、ゴツゴツとして物々しい雰囲気を帯びた巨大な馬車――見かけに違わず相当の重量があり、何頭もの馬が束になることでようやく引かれ、金属音を鳴らしながらゆっくりと前進していた。

 馬車の表面には傷や汚れが目立ち、その様相はまるで動く牢獄だ。内部はきっと、耐え難いほどに黴臭いに違いない。

 見かけだけで判断すれば、大勢の奴隷が粗雑に押し込められているように思える。しかし、あの中にいるのは奴隷ではない。奴隷でもなければ、兵士でもない。そもそも、男ですらない。

 そう、エバンはあの中にいるのが誰なのかを知っていた。


(エルマ……!)


 すれ違う最中、馬車の隙間からかすかに見えた『彼女』の姿を瞥見しつつ、エバンはその名を呼んだ。



  ◎ ◎ ◎



 ロヴュソール兵全員が撤退し、一時停戦となった戦場には静けさが漂っていた。

 だがそれも束の間、戦慄すべき出来事が起こる。

 絶命したはずの兵士が、次々と起き上がり始めたのだ。剣で胸を貫かれた者も、首を撥ねられた者すらも、全員が起き上がり、そして馬車のほうへと向かい始めた。

 死んだ兵士が起き上がり、呻き声を上げながら、まるで糸に吊るされた人形のようにフラフラとぎこちなく歩くその様子は、まさに悪夢さながらの光景だった。

 もちろん、兵士達にはすでに命はない。

 しかし後方に控えていた兵士達は生存しており、眼前に広がる光景に笑みを浮かべている。


「おお、これが魔王『グラゾルド』の魔力が起こす奇跡か……!」


 恐れるどころか、歓喜が滲んだ声を発する者すらいた。

 死んだ者は生き返らない、それは絶対に揺るがない世の理だ。それが覆されたとでも錯覚しているのかもしれない。

 これは断じて奇跡などではなく、魔力によって引き起こされた呪いだ――。

 だが、そのことに気づく者は誰ひとりいなかった。

 アストリアの兵達は、すでに目の前の現実に対して完全に盲目になっていた。生も死も弄ぶ魔力に対して、疑問すら抱かなくなっていた。

 死んだ仲間を魔物として蘇らせる。つまり、自分達が仲間を『二度』殺していることに、誰も気づいていなかったのだ。


「さあ同志達よ、『髪長姫』を生け捕りにし、ロヴュソールを滅ぼせ!」


 誰かがそう叫んだ瞬間だった。

 一度は死んだ兵士全員の身体が、灰色の光に覆い包まれ、魔物へと変じた。

 ある者は鋭いかぎ爪と頭から角を生やした、獣が直立したかのような姿に。そしてある者は背中から翼が生え、コウモリのように空を飛翔した。

 姿形は多様だった。しかし全員が灰色の体色をしており、不気味でおぞましく、化け物と呼ぶにふさわしい――いや、そうとしか表現しようのない姿をしていた。


「ロヴュソールの連中は兵を退かせた、あとは『髪長姫』だけだ! 存分に恨みを晴らせ!」


 魔物へと変じたアストリア兵達が、一斉に咆哮を上げた。

 耳を聾するようなそれは、雄叫びにも悲鳴にも思えた。

 なだれ込むように、魔物達が一気に押し寄せる。

 すでに彼らには知能も理性もなく、記憶もほぼ残ってはいない。明確に残されたのは、ロヴュソールへの敵対心。つまり、自分を殺した相手に対する復讐心だけだ。

 ほんの数分前までは人として生きていた魔物達が向かう先には、ロヴュソール兵の撤退とすれ違う形で現れたあの馬車があった。

 馬車が停止すると同時に、いくつも取り付けられた錠が次々とひとりでに外れていく。重々しい金属音を鳴り響かせながら、左右に展開する形で馬車が開いていく。

 中から姿を現したのは、たったひとりの少女だった。数千という奴隷を収容・運搬できそうなほどの、巨大で重々しい金属製の馬車は、ただ彼女をこの戦場に連れてくるためだけに投入されたのだ。

 少女はまだとても若かった。とても若く、そして美しかった。

 その身を覆い包む純白のドレスは、馬車の床面に触れてもなお裾が周囲に広がるほどに長い。その装いではまともに動くことすら難しく思え、それを着用させることで、意図的に彼女の動きを封じているかのようにも見える。

 そして何よりも目を引くのは、彼女の髪だ。

 光り輝くような彼女の金髪は、とても長かった。いや、それはもはや『長い』という枠に留まらず、彼女の身長の数倍……いや、数十倍を軽く超えていた。生まれてから一度も切っていなくとも、そこまで伸びるのかが疑問に思えるほどだった。

 張り巡らせられるかのように馬車の床面全体へと縦横無尽に広がり、外にまではみ出るほどの金髪――それが真紅の光を帯びたと同時に、閉じられていた少女の目が開かれた。

 彼女の瞳もまた、血のように赤く、先頭を切って飛び掛かって襲ってきた魔物の姿がそこに映る。

 少女が魔物に向けて人差し指を向けた瞬間、そこから赤い光弾が放たれた。

 避ける猶予など与えはしない。光弾は一直線に魔物へと向かっていき、そして着弾し、魔物を空高く吹き飛ばした。荒野へと落下した魔物は、少しのあいだもがき苦しみ、灰とも砂とも分からない物体へと変じて消えていった。

 その指を相手に向ける。たったそれだけの動作で、少女は恐ろしい魔物を一蹴したのだ。


「わらわを『魔妃オプスキュリア』と知っての狼藉か……」


 蠢く魔物達を見つめながら、少女は呟いた。若く美しい外見には不似合いな、荘厳で威厳のある声色だった。彼女の髪は赤い光を帯び続け、風もないのにゆらゆらと空を漂い始めていた。

 魔物の群れは、続けざまに彼女へと襲い掛かった。

 今度は徒党を組んで、複数で迫る。単独で来なかったことを考えると、もしかしたら人間だった頃の思考が多少は残されていたのかもしれない。


「無駄なことだ」


 しかし、所詮は無意味だ。

 彼女が片手をかざすと、その髪から発せられる光が一瞬だけ強まった。

 次の瞬間、襲い掛からんとしていた魔物達すべての動きが止まった。まるで金縛りにでもあったかのように直立不動となり、その場に倒れ込んんだ。そして、もがき苦しみながら最初に倒された魔物と同様、灰とも砂とも分からない物体に変じて消えていく。

 その後も、魔物は続々と彼女に襲い掛かった。だが、戦況は微塵も変わらなかった。

 包囲されようと、彼女は自らの周囲に赤い光を飛散させて全方向から迫ってきた魔物を吹き飛ばした。時にはその長い髪が命を持つように動き、縄のように魔物を縛り上げて赤い光を直接浴びせ、消滅させた。

 魔物すべてが消え去るまでに要した時間は、ものの数分。

 それはもはや戦闘と呼べたものですらなく、ただ一方的に少女が魔物を蹴散らしただけだった。彼女はまともに構えを取るどころか、一歩たりともその場を動くことはなかったのだ。

 

「何度目にしても、髪長姫の破壊力は凄まじいものだな。さすがは、我が国が誇る『大量殺戮兵器』か……!」


 遠方から様子を見ていたガルウィンの言葉に、隣にいたエバンは眉をひそめつつ、彼の横顔を見つめた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る