CHAPTER 3 ロヴュソールの黒薔薇




 ロヴュソール王国にて、黒薔薇は古くから特別な意味合いを持つ花とされてきた。

 明確な理由は未だに明らかにされていないのだが、同国においては黒以外の色を持つ薔薇は一切自生しない。土壌による要因、天候が関係している……これまで学者が多くの仮説を立てているが、いずれも確証には至らず、謎のままである。

 花の女王と称される薔薇も、漆黒に染まれば雰囲気も変わる。それを見る者の印象も変わる。

 漆黒の薔薇から闇の力……つまり魔力を想起させられ、嫌悪感を抱く民衆も現れた。誰かが植えたりしたわけでもないのに、ロヴュソール各地に生えていた黒薔薇。それを忌み嫌うがあまり、始末に打って出る者もいた。

 しかし、何者にも黒薔薇を処理することはできなかった。

 根から刈り取っても、除草剤を撒き散らしても、炎で焼き尽くそうとしても……翌日には必ず、その場所に黒薔薇が再生されたのだ。

 黒薔薇は何度消し去ろうとしても再び生えてきて、何度でも花開いた。人々はいつしか、それに不気味さと恐怖心を覚えるようになった。どう考えても、単なる植物にそれほどの生命力があるはずがなかったからだ。

 やがて、こんな噂がロヴュソールを跋扈し始めた。


 ――ロヴュソールの黒薔薇には、髪長姫の魔力が宿っている。


 当然ながら、確証があるわけではなかった。

 しかし、異常な生命力を持つ黒薔薇を目の当たりにし続けていれば、そんなことを言い出す者が現れるのも当然かもしれなかった。

 どんな手段でも滅ぼせず、まるで自らの姿を人々に見せつけるために再生を繰り返す黒薔薇が、ただの植物であるはずがない。この国に黒以外の薔薇が自生しないのも、他の色の薔薇が魔力に侵され、黒く塗り潰されているからなのではないか。

 黒薔薇を始末しようとするのは、もうやめたほうがいい。これ以上やり続けようものならば、髪長姫の魔力が自分達にも降りかかるかもしれない。あの黒薔薇はきっと、髪長姫の呪いの花だ――そう信じる人々が増えていき、伝承として伝わるようになったという。

 

「呪いか……」


 墓地の中央に建てられた石碑に向かい、握った拳を胸に当てて目を閉じる。それがロヴュソール王国での、死者に対する弔いと哀悼を表すサインだった。

 ガルウィンに伝えたとおり、エバンは先の戦で命を落とした仲間達を弔いに墓地へ足を運んだ。

 数秒間黙祷したあとで、踵を返して本来の目的地へと向かう。

 行き先は、城の廊下から見えたあの塔だ。

 地上からでは、頂上部分を視認するのも一苦労なほどに高い塔。黒い石材で組み上げられ、周囲の地面には黒薔薇が咲き乱れており、それらすべてが赤い夕陽に照らされていた。塔の周囲には一切の人気がなく、どことなく物々しくて不気味な雰囲気が漂っていた。しかしエバンにとっては、この塔もそれを囲う無数の黒薔薇も、もはや見慣れた光景だった。

 エバンが迷うことなく歩を進めていくと、塔の入り口が見えてきた。

 入り口に扉はないが、赤い光の壁が張っている。どこかからか飛んできた蝶がそれに触れた瞬間、蝶は炎に包まれて一瞬で塵となり、跡形もなく消え去った。

 その光景を目の当たりにしていたが、エバンは迷わず赤い光の壁に触れた。

 蝶と違って、エバンの身体が炎に包まれることはなかった。彼はそのまま、何事もなかったかのように壁を通り抜けた。

 そのまま、彼は塔の頂上へと続く螺旋階段を上っていく。塔の壁には燭台が掛かっており、いつ灯されたのかも分からない炎が揺らめいていた。そこから発せられる光のお陰で、視界が不自由になることはなかった。

 塔内に足音を反響させつつ、エバンは黙々と階段を上っていく。

 数分が経った頃、ようやく階段を上り切った彼の前に、ひとつの扉があった。その扉の向こうこそが、エバンの目的地なのだ。

 ドアノッカーを掴み、ノックしようとした時だった。


「エバン、入っていいよ」


 ノックをするより先に、扉の向こうから少女の声が聞こえた。

 扉には窓が付いていない。それなのに彼女は扉の向こうに誰かが来たことを察知し、さらにその来客がエバンであることまで見抜いていたのだ。


「っ!」


 エバンは驚き、掴んでいたドアノッカーを手放した。入室許可を得た以上、ノックする必要はない。

 今度は取っ手を掴み、押してゆっくりと扉を開いていく。

 ギギギィ……という軋む音とともに、扉の向こう側の光景がエバンの瞳に映し出された。

 塔の頂上に位置するそこは、円形のだだ広い部屋だった。家具も敷物も何もなく、ガランとして天井が高い部屋。数か所壁に掛けられた燭台に灯った火が、そんな殺風景で存在意義すら疑われるその場所を照らしている。

 だが、もちろん無意味な場所ではない。無意味な場所なら、わざわざ階段を上ってまでここに来るはずがない。


「来てくれたんだね」


 少女は無を具現化したような部屋に座り込んだまま、後ろを振り返るようにしてエバンを見つめていた。その顔には清楚な笑顔が浮かんでおり、語りかけられただけで胸が温まるような気持ちになる。

 塔の頂上のだだ広い部屋――そこでエバンを迎えた彼女は、エルマだった。

 そう。戦場で圧倒的な魔力を振るい、魔物の大軍を単独で相手取り、ものの数分でそれらすべてを蹴散らした、髪長姫と呼ばれるあの少女だ。

 エルマは部屋の片隅に座っていた。彼女がまとっている白いドレスが床に大きく広がり、さらにその上を金髪が縦横無尽に流れ、燭台の火を反射して輝いていた。

 いや、エルマの金髪はすでに『長い』などという範疇を逸脱していた。

 彼女の頭を起点に、部屋の端まで届き渡り、それでもなお収まらないほどの金髪――何年伸ばし続ければこれほどの長さになるのか、そもそも生まれてから一度も切っていなくとも、そこまで伸びるのかが疑問に思えるほどだ。

 エバンは、自分の足元にまで広がってきているエルマの金髪を見つめた。

 あの戦場では、この髪が赤い光を宿してゆらゆらと動き、時にはこれ自体が命を持つかのように直接魔物に絡みついて縛り上げ、滅ぼした。しかし今のエルマの髪には赤い光が宿ることもなく、動き出す様子もない。

 髪を踏んでしまわないように注意しつつ、エバンはエルマに歩み寄ろうとした。


「踏んでも大丈夫だよ、わたしの髪は汚れないから」


 エルマが気遣ってくれるが、かといって髪を踏むのは気が引けたので、エバンは髪の隙間に足を置くようにして歩いた。

 踏んでも汚れない、と彼女は言った。

 聞く分には信じられないだろうが、エバンはそれが本当であることを知っている。

 普段この部屋から出ることを許されないエルマは、もちろん髪も洗えない。部屋から出られたとしても、これほどの長さの髪を洗う手段はエバンの知る限りでは、ない。

 しかし彼女の髪はいつでも輝き、洗ったばかりであるかのようにさらさらとしていた。それだけではなく、エルマ自身も湯浴みをしていないにも関わらずいつも透き通るような白い肌をしており、その身からほのかに花の香りを漂わせていた。しかも水も食事も一切取っていないのに、彼女は生命を維持し続けているのだ。

 純白のドレスに、長大極まる金髪。美しく神々しい見た目だけでなく、水や食事がなくとも生きていられ、あらゆる穢れを跳ねのけるその身体。誰もが疑いたくなる話だろうが、まぎれもなくすべてが真実だ。


「どうして俺だって分かった?」


 エルマは、座ったままドレスを引きずるようにしてエバンを振り返った。床全体に広がった金髪が、ゆるやかに揺れ動く。

 顔だけでなく、その身もエバンのほうを向いたので、エルマがその両手に一輪の黒薔薇を抱えているのが見えた。さらに彼女のドレスの前垂れには、薔薇を象ったロヴュソール王国の国章が描かれていた。

 かつては忌むべき対象とされた黒薔薇も、長い年月を経てロヴュソールを象徴する花とされた。だから国章にも薔薇があしらわれたのだ。


「『彼女』が教えてくれたの、あなたが来るって」


 清楚な笑顔を浮かべたまま、エルマはエバンの質問に応じた。

 戦場での荘厳な口調とは、似ても似つかなかった。当然だ、あの時のエルマと今のエルマは、そもそも『別人』であるのだから。


「なるほどな……」


「今日はどうしたの?」


 エルマから問いかけられ、エバンはここを訪れた理由を思い出した。

 彼女の青く透き通った瞳を見つめ、口を開く。


「オプスキュリアと話がしたいんだ。会わせてくれないか?」





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