CHAPTER 10 銀髪の魔女


 それはいわば、『奥の手』であった。

 無暗に使うのは得策ではないと、エバンは重々承知している。しかし今は、力を出し惜しみしている余裕がないこともまた事実だった。

 オロルドロス――あんな魔物の襲撃を受けているこの状況は、まさしく不測の事態だった。

 ラスバル村は無残に破壊し尽くされ、村人はきっとすべて喰い殺された。その確証はなかったが、戦闘能力も有しない村人達が逃げ切れるとはとても思えなかったのだ。

 この戦いは、自身にとって生きるか死ぬかの岐路に等しい。それだけではなく、殺された人々の敵討ちでもある。村長をはじめ、命を奪われた人々の中にはエバンが親しくしていた者もいた。それも、ひとりやふたりではない。

 男であっても女であっても、子供であっても大人であっても老人であっても、村人にはそれぞれの人生があった。理不尽に生の時間に終止符を打たされた彼らの無念は計り知れず――あのオロルドロスは、なんとしてでも倒さなくてはならなかった。

 ならばもはや、エバンに選択の余地はなかった。

 地鳴りを響かせつつ迫ってくる魔物を睨みながら、エバンは服の袖を完全に捲り上げようとした。

 しかし、その動作は中断させられる。

 突如、エバンとオロルドロスのあいだに割り込むように、青い光弾が放たれたのだ。


「うっ!」


 巻き上がる閃光と土埃に、エバンは思わず身を屈めた。

 しかし、視線を逸らせばその隙を突かれるかもしれないと感じ、すぐに顔を上げて前方を見やる。

 オロルドロスは、不気味な呻き声を上げながら身を屈め、悶えていた。先程の光弾はエバンには一切の被害を与えなかったが、あの魔物にはそうではなかったようだ。

 一体誰だ?

 エバンは振り返り、すぐにその姿を見つけた。

 杖に腰を下ろして空に浮かびながら、彼女はその右手をかざしていた。さきほどの光弾は、彼女の手の平から放たれたのだ。

 

「奇妙な魔力を感じたから来てみたけど……まさかこんなことになってるなんてね」


 腰よりも長い銀髪を後頭部で結び、青いローブを纏った美しい少女。

 その胸元に輝くブローチを見て、エバンは思わず息をのんだ。


「アヴァロスタの魔女? しかも虹色のブローチ……あんな女の子が?」


 杖に腰を下ろしたまま、少女はエバンのそばに舞い降りてきた。

 服装や杖、そして決め手はその能力。彼女が『魔女』であることは一目瞭然だった。

 何よりも、エバンは彼女の胸のブローチに視線を奪われた。見間違いかとも思ったが、そうではない。正真正銘、虹色の輝きを内包する水晶で作られたブローチだった。

 翼を象った、紋章のような意標を有するブローチ。それは、彼女が『アヴァロスタ魔術女学院』に属する魔女であることの証だ。


「その国章……あなたはロヴュソールの兵士?」


 杖から降りて地上に立つと、少女は歩み寄ってきた。近づいてみて気づいたが、彼女はエバンよりも背が高かった。

 エバンは捲ろうとしていた袖を戻し、茨の模様が浮かんだ手首を慌てて衣服の内側へと隠した。

 間近で顔を見て、やはり綺麗な女の子だと感じた。歳もそう違わないようにエバンには思えた。悪い人間ではないと感じたが、完全に気を許すことはできない。

 アヴァロスタの者であるようだし、少なくとも魔物の仲間ではない……とは思ったが、今の時点では彼女の素性は何も分からず、絶対に敵ではないという確証がなかった。


「ああ……」


 エバンは頷いた。

 素性、名前、どういう目的があってここに来たのか。

 少女に尋ねたいことは他にもあったが、今は言葉を交わしている余裕がない。


「やってくれたな、この虫ケラどもが……!」


 一時は怯んでいたオロルドロスが、再び立ち上がっていた。

 エバンは剣を握り直し、


「ここは危ない、離れてろ!」


 少女に逃げるよう促した。

 今の時点では、彼女に関しては何も分からない。

 だが少なくとも、オロルドロスにとってはエバンと同様、彼女も標的であることは間違いなかった。この戦いに敗れれば、ふたりとも殺される。

 エバンにとって彼女は、さきほど初めて会ったに過ぎない間柄だった。彼女にとっても同じだろう。

 とはいえ、魔物との戦いに女の子を巻き込むことはできない。

 だからこそエバンは避難するように促したのだが、


「何言ってるの? 私だって戦えるわよ」

 

 自身が持つ杖をかざしながら、少女はエバンに反論した。

 まったく怯まず、即座に言い返してくるその様子から、気丈な性格の持ち主であることがうかがえる。

 危機的状況であるがゆえに、エバンは思わず忘れていた。

 彼女の胸には、アヴァロスタのブローチが着いている。それも虹色だ。

 ブローチがまがい物でなければ、彼女は非常に有能な魔女であるという証拠であり、もし味方になってくれるのであれば、この戦いの助けとなってくれるであろう存在なのだ。


「協力してくれるのか?」


「もちろん。この杖がただの飾りだとでも思う? あんなのを相手にするならひとりよりふたりのほうがいい、そう思わない?」


 少女は両手で抱えた杖をかざした。

 木材で作られた杖――その先端には青い宝石が取り付けられていた。

 

「少なくとも、足手まといにはならないと思うわよ。『これ』がどういう意味を持っているのか、あなたなら分かるんじゃない?」


 得意げに語りつつ、少女は細い指先で胸元のブローチに触れた。これを見て、と言わんばかりの仕草だった。

 

「戦力は多いほうがいい、そうでしょう?」


 彼女の言うとおりだった。

 立ち上がったオロルドロスが、再びエバン達のほうへと向き直っていた。再び襲い掛かってくるのは時間の問題だ。


「それに私、あなたには興味があるのよ」


 それまでエバンの顔を見ていた彼女の視線が逸れる。エバンには、彼女が自身の右手首に目を向けたように思えた。そこは、さきほどエバンが慌てて袖を直し、右手首に刻まれた茨の模様を隠した場所だった。

 隠したと思っていたが、気づかれていたのだろうか?


「あとでお話、聞かせてちょうだいね」


 オロルドロスが瓦礫を掴み上げ、粉々に砕く。

 魔物はそれを力任せに、エバン達のほうへと投げつけてきた。


「任せて」


 横へ飛び退こうとするエバンを制し、少女は杖を空へ掲げた。

 すると、前方に青い光の壁が出現する。それは盾となり、オロルドロスが放った瓦礫の礫をすべて受け止め、阻んだ。

 

「やるな……」


 オロルドロスの巨体から放たれた礫は、かなりの威力を伴っていた。

 防ぐにはそれなりの強度を持つ防御魔法でなくてはならないはずだったが、少女が張った光の壁は破られるどころか、傷のひとつも付いてはいない。

 無傷の光の壁こそが、彼女の技量を示す何よりの証拠だった。虹色のブローチは、決してお飾りではなかったようだ。


「俺も、君には興味がある」


「そう。じゃあまずは、あの怪物を片づけないとね」


 光の壁が消失したのを見て、エバンは彼女の隣へと立ち、剣を構え直した。


「アヴァロスタ魔術女学院・特級魔術師……『シアラ』。あなたは?」


 シアラ、それが彼女の名のようだった。

 少し考えたあとで、エバンも口を開く。


「ロヴュソール王国騎士団・副団長……エバンだ」





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