CHAPTER 9 BOSS RAID 暴食の悪鬼・オロルドロス

 

 その敵を前に、エバンはとにかく剣を抜いた。

 ダルラグの群れを退けたばかりで、手入れしてから早々に血の臭いをこびり付けてしまった剣。願わくば、もう使わずに済めばいいと思っていた。しかし、否応なくそれを再び抜かなければならない状況になってしまった。

 廃墟と化した村の調査中に、突如としてエバンの前に姿を現したその怪物――灰色の身体といい、雰囲気といい、魔物であることはおそらく間違いない。

 しかし、周囲の木々や家屋を軽く凌駕するほどのその巨躯は段違いだ。幾度となく戦場に赴いてきたエバンは、数多くの種類の魔物を目にしてきた。しかし、あれほど巨大な魔物は見たことがない。

 さらにもうひとつ、あの魔物には他の魔物を逸脱した特徴があった。


「光栄に思うがいい小僧、このワシの血肉となれるのだからな!」


 あの魔物は、『自我』を有していたのだ。

 これまでエバンが目にしてきた魔物は、敵味方の区別こそ付けられるようではあったが、それ以上の知能は有していないように見えた。だが、目の前にいるあの魔物は人間の言葉を口にしていた。

 知性があるということなのだろうか? しかし探っている猶予はない。

 雄叫びを上げたと思うと、魔物は木々や瓦礫を左右に押し退けながらエバンのほうへ迫ってきた。その足が地面を踏みつけるたびに、地鳴りが轟いて辺りが揺れた。

 その迫力と威圧感に、思わずまばたきも忘れてしまった。

 まだ交戦してすらいないが、ダルラグとは段違いに手ごわい相手であることが見て取れた。そもそも、魔物である時点で危険度は獣より数段跳ね上がる。


「離れてろ、どこか安全な場所に!」


 エバンは、馬に避難を促した。

 食糧をはじめ、馬には数多くの装備を括りつけていたので失いたくなかった。さらにそれ以上に、動物とはいえダルラグの襲撃を退ける手伝いをしてくれた恩がある。巻き添えにはさせたくなかったのだ。

 馬は逡巡するように彼の顔を見つめると、その場から走り去って村のどこかへと姿を消した。主人の言葉を理解したのかもしれないし、はたまた巨大な魔物を目の前にして怖じ気づいたのかもしれない。しかし、怖じ気づいたのだとしても無理はないし、仕方がないとさえ感じられた。

 目の前にいる敵は、大きさも威圧感もダルラグなどとは比べ物にならない。

 それでもエバンは背を向けたりせず、両手でしっかりと剣を構えて巨大な魔物を見据えた。


「ほう、このオロルドロスを目の前にして逃げないとはな……」


 魔物が口にした名前に、見覚えがあった。

 オロルドロス――さっきエバンが見つけた村長の日記に載っていた名前だ。

 あの日記に書かれていた内容を、エバンは思い出した。オロルドロスという男は、半ば強引に村長に取引を持ち掛け、それを拒否されて捨て台詞を吐きながら去っていったとのことだった。

 ガランドルからの遣いで、尊大で傲慢で感じの悪そうだったというオロルドロス。そして、まったく同じ名を名乗ったこの魔物。

 無関係であるとは、とても思えなかった。


「そういえば、さっきお前……!」


 そこでエバンは気づいた、気づいてしまった。

 さっきこの魔物――オロルドロスが発した言葉の意味だ。

 忘れもしない、この化け物は『小僧、貴様も喰ってやる』と言っていた。それがどういう意味なのか、考えるまでもなかった。


「答えろ、この村の人達をどうした?」


 答えなど分かっていたが、その質問を投げかけずにはいられなかった。

 

「愚問だな、ひとり残さず喰らい尽くしてやったわ! 大人しく我々の要求に応えていればよかったものを……いや、どうせ用済みになれば喰ってやろうと思っていた連中だ。所詮我らの餌になる運命だったということだな」


 おぞましく、そして恐ろしい事実を、オロルドロスは不気味に顔を歪めて笑いながら明かした。

 この村の人々のことがエバンの頭に浮かんだ。

 村長も、大人も子供も、男も女も、すべて喰い尽くされてしまったのだ。この怪物が人々を追い回し、捕まえては喰い殺す様子が、否応なく頭の中で思い描かれる。


「貴様……!」


 怒りに震える猶予すら、エバンには与えられなかった。


「心配するな、貴様もすぐにワシの腹に収めてやる。そこを動くな!」


 両拳を打ち合わせたと思うと、オロルドロスは猛スピードで走り寄ってきた。

 人間を掴むには十分すぎる大きさの手が、エバンに向けて伸ばされる。エバンは横へ飛び退く形でそれをかわし、追撃を警戒してすぐさま視線を戻した。

 今度は握られた拳が振り下ろされる。

 喰らえばひとたまりもない、人体など容易く打ち砕かれてしまうだろう。しかしエバンはまたもそれを避けた。

 その後も、オロルドロスはエバンを掴もうと手を伸ばしたり、拳を振り下ろして攻撃を仕掛けてきた。しかしエバンは紙一重でそれらすべてをかわし、喰らうことはなかった。

 図体が大きい分、オロルドロスの動きはやや鈍重に感じられた。それに、攻撃の予備動作も見極めやすい。

 もちろん、一瞬たりとも気を抜くことはできなかった。一撃でも喰らおうものなら、致命傷は免れないからだ。しかし戦闘経験が豊富なエバンにとって、オロルドロスの攻撃を見極めるのは不可能ではなかった。

 気を見計らい、反撃に乗り出そうと思っていた時だった。


「すばしっこい奴が……その身のこなし、ただの村人ではないな? だがいつまでも逃げ続けてはいられまい、すぐにこの力の餌食にしてくれるわ!」


「この力だと……?」


 エバンは剣を構えたまま、


「貴様、やはり魔族の力で魔物に変えられた人間か?」


 あの化け物が名乗った時から、そうなのだろうとエバンは感じていた。

 村長の日記に載っていたオロルドロスという男と、今エバンの目の前にいるこの巨大な魔物。それらはやはり、同一人物なのだ。つまり、この魔物は元は人間だったということである。

 しかし、それには疑問が残った。

 

「変えられたのではない、自ら恩寵を受け入れた。ワシはこの奇跡をグラゾルド大王より授かりし者……神のごとき力を与えられたのだ!」


「奇跡、神? 今の自分の姿を見たうえでそんなことを言っているのか?」


 自身の姿を誇るオロルドロスだが、エバンには微塵も理解できなかった。

 奇跡や神などという言葉を用いているが、そんなものとは程遠い……むしろ、まったく対極の位置にあると言って間違いないとすら感じられた。少なくとも自分ならば絶対に拒否するだろうし、あんな魔物になるくらいなら死んだほうがいいとすらエバンは感じた。

 魔物に姿を変えたというのは、人間として生きる道を放棄したということだろう。

 それに気づいていないばかりか、むしろ喜んでその力を無尽蔵に振るい、人々や家畜を手当たり次第に蹂躙し、大量に虐殺してこの村を廃墟と化した。

 あのオロルドロスという男は完全に魔族の力に取り込まれ、おかしくなっているのだ。死した仲間達すら利用し、魔物に変えて戦に駆り出していたアストリア兵達と同じ……いや、それ以上だろう。すでにあの男からは人間としての理性は失われ、今や暴食の悪鬼と呼ぶべき魔物と化していた。

 残忍にして、哀れな奴だとエバンは思った。

 見方を変えれば、あのオロルドロスも魔族に毒された被害者といえるかもしれない。


「貴様には理解できまい、理解する暇もあるまい……どうせすぐに死ぬのだからな!」


 村に生えた巨木を両腕で抱え込んだ次の瞬間、オロルドロスはそれを力任せに地面から引き抜いた。

 人間には持ち上げることすら不可能なそれを、まるで棍棒にように構えてエバンを睨んでくる。あの魔物が何をするつもりなのか、エバンには考える必要すらなかった。


「叩き潰してくれるわ!」


 巨木を抱えたまま、オロルドロスが走り迫ってくる。

 横向きに振り抜かれたそれを、エバンは姿勢を低めてかわした。頭上を巨木が通過し、周囲の家屋が破壊されるのが分かった。もしもエバンがあの攻撃を喰らっていようものなら、どうなるかなど考えるまでもない。

 武器を手にしたことで、鈍重さも攻撃範囲の狭さも克服された。

 人や家畜を喰らい、暴れ狂うことしか能のない化け物かと思っていたが、頭が回る部分もあるのかもしれない。


「このままでは、奴の好き放題か……!」


 形勢は、どう考えてもエバンに圧倒的不利だった。

 まだ攻撃を受けてこそいないものの、いつまでも逃げ続けてはいられない。エバンは一撃でも喰らえば致命傷になりかねないが、彼が手にしている剣ではあの魔物を傷つけることができるかどうかすら怪しい。

 この村の人々も、あの巨躯を前に成す術もなく殺されていったのだろう。もしかしたら、怖じ気づいて逃げ出すどころか、その場から動くことすらできなかったかもしれない。

 オロルドロスの言ったように、このままではエバンも同じ道を辿ることになる――しかし、彼は冷静だった。

 奥の手があったのだ。


「こうなれば……」


 エバンは衣服の袖をゆっくりと捲った。

 薔薇の茨が巻きつくような模様が浮き出た彼の右手首が、そこから覗く。

 




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