CHAPTER 8 廃墟と化した村
その後、エバンは改めてラスバル村へ向かった。
ダルラグの襲撃を受けたせいで、思わぬところで時間を取らされてしまった。3匹いたということは、ダルラグはまだこの近辺に潜んでいる可能性は大いにある。さらに大勢で徒党を組んで襲われれば、不利になるのは目に見えていた。
それに、急ぐ必要があった理由はそれだけではない。
こんな場所にダルラグが出没するということは、ラスバル村にだって現れている可能性がある。村人達が気掛かりだったのだ。
赤茶色の馬は、すでに全速力を出して走っているのが分かった。
「悪いな、急いでくれ!」
自身を背に乗せて疾走する馬を、エバンは手綱を使ってさらに急かした。
ロヴュソールを出てから、ダルラグの襲撃を受けた時以外はもうほとんど走りっぱなしだ。無理をさせて申し訳ないとは感じていたが、早急にラスバルに赴く必要があった。
確信はないのだが、嫌な予感がしていた。
「村長、それに村の人達も、無事でいてくれよ……!」
ロヴュソール王国騎士団副団長として、エバンはこれまで幾度かラスバル村に訪れたことがあった。
その目的は主に村の視察であり、畑や農場、果樹園や厩舎も見て回り、作物などの生育状況を調査したものだった。そのたびに村長を始め、村の人々は年若い彼を歓迎し、丁寧で分かりやすく生育状況を解説してくれた。自家製のパンを使ったサンドイッチやお菓子、それに新鮮な野菜や果物から作られたジュースを振舞ってくれたこともあった。
取引相手という間柄に留まらず、エバンはラスバル村の人々には恩義に近い気持ちを抱いていたのだ。
とりわけ、村長には毎度と言っていいほど世話になっていた。
嫌な予感は、どうか思い過ごしであってくれ。これまで足を運ぶたびにそうであったように、のどかで風光明媚なラスバル村の風景が広がっていてくれ。
馬の背で揺られながら、エバンは心の中で繰り返しそう願った。願わずにはいられなかった。
しかし村が見えてくるにつれ、否応なく違和感を感じさせられる。村の風景が、エバンの記憶にあるそれとまったく違っていることに気づかされる。
破壊された民家に、薙ぎ倒された木々。今までは畑仕事をする人々が遠目でも目についたものだが、その姿が一切見えない。
「おい、嘘だろ……!」
嫌な予感は、的中してしまった。思い過ごしであってほしいというエバンの願いは、どうやら聞き入れられなかったようだ。
ラスバルの村の様子は、エバンが知るそれとは似ても似つかない有様だった。
民家や厩舎が無残に破壊され、畑は踏み荒らされたのか滅茶苦茶になっており、どこを見てもまったく人の気配がない。雑草が至る所に繁茂しており、すでに人の手が入らなくなっていることが見て取れた。
エバンは馬から降りて、村の入口へと向かった。
いつもは村人が出迎えてくれたものだったが、今日は誰も来なかった。
「何があったんだ……?」
まばたきも忘れて、エバンは村を見渡した。
どこを見ても、瓦礫と化した民家や厩舎が否応なく視界に入ってくる。
その様相はまさしく廃墟であり、村を命あるものとするならば、ここは間違いなく死んだ村だった。エバンが以前訪れた時と同じ場所であるとは、とても信じられないほどだった。
「そうだ、村長は……!」
エバンは、村長のことを思い出して駆け出した。
村の様子が変わっていても、どうにか村長の屋敷がある方角は分かった。
この村に暮らす人々の中でも、エバンにとって村長はもっとも会う機会の多い人物だった。会えるかどうかは分からないが、それでも今、頼りにできるのは村長くらいだとエバンは思った。
屋敷に向かう最中で、破壊された厩舎が目に入る。瓦礫の下敷きになる形で、牛や馬などの家畜が死んでいた。
崩落に巻き込まれたか、あるいは餌を与える者がいなくなって餓死したのかは分からない。だが、死後何日も放置されていたことは間違いないだろう。家畜の死体には大量の蛆が湧き、蠅が周囲を飛び回り、腐った肉や糞尿の臭いが合わさって猛烈な悪臭が漂っていた。
吐き気を催しそうで、エバンは思わず袖で鼻を覆う。
「ひどい臭いだ……!」
その直後、エバンは地に放置された別の家畜の死体を見つけた。
豚のようだが、その有様は瓦礫の下敷きになった他のそれとは比べ物にならないくらい凄惨で、直視することすらはばかられた。
その死体は、胴から先の部分が丸ごと失われていたのだ。人間でいうところの上半身……つまり頭や前足の部分は失われ、下半身にあたる部分だけが粗雑に放置されていた。切断面からは内臓が溢れ出し、流れ出た大量の血液が周囲を赤黒く染めていた。さっき目にした家畜の死体とは段違いな数の蠅がたかり、羽音がエバンの立っている場所にまで聞こえてきた。
エバンの隣で、馬が鳴き声を立てる。
「大丈夫か?」
馬の頭を撫でて落ち着けつつ、エバンは再度剣を手に取った。
確証こそないし、近づいて調べる気など毛頭起きなかった。しかし、あの豚の死体は何者かに食いちぎられたように見えた。そして、豚を食いちぎったその何者かは、まだこの近辺に潜んでいるのかもしれなかった。
ダルラグを撃退した時、願わくばもうこれ以降は剣を使わずに済めばいいとエバンは思った。
しかし、そうもいかなそうだ。
豚の死体から視線を逸らし、村長の屋敷へ向かう。その最中にも、村の中には人がいる気配がなかった。まるでずっと前からそうだったように、どこを見ても廃墟同然の状態だった。
「まさか、もう……」
どうして、村のどこにも人の姿がないのか。エバンには予想がついていた。
予想がついていたが、それでもあえてそれを考えないようにした。その予想が真実だとすればあまりにも恐ろしく、そして惨すぎるからだ。
片手には鞘に収めたままの剣、もう片手で手綱を掴んで馬を引き、エバンは村長の屋敷へ歩を進めた。風に乗って漂ってきた腐敗臭が鼻をつくが、足を止めている暇などない。
ほどなくして屋敷の前に着いたが、そこもやはり崩れ落ちていた。
馬が声を上げた。
「どうした?」
エバンが問いかけると、馬は首をもたげるような動きをした。
まるで何かを見つけ、それをエバンに知らせているかのような仕草だった。その視線の先を追うと、屋敷のそばの地面に何かが落ちていた。
手綱を引いたまま、馬とともに近寄ってみる。どうやら、それは本のようだった。
その場にしゃがみ込み、一旦剣と手綱を手放してエバンは本を手に取った。埃を払って見つめてみると、結構な厚みがあって、表紙には上質な皮が使われていた。
そして、表紙に書き記された名前に見覚えがあった。
「村長の名前……?」
どうやら、これは村長の日記帳のようだ。
崩れ落ちた屋敷から、たまたまあの場所に放り出されていたのだろう。
勝手に他人の日記を見ることには気が引けた。しかし、ラスバル村がこんなことになった理由、それに村人達の行方が気になった。
この中に、何か手掛かりがあるのかもしれない。
迷ったあとで、エバンはゆっくりと日記帳を開いた。
――今日、ガランドルの遣いを名乗る男が村に現れた。
とてつもなく肥え太っていて、いかにも尊大で傲慢で感じの悪いその男は、『オロルドロス』と名乗った。
いったい何用かと思いきや、主要取引相手であるロヴュソールや、他の国との取引を即時打ち切ってガランドルに全物資を回すよう要求してきた。
無茶な要求であることは明白だったが、無下に断ることは避けようと、私は村の者を招集して協議を行った。結論は満場一致で否決だ。男が示した提示額は少なすぎたし、何よりガランドルは魔族との繋がりが噂され、黒い噂が立っている国だ。どう考えても、そんな国と取引などできようものか。
できる限り刺激しないよう、私は男に引き取るよう求めた。
男はしつこく取引を迫ってくることこそなかったが、去り際に『後悔するぞ』と吐き捨てた。
こんなのは、一方的に持ち掛けた取引を断られての逆恨みだ。我々には落ち度も、恨まれる筋合いもない。
しかし、去り際に見たあの男の不気味な目つきが忘れられない。
念のために、ロヴュソールあたりにこの村の警護を頼むべきだろうか……。
そのページだけを読み、エバンは日記帳を元の場所へ戻しておいた。
「ガランドルの人間が、この村に……?」
その時だった。
どこからともなく地鳴りが響き、エバンは弾かれるように後ろを振り返った。
村の木々や建物を軽く凌駕する大きさの魔物が、瓦礫を押しのけながらエバンのほうへと歩み寄ってきていた。
「人間のにおいがすると思ったら、まだ村人がいたのか!」
おぞましい声が響き渡り、静寂が破られる。
エバンは剣を慌てて拾い上げ、片手で手綱を掴み直した。
「食い足りなかったところだ、ちょうどいい……小僧、貴様も喰ってやる!」
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