- 20 - ルミアーナの答え
ルミアーナは絶句し、耳を疑った。
学院長として、このアヴァロスタ女学院で学ぶ魔女達を率いてきた最高指導者たる彼女、バルバーラが告げたことが、あまりにも信じ難かったからだ。
冗談であってほしかった。しかし冗談であるはずがないし、仮に冗談だったとしても悪趣味が過ぎる。
「そんな、嘘ですよね……? あなたが魔族の力に魅入られるだなんてこと……!」
ルミアーナは、バルバーラへの希望を捨てなかった。
しかし、学院長がその顔に浮かべている邪悪な笑みは消えなかった。消えるどころか、薄れることすらなかったのだ。
「嘘ではありませんよ、ルミアーナ……私が大切な娘達に、嘘をつくとでも?」
ルミアーナは息をのんだ。
彼女の頬を、冷や汗が一直線に伝い落ちた。
言葉だけを聞けば、生徒達を『大切な娘達』と称し、慈愛を持って接する素晴らしい指導者に感じられたかもしれない。しかし、今の彼女の言葉で、ルミアーナはバルバーラが魔族に魂を売り渡したという事実を突きつけられることとなった。
それだけではない。彼女はルミアーナや、きっと他の女学徒達まで魔族の仲間として同じ道に引きずり込もうとしているのだ。
魔物によって滅ぼされた村を目の当たりにしたルミアーナは、魔族がいかに残忍で情け容赦のない者達であるかを知っていた。いや、それはバルバーラも十二分に知り得ているはずだった。
そんな魔族の軍門に下るだなんて……考えただけでも、嫌悪感とおぞましさが込み上がった。
「信じられない……!」
ルミアーナは言い放った。
バルバーラを見つめるその表情に、険阻な色が浮かんでいる。
「あら、どうしたのルミアーナ、そんなに怖い顔をして……」
その問いを意に介さず、ルミアーナはバルバーラのそばに立つ数人の魔女達に視線を向けた。
学院長の側近として控えている彼女達は、ルミアーナと同じ特級魔導士だった。
全員がルミアーナより年上ではあるが、ともに任務に臨んだ仲間であり、姉弟子達であり……友人のような魔女達だった。彼女達がどう思っていたかは分からない。しかし血の繋がりなどなくとも、ルミアーナは家族も同然と思っていた。
胸元で拳を握り、
「姉様方! まさか姉様方は、学院長と同じ考えではありませんよね!?」
魔女達は答えなかった。
人数にして4人の特級魔導士達は、ただ無感情な瞳でルミアーナを見つめていた。
「不実で呪わしく、忌まわしい魔族に下ろうなどと……姉様方は思っていませんよね!?」
やはり、魔女達は答えなかった。ルミアーナの声などまるで聞こえていないかのように、全員がその場に立ち尽くしていた。
否定しようとしない姉弟子達に、焦りと絶望感が募っていく。
「どうして何も言わないんです、答えてください!」
その呼びかけに、特級魔導士達はようやく反応を示した。
しかし、明確に答えたわけではない。4人全員が不敵な笑い声を発し始めたのだ。おぞましくて不気味なその笑い声は、まるでバルバーラから受け継いだかのように思えた。
ルミアーナは言葉を失うしかなかった。特級魔導士達の様子を見れば、もはや彼女達の答えは決まったようなものだったからだ。
「ルミアーナ、魔族の力はとても素晴らしいものよ?」
4人のうちのひとりが、そう言った。
それを皮切りに、他の特級魔導士達も笑うのをやめ、口を開いた。
「この世の理すら覆す力を得られるのよ?」
「あなたも闇の力に身を委ねてしまいなさい、きっと新しい世界が開かれるわ……」
「私達と一緒にすべてを支配しましょう? そしてお金も名誉も好きなだけ手に入れて、思うがままに生きるの……」
彼女達の言葉が、まるで悪魔の囁きのように感じられた。
さあおいで、さあおいで、さあおいで――壊れたようにそう繰り返す特級魔導士達は、もはやルミアーナの知る姉弟子達ではなかった。
一緒に魔術の修行に励み、楽しい時は笑い合って、苦しい時は励まし合った彼女達は、もうどこにもいない。魔族の力に溺れた今、もはや家族でも姉でも、友人でもなかった。
学院長も、特級魔導士達も、闇の誘惑に取り込まれた。それは、彼女達が死んだと同義だった。
「っ……!」
受け入れ難い事実に、ルミアーナは喉の奥で声を押し殺した。
さあおいで、さあおいで、さあおいで……誘惑する言葉が合唱のように繰り返される中、彼女は俯く。
「私の可愛いルミアーナ……魔族の力を得れば、あなたが何より望むことも成し遂げられるのですよ?」
バルバーラの言葉に、ルミアーナは俯いたまま目を見開いた。
「あなたの望み……それは、『復讐』! あなたを蔑み、嫌い、罵り、あげく村から追い出した奴らに報いを受けさせること! そうでしょう? そうなのでしょう?」
ルミアーナは顔を上げなかった。
彼女の身が小刻みに震え、杖を握る右手に力が込められた。
「可哀想に……ひどいわよね、まだ幼かったあなたにあんな惨い仕打ち……あなたがいなければ、村人全員が獣の餌となっていたはず。恩知らずもいいところだと思うわ……」
自分を罵り、石を投げつけ、迫害してきた者達がルミアーナの頭に蘇る。村人達だけでなく、その中には彼女の両親の姿まであった。
魔族の力を得れば、復讐することができるのだろう。
ラスバル村で遭遇したあのオロルドロスのように、村人を追いかけては捕まえ、喰い殺し、地獄さながらの惨状を作り出せるのだろう。
ましてや、ルミアーナの出身地は辺境のそれほど規模が大きくない村だ。ただのひとりも逃がさずに、全滅させることだって容易に感じられた。
バルバーラがルミアーナに手を差し出した。
「さあ、おいでルミアーナ……私達と一緒にあなたの望みを叶えましょう。魔族の力を得て、あの愚劣な者達を断罪しましょう。虐げられてきたあなたには、その権利があるのですよ……!」
その手を取った瞬間、闇の力に身を埋めることになるのだろう。
バルバーラはそこで言葉を止めた。しかし、誘惑の合唱はなおも続けられていた。
さあおいで、さあおいで、さあおいで……。
ルミアーナは押し黙っていた。俯いたまま、彼女は右手の杖をゆっくりと上げた。
――そして彼女は、杖の柄の先端を、力の限り大聖堂の床に打ちつけた。
ガンッ、と大聖堂内に響き渡るほど音が鳴り、まるでそれに撥ね退けられるかのように、合唱が止まった。いや、止められた。
「くだらない」
顔を上げたルミアーナは、一片の迷いも恐れもなく言い放った。バルバーラを見つめるその瞳には、確固たる意志が宿っていた。
「今まで私の何を見てきたの? 私が復讐なんて望んでいると思っていたの?」
溶け入るかのように、バルバーラの顔から笑みが消え失せていく。
「私の可愛いルミアーナ……私達はあなたのために最高の道を用意してあげたというのに、それを自ら捨てるつもりなのですか? 母の慈しみに、あなたは裏切りで応えるつもりなのですか?」
魔族に下るのが最高の道、バルバーラはそう考えているようだった。
愚かだ、ことごとく愚かだ。
当然ながら、ルミアーナの結論が揺らぐことなどなかった。
「あなたに用意してもらわなくても、私の道は私が自分で決める」
ルミアーナは、両手で杖を強く握った。
「それに、私の母は『クリアンディエ』……魔族に魂を売り渡すようなあなたは、母じゃない」
それは宣戦布告であり、決別を突きつける言葉でもあった。
名を聞いた瞬間、バルバーラの表情に明確な不快感が現れた。それまでの凍りついた笑みが浮かんだ表情が一変し、眼前を飛び回る羽虫を見るような、そんな目がルミアーナに向けられる。
「そう、そうなのですね……ああルミアーナ、あなたは何て悪い子なの、いけない子なの! お仕置きが必要だわ!」
病的な興奮を伴った叫びを合図とするかのように、大聖堂の両端に設けられた小さな扉が開き、そこから続々と女学徒達が姿を現した。ルミアーナと年が同じ者も、年下の者も、年上の者もいて――全員が各々の武器である杖を手に、ルミアーナと向かい合う位置に立った。
総勢、100人以上に及ぶであろう魔女達――その中にはルミアーナの友人や、顔見知りの者もいた。だが、集結した全員がルミアーナに敵意を向けていた。彼女達の顔を見れば、それはもはや明白だった。
これから何が起きるのかは、考えるまでもない。
「そんな、みんなまで……!」
これほど大人数の魔女が、バルバーラに追随していたとは。
驚いたし、悲しいとも感じた。だが今は驚いている状況でもないし、悲しんでいる場合でもなかった。
「さあルミアーナ……母に、私の前に跪き、無様に泣き叫び、そして許しを乞うのです!」
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