- 28 - 命がけの敗走


 挑発するような、嘲るようなバルバーラの言葉。

 気持ちをあまり表に出さない気質のルミアーナだったが、今だけは怒りを隠せていなかった。

 大勢の友人や先輩をそそのかして魔族に引き入れたばかりか、その多くを殺害した張本人が目の前にいる。だが、傷ひとつ付けられない。それどころか、笑みを崩させることすらできないのだ。

 何発も何発も、ルミアーナはバルバーラに向けて光弾を放ち続けた。

 しかし仇である女は構えを取ることもなく、片手で払う動作だけで、そのすべてを打ち払った。

 ルミアーナの攻撃が、ことごとく無に帰すこの状況。もはや戦闘と呼べたものですらなく、バルバーラがルミアーナを弄んでいるだけだった。

 

「その程度なの?」


 邪悪な笑みに顔を歪めながら、バルバーラはなおも煽った。

 ルミアーナはより強く杖を握り、一層の魔力を込めて巨大な光弾を放った。

 それまでとは段違いの大きさの光弾で、人を傷つけるどころか命を奪うには十分すぎる威力を帯びていた。しかし、やはりバルバーラは微動だにせず、笑みを浮かべ続けていた。

 巨大な光弾が直撃し、爆発が巻き起こる。

 しかし、その中から現れたバルバーラはやはり無傷だった。衣服にすら、汚れのひとつも付いていなかった。


「ふふ、あはははははは……!」


 嘲笑が響き渡る。

 ルミアーナはもう杖を振ることも、魔力を込めることもなかった。

 全力を込めた攻撃をも軽くあしらわれ、力の差を痛感させられた。戦意を喪失してしまったのだ。

 だが辛うじて、バルバーラを睨むことはできた。


「その力、魔族の力が加わっているのね……!」


 学院長の座にあるというだけでは、バルバーラの魔力は到底説明がつくものではなかった。

 自分の杖を手放していて全力ではないとはいえ、ルミアーナの攻撃を軽くあしらい続けるバルバーラの強さ。その秘密について、ルミアーナはすでに見当をつけていた。

 魔族に下ったバルバーラは、魔族の力をその身に享受しているのだ。

 元来強いバルバーラの魔力が、それによってさらに押し上げられているのだろう。


「お母様に従っていれば、あなたもこの素晴らしき力を賜ることができたのよ、ルミアーナ……」


 アロスティーネが、バルバーラの隣に歩み出た。

 魔物化した彼女は、姿だけでなく心まで、すでに人からかけ離れてしまっていた。


「アロスティーネ、あれを」


 バルバーラが命じると、アロスティーネは長い腕を動かした。

 彼女が持ってきたそれを見て、ルミアーナは目を見開いた。さっき取り落としてしまった、彼女の杖だった。遥か遠くへと落下していったのをルミアーナは目にしたが、何らかの方法で回収したのだろう。

 銀色の柄に簡素な装飾が施され、先端には青い水晶が取り付けられたルミアーナの杖。見せつけるかのように、アロスティーネはそれを前方へ突き出してきた。


「あなたの杖よ、ルミアーナ……欲しいでしょう? これがあれば、あなたは本来の力を発揮できる……もっとも、それでも闇の力の前には無力なのよ……」


 ルミアーナは答えなかった。

 力の差を思い知らされた今、何も言い返せなかったのだ。

 たしかに、自分の杖を取り返せば本来の力を発揮できるだろう。しかし無理に近づくのは自殺行為に等しい。何より、自分の杖を手にしたところで勝ち目がないのは明白だった。

 今のルミアーナでは、バルバーラの笑みを崩させることすらできない。

 この場で戦いを挑むのは、蛾が火に飛び込むようなもの――愚策以外の、何物でもなかったのだ。


「類まれな魔力を有していたあなたも、所詮は無力な存在……そう、餌となっていったあの娘達と同じ、私のようなごく一握りの、『神に選ばれし者』を引き立てるための生贄にすぎないのよ!」


 歌い上げるように言い放つバルバーラに、ルミアーナは自分の中で気持ちを押し留める堰が壊れたのを感じた。

 魔族に下ったとはいえ、かつては学院長として敬っていた時期もあるバルバーラ。ほんの少しとはいえ、彼女を信じたいという気持ちが残っていた。バルバーラの悪行も彼女の本意ではなく、願わくば魔族に強要されてのことだと信じたい――心のどこかでは、そう思っていた。

 だが、その思いも今、完全に潰えた。

 

「あああああああっ!」


 喉が嗄れそうになるほどの叫び声を上げる。

 ルミアーナが手をかざした先には、アロスティーネが持つ彼女の杖があった。


「神なはずがない! あなたは悪魔よ……人の血を吸う魔物よ!」


 アロスティーネの餌にされた魔女達や、ゼノフィリウムの養分にされた魔女達のことを思い浮かべながら、ルミアーナは血を吐くように言い放った。覚えている限りでは、こんな大きな声を出したのは生まれて初めてだった。

 思い返せば、ルミアーナは生まれてこの方、『怒り』を抱いた記憶がなかった。

 彼女は幼き頃から、生まれ持った強大な魔力が原因で両親に迫害され、村人に疎まれてきた。悲しみや諦めに塗り潰され、怒りという感情そのものを失ってしまっていた。無自覚のまま、そう思い込んできたのかもしれない。

 しかし、そうではなかったようだ。

 信じていた者からの度重なる裏切り、繰り返される友の死……凄絶な光景を立て続けに目の当たりにして、長年に渡って押し留めていた怒りが呼び起こされたのだ。

 かざされたルミアーナの手の平が、魔力の光を放ち始める。


「はっ……!?」


 バルバーラが振り向いた時、アロスティーネが握っていたルミアーナの杖、その先端の水晶が大きな光を放っていた。ルミアーナが魔法を使うのに、必ずしも杖を手にしている必要はない。

 次の瞬間、青い水晶が大きな爆発を引き起こした。

 杖に手を触れずに、魔力による爆発を生み出す。それは誰もができることではなく、魔女の中でも跳び抜けた魔力を有するルミアーナだからこそ成しえる業だった。

 侮辱の材料にするつもりだったか、他に理由でもあったのかは分からない。しかし、この場にルミアーナの杖を持ち込ませたのは、バルバーラにとって悪手に他ならなかった。結果としてルミアーナに不意打ちを許した、反撃の機会を与えてしまったのだ。

 爆発に飲み込まれる直前に、バルバーラの表情に驚きが浮かんだのをルミアーナは目にした。ようやく、笑みを崩させることができた。

 爆発によって、ルミアーナの杖は粉々に砕かれた。

 しかし先端に取り付けられた青い水晶だけは原型を保ったまま外れ、ルミアーナのそばにまで転がり落ちてきた。

 ルミアーナは水晶を拾い上げて懐にしまい、すぐに立ち上がってザンディアの杖に腰掛け、ためらいもなく崩れた壁から外へ飛び上がった。

 あんな爆発でバルバーラやアロスティーネが倒れるはずがないことは、先刻承知だった。

 彼女は長年使い続けた杖を犠牲にして、この場を離れる選択を決した。無様だろうと関係はない、勝ち目がない勝負であるのなら、逃げるのが最善策だった。今のルミアーナの最優先事項は、『生き延びる』ことなのだ。因縁の相手に背を向けるなど、無様な行為に他ならない。

 

「もっと速く……!」


 自分の杖は、逃走のために破壊してしまった。

 だから、ルミアーナは使い慣れないザンディアの杖を使うしかなかった。

 他人の杖である以上、速度は出せないし制御も難しく、一瞬でも気を抜こうものなら振り落とされてしまいそうだった。だが、他に逃走手段がないルミアーナにとって、ザンディアの杖はまさに生命線だった。

 揺れが一層に強くなる。

 杖に意志が存在するのだとすれば、ザンディアの杖は間違いなくルミアーナを真の持ち主ではないと判断し、振り落とそうとしていた。

 

(お願い、今だけでいいから……!)


 振り落とされようものなら、もはや捕まる以外に道はない。いや、落下した時点で致命傷を負うことにもなりかねない。

 ザンディアの杖をより強く握り、ルミアーナは哀願した。

 その直後だった。後方からとても強く、そして邪悪な魔力が迫るのを感じ取った。


「があっ!」


 振り返ることはできなかった。

 紫色の魔力の光線が、一直線に自分の肩を貫くのをルミアーナは感じ取った。経験したことのない強烈な痛みが突き抜け、ガクンと全身が揺れる。

 激痛に気を失いそうになったが、どうにか杖を握り直し、落下を免れた。


(バルバーラ……!)


 肩を押さえながら振り返ると、学院の壁に開いた穴の淵に立ったバルバーラが、こちらに向けて手をかざしているのが見えた。

 やはり、あの爆発は手傷にすらなっていなかったのだ。

 今の光線は、バルバーラが追撃に繰り出したのだ。


「ぐっ、うっ……!」


 ルミアーナの衣服が、みるみる赤く染まっていく。流れ落ちた血液が腕を伝い、ボタボタと滴り落ちていく。

 寸前で身を動かし、急所を貫かれるのは回避した。しかしルミアーナが負わされた傷は、十分に深手といえるものだった。

 それでも、ルミアーナは激痛に苛まれながらも飛行し続けた。

 深手を負いながら、波長の合わない他人の杖で飛び続ける――神業と称しても過言ではないことだった。

 幸い、バルバーラはそれ以上追撃を繰り出してはこなかった。今の一撃で充分だと思ったのか、他に理由があるのかは分からない。


「ううっ……!」


 ルミアーナは、闇雲に飛んでいるわけではなかった。

 彼女が向かっているのは、ロヴュソールだった。

 尋常ならざる気力で痛みに耐えて飛び続け、やがてロヴュソールが見えてくる――そこで、ついに限界が訪れた。


「う、あ……」


 急激に意識が遠のき、両手に力が入らなくなってしまった。

 ルミアーナはついに杖から転落し、荒野へと転げ落ちる。彼女は飛んでいた勢いそのままに地面を転がり、全身を砂埃だらけにした状態で、うつ伏せに倒れ込んだ。

 こんな場所で倒れているわけにはいかない――そう思って身を起こそうとしたが、指の一本も動かせなかった。

 大量の血液と一緒に、自分の身から命が流れ出ているのが感じられた。

 朦朧とする意識の中で、遠くに見えるロヴュソールの城をかろうじて視界に捉える。瀕死の状態に陥ったルミアーナにできたのは、ただそれだけだった。


「エバン……!」


 気を失う間際に、ルミアーナはラスバル村で出会ったあの少年の名を呼んだ。

 このわずか数分後に、本当に彼が自分を救いに来てくれることになるとは、もちろん微塵も思わなかった。




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