- 12 - 真紅の刃
汝、今この時より我が眷属となりて、我オプスキュリアに忠誠を誓うか。
誓う。
汝、我に仇なす凡愚を斬り裂く刃となることを誓うか。
誓う。
汝、いかなる時においても我が命に忠実に従うことを誓うか。
誓う。
……よかろう。契約は今、成された。
◎ ◎ ◎
この力を使う時は、いつでも『契約』を成した時――茨の模様が腕に刻まれた時のことが思い出される。
しかしエバンは、過去を振り返っている時ではないと自分自身に言い聞かせた。
捲った衣服の袖を戻そうともせず、エバンは腕に浮き出た模様をむき出しにしていた。今となっては、もはやそれを隠す必要もなかった。
力を使う――エバンがそう念じると同時に、茨の模様は深紅の光を帯びた。
模様だけでなく、エバンが手にしている剣も、さらに彼の両目も、赤く光り輝いた。その様相は、戦場で魔物を狩り尽くしたエルマもとい、オプスキュリアの長大な金髪のようだった。
赤い光を纏う剣を振りかざしながら、エバンはルミアーナを横目で見やる。
「もう一度、奴の気を引きつけてくれ。よろしく頼む」
ルミアーナは戸惑った様子だった。
超常的な力を有する魔女とはいえ、驚くのも無理もないだろう。エバンの腕の模様や剣、それに彼の瞳が赤く輝く様子を、彼女は目の当たりにしているのだ。
しかし今の状況を思い出したのか、彼女は杖をぎゅっと握り直し、頷いた。
「分かった……」
エバンは、オロルドロスのほうへと向き直った。
巨大な魔物との戦いに、彼はもうじき終止符を打つつもりでいた。
「進め!」
その言葉を理解したかのように、エバンが騎乗している赤茶色の馬が一直線に駆け出した。
オロルドロスとの距離を詰めるまでに有した時間は、ものの数秒だった。しかしそれは、迎撃に晒されるということと同義でもあった。
「今度こそ、叩き潰してくれる!」
オロルドロスは、まずその脚を高々と上げた。次の瞬間、エバン達目掛けてそれが下ろされる。しかし、エバンや馬が踏み潰されることはなかった。馬は素早く横に飛び退く形で、オロルドロスの踏みつけを回避した。
今度は握った拳が振り下ろされるが、馬はそれも難なくかわし、無為に帰させた。
岩石が叩きつけられたような振動にひるみもせず、エバンを乗せた馬はオロルドロスの足元を疾走し続けた。腕を横に振り抜くような攻撃も繰り出してきたが、馬は大きく跳躍して巨木のごときそれを跳び越えた。
エバンは馬の背中で好機を待ち続け、ついに訪れたその時を見逃さなかった。
「そこだ!」
しびれを切らしたオロルドロスが、より強く踏みつけを繰り出した直後だった。
オロルドロスの足が地面にめり込み、それを引き抜くために動きが止まる。エバンの意志が伝わったように、馬が一直線にその脚に急接近した。
赤い光を纏った剣を構え、エバンはそれをすれ違いざまに振り抜いた。
駆ける馬の勢いと、剣の一閃が合わさった一撃は、横一直線の形でオロルドロスの足首を切り裂いた。
――効果は、劇的だった。
「があああああっ!!!!!」
耳を聾するような苦悶の声を、オロルドロスは発した。
背中を剣で突き刺されても無傷で、笑ってすらいた魔物が、今度は痛みを感じているようだった。理由は考えるまでもない。エバンが振り抜いた彼の剣はもう、最初の一撃を見舞った時と同じ状態ではないのだ。
馬はそのままオロルドロスの足元を駆け抜け、少し離れた場所で停止し、振り返った。
エバンはその背中で剣を構え直した。その刃にはまだ、赤い光が纏ったままだ。
「その魔力を帯びた剣……貴様、『魔妃』の眷属だな!?」
「答える価値はないな」
赤い光を帯びた瞳には、魔物を蔑むような色が浮かんでいた。
オロルドロスの問いを、エバンは即座に切り捨てた。元は人間とはいえ、魔族に魂を売り渡した挙句このラスバル村の人々を根こそぎ喰い尽くした怪物相手に、これ以上言葉遊びをするつもりは毛頭なかった。
斬りつけられた片足を押さえ、怒りに顔を歪ませながら、オロルドロスはエバンに向き直った。
「許さん……許さんぞ、小僧!」
エバンに意識が集中しすぎて、この場にはもうひとり敵がいることを失念する。自分が同じ過ちを繰り返していることに、オロルドロスはまったく気づいていない。
怒り狂うオロルドロスの背後に、すでにルミアーナが回り込んでいた。
彼女は杖に腰掛けて空を飛んでおり、ほぼオロルドロスの目線の高さにまで上昇していた。
「私も、あなたにそう言いたいわね」
オロルドロスが振り返ると同時に、ルミアーナは複数の光弾を放つ。
攻撃を察したオロルドロスは両腕を交差させて盾にし、防いだ。
「そんな魔法、二度と喰らうものか!」
しかしルミアーナはまったく動じる様子を見せず、今度はオロルドロスの足元に光弾を放った。それは攻撃ではなく、まったく別の意図を有しての攻撃だった。
オロルドロスが立っていた場所が光弾の爆発によって大きく抉れ、足場を削られた魔物が大きく体勢を崩された。いきなり床が無くなったようなものだから、よろけるのは当然だろう。
「喰らわせるつもりなんて、ないのよ」
ルミアーナは言い放った。
杖で滞空する彼女の銀髪やマントが、風に揺らいでいるのがエバンには見えた。
直接傷を負わせるのは難しくとも、このように魔法を使って隙を作り出す。彼女の応用力に感心しそうになったが、それ以上にやらなければならないことがあった。
オロルドロスは前方に倒れ込み、両手を地面に付いていた。立っていた場所を大きく抉り取られたせいで瓦礫に両足を取られ、すぐに立ち上がることができなくなっているようだ。
これならば、背中以上の急所であろう頭を狙うことも可能だ――ルミアーナが作り出してくれたこの機会を、逃す手はない。
今だ! そう思ったエバンの意思を感じ取ったかのように、馬が即座に駆け出した。
「おのれ、小虫どもめが……!」
忌々しげに呟くオロルドロスは、エバンの接近に気づいていない。
ルミアーナが魔法で地面を抉り取った時の砂煙で、姿が見えなくなっているようだった。
しかしエバンの赤い瞳は、砂煙の中でも決して閉じることなく、オロルドロスの頭部を見据えていた。次の一撃で勝負を決することを決め、刃に赤い光を纏う剣を逆手に持ち直した。
砂煙から飛び出した瞬間、オロルドロスの表情が驚愕に強張った。しかし、何かを言う猶予は与えなかった。
エバンは馬の背から飛び上がり、跳躍の勢いも伴って――逆手に持ったその剣を、オロルドロスの眉間へと突き刺した。
「ぐがっ、あああっ……!」
赤い光を纏った剣が深々と突き刺さったのを、エバンはその感触で理解した。
即座に彼はオロルドロスの頭部を蹴る形で後方に飛び退き、魔物の様子を注視する。
「ああっ、ば、馬鹿な……! グラ、ゾルド……様……!」
眉間にエバンの剣が突き刺さったまま、オロルドロスは悶えていた。
しかし、それも長くは続かない。
魔物の巨体は灰とも砂とも分からない物体に変じていき、風に吹かれて飛散し、やがて完全に消滅していく。それによって対象を失ったエバンの剣が、鋭利な刃の先端を下に向けてまっすぐに落下し、重い音を立てて地面へと突き刺さった。
エバンは歩み寄り、剣を引き抜いた。彼はすでに袖を戻して茨の模様を隠しており、その瞳からも剣からも、赤い光は消失していた。
「一安心か、いや……そうとも言えないか」
剣の刃が、まるで鏡のようにエバンの深刻な面持ちを映し出していた。
廃墟と化した村に、緩やかな風が吹き渡った。
戦いが終わったことで静けさが戻った。しかし魔物が倒されたとしても、村の人々も、かつての活気も、もう戻ることはない。
静かだった、静かすぎた。
どこを見渡しても、無残に破壊された建物や薙ぎ倒された木々が目に入ってくる。エバンには、ラスバル村が滅ぼされたという事実を再び突き付けられたように感じた。
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