第12話 妄想
じゃあ、僕のくだらない妄想を、少しだけ話すことにしよう。
先に言っておくけど、これは本当に、ただの妄想の類のもので、決して事の真相だとか、ましてや真実なんかじゃない。
こんな妄想は、本来誰のためにもならないもので、関わった人間の名誉を思えば、口にしない方がいい。
それでも、ここでこの話を終わらせるのは、僕が望んでも、僕以外の誰も望まないことだろうから、さっさと白状することにする。
いや、白状だなんて言い方、まるで刑事ドラマみたいじゃないか。そんなのじゃない。
ただの妄想だ。
***
僕が思うに、多分美緒が僕らの事務所に来た時には、すでに彼女は不倫の証拠なんて掴んでいたんだ。
それも個人で調べ上げたようなものじゃない。うちなんかよりもっと大手の事務所に依頼して、全部知っていて、その上でうちに来たんだ。
何でかって、そりゃ理由は簡単で、僕らは狩人だったのさ。獲物を罠へと追い立てる狩人。
僕らはあの日、白崎を尾行をしているつもりで、白崎をあの場に追い立てる狩人の役回りをさせられていたんだ。
最初の方は美緒自身がその役回りをやって、つまり、美緒が白崎を尾行して、それに気付いた白崎が裏路地へと逃げ込んだところで、尾行をやめる。
それを何度か繰り返す。繰り返せば繰り返すほど、白崎はあの入り組んだ裏路地で、常に同じルートを辿るようになる。
つまり、尾行を撒くのに慣れてしまう。慣れるから行動も単調になる。そうして、罠が出来上がる。
本当、慣れってのはつくづく恐ろしいものだ。
そうして最後、罠に追い立てる役目を僕らに押し付けたわけだ。
だって最後は、実際に死んじゃうんだから、自分はその場にいない方が都合が良い。
あとは、一体どうやって最後の実行犯を、夫の正雄にやらせるか、だけど。
僕はデスクの鍵付きの引き出しの中から、ひとまとめにしてある書類を取り出す。
「彼女が最初から全部知っていたなら、これももう知られていたわけだ」
勘のいい読者諸氏はすでにお察しのことと思うが、これは先日まで、僕が亜紀ちゃんに隠れて調べていた情報をまとめたものだ。
内容は大して特別じゃない。
白崎茜について、僕が個人的に調べ上げた情報が、書き連ねてあるだけだ。
そう、白崎茜について、僕は既に調べてあったんだ。
だから、白崎についての追加の調査を依頼されたとき、僕は渋い顔をせざるを得なかったんだ。
だって、もう実は調べてあって、でも秘密にしてましたなんて言えないだろう?
それに、これは本来、秘密にしておきたい内容だったから。
白崎茜、21歳の現在大学生。
草壁正雄とは、3年前から関係があったらしい。
——3年前。
成人年齢が18歳へと引き下げられたのが、確か2022年の4月1日だった。
つまり、当時の彼女はまだ未成年だ。
この事実がもし明るみになって、正雄がその後どんな罪に問われるのか、あるいは問われないのかは、僕は法律の専門家じゃないから、定かじゃないけれど、それでも彼に対する社会的な制裁は避けられないだろう。
だから僕は、この件を伏せていた。
勿論、これが正しい選択だとは思っていなかったけれど、僕が頼まれたのはあくまで浮気調査だ。
誰かに社会的な制裁を与える、その引き金を引く役回りなんて、僕としては引き受けたくない仕事だった。
それに正雄のように公務員なら、この件だけで今後の人生が滅茶苦茶になる可能性も十二分にあった。懲戒免職、なんてことになったら最悪だ。
自分の娘とほとんど変わらない年頃の女性に手を出して、路頭に迷う羽目になったりしたら、たまったもんじゃないだろう。
おまけに、自分の妻は離婚の準備が整ってるときたもんだ。
別に同情したわけじゃないし、ほとんど自業自得だと思うけど、それでもわざわざ他人を不幸にしたいとは思わない。
それなりのところに落ち着けばいいと、僕は思っていたんだ。
でもとにかく、正雄の方は内心穏やかじゃなかったはずだ。とても冷静な判断なんてつかないだろう。
そこに美緒はつけこんだ。
白崎のための罠は、正雄にとっての甘い蜜だった。
あの裏路地にいれば、白崎は自分からやってきてくれる。狩人を引き連れて。
そこを殺せばいい。後の罪は、白崎を追い立ててその場にやって来るだろう、貧乏な探偵にでもなすりつけて仕舞えばいい。
そんなことを美緒は、言ったんじゃないだろうか。
だとしたらこれは、正雄にとってお釈迦様が地獄に垂らした蜘蛛の糸にも等しい希望だろう。
そして正雄はそれを実行した。蜘蛛の糸に飛びついた。
だがそこは原作宜しく、糸はぷつりと切れてしまう。
まあ、当たり前と言えば当たり前だ。たとえ、僕らが白崎が殺害された現場にいたとしても、ちょっと調べれば、僕らの犯行じゃないことは容易にわかってしまう。
つまるところ、このお釈迦様の蜘蛛の糸も実は罠。
正雄が犯行に及ぶよう、美緒が用意した都合の良い言い訳。最初から切れるように細工された、悪魔が垂らした蜘蛛の糸。
そうして、事件は起こったんじゃないだろうか。
一人の女が、自分の男と、それを奪った女を、二人まとめて片付けるために、事件は起こされたんじゃないだろうか。
「……なんて、些か冗談がすぎるかな」
僕は、やっぱり誰もいない事務所に、そんな風に独り言だけを残して外出した。
もし、何かの妙で、今日の僕の妄想みたいなことが、実際にあったのだとしても、それは今後、誰の口からも語られることはないだろう。
美緒自身からはもちろん、正雄だって話さないはずだ。
そんなことをして、夫婦揃って捕まったら、残された一人娘はどうなる。何の罪もない自分の娘を、路頭に迷わせたい父親がどこにいるだろう。
だからきっと、正雄は全ての罪を自分で背負い込むはずだ。だから、何も語らないだろう。
そして僕からも、語ることはない。
だって、少なくとも僕の妄想の中では、僕らは狩人だったんだ。白崎を罠まで追い立てたのは、僕たちだ。
僕たち——僕と、亜紀ちゃんだ。
この妄想は彼女にとって、不都合すぎるし、不幸すぎる。
もしもこれが真実として、亜紀ちゃんの前に姿を現したなら、その時こそ本当に、彼女は二度と事務所に戻ってこないどころか、自分を許すことが出来なくなるかもしれない。
だから、この話で幸せになる人は、誰もいない。
この話が真実になることを望む人も、誰もいない。
それがこの妄想の全てだ。
さて、らしくない考え事はこの辺にして、僕は不幸な少女のために、花でも買いに行くとするかな。
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