第8話 報告書

 最初の浮気調査から、調査が終わるまでには大体十日ほどの時間を要した。

 その間何をしたのかと問われれば、実際は初日とやっていることはほとんど変わらなくて、あっちで尾行、こっちで尾行といった具合だった。

 不知火の方はわたしと違ってそれ以外にも何かしらを調べていたようだが、「助手の関わる仕事じゃない」とか何とか言って、わたしにはそのことを一向に教えてくれなかった。

 この事務所に来てもう一月も経とうかというのに、実のところ不知火はわたしをあまり信用してくれていない。

 とにかく、そんな十日間も過ぎてそろそろゴールデンウィークが目と鼻の先に見えてきた頃、わたしたちは調査を終えて報告書の作成に励んでいた。

 

「そういえば、不知火さんが調べてた件って報告書に一緒にまとめるんですか?」

「そうだね。……あ〜でもやっぱりそれは僕一人でまとめておくよ」

「またそうやってわたしに教えない気ですね? 何を隠してるんですか、まったく」

「隠してなんかいないさ、教えてないだけだ」

「一緒じゃないですか」

「いやいや、全然違うよ。回転焼きと大判焼きぐらい違う。仮に結果が同じように見えたとしても、僕のスタンスが違う。それに、亜紀ちゃんは感情がすぐに顔に出るタイプだからね。伝えるべきことは選ばないと」

「わたし、そんなにわかりやすいですかね? あと、回転焼きと大判焼きは一緒です。それにあれの正しい呼び名はベイクドモチョチョです」

「ベイクドモチョ……それが1番変だと思うんだけど」


 そんなこんなで報告書をまとめ終わった頃、草壁美緒は再び事務所にやってきた。

 以前来た時と変わらず、厳格で近寄りがたい印象を保ったまま、彼女はわたしが案内するより早くソファに腰掛けた


「あ……えと、いらっしゃいませ」

「おっ、草壁さん。ちょうどいいところに来たね」


 わたしが呆気に取られていると、奥から不知火が待ってましたと言わんばかりに——まあ実際に待ってはいたのだけれど——とにかくご機嫌そうに姿を現した。

 不知火は挨拶もそこそこに、早速報告書の内容を説明し始めた。

 普段は無駄話の多い彼だが、今日のところは実に淡白な語り口だった。

 そういえば、不知火は草壁美緒のことを苦手なタイプだって言ってたっけ。確かお姉さんに似てて。

 対する草壁の方は、これまた恐ろしいことに、自分の夫の不倫の証拠を眉ひとつ動かさずに眺めていた。

 「浮気調査なんて依頼に来る人は、自分の中である程度腹を決めてから来る」という、先日の不知火の言葉が脳裏に蘇る。

 そう思って仕舞えば、目の前の女性のたまらなく恐ろしい表情も、何だか物悲しいものに見えてきて不思議だ。

 まあ、わたしが内心で草壁のことを怖がろうが憐れもうが、いずれにせよそんなことはこの場においてさして重要なことではない。重要なのはテーブルに置かれた報告書の方だ。

 不知火がわたしに教えてくれなかった情報も、その中にまとめられているはずなのだ。

 故にわたしは耳を澄まして、不知火の発言を一言一句聞き逃すまいとして集中する。

 しかし、


「——とまあ、説明はざっとこんなところかな。あまり声に出したい内容でもないしね。他に何か聞きたいことはあるかな」


 え? 

 不知火の口からは、わたしが期待していた情報は語られなかった。

 聞き逃してしまっただろうか? いや、あれほど集中して聞いていたのだ。聞き逃したりなどするはずがない。

 つまり彼は、他ならぬ依頼人にまで情報を隠しているということか。

 だったら何で調べたんだと言いたくなったが、この場でそんなことを言うわけにもいかない。

 わたしが出かかった言葉を飲み込むと、かわりに草壁が口を開いた。


「こんなに詳しく調べてくださって、ありがとうございます。それで、文句をつけるつもりもないんですけど、この白崎しろさきあかねさん? のこと、もう少し詳しく調べてはもらえないでしょうか?」


 そう言って草壁は報告書と一緒に入っている写真の中から、1人の女性を指差した。

 白崎茜。草壁正雄の、他ならぬ浮気相手だった。


「調べられないこともないけど……でももう名前と住所はわかってるんだ。慰謝料を取るならこれだけでも十分だろう」

「いや、もう少しお願いします」

「そうは言っても」

「お願いします」

「まあ、お願いされればねえ。引き受けない理由はないわけだけど。でもいいのかい? 費用は上乗せするよ?」

「構いません」

「……そこまで言うなら」


 草壁の気迫に負けて、不知火は渋々といった具合だったが依頼を引き受けた。


「それじゃあ、よろしくお願いします」


 不知火が引き受ける意思を見せると、草壁は安心したようにそう言って、事務所を出て行った。


「参ったな、つい引き受けちゃったよ」

「いいじゃないですか、仕事がある分には。うちの事務所、元々閑古鳥が鳴いてますし」

「そんなはっきり言うことないじゃないか」

「でも事実です」


 不知火は萎え切らない態度のまま、最後に一つ大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

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