第7話 浮気調査

 あれから、わたしたちはターゲットの草壁が愛人と会う予定を組んだというレストランにひと足先に入り込んで、草壁が来るのを待っていた。


「でも、よく考えたらわざわざ店内に入るより、外で張り込んでた方が良かったんじゃないですか?」

「僕は基本的に張り込みが嫌いでね。辛いんだよ、あれ。どうせ待つなら中でうまい飯でも食いながら待ってた方が都合がいいだろう」

「そんなものですかね。わたし少し憧れてたんですけどね、あんぱんと牛乳に。それよりいいんですか、ここの料理わたしがご馳走になっても。不知火さん、フランス料理って高いんですよ、知ってます?」

「知ってるに決まってるだろ、僕は探偵だ」


 むしろその探偵の事務所の金回りが、お世辞にもいいとは言えなそうだからこそ、こんなことを聞いているのだが。

 まあ、フレンチなんて庶民のわたしの口に入る機会は滅多にない。奢ってくれるというなら、存分に甘えておくか。

 そんなことを思いながら、ふと向かいに座っている不知火を見て、わたしはほんの数時間ぶりに、またもや驚愕の事実を目撃した。

 不知火の、目の前の彼のテーブルマナーが完璧だったのだ。

 いや、別にわたしはそういったことに特別造詣が深いわけではないので、実際に彼のマナーが完璧かどうかなどは分かりようがないのだが、それでも完璧だと錯覚してしまうほど、不知火は慣れた手つきで料理を片付けていた。


「……嘘、ありえない」

「ん? どうしたの」


 完璧な見た目で、完璧なマナーで食事をとる目の前の男が、不知火であるはずがない。あっていいはずがない。


「誰ですかあなたは!」

「そのくだりはさっきやっただろう」


 不知火に何だかとてもめんどくさそうにあしらわれてしまった。

 なんだか今日に限っては、わたしと不知火の立場が逆転してしまっている気がする。わたしの中の彼に対する認識が大きく揺らぎそうだ。


「おっ、きたきた。あいつが草壁正雄だ」


 わたしが少し思い悩んでいる間に、ようやく草壁は店内に入ってきたようだ。

 残念ながら、不知火と向かい合わせの形で座っているわたしにはその様子を確認することはできなかったが、かわりに不知火が実に饒舌に実況してくれた。


「草壁正雄、47歳。行政職の地方公務員だとさ。懐があったかそうで羨ましいよ全く。んで、隣の不倫相手が……おっ、若いな。奥さんの方はきっちりした綺麗めな感じだったけど、こっちは可愛い系だ。それにしたって若いなぁ、ひょっとすると10代なんじゃないか?」

「不知火さん、いくら何でもそれはないでしょう。10代って、何歳差ですか」

「確かに、愛人ってよりは親子みたいだ。でも一応奥さんからもらった情報通りなんだよなあ」

「そもそも、依頼人の人は何でここまで細かく不倫に関する情報を持ってたのに、わたしたちに依頼してきたんですかね。もうほとんど調べることなんてなさそうですけど」

「浮気調査なんてわざわざ依頼する人は、自分の中である程度腹を決めてから依頼に来るからね。むしろほとんど動かぬ証拠を押さえてる場合も少なくない。まあ今回の場合は、離婚の時に少しでも有利に働くような証拠が欲しいんだろう。そういや、草壁さんのところには娘さんがいたんだっけな」


 その後も、不知火は草壁たちの様子を事細かにわたしに説明してくれた。

 最後の方にはもう調子になりすぎて、「いけっ」とか「そこだっ」とか訳のわからないことを実況していて、呆れたけれど。

 結局、草壁たちが店を出てホテルに入って行くまでの様子を、わたしたちは何事もなく2人を追跡することができた。


「……よし、ちゃんと入ってったね。今回の仕事は思いの外早く終わりそうだね」

「そうですね。それより、もうそろそろ帰りませんか? 証拠も十分揃いましたし、何よりホテル街に男女2人でいるのは、その……」


 つい言葉に詰まってしまったが、ホテル街——より正しく言うなら、ラブホテルとか、カップルズホテルと呼ぶべきなのだろう建物が並び立つその街に、男女が2人でいることの意味なんかわざわざ語る必要もないだろう。

 もちろん、わたしと不知火の間に限ってそんなことは当然起こりようがないのだが、側から見ればそういう風にしか見えないだろう。だからわたしは一刻も早く帰りたかった。

 わたしと不知火が情事にふけっている光景など、想像するだけで、あるいは想像されるだけでわたしのプライドに傷がつく。


「何言ってんの亜紀ちゃん。そんなにすぐには帰れないよ」

「え? 何でですか?」

「草壁があの女の子とちゃんとセックスしたかどうか、まだわからないからね。一発ヤるまで、最低でも40分はホテルにいることを確認しないと」

「セッ、一発ヤ……もうちょっと言い方選べないんですか!」

「ん〜じゃあ、おせっせ?」

「もういいです! 頼んだわたしがバカでした」

「まあ待ちなよ、まだ結論を出すのは尚早だ。じゃあこういうのはどうだろう——」

「だからもういいですって! これ以上呼び名のバリエーションを増やさないでください」


 結局その後、草壁たちがご休憩を終えてホテルから出てくるまでの間中ずっと、わたしは不知火から性行為の新しい呼び名についての案を聞かされ続けるという軽いセクハラを受けた。

 どうやら今日一日なりを潜めていた自由人不知火が帰ってきてしまったらしい。

 ちなみに中でも最悪だったのは『白子パーティー』だ。

 ……何言ってんだろう、わたし。

 




 

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