第17話 恋バナと決戦前夜

「そういえば——」


 不知火の服を買い揃えた後の帰り道で、わたしは何となく、雑談の中に混ぜ込むように、その話題を切り出した。

 

「——不知火さんって彼女いるんですか?」


 そう、自分のことばかりに目がいって、意識していなかったが、不知火に恋人がいるかどうかを確認していなかった。

 今更こんなことを聞いても仕方がないといえば、それもそうなのだが、それでも一応、この場合は、聞いておくのが礼儀というやつだろう。

 彼女のいる男に、わたしの彼氏役をやってもらう、というのは流石に気が引ける。

 まあ、たとえ気が引けても、わたしの方はは後には引けない立場なので、どちらにしても不知火には協力してもらう他ないのだが。

 それでも、もし彼に恋人と呼ぶべき相手がいるのなら、ちゃんと謝っておくべきだと思ったのだ。

 そうした思考の末、わたしは先ほどの質問に行き当たった。


「で、不知火さんって彼女いるんですか?」

「二度も聞くなよ。……いると思うかい?」

「思いませんね」

「じゃあ、それが答えだよ」

「……そうですか。まあ、そうだろうと思ってましたけど。だって、不知火さんの彼女なんて、まるで想像できないですから。いるはずないです。いた方がおかしいです」

「そこまでの確信があったのなら、なぜわざわざ質問してきたのか、甚だ疑問だよ。それに、僕に彼女が一人や二人いたとして、一体何がおかしいんだよ」

「二人いるのはおかしいですね」

「そこじゃないよ。言葉の綾だ」

「では、こちらも売り言葉に買い言葉ということで」

「ああ言えばこう言うってやつだね」

「でも、正直な話、不知火さんの彼女って全く想像できないですよ。不知火さん、恋人いたこととかあるんですか?」

「あると言えばあるし、ないと言えばないかな」

「……哲学の話ですか? それともシュレディンガーの猫ですか?」

「どっちでもないよ。強いて言うなら恋の話、恋バナだよ。ちなみに、僕のタイプの女性は黒髪ロングの優しいお姉さんってところだ。参考にしてくれ」

「しませんし、そんな情報は求めてません」

「嘘だろ? ここは今の僕の話を聞いて、亜紀ちゃんが髪を伸ばすことを決める流れじゃなかったのかい?」

「なかったですね、そんな流れは。存在しなかったです」


 わたしがそう言い切ると、不知火は『あら残念』と、全く残念そうではない、むしろ楽しそうな口ぶりで呟いた。

 結局、彼に恋人がいた時期はあるのか、と言うわたしの問いは、実に軽々とはぐらかされてしまったわけだ。

 まあ、わたしもたいして興味があったわけでもないので、話はそのまま流れてしまった。

 ただ、最後に不知火は、ほとんど独り言みたいな、自分自身に言い聞かせるような物言いで付け加えた。


「まあ、恋人は必要ないかな。僕は誰も愛さないから」


 誰の受け売りだよ、とか、どんな強がりだよ、とか思ったが、その感想が声になってわたしの口から出ることはなかった。

 ほんの一瞬、不知火が怖い顔をした気がするから。


***

 

 その日の夜のうちに、母は明日こちらに向かうという連絡を寄越してきた。

 明日の朝から出発するのであれば、こちらに到着するのは昼過ぎになるだろう。

 ということで、わたしたちは翌日の朝のうちに事務所に集合し、作戦会議を行うことにした。

 

「すごい、本当に不知火さんですか?」

「そうだよ。亜紀ちゃん、前にもそんな反応したよね。いい加減慣れなよ」

「いや、馬子にも衣装って言いますけど、こんなに印象が変わるのは珍しいですよ。どこのお坊ちゃんになっちゃったんですか」

「どこのお坊ちゃんでもないよ。僕はしがない私立探偵だ」


 不知火はわたしの言いつけ通り、しっかり身だしなみを整えて小綺麗な格好をしてきてくれた。

 以前から思っていたことではあるが、不知火は自分で自分の見た目を悪くしているだけで、決して素材は悪くないのだ。

 だから、普通の格好をするだけでそれなりによく見えるし、着飾れば結構なイケメンに見える。

 まあ、裏を返せば、中身が外見に釣り合っていないということになるのだが。

 それが外見にまで滲みでて、普段の不審人物の様相を作り出しているのだから、何とも皮肉な話である。

 

「はあ」

「なぜ、亜紀ちゃんにため息を吐かれるんだい?」

「いえ、何でもありません」


 ともかく、今の彼ならば、わたしも胸を張って紹介できそうだ。

 いや、所詮は偽物なのだから、胸を張ることはできないか。

 ともかく、そうしてわたしは不知火と綿密な打ち合わせを行った。


「で、不知火さんとは職場で知り合ったってことにしましょう」

「まあ、概ね正しいね」

「あっ、でも探偵ってことは伏せておいてください。なるべく仕事の内容ははぐらかす方向で」

「できるかなあ。僕、不安だな」

「嘘つかないでください。はぐらかしは不知火さんの得意分野でしょ」

「そんなことないと思うけどな」

「あっ、あとこのイヤホンはつけておいてください」

「つけておいてって言われても。何に使うの?」

「不知火さんと母の二人きりの場面があるかも知れないじゃないですか。その時に、これを使ってわたしが遠隔で指示を出します」

「そんな大層なこと、する必要あるのかな」

「必ず必要になります。母はそういう人です」


 ——母が、来る。

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