第18話 手を繋ぐ

 その日の昼過ぎには、母は事前の連絡通り到着したようで、駅まで迎えに来るようわたしに連絡してきた。

 普段は時間にもルーズな母だが、こういう時は恐ろしいほど、予定通り行動する。

 今日ばっかりは、もう少し遅れてくれてよかったのに、なんて叶わぬ願い事を頭の中で並べ立てながら、わたしは不知火を連れて駅まで母を迎えに行った。


「あっ、やっと来た。もう、遅いわよ亜紀」

「いつも遅刻スレスレで行動してるお母さんにだけは、言われたくないんだけど」

「あら酷い。お母さん、遅刻なんてしませんから。たまにちょっとだけ、時間通りに行動できないことがあるだけよ」

「それを遅刻って言うんじゃ……。でも久しぶり、お母さん」

「ええ。亜紀も元気そうでよかった」


 母のいつもの調子に振り回されながらも、何とか挨拶を済ませる。

 正直、『久しぶり』という言葉が相応しくなるほど、母と会わずにいたわけではないけれど、それでも何となく、そんな台詞を言ってしまった。

 多分、母の顔を直接見ることができて、少しばかり気が緩んでしまったんだと思う。

 わたしと母の間にだって、そういう、家族の絆みたいなものは、ほのかにだが、しかし確かに存在するのだ。

 ただ、今日ばっかりはそんな悠長なことを言っていられる余裕もない。

 母はわたしと一通り、いつも通りの挨拶を交わした後に、わたしの隣、つまり不知火の方に視線をやった。

 

「それで、もしかしてこちらの方が?」

「あ、うん。じゃあ紹介するね。わたしの……彼氏、の不知火さん」


 わたしが不知火の方に体を向けて紹介すると、彼も一歩前にでて、自己紹介を始めた。

 

「申し遅れました。不知火響といいます。亜紀さんにはいつもお世話になっております」


 そう言って、不知火は軽く頭を下げた。

 何だが動きの一つ一つが硬い気がする。もしかして、緊張してるいるのだろうか。

 いつもの飄々とした雰囲気はどこに行ったんだ不知火。あれがないと、母と渡り合うことはできないのに。

 というか、不知火がまともに敬語を使っているところを、わたしは初めて見たかも知れない。

 あの不知火が、借りてきた猫のようにおとなしいのが、なんだか面白かった。

 それがわたしのための行動だと、頭ではわかっているのだけれど、しかしやっぱり面白い。

 今度この件で不知火をからかってやろう。


「それじゃ、あまりここに留まるわけにもいきませんから、場所を変えましょうか」


 不知火からそんな提案をされて、わたしはふと我に帰った。

 どうやら、わたしが不知火のことを面白がっている間に、二人は軽い挨拶を終わらせてしまったようだ。

 気付けば二人とも、不思議そうな表情でわたしの顔をじっと見つめている。


「えっと……何の話だっけ?」

「何よ、亜紀。あんた聞いてなかったの? ずっとニヤニヤしちゃって。大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。何でもないから」


 どうやらわたしの企みが、顔に出ていたらしい。これはまずい。


「僕が少し場所を変えようと提案したんだよ」


 すかさず不知火がフォローを入れてくれた。ああそうか。そんな話の流れだったような気がする。


「実はいいカフェを知ってましてね。案内しますよ、御清水さん」

「あら、嬉しい。それじゃお願いしちゃおうかしら」

「行こうか、亜紀ちゃん」


 不知火に声をかけられて、わたしは二人の後についていった。

 気がついたころには、さっきまでわたしがいたはずの不知火の隣には、母が歩いていて、わたしはその後ろをついて行く形になっていた。

 彼氏の隣という立ち位置を、さりげなく母に奪われてしまった。

 そんな母の行動に、なんとなく不満を感じてしまった。その場所は、彼女であるわたしの立ち位置ではないのか。

 いや、わたしと不知火の関係はあくまで演技、恋人のフリなのだから、彼の隣に立つことを所望する権利は、厳密には、わたしにはないのだけど。

 しかし母よ、それはあまりに無神経すぎないだろうか。

 そんなことを考えて、何となく母の背を見つめていると、母が不意にわたしの方に振り返って、


「どうしたの? じっとこっちを見て。ゴミでもついてるかしら?」


 なんて声をかけてきた。

 どうやら、わたしの不満は母には露ほども伝わらなかったらしい。

 まあ、母は元々こういう人か。

 空気を読むとか、周りがどうとか、そういうものを弁えている人なら、そもそも今、母がこの場にいるはずがないのだ。

 

「亜紀ちゃん」


 今度は不知火が振り返ってきて、わたしの名前を呼んだ。

 呼び方はいつも通りなのに、いつもより少しだけ、わたしの名前を呼ぶ声が優しくて、やっぱり面白い。


「何ですか?」


 わたしの問いかけに、不知火は何も答えなかった。

 かわりに、母のいる方と反対側の手で、そっとわたしと手を繋いできた。

 その手に引かれるように、わたしの体が不知火の左隣までスッと移動する。

 普段の不知火なら絶対にしないだろうその行動が、ちょっとだけ嬉しくて、そして妙におかしかった。

 笑いそうになるのを堪えながら、わたしは小声で不知火に文句を言った。


「何一丁前に彼氏ヅラしてるんですか」

「まあまあ、見せつけておかないと」


 悪戯っぽく言った彼の声は、いつもの愉快そうな声音を取り戻していた。

 

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探偵さんは、暴かない。—彼がミステリーと呼ばない話—  座敷アラジン @zashiki_aladdin

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