第15話 押し問答

「お願いです、不知火さん! 大変不本意ながら、不知火さんしか頼める人がいないんです」

「その不本意ってのは、本来腹の底に隠しておくべきセリフじゃないのかな。それに、僕は探偵であって何でも屋じゃないんだけど」

「何でも屋みたいなものじゃないですか!」

「そう言われると、あまり否定できないのが悔しいよ」

「なんならお願いじゃなくて、依頼ってことでもいいですから。お金、お金出しますから!」

「それは魅力的な提案たけど……でも、今日は事務所は休みだし……それに、いくらなんでも自分の助手からお金を恵んでもらうのは、僕的にもちょっと……」

「もう! じゃあ、どうやったらわたしに協力してくれるんですか!」

「ひょっとして、協力しないという選択肢は、最初からないのかな」

「きーっ! 人がこれほどへりくだって頼んでいるというのに」

「そうでもないだろう。その強情なところは、もしかしなくても、さっき話に出てきたお母さん譲りだよね? 亜紀ちゃん」

「あっ! それは言われたくなかったです。わたしずっと、お父さん似なのが自慢だったのに! ついに言っちゃいけないことを言いましたね。それを口にしたからには、もうわたしも黙っていられません。戦争です!」

「そんなことしてる暇ないだろう、亜紀ちゃんは」

 

 先刻までの気まずい空気はどこへやら、わたしたちは、かれこれ三十分くらい、ずっとこの押し問答を続けていた。

 わたしだって、不知火に無理なお願いをしていることは、重々わかっているつもりだ。

 だけど、わたしの知り合いで、この連休中ずっと暇そうにしている男性なんて、残念ながら不知火しかいないのだ。

 今のわたしには、彼しか頼れる人がいない。

 母は多分、明日にはこっちに到着してしまうだろう。それまでには、何とかして手を打たないといけない。

 先ほど不知火に強情と言われたわたしだが、そんなわたしの倍は強情なのが、あの母なのだ。

 わたしの彼氏に会うと言ってこっちまで来たのなら、本当に会うまでは、きっと母は家に帰らない。

 そして、わたしが嘘をついたことがバレれば、今度はわたしが、実家に連れ戻されてしまう。

 母を説得したり、言いくるめたりすることは、わたしにはできない。

 少なくとも、これまでの人生においては、ただの一度も、母を折れさせることはできなかった。

 父でさえ、そういう説得が成功するのは五回に一回程度だった。母はそれほど強大だった。母は強し、という言葉の通りだった。少し意味が違うかもしれないけど。

 そんな母をこれから説得するか、今ここで不知火を説得するか。

 わたしなら絶対に後者を選ぶ。

 というより、選択の余地などないに等しいだろう。だって前者に至っては、実現不可能なのだから。

 

「あっ、そうだ。うちの実家で犬飼ってるんで、今度、父に頼んで動画を送ってもらいましょう。それを不知火さんに見せてあげます」

「いらない。全然、これっぽっちも欲しいと思わないよ。大体、交渉材料として弱すぎるだろう、それ」

「嘘、……うちのココアをいらないだなんて」

「美味しそうな名前だね」


 そうだった。不知火は初めて会った時、カプチーノという名前の猫を見て、美味しそうだとかほざいた男だった。

 動物への愛情など、あるはずがない、卑劣な男だった。それを忘れるだなんて、わたしとしたことが、迂闊だった。


「……今、僕に対して、何かとても不名誉なことを考えなかったかい?」

「いえ、別に何も。それより、これ以上わたしに出せるものなんて、何もありませんよ? さあ、わかったら観念して、さっさとわたしに協力してください」

「なぜ亜紀ちゃんの立場が、僕より上になっているのか、全然わからないな。君、僕に頼み事をしてるんだよね?」

「そうです。何か変でしょうか?」

「何が変かと聞かれれば、全部変なんだけど」

「不知火さんほどじゃありませんよ」

「いや、僕も大概だけど、今日に限っては亜紀ちゃんの圧勝だろう」

「そうですか、ありがとうございます。では、優勝賞品代わりに、わたしに協力してください」

「もう滅茶苦茶じゃないか。そんなキャラじゃないだろ、亜紀ちゃん」

「そうでしょうか。では、イメチェンというやつですね」


 わたしは胸を張って答えた。

 もうこれ以上、交渉に使えるものなど、わたしには残されていない。

 だから、ここから先はもう、開き直るしかなかった。開き直って、『協力してくれないと、事務所中に落書きしてやる』とかくだらない悪戯を、並べるしかなかったのだ。

 ちなみに、実はこれは母のよく使う手口だったりする。開き直りは、あの人の一番の武器だった。

 わたしは、心の中でそっと、故郷の母に思いを馳せる。あの人の力で、不知火を必ず説得しなければ。

 わたしに力を貸して、お母さん。


「……わかった、わかったよ。亜紀ちゃんの彼氏のふりを、僕がすればいいんだろう? 僕は、演技はすこぶる苦手な大根役者だけど、それでいいなら力を貸すよ」

「やった、本当ですか? 言質取りましたからね?」

「ああ、本当だ。言質でも何でも、好きにとっていきゃいいさ。これ以上亜紀ちゃんに開き直られて、事務所に落書きでもされたらたまらないからね」

「げっ、なぜその作戦を」

「まさか……本当にする気だったのかい?」

 

 


 

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