ep.13 勇士の証明

 1.

 競技の受付を済ませたゼノンとアルキリアは、一度競技場の観客席を歩いてみることにした。出番までには、まだ数時間空いている。


 リカロンの競技場は他の帝国の都市のものと同じく、楕円形だえんけいのすり鉢のような形だ。他と違うところといえば、観客席の一角にある王族席の装飾くらいだろうか。


 女帝ラガエラは、瀟洒しょうしゃな装飾を好む。藍色に染められた絹の帝国旗がはためき、柱は繊細な白金しろがねの装飾で飾られている。競技場自体は数十年前に造営したものであり、王族席は後からラガエラの指示でしつらえた。結果的に王族席だけが新しく、きらびやかにみえる。無骨ぶこつな競技者たちの汗や血には似つかわしくないともいえる。


「ゼノン、見ろよ。酒と肉を売っているぞ」


「待て待て、これから試合だっていうのに酒を飲む気か?」


「わかってないな、戦いの前の景気づけだろ? 『素面しらふのスタルジア人をみつけるのは竜をみつけるより難しい』って言葉を知らないのか?」


誇張こちょうだと思ってたのに、本当だったのか……」


 アルキリアは、制止しようとするゼノンを置いて酒売りの元へ歩いて行った。エールと骨付きの肉を買ったアルキリアは、ゼノンに半分を渡した。


「俺も飲めっていうのか」


「当たり前だろう。ここは私のおごりだ。さあ、飲め」


 促されるまま、ゼノンはエールを一口飲んだ。意外にも冷えている。ゼノンが驚いた顔をしているのを見て、酒売りが満足げに話しかけてきた。


むろから出したてだ。旨いだろう。その顔を見るためにこの商売をしているようなものだよ」


「おっさん、ここで商売始めて長いのか? よかったら競技場のことを教えてくれよ」


 アルキリアは知らない誰かから話を聞き出すことに慣れているようだ。酒売りは気分良さそうに話し始めた。鼻の頭が少し赤いところを見ると、商売のついでに売り物のエールを飲んでいるのだろうか。


「昔、俺が若かったころはな、この競技場で奴隷が戦わされていたんだ。かつては武器も真剣が使われていて、防具も着けずに戦っててな。それはそれは惨たらしい見世物だった」


「酷いな」


「ただ、血が見たかったんだろうな。500年前、偉大な皇帝カルラディオスが平和をもたらしてからというもの、人々は血と酒と賭け事を娯楽にしたのさ。しかし、そんな時代も前皇帝アレニコスの時代で終わった。残酷な殺し合いを改めさせ、平和的な競技に生まれ変わったのさ」


「アレニコス帝といえば、ラガエラ陛下はアレニコス帝の妃だったな」


「その通り。うるわしきラガエラ陛下は先帝の御意思を継いで平和な世を築こうとなされた。しかし、愚かな元老院は北部貴族のルーコンを皇帝として選出し、さらにあり得ないことに西部では一介の将軍に過ぎないガリオスが皇帝位を僭称せんしょうしたんだ」


 語りに熱を込めた酒売りが、握りこぶしを振っている。アルキリアはあまり興味を持てない様子で、ゼノンに目線を送った。


「あー、話はもっともだが……」


「んん、すまない話がそれたな。とにかく! 昔のような残酷なものではないが、誇りを賭けた戦いだ。なにせ、競技に内戦は関係なく、貴族も平民も一緒に出場できる。それにこの競技会で勝てば、優勝者には名誉と豪華な賞品が贈られる」


「豪華な賞品?」


 アルキリアの眼が輝いた。


「今回の優勝賞品は、翼の兜だ! その兜一つに城一つ分の価値があるという逸品いっぴんだぞ!」


 アルキリアの眼にはいつになく欲深い色が浮かんでいた。


「言っておくが、賞品は売ったりしない。ラガエラ陛下から贈られる名誉ある兜だろう?」


 ゼノンはアルキリアに釘を刺すように言った。酒売りの親父は愉快そうに笑っていた。


「優勝なんて誰もができるもんじゃない! 優勝できたら、国一番の勇者と呼んでやろう! 名前はなんて言うんだ?」


「俺がゼノンで、こっちがアルキリアだ」


 酒売りは、聞くやいなや観客席の群衆に向かって声を張り上げた。


「さあさあ、張った張った! ここにいる傭兵が優勝する方に誰か賭けないか!?」


 酔っ払いが集まり、賭けが始まった。


「参った、商売上手だな。行こうゼノン、他のみんなと話してから試合に行きたいだろ?」


 群衆をかき分け、事前に話した席まで移動するのはかなり手間だったのは言うまでもない。


 2.

「初めての者もいるだろうから、今からルールを説明しよう!」


 選手控室に集まった者たちを前に、身なりの良い壮年の男が立った。


「今からの試合は予選だ。競技場内には六ケ所の入場口がある。君たちは今から順番に競技場に入場してもらう。入場したら即、他の選手をぶちのめせ! この予選グループは30人で争うことになっている。最後まで競技場に立っていた者がだけが本選出場の権利獲得となる。何か質問は?」


 ゼノンは周りを見回した。髭を端正に整えた、育ちの良さそうな男が手を挙げた。


「順番に入場するのでは、後から入った者が有利ではないか?」


「ふむ。君も初めてだな? 我々は、出場者の過去の出場記録や戦歴、軍歴など参考にしてランク付けを行っている。ランクが高く設定された者から順に入場することになっているから、ある程度の公平性は守られるはずだ」


 他に質問するものはいなかった。


「では、諸君。防具をつけ、武器を取れ。健闘を祈る」


 防具が入った箱には名前と番号が書かれている。ゼノンの箱には『1』とある。受付で軍歴を記したが、まさかこのように使われるとは思っていなかった。やや不利になるが、優勝を目指すならこの程度の不利は気にするわけにいかない。


 ゼノンは競技用の防具を身に着けた。厚手の布と綿を縫い合わせた胴鎧に、革の籠手、そして首から頭を守る革製の兜だ。


「一番手、準備はいいか? こっちで武器を渡す」


 ゼノンが位置に付くと、係員が木製の剣と盾を手渡してきた。どうやら、武器は無作為に選ばれ、選手に渡されるようだ。ゼノンの後ろに並んだ者にはこん棒だけが渡されていた。


 扉の向こうから聞こえる観客の歓声が一際大きくなった。太鼓を打ち鳴らす音、ラッパの音が響くと同時に、両開きの扉が大きく開け放たれた。


 3.

 イリナとライサは席に座って競技場を見守っていた。もうすぐ、ゼノンの出番になる。


「ライサさん、最近兄さんは変だよ。私とちゃんと話してくれない気がする」


「前はもっと話していたの?」


 イリナには、競技場の歓声がどうにもうるさく感じた。


「兄さんが軍に入ってから何年も離れて暮らしていたんだけど、手紙で色々話してくれていて。今は近くにいるのに、ずっと遠くにいるような気がする」


「私は知り合って間もないから、確かなことは言えないかもしれないけど……」


 ライサは一度言葉を止めて考え込んでいるように見えたが、一呼吸置いて話し始めた。


「隊長は焦っている。もちろん、家族を取り戻したいっていうのもあるかもしれないけど、何か別のことを考えているような気もする。こんな言い方をしたら不安になるかもしれないけど、生き急いでいるというか」


 イリナが眉をひそめるのを見て、ライサは言葉を続けた。


「私たちが気を付けてあげなきゃね。無茶なことをしないように、見てあげないといけない人なんじゃないかって思う」


 競技場にラッパと太鼓の音が響いた。帝国軍の軍楽隊が奏でるファンファーレだ。競技場の中は大歓声に包まれ、イリナの声はかき消された。


 一番手で入場したゼノンを見て、イリナの後ろの席に座っていたアリオンが立ち上がった。


「隊長!!」


 周囲の歓声に負けない大声だった。


 競技場のゼノンは振り返ることもなく、壁際かべぎわを走った。入場したばかりの選手の不意ふいをつき、ゼノンは盾で相手の斧を押し込んだ。ゼノンは斧を制したまま裏刃で後頭部を続けざまに打ち据えた。ふらついた足を払いつつ盾を体ごと押し込むと、倒れた相手の上に馬乗りの格好になった。


 観客席から大きな歓声が上がった。地に腰を付けたものは敗者となる。ゼノンはうなだれた敗者を残して、すぐさま立ち上がった。


「隊長!投槍だ!」


 アリオンが指さした先から、うなりを上げて槍が飛んできた。


 ゼノンは振り向きざまに盾で打ち払い、槍を投げた選手を睨みつけた。さらに投擲とうてきを続けようとするが、彼の視界の外から矢が飛んで来てこめかみの辺りに命中した。


「弓もありか! くそっ」


 競技場内には、木箱や荷車などの障害物が設置されている。ゼノンは一旦射線を切るために荷車の後ろへ走った。


 荷車の裏から槍が突き出されるのを、ゼノンは予測して盾で受け流した。走りながらも、荷車の下の人影に気づいていたのだった。


 不意打ちを受け流された選手は落ち着いて槍を手繰り、距離を詰めるゼノンを牽制した。ゼノンの顔面を突く構えを見せて盾を上げさせると、素早く穂先の向きを変えて盾の下を突く。ゼノンは右へかわしながら槍を荷車へ押し付けつつ前へ進み、木剣の切っ先を相手の鼻へ突き込んだ。鼻血を吹きながら怯んだ相手の右側頭みぎそくとうに、さらに渾身の打撃を加える。脳震盪のうしんとうを起こしたか、その男は槍を放りだして地に倒れた。


 ゼノンの戦いぶりは大いに観客を沸かせていた。そして競技場の反対側からも、大歓声が聞こえる。


「アルキリアか、やるな!」


 ゼノンは遠目にもわかるほど派手に暴れているアルキリアを見た。敗れた選手の武器を拾ったのか、両手に一本ずつスパタ剣を持ち、複数の選手を相手にしている。アルキリアを強敵と見た選手たちが、同時に打ちかかって先に潰そうとしているようだ。


「俺が倒すまで残っていろよ」


 ゼノンは荷車の陰から駆け出し、新たな入場者を次々と狩っていった。

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白翼のゼノンと旗手のイリナ 瀧ノ蓼泉 @taki_endo

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