ep.2 見知らぬ者たち

1.

 パラセムノスの若者たちは、アセライ人の男テュルルが鋭い目つきで剣を抜くのを見て震え上がると同時に不思議に思った。伝え聞いたアセライ兵は野獣のように獰猛で、巨大な斧を振るって女子供も容赦なく斬るという。悪鬼のように残忍だときいていたのに、目の前の男は剣を抜いてなお、鋭さの中にどこか穏やかな空気をまとっている。


「待って! 私があなたたちを護衛として雇う。この先遠くまで逃げないといけないの。護衛がいれば安心して進めるわ」


 イリナは二人のアセライ人と、同郷の若者たちの間に割って入った。


「雇ってくれるの? ねえ、テュルル。なかなかいい話じゃない? 二人だけじゃ帝国軍に怪しまれるかもしれないけど、避難民と一緒なら」


「ああ、決まりだ。ということで、お嬢様。敵意のある農民がいるようですが、蹴散らしてもよろしいか?」


 テュルルは剣の切っ先を若者たちに向け、目を細めて獲物を狩る獣のように歯を見せて微笑んだ。殺気を向けられた男たちは背筋が寒くなり、一人逃げ出すと一目散に全員逃げ出した。


 勢いでつい雇うなどと口にしてしまったものの、賃金を支払うのは父親であるファドンということになる。ファドンが許すかどうか、イリナは不安に思っていた。裏庭に回ると、ファドンは倉庫の荷物を荷馬車に積む作業の最中だった。イリナがアセライ人たちと一緒に現れると、驚いてライサとテュルルの顔をまじまじと見た。イリナは事の顛末(てんまつ)を恐る恐るファドンに説明した。


「でね、ライサとテュルルを護衛として雇ったら旅も安全になるかなって」


「護衛はありがたいが、道で帝国軍に出会えば取り調べを受けるかもしれないな。密偵と疑われるかもしれん」


 ファドンは腕組みをして唸った。


「私らみたいに、何も知らずに帝国に取り残された商人はたくさんいるはずです。いちいち全ての隊商を調べる余裕はないはず」


 ライサが肩をすくめて、何か話せと言わんばかりにテュルルを見た。


「街道は今や無力な避難者を襲う盗賊だらけです。武器を使える者が一人でも多い方がいいでしょう。剣の腕は役に立ちますよ」


 テュルルは外套を開いて剣の柄を軽く叩いて見せた。

 カスカラと呼ばれるアセライ式の直剣だ。鉄の柄頭ポンメルは蕾(つぼみ)のような形をしており、繊細な筋がらせん状に彫られている。鈍く金色に光る青銅製の鍔(キヨン)は、鎌首を持ち上げた二匹の毒蛇をかたどっている。


「あんたがたも難儀なことだな。戦争が始まるような兆しはなかったのか?」


「国境付近で大規模な訓練をするという話がありましたが、まさか攻撃の為だとは。私の親戚は訓練のために集まった兵士のために酒や食料を売りに行くと言っていました。巻き込まれていないといいんですが……」


 ライサは南に広がる森に視線を向けた。森の向こう側は既に戦場と言ってもいいだろう。いつ矢が飛んできてもおかしくない。


「お父さん、この人たちも私たちと同じよ。助け合わなきゃ」


「わかった、いいだろう」


 表情を明るくした三人に「ただし」とファドンは付け加えた。


「テヴェアまでだ。西部と南部の境は内戦になるという噂がある。俺たちは手前のテヴェアまで行くから、その後はあんたらの国までなんとか行けるか?」


 ライサとテュルルは互いに顔を見合わせて頷いた。


「戦場から十分離れることができれば、商人仲間と連絡を取って他の隊商と合流できるように手配できると思います」


「よし、なら大丈夫だな。それと、報酬は期待しないでくれよ。俺たちもこれから先の生活のことを考えなきゃならないんだ。さっそくだが傭兵さん、荷造りを手伝ってくれないか」


 テュルルは何か言いたそうにイリナとライサを見てから、しぶしぶという様子で荷台に登って荷物を積み込み始めた。


「あいつ、働くのが嫌いなの。女の子とおしゃべりしてるのが何より好きなダメ男だからイリナも気を付けてね」


 ライサはくすくす笑ってイリナに耳打ちした。


3.

 この三日間、隊商の後をついてゆくように注意して旅をしてきた。眠るときは隊商が作った野営地の隣に天幕を張り、努めて早朝や夕暮れの移動は避けた。盗賊たちは、早朝や夕暮れどきに少人数で移動する旅人を狙う。


 旅の途中、イリナの弟ビオンはよくぐずった。代り映えのしない退屈な景色で、自由に出歩くこともできない旅では仕方がない。


「静かにしてっ」


 そんな時、妹のメリアは幼いながらも姉らしくしようと弟を叱った。

 ビオンは姉の気持ちなどお構いなしに泣き出してしまう。


「もう少しでウォストラムに着くぞ!」


 荷馬車の横を馬で並走していたテュルルが言う。イリナが身を乗り出して進行方向を見ると、地平線の向こうにウォストラムの城壁が見えた。そして左手には海が広がっている。


「ぺラシック海! 港が封鎖されていなければ、海を渡って帰りたいんだけどな」


「無理だろうな。城壁の内側に入れるかどうかさえ怪しい」


 ライサの嘆息に、テュルルが現実を突きつける。


「とはいえ、帝国が分裂している今なら西部のオルティシア港まで行けば船で帰れるかもな」


「城壁の中に入れないんじゃ仕方ない、ウォストラムは通過しよう」


 荷馬車の引馬を御していたファドンが言った。


「いや、城壁の中に入れないのは私たちだけで、皆さんは中で休んでもいいんですよ?」


 ライサが恐縮した様子で言うが、ファドンは「いやいや」と引かない。


「俺たちは寝食を共にした仲間じゃないか。幸い、ウォストラムからリュカリア平原に入る手前に旅の宿屋があるときいた。そこで一緒に泊まればいい」


「リュカリア平原から目的のテヴェアという村まではどのくらいかかるんですか?」


「テヴェアは平原の南側にある。半日くらいだな」


「じゃあ、ご一緒しますね。皆さんとゆっくりお話しできる最後の夜になりそうだし」


「やった! じゃあ昨日の話の続きを聞かせて!」


 イリナは荷馬車の上で立ち上がりそうなほど飛び上がった。


「こら、イリナ。危ないぞ!」


「おねえちゃん、赤ちゃんみたい!」


 ファドンがイリナを叱ると、メリアとビオンがきゃっきゃと笑った。


4.

 ウォストラムを通過して橋を渡ると、南北を山に挟まれた緩やかな盆地に森林が広がっていた。森林の手前の開けた草地に数軒の宿が連なり、小規模の宿場町を形成している。イリナたちを乗せた荷馬車は、橋のそばの宿屋の前で停まった。


 宿は帝国人だけでなく異国から来た商人や傭兵、旅行者などで賑わっていた。イリナが村では見たことが無い異国の旅人を眺めていると、ライサも辺りを見回して旅人たちの顔を観察していることに気づいた。


「ライサさん、知り合いはいた?」


「うーん、いないね」


「二人とも、ここで荷馬車を見ていてくれないか? 俺は荷物を中へ運ぶ」


ファドンはテュルルを連れて重そうな木箱を運んでいった。


「誰か探しているのか?」


 声に振り向くと、見上げるような長身にスタルジア式の鎖帷子くさりかたびらを身に着けた傭兵らしき女が立っていた。イリナは武装した長身の女に気後れしてライサの背に隠れるように後ずさった。


「まあね。あなたは?」


 ライサが訝しむような視線を送ると、女は長くて白い手のひらを振った。


「おっと、怖がらせるつもりはない。私はアルキリア。ちょっとしたトラブルで失業中だからさ、依頼が無いか聞いて回っているんだ」


「依頼かぁ。傭兵に任せていいことじゃないから、他をあたってもらわなきゃいけないけどトラブルは少し気になるな」


「知ってるだろ?戦争だよ。私の雇用主は行く先を変えざるを得なかった」


「それで、どうして仕事を失ったの?」


 イリナはライサの服の裾を持ったまま、アルキリアに尋ねた。


「私には商人の考えがよくわからん。儲けが出なくなるとか言っていたが…」


 アルキリアが言葉に詰まると、ライサが「ああ、それはね」と話し始めた。


「急な予定変更はかなりの損害になるよ。商人たちは仕入れた物をどこで売るか決めてから出発しているの。もちろん、目的地に着くまでにかかる経費も計算してる。戦争を避けて迂回したら、その分経費が高くついて儲けが少なくなるでしょう? しかも品物を届けられなければ取引先まで失ってしまう」


「そうだ、そういうことだ」


 アルキリアはわかっていたと言わんばかりにうんうんと頷いたが、「絶対わかってないでしょ」とライサが小声で言うと苦笑いをした。


「まあ、とにかく報酬が払えないからってことでお役御免さ。この宿屋は引き返すやつらばかりで、新しく傭兵を雇う余裕は無いんだとさ。明日にはこの辺りもかなり寂しくなるんじゃないかな」


 アルキリアは腕組みをして深い溜息をついた。

 確かに、辺りを見回すと隊商は次々に西か北へと出発してゆくようだ。商人たちは険しい顔で使用人を急がせている。


「戦場に出て手柄を挙げてみたいところなんだけど、一人で軍の野営地に行っても門前払いだったよ」


「まあねえ。帝国軍では難しいでしょ。傭兵団を探してみたらどう?」


「ウォストラムで探してみる。でも、今日のところは一緒に飯でもどうだ? あんたらの話も聞かせてくれよ。どう見たって家族って感じじゃなさそうだが」


「たしかにね。お酒でも飲みながら話しましょう」


 イリナたちはアルキリアと共に夕食をとった。

 ファドンの努力の甲斐あって、この旅の中で一番人間らしい食事だった。


 海が近いだけあって新鮮な魚介類を使った料理は特に美味しく、特に生マグロの魚醤ぎょしょうがけはイリナのお気に入りだった。ファドンは好物の生牡蠣を山ほど食べたが、アルキリアは生の魚介類を好まないようで肉ばかりを選んで食べていた。近隣の村は羊の産地としても有名で、地元の酒場では羊肉の串焼きが定番のメニューだ。羊肉の串焼きは麦酒エールとよく合う。


 酒場には他の客が少なかった。お陰でイリナたちは和やかで満ち足りた時間を過ごせた。




 宿屋の部屋の灯りが消えてしばらくすると、家族の寝息が聞こえてくる。

イリナは何故か胸がざわついて寝付けずにいた。


 ベッドから降りてドアを静かに開けると、誰かの声が聞こえた。

 テュルルとライサが一階で話しているようだ。


 イリナは忍び足で階段の踊り場まで降りてゆき、聞き耳を立てた。

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