ep.1 帰郷

1.

 森と共に生きる小さな村に、収穫の季節が訪れた。収穫の祭りの準備の為、村人たちはせわしなく働いている。竈から焼きあがったばかりのパンの匂いが村中を漂い、籠いっぱいの果物を抱えた女たちが行き来している。


 イリナは祭りに使う香りのよい薬草を詰めた籠を背負った。薬草師である母の薬草園で採れたものだ。


 パラセムノスは帝国南部にあり、南のアセライと盛んに貿易するダナスティカと、東のクーザイト国と貿易するオニラを結ぶ街道沿いにある。村の名産である岩塩を目当てに隊商が訪れる為、村は特別裕福とはいえないまでも日々の生活に困らない程度には豊かだった。


「イリナ、こっちへ来て見てくれ。大物が獲れたぞ!」


 イリナは父親の声に振り向き、大きな猪を引きずるように運ぶ男たちに手を振った。


 イリナの父ファドンは、村の猟師たちを束ねる親方だ。眼光は鋭く、遥か遠くの獲物を誰よりも早く見つける。その父の眼は、子供たちを見るや優しく輝いた。6歳の妹と4歳の弟が駆け寄って父に抱き着いた。ファドンは太い両腕で二人を抱き上げる。日焼けして皺が刻まれた顔がくしゃくしゃな笑顔になった。


「ずいぶん重くなった。いつまでこうして持ち上げるかな」


「あと十年はいけそうよ!」


 イリナが茶化すと、村の男たちが大声で笑った。


「母さんはどうした?」


「まだ森で薬草を探してるんじゃない?」


「そうか、まあ、すぐ戻ってくるだろう」


 父は子供たちを下ろし、仕事に戻っていった。

 村の祭りは帝国がこの地を征服する以前から、何百年も変わらない。パラセムノスの村はかつて森に要塞をもつ部族の一つだった。村の名前は帝国風に変わってしまい、帝国の支配以前の伝承もほとんど残っていないが、魂までは変えられない。村の人々は帝国の監視から逃れながら、かつての森の民としての伝統を守って暮らしている。


2.

 ダナスティカの北の森へ続く街道を、隊商が慌ただしく過ぎようとしていた。鞭うたれていななく馬車馬を叱咤して、御者はさらに急ぐ。


 イリナの母ローエは、森の丘の上から隊商を見下ろし、胸騒ぎを感じた。誰かに追われているのかもしれない。隊商が通り過ぎた街道へ降りてゆくと、南から追うように馬の蹄の音がする。危険を感じたローエは茂みに身を隠した。


「追いはぎかしら……」


 見つかれば何をされるかわからない。

 街道の坂道を速駆けで登ってきたのは、帝国軍の騎兵だった。一目見て、ローエは茂みから飛び出した。


「ゼノン!」


 呼びかけられた騎兵は馬を止めた。


「母さん!」


「どうしてここに? お勤めは?」


「母さん、後ろに乗ってくれ。急がないと村にも危険が」


 ゼノンは下馬して、馬をしゃがませた。


「どういうことなの?」


「説明は後だ。さあ、早く」


 ゼノンは母を馬に乗せ、自分の背中に掴まるように言って、急ぎパラセムノスに向かった。


 馬上で母にこれまでのことを説明した。アセライ軍が監視塔を襲ったこと、暗殺者が目の前で司令官を殺害したこと、そして、略奪隊が周辺の村を襲っていることなど。


 ローエは突然の災難に襲われた人々に同情して涙ぐんだ。そして、頼もしく成長した息子を誇らしく思った。帝国軍に入隊したいとゼノンが言い出した日は厳しく反対した。初めのうちは手紙のやりとりもなく音信不通状態だったが、今となってみれば息子にとって必要なことだったのだとローエは思った。優しい子だから、軍隊のような場所では生きてゆけないのではないかと心配していたが、息子は上手くやっているのだと安心した。


「さっき隊商の人たちが逃げていったのは」


「ああ、俺が危険を報せたから、行き先を変えて急いで逃げていくところだったんだよ」


「これからどうなるのかしら……」


「心配ない。帝国軍が守るさ。俺は村に危険を報せた後、すぐに援軍を呼ぶために行かなきゃいけない。母さんは父さんやイリナたちと一緒に遠くへ逃げてくれ」


「ゼノンは一人で大丈夫なの?」


「俺はこれでも八年間帝国軍で騎兵をやってる。今日の為に入隊したんだ」


「……わかった。無理だけはダメよ。私たちはテヴェアの叔父さんを頼るから、落ち着いたら顔を見せてね」


「もちろん。さあ、もうすぐ着くよ」


 村から和やかな笑い声が聞こえてくる。悪い報せを伝えるのでなければこんなに嬉しいことはないのにと、ゼノンは歯噛みをした。


3.

 開戦の報せは村中を震え上がらせた。通り過ぎた隊商からも、噂が伝わっていた。略奪と虐殺の危険が、すぐそこまで迫っていると。


 一目散に家へ荷造りをしに向かう者もいたが、泣き出した妻を抱きしめる夫、蒼くなって天を仰ぐ老人、不安げに大人たちを見上げる子供など、取り乱した者がほとんどだった。


 10年前、国境の村ポリシアが襲撃された。その日の惨状はパラセムノスにも詳しく伝えられた。あらゆる家財、家畜、食料を略奪され、村人が一ヵ所に集められて殺害されたという。パラセムノスでは戦える男がすべて招集され、戦地へと向かった。ゼノンとイリナの父ファドンはすでに除隊した身であったが、かつての上官からの願いで帝国軍の戦列に加わった。戦地では報復の為にアセライの民に惨い仕打ちをする者も多かったという話だ。


「心配するな! すぐに終わる。帝国軍を信じよう」


 慌てふためく村人たちに、ファドンが呼びかける。イリナは隆々としたファドンの背中を見上げた。父の握りしめた拳はわずかに震えていた。


「父さん、一緒に行けなくてごめん。俺にはまだ役目がある」


「立派に務めを果たせ。 母さんたちのことは任せろ。必ず、テヴェアで会おう。待っているからな。約束だ」


「わかった」


 ファドンはゼノンを抱きしめた。


「お前は俺の誇りだ。武運を祈る」


 ローエはゼノンの首に紐付きの小さな袋をかけた。


「あなたのお爺さんがくれた物よ。袋の中に大昔の守り神のお守りが入っているって。袋の中を見ないようにね」


「ありがとう、母さん」


「兄さん、包帯と薬も持っていって。止血薬と風邪薬と、打ち身に効く塗り薬が入ってる」


「お前らしいな、ありがとう」


 幼い妹と弟は、ローエの後ろにしがみついていたが、ローエがゼノンを抱きしめると、二人も一緒にゼノンに抱き着いた。


ゼノンは馬に乗り、北へと続く街道を走りだした。


4.


 イリナは家に戻り、鞄の中に旅用の荷物を用意した。水筒、もしものための保存食、布袋に小分けした数種類の薬草など。避難先のテヴェアの村にたどり着くまで6日ほど荷馬車に揺られることになる。しばらくは準備に集中していたが、にわかに家の外で誰かが騒いでいる声が聞こえた。


「アセライ人がいるぞ! 捕まえろ!」


 窓の外を見ると、男女二人組が鋤や斧を手にした村の若い男たちに追いかけられていた。


 イリナは急いでドアを開けた。


「何してんのよ!」


「なんだ、『お嬢』じゃないか。邪魔すんのか? 俺たちは帝国の敵を追ってんだぞ」


「何が『敵』よ。どうみても普通の行商人じゃないの!」


 行商人らしき女は立ち止まると息を切らせて袖で汗をぬぐった。隣に立つ男は特に疲れた様子も見せず、男たちの様子をしげしげと眺めている。腰の剣の鞘に左手を添えているが、構えるつもりはないようだ。


「お嬢さん、私は彼らと決闘しても構わんが、どうする?」


 男はアセライ訛りのある言葉遣いでイリナに話しかけ、帝国式に恭しく敬礼した。


「決闘?」


「彼らが勝てば大人しく捕まってやってもいい。だが私が勝ったら君をこんな危険な田舎から連れ出して都会の宿で素敵な夜を」


 言い終わる前に男は何かの衝撃で崩れ落ちた。うずくまった男の背後に行商人の女が険しい顔で立っていた。手には鉄のメイスが握られている。


「こんな時まで女を口説くなんて余裕なのね」


 女はメイスを肩に担ぐと、村の男たちを睨みつけた。


「暴力で解決するのはダメだって言ってんの!」


 たった今暴力を見せつけられた男たちはたじろいだ。


「……ライサ、矛盾しているぞ。圧倒的に矛盾している」


「黙れ、この性欲お化け」


「酷いぞ! とはいえ、商人ごっこは終わりってことでいいんだな?」


 男はゆっくりと立ち上がり、剣を抜いた。村の男たちは震え上がった。逃げてばかりの情けない男だと思っていた人物が、途端に目つきを変えるのを見て、喧嘩を売る相手を間違えたと悟ったのだった。



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