ep.3 火の夜を越えて
1.
階段の踊り場でイリナは息をひそめている。一階ではテュルルとライサが何かを話しているようだが、どうも様子が穏やかではない。何かに腹を立てているような声色だ。
「バイシャールからは何の連絡も無いのか?」
テュルルの声はいつになく苛立っていた。
「無いわ。あの狂人、いったいどこに行ったんだか」
ライサの声が冷たい。いつもの気立ての良さそうな明るい声が噓のようだった。
「奴らからまだ報酬の残り半分を受け取ってない。あいつにまだ多少の理性が残っているなら、分け前欲しさに現れるころだと思うんだがな」
「期待は薄そうね。まあ、標的は始末できたみたいだし、私たちだけで連絡役を探しましょう」
イリナは聴いてはいけない話を聴いてしまったと気づいた。とたん、胸の鼓動が早くなり、息苦しくなるのを感じた。
「待て。今何か聞こえなかったか?」
テュルルが囁いて、剣を抜く音がした。
イリナが息を呑んで一階に視線を向けた次の瞬間、木製のドアを蹴破って熊のような大男が現れた。鉄の兜と
「おうおう、二人っきりのところ悪いな。邪魔だったか?」
「誰だ貴様」
「あー、名乗るほどのモンじゃあない。ちょっと仕入れに来ただけさ。大人しく従ってくれればすぐに用件は終わる」
テュルルは剣を構えると、建物に響き渡る大声で
「盗賊だ! 起きろ! 敵だ!」と叫んだ。
「大人しくしていればいいものを、格好つけやがってこの優男がよ。野郎ども! 仕事だ!」
盗賊の頭(かしら)が呼ぶと、打ち破られた戸口から武器を手にした男たちがなだれ込んできた。どこかで奪ってきた物であろう薄汚れた革の鎧を身に着けた男たちは、薄ら笑いながらテュルルに打ち掛かろうと粗末な武器を構えている。
二階のドアが勢いよく開き、寝間着のままのアルキリアが長剣を手に飛び出した。アルキリアは勢いのままに廊下の手すりを越え、跳んで階下へ降りる。着地の瞬間、左端の男が驚き手にした狩猟槍の切っ先を下げた。アルキリアはその隙を見逃さず、着地後の低い姿勢から一気に喉元を突く。アルキリアが胴を蹴りながら剣を抜き取ると、男は壁際の樽の上に鮮血を撒きながら息絶えた。
隣の仲間を殺された盗賊がいきり立ち、突進しようと振り上げた斧は腕ごと宙に飛んだ。盗賊の死角に入ったテュルルが肩先を斬り落としていた。盗賊の頭がテュルルに大きく一歩進みながら叫ぶ。
「テメエの相手は俺だ!」
盗賊の頭がテュルルの首を狙って、両手斧を振るう。テュルルは半歩下がって皮一枚で躱(かわ)した。回避後の隙を狙った子分の剣先が伸びてきたが、テュルルは切っ先を剣で絡めとって弾き、股関節を押すように蹴った。蹴られた男は
テュルルは自らを取り囲む盗賊たちの肩越しにライサを探した。盗賊の一人に短剣を突き刺し、階段を駆け上がってゆくライサを見止めて、テュルルは猛然と目の前の敵に攻撃を仕掛けた。
長い付き合いの二人に言葉は必要なかった。テュルルとアルキリアが暴れれば暴れるだけ、イリナたちを逃がす時間稼ぎができる。テュルルは無心になって敵に向かった。
2.
イリナは家族が寝ている部屋に駆けこんだ。
「お父さん! お母さん!」
家族は皆、階下の騒ぎに気付いて起きていた。弟と妹はローサに抱き着いて泣いている。
「イリナ! どこに行ってたんだ」
「盗賊が! テュルルさんたちが戦ってるけどあんなに大勢じゃ、みんな……」
「落ち着くんだ。ここから逃げないと」
「逃げるって言っても、どこに?」
ファドンは荷物の中から縄を取り出した。
「こいつで、窓から出る」
ファドンは慣れた手つきで部屋の真ん中の柱に縄を括り付ける。不意に誰かが廊下を走る音がして、半開きだったドアが大きく開いた。
「みんな、無事!?」
視線が集まった先には息を切らせたライサがいた。服は血で赤く染まっていた。
「ライサさん! 怪我してるの?」
ローサが立ち上がって駆け寄った。
「大丈夫、これは私の血じゃない」
ライサはニヤリと笑ったが、イリナはテュルルとの会話の冷たさを思い出して少しだけ「怖い」と思った。
ライサは柱に縛り付けられた縄を見てファドンの意図を察した。
「行きましょう。私は最後でいいから、早く!」
「俺が先に行って安全を確認する。受け止めるから安心して降りてくるんだよ」
ファドンは縄を手に、窓を飛び越えた。大柄な体格からは想像できない身軽さだった。静かに宿屋の裏庭の暗がりに降り立つと、ファドンは姿勢を低くして辺りの様子を窺った。
敵の気配は無い。しかし、酒が入っていたとはいえ襲撃に気づけなかった自身の気のゆるみを悔やむ。長年帝国軍の斥候として戦いの最前線を走った日々も既に過去の栄光かと、ファドンは寂しく思った。ファドンは腰に山刀を帯びていたが、宿屋で使う薪割り斧が薪割台に残されているのをみつけ、もしもの際の備えとした。
声を出さず、二階の窓へ向けて手招きで合図する。ローサが降りると、弟と妹も泣きべそをかきながら降りる。子供とはいえ、山野(さんや)で遊びまわっていたビオンとメリナは身軽だ。イリナも続いて降りた。勢い余って足を滑らせ危なかったが、ファドンがしっかりと受け止めて抱きしめた。
「危なかったな。怪我はないか?」
「お父さん、ありがとう。手が擦れて少し火傷したかも」
「どれ、見せてみろ。ああ、痛そうだな。ローサ、後で明るいところで診てやってくれ」
イリナを降ろすと、ファドンは地面に落とした木こり斧を拾い上げた。屈んだファドンの背後の茂みで、何かが動くのをイリナは見た。
「お父さん、後ろ!」
黒い人影が茂みから飛び出し、何かを振り下ろした。木製の柄がぶつかり合う音が月の光の下に響く。ファドンは、背後から右腕を断ち切ろうとした長柄斧の一撃を、木こり斧の柄で防いでいた。襲撃者は力任せに斧の刃を押し込んでくる。ファドンは左前へ一歩進みながら、相手の肩を打った。襲撃者は呻いて武器を持つ手を緩めたが、浅い。ファドンは木こり斧を渾身の力で脳天へ叩き込んだ。長柄斧の男は声もなく倒れこんで二度と動かなかった。
深く息を吐くと同時に右腕に焼けるような痛みを感じた。最初の一撃を防ぎきれていなかったようだ。膝をつき、左手で傷口を押さえると血液が指の間から零れ落ちた。思っていたより深手だ。
「あなた! 傷を見せて!」
ローサが駆け寄った。
「裏だ! 急げ!」
宿屋の建物の向こう側から男たちの声と足音が近づいてくる。
「ローサ、後でいい。盗賊が来るぞ」
ファドンは怪我をしていない左手で山刀を抜いた。
3.
宿屋の建物の左右から、男たちの
「騎馬が来る、茂みへ隠れろ!」
ファドンは子供たちに向かって叫んだ。
盗賊を乗せた馬の影が左右両側から迫っている。子供たちが父と母がいる茂みへ駆ける。不意に、物置小屋の陰から男が飛び出してビオンとメリナを乱暴に抱きかかえた。
「やめろ!」
ファドンは左手の山刀を振りかざして突進した。男は肩に抱えた子供たちを、その背後に馬を止めた盗賊に投げ渡し、後ろに転がるように下がってファドンの山刀を躱(かわ)した。
鞭打たれた馬は一声嘶(いなな)くと、弾けるように駆けだした。
「いたぞ! 残らず捕まえて売っ払ってやる! 歯向かうやつは殺せ!」
続々と盗賊たちが集まってくる。ファドンは動揺から、人数を数えることすらできないでいた。十数人の敵、こちらにまともに戦えそうな人間はいない。これまでか。諦めかけた時だった。
林の向こうから角笛の音が聞こえてくる。帝国軍の突撃の角笛だ。
「まずいぞ! 逃げろ! 帝国軍が来る!」
盗賊たちは慌てふためき、蜘蛛の子を散らすようにバラバラの方向へ逃げ去った。ファドンは体の力が抜けてゆくのを感じた。
意識を必死につなぎ止めようとしたが、失血で足が立たなくなり、膝をついた。
「あなた! しっかりして!」
ローサは崩れ落ちるように力を失ったファドンの体を支えた。
「イリナ、手伝って。宿まで運ばないと!」
足がすくんでその場に座り込んでいたイリナは、母の一言で我に返ってファドンの体を持ち上げようと父の腰を掴んだ。しかし、ぐったりと力を失った大きな父の体は、女二人には重すぎた。
「大丈夫か!?」
アルキリアだ。白い寝間着を返り血で真っ赤に染めたアルキリアが、松明を手にして走ってきた。続いて馬が駆けてくる。帝国軍兵士のようだ。
「兄さん!」
松明の灯りに照らされたゼノンの顔はやつれて厳しい顔つきに見えた。
「……ゼノンか? 無事でよかった」
ファドンは朦朧とした意識の中で息子の顔を見た。
「父さん、すぐ手当てを!」
ゼノンとアルキリアはファドンを両脇から抱えて宿屋へ運んだ。
4.
「援軍は呼べた。でも、ダナスティカは陥落してしまった」
青白い顔でゼノンは言った。
「……兄さん」
何か言葉をかけようとしたイリナは二の句が出てこない。
ローサは宿の客室でファドンの手当をしている。暖炉の前にいるのはイリナとアルキリア、それにゼノンだけだ。
「ゼノン、あなたは私たちを救ったんだ。戦友のことは気の毒だったが」
「そうよ。私たちは生きてる」
「しかし、ビオンとメリナは……」
「心配するな。おチビちゃんたちは生きているはずだ。やつらの話しぶりからして、人々をさらって奴隷商人に売り渡しているんだろう。片っ端から盗賊どもを捕まえて居所を聞き出すか、奴隷市場で聞き込みをすれば必ず見つかる」
ゼノンとイリナの眼の中に光が戻った。ゼノンは少し安堵した表情で静かにため息をついた。
「傭兵のテュルルさんがどうなったか見てない? ライサさんも、私たちと一緒にいたはずなのにいなくなってて……」
「あの時、テュルルと一緒に盗賊を宿屋の外まで押し出すことはできた。凄まじい戦いぶりだったぞ。角笛の音で盗賊たちが逃げ出したところまでは覚えている。だが、その後気づくとどこにもいなかった。まるで風に吹かれた煙だ」
アルキリアは腕組みをして唸った。
「彼らのことは何も知らないんだ。お尋ね者でないといいんだが」
「あの人たちはいい人よ! ただ……」
イリナは夜中の盗み聞きのことを兄に話すか迷っていた。二人を信じていたが、冷たく響いた会話がどうしても心に掛かる。
「アセライ人なの。戦争の巻き添えで私たちに迷惑がかかるのを嫌がったんじゃないかな」
ゼノンは妹の純粋さに触れて、人を疑う習慣が身についてしまっていた自身を恥ずかしく思った。しかし慌てて姿を消すからには、そうまでして帝国軍を避ける理由が何かあるに違いないと感じた。
「とにかく、今は父さんをどこか安全な場所へ運ばないといけないな。ここじゃ、またいつ襲撃を受けるかわからない」
「行くあてはあるのか?」
「テヴェアに行こう。俺たちの親戚が村長をしている。それに、テヴェアのすぐ近くには傭兵の訓練所があったはず。少なくともここよりは安全だ」
「兄さん、お仕事はいいの?」
「いいんだ、辞めてきた。目の前の司令官を討たれ、戦友も大勢失った。守るはずだった街も略奪された。俺は一番敵の近くにいた指揮官だった。もっと早く気づくべきだったんだ。宿にたどり着いて角笛を鳴らした時、帝国軍なんていなかった。俺一人で突撃するつもりだったけど、盗賊は逃げてしまったな」
ゼノンは妹に涙を見せまいと、握った拳を震わせながら淡々と語った。
「……辛いのはわかるが、戦いは一人で勝敗が決するわけじゃない。敗けたかもしれないが、まだ命がある」
「名誉ある死を選んだほうがマシだった」
「甘えたことを言うな! そんな弱気で隊長が務まるかよ!」
アルキリアは激昂した。遥か北方の故郷スタルジアを出て以来、剣一筋で生き抜いてきたアルキリアにとって、恵まれた立場を一度の失敗で捨て去ったゼノンが許せなかった。
「俺はもう隊長じゃない」
ゼノンは低く唸るように言った。
「兄さん、また隊長になればいいよ」
ゼノンはイリナの真意を測れずに、「たかが傭兵に」と言いかけた言葉を飲み込んだ。
「どういう意味だ?」
「傭兵隊長になればってこと」
「イリナ、何を言ってるんだ」
思ってもいなかった提案に、ゼノンは目を白黒させた。イリナは落ち込んだ時の兄の女々しさをよく知っている。どんな慰めも無駄になるので、突き放す方がマシだと思っていた。アルキリアは歯を見せてニヤニヤと笑い、ゼノンを指さした。
「今日から頼むよ、ゼノン隊長!」
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