ep.4 村人たちの反撃

1.

 テヴェアはリュカリア平原の南部にある。村人たちは草原で牧畜を営み、近隣の街へ家畜を売って暮らしている。村の端の牧場を通りかかると放牧された羊の群れが道を横切るので、しばしばイリナたちは歩みをとめなければならなかった。


 パラセムノスから出る際に使っていた荷馬車は宿屋への襲撃で壊れてしまい、馬も積み荷も奪われてしまった。だが、宿屋の主人は宿を守ってくれた礼にと、一回り小さな荷馬車と馬をくれた。


 ゼノンが馬に乗って先導し、アルキリアが歩いて後方を警戒しながら進む。ファドンは小さな荷馬車に体を横たえて、時々寝言のように呟く以外は何も話さない。馬を御すローサは度々ファドンに声をかけているが、戦いのあと高熱が下がらないファドンはうなされるばかりだ。


 イリナはファドンのそばで汗を拭いたり、真綿に水を染み込ませて口を濡らすように飲ませるなどして世話をした。


「兄さん、村まであとどれくらいかかるの?」


「もうすぐだよ。先に行って事情を説明してくる。母さん、この道をまっすぐだ。覚えてるだろう?」


「わかった。まかせて」


 ゼノンは馬を駆けさせて緩やかな坂道を登って行った。

 程なくして、アルキリアは家畜の群れとは違った砂煙が後方で上がっていることに気づいた。


「何か近づいているぞ!」


 アルキリアの警告に、イリナは目をこらして地平を見た。近づいてくるのは馬に乗った人々だ。村人のようだが、槍を手にしている。


「そこで止まれ!」


 馬に乗った一団の先頭の人物がイリナたちに声をかけた。


「ここで何をしているんだ? 俺たちはテヴェアの村の者だ この辺りは盗賊が出て危険だ。そんな少人数では襲われるぞ」


「私は傭兵のアルキリアだ。パラセムノスからの避難民を護衛している」


 アルキリアが馬上のリーダーらしき男に説明していると、テヴェアの男たちの中から一人が進み出た。


「ファドンさんじゃないか! 憶えてないか? ほら、村長の親戚の! 具合が悪いのか?」


 男たちは警戒を緩めて馬を降りた。


「助けてください。夫は怪我をしていて、熱もあるんです」


「ああ、もちろんだ。奥さんも大変だったろう。俺たちが守るから、村まで急ごう」


イリナたちは村人たちに守られながらテヴェアへ急いだ。


2.

 ゼノンはテヴェアに着くと村長の家を訪ねた。村長と家の人々は以前と変わらず元気な様子で再会を喜んでくれたが、状況は思ったより良くないと気づいた。村で働く人々が以前より少なくなっている。畑の作物は何者かに乱暴に刈り取られたような痕跡があり、いくつかの倉庫が打ち壊され、黒く焼け焦げた空き家が放置されているのも見た。


「そうか……大変なことがあったんだな。ファドンのことは私に任せてくれ。昔、ファドンには命を救われたことがあるんだ。あの時の借りを返さないと。」


「ありがとうございます、伯父さん。パラセムノスにはいつ戻れるかわからないけど、しばらくはテヴェアでお世話になります」


「噂は聞いているよ。好きなだけテヴェアにいるといい。このあたりも近頃は物騒になってしまったがね」


「何があったんですか?」


「盗賊や脱走兵といったやからが北の山あいに棲みついたんだ。やつらは時々村に来ては金や食べ物を要求したり、旅人を襲ってどこかへさらってゆく。宿屋を襲った連中もそいつらの仲間なんじゃないか」


「なんてことだ。城の衛兵は何をやっているんですか」


 帝国の治安維持は皇帝から封ぜられた領主の裁量に任されている。領主は帝国の法に従い、麾下きかの城塞指揮官等に命じて盗賊討伐や犯罪の取り締まりを行う。ゼノンが率いていた補助騎兵小隊も、アセライの侵攻以前は専ら治安維持が任務だった。


「戦争で人手が足りないらしい。領主が大勢の兵士を連れて国境の方へ向かうのを見たと言う者がいた」


「何かできることがあるはずです」


「そうだ。ただ抵抗もせず黙っているわけにいかない。村の男たちで自警団を組織してこの辺りの見回りをしている。しかし、働き手無しでは村の仕事が充分にできない。かといって、私たちには傭兵を雇う余裕などないんだ」


 カルラディアでは古来より、男は戦いを知って一人前といわれている。普段は村でそれぞれの仕事にいそしんでいる村人たちも、ひとたび戦争が始まれば軍団の屋台骨となって出陣する。テヴェアの男たちも例外なく、大人であれば皆一度は戦場に出たことがある。


「俺がお手伝いしましょうか」


「自警団に加わってくれるならありがたいが、ゼノンくんも疲れているんじゃないかね。顔色があまり優れないようだ」


「心配は無用です。俺にはやるべきことがある。実は、弟と妹を宿屋で盗賊にさらわれてしまいました。一刻も早くやつらの隠れ家を見つけて助け出してやらないと」


「そういうことなら、善は急げだな。巡回に出た者たちが帰ってきたら、早速作戦を練ろうじゃないか」


「ありがとうございます。一人でも多くの協力が欲しいんです。ところで、この村に医術の心得がある方はいますか?」


「薬草師ならいるが……タクテオス先生がまだ居てくれたらな」


「タクテオス?」


「タクテオス先生はこの村にしばらく居て、盗賊との争いで怪我をした人や病人の治療をしてくれていたんだ。数日前にここを訪れた隊商と一緒に

去って行った。あれから音沙汰おとさたがない。やつらに襲われてはしないか心配だ」


「その医師を呼び戻して、父を診てもらいたいですね」


「そうだな。自警団と一緒に村の周囲を探してほしい」


 村長と話していると、村の入り口からゼノンを呼ぶイリナの声がした。見ると、荷馬車の上でイリナがゼノンに手を振っている。荷馬車の周りでは自警団の男たちが戸板でファドンを運び降ろそうとしているところだった。


 ゼノンは急いでファドンの元へ走り、自警団の男たちと一緒にファドンを村長の家に運び込んだ。


3.

 村長の家でささやかなもてなしを受けた夜、食事を終えたゼノンは庭で独り剣を抜いた。除隊を申し出た日に餞別せんべつとして贈られたスパタ剣だ。よく研ぎ澄まされた鋼の両刃が月の光を映して静かに輝いた。


 まぶたを閉じると、野営地の丘から見た光景が蘇ってくる。悲鳴と血煙、矢の雨、そして百もの旗をひらめかせた重装騎兵隊の威容。救えなかった帝国軍兵士たちの怨嗟(えんさ)の声が聞こえた刹那せつな、ゼノンは剣を一閃した。


 刃が風を切る音が立て続けに響く。ゼノンは胸に宿った黒い感情が落ち着くまで、何度も何度も繰り返した。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。ゼノンは額の汗が頬に流れるのを感じ、再びまぶたを閉じて深く呼吸した。


「兄さん」


 いつのまにか、灯りを手にしたイリナが庭先に立っていた。イリナは黙って布きれを差し出した。


「イリナ、起きていたのか」


「私には上手く言えないけど、無茶しないでね」


「……わかってるよ」


 ゼノンは自分でも気づかないほど汗で濡れていた髪を布切れで乱暴にぬぐった。優しい兄でいたかった。優しくなりきれない自分を斬ってしまいたかった。


「私、剣を習いたい」


「だめだ」


「自分の身を自分で守れるようになりたいの」


「俺が守る。剣を習う必要なんてない」


「でも、矢が飛んで来たらどうするの」


「物陰から顔を出すな」


「兄さんの役に立ちたい。守られているだけなんて、耐えられない」


 揺らめく小さな灯りに照らされたイリナの顔は決然としていた。


「ちっちゃい頃から、言い出したら聞かないもんな」


「子ども扱いしないで」


 ゼノンは深くため息をつくと、柔らかに微笑んだ。


「わかった。明日、村のみんなと一緒に傭兵の訓練所に行こう。そこで俺の策をみんなに話すつもりだ。戦いは剣だけじゃない。弱い者が強い者に挑むときには力じゃなくて頭を使うんだ」


「その言葉、誰かから教わったんでしょ」


 イリナはゼノンが少年の頃に戻ったような顔で胸を張るので可笑しくなって、ついからかってしまった。


「勘がいいな」


 二人は寝ている村の人たちを起こさないよう、声を出さないように笑った。


4.


 傭兵の訓練所は村からほど近い場所にある。平地に築かれた帝国の野営地のように、周りに濠が彫られ高い柵で囲われている。本格的な射場や馬術訓練場をそなえ、正式な軍の訓練場にも劣らない施設になっていた。


 ゼノンはイリナとアルキリア、そしてテヴェアの男たちと共に訓練場を訪れた。入り口に近づくと、中から訓練生の気合の声や木剣を打ち合う音が聞こえてくる。


「イリナ、俺は訓練所の所長と今後の計画を話し合う。アルキリアと一緒に待っていてくれ」


「見て回ってもいい?」


「構わないけど、訓練の邪魔にならないようにな。アルキリア、イリナがイタズラしないように見ててくれよ」


「子供じゃないんだからイタズラなんてするわけないでしょ!」


 アルキリアは兄妹喧嘩を笑って、ゼノンに手を振った。


「任せとけ」


 ゼノンと自警団の代表者は訓練所の中心にある建物へ向かった。


 イリナは木製の剣や槍で打ち合う男たちを眺めながら、ふと疑問に思った。パラセムノスにいた時も、旅の途中でも、傭兵たちが訓練をしている場所などみかけなかった。


「アルキリアさんは、訓練所で強くなったの?」


「いや? 一応手ほどきを受けたことはあるが、ごく初歩的な技や戦場生き残るための心構えくらいだったよ」


「私も身を護る方法を習わないと」


「人に教えるのは苦手だ。私はただ、戦って切り抜けてきただけだからな」


「私みたいに、力が無くても役に立てる武器は無いかな?」


「まあ、残念な話だけど力無しで扱える武器なんて無い。上手く使う為にはどんな武器も体の強さは必要だ。体が強くても長年訓練して扱い方を覚えることで武器の力を引き出せるようにならないと」


 考え込むイリナの様子を見て、アルキリアはしゃがんで目線を合わせ、肩に手を置いた。


「そんなに悩むことじゃないさ。イリナは賢い。頭も立派な武器だ。どうしてもと言うなら、クロスボウはどうだ?」


「どんな武器なの?」


「弓のように遠くから攻撃できるが、弦を引き続ける必要がない。それなりに重いから狙う時にコツが必要だけど、心配ない。すぐできるようになるさ」


 アルキリアはイリナを射場へと連れて行った。


5.

 訓練所の所長、レオシウスはゼノンの計画に難色を示した。


「村に盗賊を引き入れる、と」


「はい。偽の貢ぎ物を村の中心に置き、盗賊たちが一ヵ所に集まったところを包囲して叩きます」


 ゼノンは食堂の机の上に村の地図を描いた紙を置き、白と黒の小石を使って作戦を説明した。


「物陰に潜ませた射手に攻撃させ、建物の上から投石を行います。混乱したところを我々で切り込む。一網打尽にできるはずです」


 レオシウスは腕組みをして顎鬚(あごひげ)を撫でた。


「ラダゴスの恐ろしさを知らんようだな」


「盗賊の頭ですか?」


「ああ、彼はスコルダーブローダだった。カルラディア語では『盾の兄弟』という意味だな」


「ノルド人。北の野蛮人どもですか」


「生粋の帝国人ならそう呼ぶ。しかし侮れん。ラダゴスは血に飢えた獣とは違う。だから厄介なのだよ。ラダゴスの言葉を借りるなら、盗賊には二種類いる。一つは戦いと流血を好む者たち。もう一つは欲深い者たちだ」


「ラダゴスとかいう男は後者だと……」


「そうだ。欲深いがゆえに、簡単には網にかからん。疑り深く、決戦を避けて我々を欺きながら、最も金になる方法で悪事を繰り返す。おそらく、罠にはかかるまい」


「では、もう一度練り直します。ラダゴスのことをもっと教えてください」


 レオシウスは直近の誘拐事件、村や隊商への襲撃事件について話した。規模が大きく、とてもラダゴス一人で指揮しているようには思えないと語った。大規模な軍事行動には綿密な連絡が必要だ。盗賊たちはゴロツキにしか見えず、巨大な連絡網を持っているとは考えにくい。


「誰かが帝国を陥れようと連絡網を形成している……?」


 ゼノンは思い付きで呟いた。レオシウスは肯定も否定もせず、黙ってしばらく顎髭(あごひげ)を撫でていたが、ようやく口を開いた。


「実は、思い当たる男がいる。帝国軍に、剛勇で名の知れた『アルザゴス』という者がいた。アルザゴスの先祖は帝国西部の失われた部族の首長らしい」


「『アルザゴス』が黒幕だと?」


「あまり信じたくはないが、噂になっている。彼とは面識があってな。とても陰謀を企む性質の男には思えない」


 話を遮るように、ノックの音がした。


「ダリドスだ。ちょっといいか?」


 ドアの向こうから、しゃがれた中年の男の声がした。


「大事な話の途中だぞ。まあいい、入ってくれ」


 レオシウスが不機嫌そうに応じると、ドアの向こうから大柄な男が現れた。全身に筋肉がしっかりとついており、特に腕の太さがゼノンの倍ほどもある。


「すまんな。急ぎの用事だ」


「何があった?」


 レオシウスの眼が鋭く光った。ダリドスがゼノンを一瞥いちべつしたのを見て、レオシウスは頷いた。


「構わん彼も仲間だ」


「盗賊の野営地を見つけた。誘拐された誰かが囚われているようだ」


 ゼノンは椅子から立ち上がり、外に出ようとした。


「どこへ行く!」


 レオシウスが声を掛けると、ゼノンは振り向いた。蒼白になった顔に静かな怒りを浮かべていた。


「助けに行くんです。止めはしませんよね」


「いささか性急だな。若さか」


レオシウスはため息をついた。


「俺は賛成だ。何人教え子をやられたと思ってるんだ? やり返すのが俺たちのやり方だろ?」


 ダリドスは自身の厚い胸板を拳で叩くと壁に掛けられていた盾を取り、棚の兜を被った。


「お前もか。わかった、行こう。意表を突いて急襲だ」


 レオシウスは呆れたように苦笑いをしたが、どこか嬉しそうでもあった。訓練中の男たちに戦闘準備の号令がかかった。できる限り少人数で、気づかれないように接近する必要がある。訓練生の中で最も腕の立つ10人を選び、それぞれに重装備と剣と盾を与えた。

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