ep.5 闇の一矢
1.
テヴェアの狩人が盗賊の野営地を発見したのは、昼過ぎのことだった。野営地のある小川の岸は、崖に囲まれた小さな空き地だ。かなり近づかなければ発見できない。狩人は慎重に崖の上に這ってゆき、盗賊たちの話し声を聞こうとした。
「頼む、水をくれ。喉がカラカラなんだ」
「黙れ、二度と喉が渇かないように切り裂いてやってもいいんだぞ」
聞こえてきたのは、盗賊の
狩人は盗賊に気づかれないよう痕跡を消しつつその場を離れると、少し離れた場所に繋いでおいた馬に乗り、訓練所へ急いだ。この辺りで盗賊たちとまともに戦うには、プロの戦士の助けが必要だ。
ダリドスは狩人の報告を聞くや、攻撃の好機と判断した。盗賊たちはこれまで巧妙に野営地を隠し、領主の軍に発見されてもあっという間に姿をくらましていた。今回のような好機がすぐにまた訪れるとは限らない。
それなのに、レオシウスは臆病風に吹かれているとダリドスは思った。訓練所を訪れていた若者のお陰でようやく戦う気になったレオシウスに、ダリドスは少し苛立っていた。
レオシウスとダリドスが率いる訓練所の手練れ10人、村の狩人3人と自警団の10人、加えてゼノンとアルキリアは、闇夜に紛れて森の道を進んだ。そして、盗賊の野営地のある谷を眼下に見下ろせる丘に着くと簡易的な陣地を敷いた。
陣地では、襲撃前に全員を集めてレオシウスが戦術を説明した。曰く、川の上流と下流から二手に分かれて攻撃し、中心地に囚われた人々を解放するという作戦だ。さらに崖の上から狩人たちが矢を射かけ、狩人の周囲をテヴェアの自警団が護る。
「いいか、先ほど言ったとおり、無理はするな。人数はやつらの方が多い。始めはできるだけ静かに、盗賊が集まりだしたら鬨の声を上げ、突撃しろ。一方で声が聞こえたらもう一方も声を上げろ。崖の上の者たちもだ。こうすれば、盗賊たちは包囲されたと勘違いして混乱を起こす。質問はあるか」
レオシウスは言葉を区切りながら淡々と説明した。
「もし、分隊のどちらかが崩れかけたらどうしますか?」
「狩人と自警団に援護させるから、分隊長の判断で後退させろ。可能なら自警団と合流して立て直した後に再度突撃する。盗賊の士気はさほど高くない。囲まれた上に増援が現れれば戦意を失うだろう」
ゼノンが問うと、レオシウスは即座に答えた。
「作戦開始位置に到着したら、松明を振って合図をしたのち、火を消せ。崖の上から攻撃開始の合図を送る。では、そろそろ行こうか。各々、抜かりなく準備せよ」
2.
ゼノンは暗闇の中で、崖の上を見つめた。レオシウスは小川の反対側の崖の上で自警団と狩人の指揮を執っているはずだ。野営地の盗賊から見えないように隠れながら、松明をしばらく縦に動かした後、火を消した。これがレオシウスへの「準備完了」の合図だ。
「まだか」
時がひどくゆっくり流れているような気がする。ゼノンは苛立つ気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸を数えた。呼吸の数が50にさしかかろうとしたとき、崖の上に灯りが見えた。崖の上で誰かが大きく円を描くように松明を動かしている。
攻撃開始だ。ゼノンは音を立てないように気を付けながら、背後へ手をやり後ろの人間をそっと叩く。前の者に合図された者は、後ろの者に同じように合図する。こうすることで、自分たちのシルエットを動かさないまま全員に合図を送ることができる。
ゼノンとアルキリア、そして5人の手練れは横隊で
ゼノンはゆっくりと弓に矢をつがえ、引き絞った。弓を引きながらゆっくりと息を吸い込み、
ゼノンの矢が命中するや、アルキリアは走り出す。天幕の中で異常を感じ取った盗賊が起き上がろうとするところを、素早く短剣で突き刺した。ゼノンは一つめの天幕を制圧したことを確認し、次の天幕の方向を見た。小川の向こう側に大きな布を広げたタープ型の天幕がある。いくつかの篝火(かがりび)で明るく照らされており、数人の盗賊が酒を飲みながら談笑しているようだ。
ゼノンたちは再び横隊に並び、川岸の灯りの届かない場所で停止した。そしてゼノンはゆっくりと剣を抜き、天に掲げて
「かかれ!」
号令を掛けながら、ゼノンは真っ先に突撃した。盗賊たちは突然のことに鼻白んで剣を抜くのも忘れ、手にした杯を落とした。ゼノンは最初の一撃で盗賊の手首から先を切り落とし、切り返して両目を切り裂いた。アルキリアが、別の盗賊の首を切り落としながら走り抜ける。怒涛の如く突進した七人の前に、盗賊たちは戦意を起こす間もなく倒れこみ、息絶えていった。倒した盗賊たちの血だまりを踏みつつ、ゼノンたちは次の獲物に目をやった。70歩ほど離れた焚火の周りで、盗賊たちは何かを喚きながら武器を手に取っている。
「分隊、盾の壁!」
ゼノンが号令すると、五人の手練れは統制のとれた動きで盾を揃えて横一列の密集隊形をとる。ゼノンは最右翼へ、アルキリアは最左翼に入り、切っ先を盗賊たちに向けた。混乱してバラバラに戦おうと突進してくる盗賊たちを迎え撃つ構えだ。盗賊たちの突撃が始まると、崖の上から
その時、下流の方からも男たちの雄たけびが響いてきた。盗賊たちは逃げ道がなくなった恐怖で、戦うどころではない様子だ。戦意が残っている者たちも、盾の壁の間から繰り出される刃にかかって死んだ。
幾人かの盗賊は、小川を渡って急斜面へ逃げようとしていた。しかし、狩人たちの矢が許さない。川のぬかるみや斜面で歩みを遅くした為に、次々と討たれていった。
「逃げた敵は任せておけ! 救出が優先だ!」
崖の上からレオシウスの大声が聞こえた。
「了解! みんな、救出を急ぐぞ!」
七人は陣形を解き、中心地へと走った。
3.
野営地の中心地がある崖下には横穴が掘られていた。どうやら、見捨てられた鉱山に盗賊たちが作った拠点のようだ。横穴の周辺には放棄されたツルハシやシャベルといった掘削道具が放置されている。ゼノンたちが放棄された鉱山にたどり着くと、盗賊たちは衰弱した虜囚たちを鉱山の中へ押し込むところだった。
「そこまでだ! 降伏して人質を解放しろ。さもなくば死ね」
ゼノンたちが現れたのを見て取ると、盗賊たちは鉱山の入り口を背にして盾を構えた。
「これは驚いた」
鉱山の入り口から、熊の毛皮をまとった男が松明を手にして出てきた。
「あの男がラダゴスだ」
アルキリアがゼノンに耳打ちした。
「ほう、あの時のデカ女じゃねぇか。よくも俺の仕事仲間を殺してくれたな」
ラダゴスは話しながら盗賊たちを退けて、大股でゼノンたちに近づいた。
ゼノンが剣の切っ先をラダゴスにまっすぐ向けると、ラダゴスは両手を挙げた。
「そういきり立つな。話し合いで解決しようじゃないか」
ラダゴスは、剣呑な雰囲気を楽しむかのようにニヤニヤと笑っていた。
「そこで止まれ。武器を捨て、誘拐した人々をすぐに解放しろ。さもなくば今すぐここで死んでもらう。これ以上話す必要があるか?」
「取引をしよう」
「取引?」
企みがあるのは明らかだ。ゼノンは切っ先をラダゴスの喉へ向けたまま、アルキリアに目くばせした。アルキリアは首を横に振った。
「お前のような盗賊とどんな取引ができるって? 帝国市民の財産を奪うお前たちに取引の権利などない。降伏するつもりがないなら殺すぞ」
ゼノンの恫喝に、ラダゴスは動じないどころか声を出して笑った。
「お前は自分が何者だと思っているんだ? 話しぶりからすると、元帝国兵か? だが、今のお前は何者でもない。帝国軍はどこにいる? もしかしてダナスティカでみんな死んだか?」
「黙れ!」
「図星か? 来いよ小僧。サシで俺を殺してみろ」
ラダゴスは火のついたままの松明を地面に投げ捨て、腰の剣を抜いた。下方から照らされ、船型の金細工の鍔が光った。切っ先は足元に下げられ、まるで攻撃も防御もする気がないように見える。棒立ちに近い格好のラダゴスに、ゼノンは「舐められている」と感じて剣を上段に構えた。
「待て、ゼノン!」
アルキリアが声をかけたが、闘争心に火のついたゼノンの耳には届かない。一度一騎打ちが始まれば、アルキリアに加勢はできない。スタルジア戦士の伝統では、助太刀は決闘者の許しがなければならない。スタルジアで生まれ育ち、伝説の『盾の乙女』を志したアルキリアには、戦士の名誉を汚すことができなかった。
ゼノンは、ラダゴスの左肩から斜めに断ち斬ろうと一撃を放った。その一瞬、奇妙なことが起きた。ラダゴスの姿を一瞬見失い、刃が下方から迫る。間一髪で身を回して躱し、後ろへ下がったところにラダゴスの振るう剣が連続して襲い掛かってきた。
下がれば斬られる。直感したゼノンは前へ進み、鍔競り合いの格好になった。ゼノンは直ちに剣の柄頭でラダゴスの顔面を殴ろうとしたが、ラダゴスは首を捻って兜で防いだ。同時に腕を捕まれている。投げられると感じたゼノンは咄嗟にラダゴスの膝をブーツの裏で強く踏むように蹴った。防具の上からだが、充分に威力の乗った蹴りだった。たまらず、ラダゴスは転倒した。
仰向けになったラダゴスに、ゼノンは剣を突きつけた。
「お前の負けだ、ラダゴス。降伏しろ」
「ああ、お前は強い。だがな、それが弱みだ」
ラダゴスがニヤリと笑うのを見て、ゼノンは悪寒を催した。木の上の暗闇の中から、矢が放たれる音がした。間に合わない。死を覚悟したその時、矢がゼノンの首の横を過ぎ、地面に突き刺ささった。やや遅れて、木の上から射手が落ちてきた。射手の胸にはクロスボウの矢が刺さっていた。
4.
闇の中から放たれた矢はほぼ同時だったが、ほんの一瞬クロスボウが早かった。しかし、誰が?ゼノンは考えるよりもまず、ラダゴスを踏みつけにした。鳩尾(みぞおち)を強く踏まれたラダゴスは情けなく呻いた。
「卑怯者め、やはりお前は殺す」
ゼノンがラダゴスを刺そうと剣を構えた。
「待て、ゼノン!」
下流から走ってきたのは、返り血で鎧を染め上げたダリドスだった。
「その男には聞きたいことがある。まずはこいつらを縛り上げて情報を聞き出さなくては」
「確かに、おっしゃる通りです」
ゼノンは剣を下げ、アルキリアは残った盗賊たちに切っ先を突きつけた。
「お前ら、まだ死にたいのか? 命が惜しいならさっさと武器を捨てろ」
盗賊たちは悪態をつきながら武器をその場に落とした。その後遅れてレオシウスが到着し、盗賊たちをすべて縛り上げた。ゼノンが救出のために訓練生たちを連れて鉱山に入っていったのを見送って、アルキリアは崖の上に向かって声をかけた。
「いつまで隠れてるんだ? イリナだろ?」
崖の上から、フードを被ったイリナが顔を出した。
「バレてたんだ」
イリナは少し気まずそうに笑った。
「ついてくるんだったら始めから言ってくれてもいいんだそ」
アルキリアは呆れてため息をついた。
「兄さんが怒るから」
「そりゃ怒るだろう。でもな、隠れてついてきて一人で盗賊に出くわしたらどうなると思うんだ」
「ごめんなさい。でも、この場所に早めに隠れるのは正解だったでしょ。お陰で、どこに弓を持った盗賊が隠れてるかわかってたもん」
イリナはどうだと言わんばかりの顔をした。
「確かにいい判断だったよ。もう降りてこい。ゼノンは怒るだろうが、命を救われたんだから多少は大目にみてくれるだろうさ」
アルキリアはイリナの無鉄砲さに呆れながらも、内心では感心していた。イリナには射手としての素養がある。そして、敵の目と鼻の先まで接近して絶妙の好機まで伏せ続けた忍耐と度胸は非凡だ。アルキリアはイリナに天与の才を感じた。
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