ep.6 タクテオスの宝

1.

 ゼノンたちが解放した人々の中にビオンとメリナはいなかった。しかし、ラダゴスを捕らえたのは大きな収穫だった。縛り上げられたラダゴスは不遜ふそんな態度を変えなかったが、べらべらとよく喋った。ただし、卑猥な侮辱と冗談ばかりだ。ゼノンは人々が閉じ込められていた鉱山の玄室にラダゴスを蹴りこみ、尋問をすることにした。


「言え。俺の弟と妹をどこへやった?」


ゼノンに短剣を突きつけられて、ラダゴスはようやくまともに答えるようになった。


「おいおい、それだけじゃわからンぞ。この辺りは良い狩場でなァ。俺の手下がどれほどのガキをさらってると思うンだ? ほとんどはもう南の奴隷市場に送っちまってるはずだ」


「ほとんど? 全員ではないんだな?」


「ああ、そうだ。俺の『仕事仲間』が連れまわしてるかもな。紹介してやってもいい。安くない紹介料を貰うことになるが」


 ゼノンは短剣の柄でラダゴスの側頭を強打した。ラダゴスは打たれた頭を押さえることもできず、痛みに叫び声をあげた。


「立場がわかってないみたいだな。支払うのはお前だ。後でその『仕事仲間』とやらのところまで案内してもらう。命拾いしたな」


「喉を切らずにおいたのは賢いよ。俺は身内探しの役に立つ」


 ラダゴスは痛みに苦悶の表情を浮かべながらニヤリと笑った。ゼノンはラダゴスの態度に苛立ち、髪の毛を掴んで引き寄せた。


「役に立たなかったら木に吊るす。覚悟するんだな」


「ああ、わかってる。だが、必ず俺の助けがいるだろう。生きたまま取り戻したいなら、な。俺が『偶然にも』死ンでしまったら、お前の可愛い小鳥ちゃんたちの運も終わりだ。贅沢をさせろとは言わンが、辛い旅にならないように頼むよ」


 ゼノンは玄室にラダゴスを残し、鉱山の暗がりの中を歩きながら考えた。道が二つに分かれている。一つは奴隷市場へ向かって弟と妹を捜し、買い戻す道。もう一つはラダゴスを引き回して「仕事仲間」をあたる道だ。どちらかを取るべきか、二手に別れるべきか。考えているうちに、ふと空腹と眠気を強く感じた。


 気づけば、鉱山の入り口の扉からは白い朝日がこぼれている。夜が明けていた。


2.


 ゼノンが鉱山の中でラダゴスを尋問していた一方で、イリナは解放した人々の手当をした。対処できないほどの傷を負った者はいなかった。盗賊から暴力を受けたらしく青あざや擦り傷を負った者が多かった。そして、ろくな食事も水分も与えられていなかったようだ。栄養不足のためか、擦り傷から炎症を起こしている者もいた。イリナは鉱山の入り口付近で焚火をして湯を沸かし、蓄えられていた食料を何でも煮て振る舞った。


 レオシウスは長い拘束で衰弱した者たち一人一人の名前や出身、職業などを聞き、リストを作っていた。


「何を書いているんですか?」


「『請戻し仲介人(うけもどしちゅうかいにん)』に渡すためのリストだ」


 レオシウスはたった今完成したリストをイリナに見せた。イリナが小首を傾げるのを見て、レオシウスは微笑んだ。


「知らないか。まあ、知らない方が幸せだろう。カルラディアは内乱続きで行方不明者を捜す者がたくさんいる。だから、家族や友人の代わりに行方不明者を捜す商売が成り立っている。請戻し仲介人にこのリストを渡せば、故郷に帰れる者もいるだろう」


「全員帰れるわけではないの?」


「金を払う親類がいない者は路頭に迷うかもしれないな」


 イリナはぐったりと座り込んだ人々を見回した。何かこの人たちにできることはないかとしばらく考えたが、疲労のせいか何も良い考えが浮かばなかった。


「レオシウス、ほんの数人だったが討ち漏らした盗賊がいる。どこかへ逃げたようだが」


ダリドスがレオシウスに声をかけた。


「ふむ。これだけ酷く叩いてやった後だ。当分の間は大人しくしているだろう。味方の損害は?」


「投げ槍で切り傷を負った者が一人、投石で打撲を負った者が一人だ。二人とも軽傷で処置は済んでいる」


「仕事が早いな。まあ、治すより壊す方が得意かもしれないが」


「馬鹿を言うな。お前の怪我だって治してやっただろう」


 レオシウスの皮肉交じりの賛辞に、ダリドスは笑って言い返した。ダリドスは帝国軍の元軍医で、レオシウスとは昔なじみの戦友同士だ。若き日のレオシウスが戦場で重傷を負った際に、看護にあたったことがきっかけで親しくなった。レオシウスが除隊後に訓練所を開いたと知って、妻子と共にテヴェアへ移り住んだのだった。


「ところで、あのスタルジア人の女はどうした? アルキリアとか言ったか」


「アルキリアさんですか? 盗賊が溜め込んだ物を探しに行くとか言ってましたよ」


 ダドリスの問いかけにイリナが答えた。


「傭兵め、死体の財布を漁っているな。残党が潜んでいるかもしれないというのに」


 レオシウスはため息交じりにぼやいた。


3.


 夜が明けた。森の谷に朝日が差し込み、生ける者と死せる者を平等に照らした。イリナは早く立ち去りたいと思っていたが、日暮れから動き続けていた戦士たちの疲労を考えると昼までは休息を取るべきだろうとレオシウスは言った。


 朝方になってようやく鉱山から出てきたゼノンは、鍋の中の食べ物を勢いよくかき込んで、一息ついたかと思えばすぐに盗賊が残した寝床に入って寝てしまった。


 イリナは疲れ果てた兄の横で、ふと机に置かれたリストを手に取った。几帳面に揃った字で書かれたリストには、解放された人々の名前が載っている。声に出して読んでいると、ゼノンが寝ぼけた声で何かを話しはじめた。


「イリナ、今のところ、もう一度頼む」


「起きてたの?」


「いいから、今のところをもう一度」


「タクテオス、リカロン出身、医師」


「タクテオス! 捜していた医者だ。イリナ、悪いけどその医者のところへ行って父さんの診察を頼んでくれないか」


 ゼノンはそれだけ言うとまた、毛布をかぶってしまった。こんな血の匂いのする場所でよく眠れるな、とイリナは呆れた。

リストには身体的特徴も一緒に書かれていた。


「中年、茶色の薄毛の髪、小太り、ぎょろ目、神経質」


 イリナは呟きながら解放した人々が休んでいる天幕へ歩いていった。レオシウスはなかなか辛辣な書き方をしている。本人に聞こえてはいけないと、イリナは呟くのをやめた。


 タープ型の天幕の下に横たわっていた死体は片付けられ、今は解放された旅人たちが休憩していた。皆、昨夜に比べれば少し落ち着いている。


「タクテオスさん、いますか? この中にお医者さまは?」


 イリナの声に反応して顔を上げた小太りの男がいた。やつれた表情だが、血色は悪くない。


「ここだ。何か御用かな」


 イリナは毛皮の敷物の上に座っているタクテオスの前まで行き、しゃがんで目線を合わせた。


「私はイリナと申します。パラセムノスで薬草師の母の手伝いをしていました」


「ああ、昨日はありがとう。私が医師のタクテオスだ。君たちのお陰で命拾いをしたよ。聞いてくれ、やつら酷くてね」


 タクテオスは居住まいを正すと、神経質そうな早口で話しはじめた。


「やつらは私たちを捕えたあと、ろくに水も与えずに荒れ地を連れまわしたんだ。一度だけ『水をくれ』と頼んでみたんだが、ご丁寧に鞭が飛んできただけだったよ。君たちが来てくれて本当によかった」


 タクテオスが両手で握手を求めてくるのを、イリナは戸惑いつつも受け入れた。


「君にお礼として渡したいものがあるんだが……ここの盗賊たちに盗られてしまってな。大変価値のあるものなんだ。探してくれると有難い」


「そんな、気にしないでください。高価な物はいただけません」


イリナは握られた手を放して両手を振った。タクテオスは引き下がらず、ひとしきりお礼を繰り返した後、ふと首を傾げた。


「ところで、わざわざ私に会いに来てくれたのは何の御用だったかな?」


「ええ、実は……」


 イリナは家族に起きた事件と、父の容体について話した。


「ふむ、斧の切り傷に発熱か……」


「鎌や斧で怪我をする人は村でも診たことがあります。でも、あんなに深い傷は経験したことが無くて。縫合して、薬草と包帯で処置したのですが、予後が良くありません」


 イリナの説明を聞きながら、タクテオスは地面に石で症状を書き取っていた。


「私の荷物を探すのを手伝ってくれないか。盗賊が売ってしまっていなければ、私のノートや薬が役に立つはずだ」


 イリナはタクテオスと共に立ち上がり、盗賊の戦利品箱を探しに行った。


4.

 片付けが済んで、皆横になっていた。泥や血を水ですすいだだけの汚れた男たちが、思い思いの場所で寝ている。アルキリアは気が済むまで盗賊の小銭を集め、廃鉱山の入り口付近の天幕に戻ってきた。


 ゼノンが夢も見ずによく眠っている。アルキリアは毛布にくるまって寝息をたてているゼノンの背中を揺すった。ゼノンは眠そうにうなるばかりで起きる気配がない。


「起きろよ、珍しい物をみつけた」


「あとにしてくれ。まだ出発には早いだろ」


 アルキリアはため息をつき、手の中の箱を開いた。金色の装飾が施された小箱の中には、何かの装飾品のような青銅製のプレートが入っている。青緑色に腐食していて、プレートに彫られた文字が読み取れなくなっている。もし箱に入っていなかったら持ち帰ることはなかったとアルキリアは思った。一見して価値があるようには見えないのだが、小箱の装飾は立派なものだ。アルキリアは箱の装飾を見て中身が貴重な宝石なのではないかと期待した。期待は外れたが、これほど大切にされる金属片が何なのか、興味が湧いたために持ち帰ることにしたのだった。


「アルキリアさん、どうしたんですか?」


「ああ、イリナか。珍しい物をみつけてね」


 イリナと一緒に歩いてきたタクテオスは、アルキリアが手にした箱を見て「おお!」と声をあげた。


「それだよ。その小さい箱を探していたんだ。私の持ち物だ。返してくれるかい?」


 アルキリアが手渡すと、タクテオスは箱を開いてイリナに見せながら語りだした。


「これはね、とある傭兵から治療の礼にと受け取った品なんだ。文字が腐食して読み取れないが、傭兵は『ネレッツェスの愚行』に関係する古遺物だと断言していた」


「ネレッツェス? 聞いたことがあるような、無いような」


 アルキリアはうーんと唸った。


「ネレッツェスは二代前の皇帝で、今カルラディア中で起きている内乱のきっかけを作った人物だ。そして『ネレッツェスの愚行』とは、彼が決定的な敗北を喫した『ペンドライクの戦い』での愚かな行動を指す」


 タクテオスは箱を閉じ、イリナに差し出した。


「渡せるものが、今はこれくらいしかないんだ。すまないね」


「そんな大事な物、私には手に余ります。帝国の貴族なら欲しがるかもしれませんが」


 イリナは恐縮して受け取ろうとしなかった。


「いいじゃないか、イリナ。貰える物は病気以外、何でも貰っておけ。貴族だけじゃなく、骨董品好きの商人とか、金持ちが好きそうな品だ。売ればいい金になる。金持ちってのは、ありとあらゆる変な物を集めたがるんだ」


「変な物とは失敬な。貴重な遺物だぞ」


 タクテオスは心外だという様子で訂正した。

 アルキリアは笑って、相手にしない。


「まあ、何か意味ありげなものだと思ったよ。それでゼノンに見せようとしてたんだが、この隊長殿はまだ御就寝中でね」


 アルキリアは毛布の中で丸くなっているゼノンを指さした。

 イリナはゼノンのそばに行き、揺すって起こそうとした。


「兄さん、起きてよ。お医者さんを連れてきたよ。お父さんを診てもらいたいんでしょ」


 ようやく毛布から出てきたゼノンはぼさぼさの頭をかき、眠そうな目を擦ってタクテオスを見上げた。


「兄がこんな格好ですみません」


「構わないさ。私たちを救ってくれて感謝している。お父上が大変だそうだな。私でよければ力になる。一緒に村へ戻ろう」


 タクテオスはアルキリアが見つけてきた自分の持ち物を背負い、ゼノンたちと共に準備を済ませると、四人で一足先に村へ出発した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る