ep.7 交わる道、分かれる道

1.

 タクテオスがテヴェアの村に到着すると、すぐに村の人々から歓声があがった。タクテオスは村の人々から慕われているようだ。村人たちが言うには、貧しい人々からろくに代金を受け取らず、高価な薬や知識を使って人々を助けていたという。


「ゼノンくんも無事でよかった。先に帰ってきていた狩人から話は聞いたよ。ずいぶん活躍できたみたいだね。これはお礼だ。多くのものを奪われてしまったが、いつかファドンに渡そうと思ってとっておいたんだ。今は君に相応しい」


 テヴェアの村長がゼノンに手渡したのは、装飾された鋼鉄の籠手だった。


「こんな高価なものを。本当にいいんですか?」


「先代の領主が私にこの籠手こてをくださったが、あの手柄はファドンが私を救ってくれたからこそだ。ファドンが戦場に出ることは、もうないかもしれない。でも君には必要だろうから」


 ゼノンは村長に礼を言って、装飾をしばらく眺めた。籠手こてには鳥の羽の文様が彫られている。


「伯父さん、タクテオス医師を父さんのところへ」


「そうだな、急ごう。ファドンはまだ苦しんでいる。食事もあまりとれていない」


村長はタクテオスの元に集まった村人をかきわけ、タクテオスを連れて行った。イリナもそれに続いて村長の家へ向かった。


「ゼノン、一緒に行かなくていいのか?」


「ああ、俺はこういう時役に立てないからな。きっとタクテオス医師は父さんを元気にしてくれる。俺は、俺にできることをやるだけだよ。アルキリアにも手伝ってほしい」


「内容にもよるが、私にできることなら手伝うよ」


「一緒に来てくれ。村の酒場で座って話そう」


 ゼノンはアルキリアを連れて酒場へ向かった。父親は心配だったが、ビオンとメリナの為に計画を練らなくてはならない。どんな苦労も厭わない。たとえ多くの血が流れても構わない。ゼノンの胸中は決意で熱くなっていた。


2.


 ゼノンは酒場で席につくと、一番安いエールを注文した。

 アルキリアは上機嫌になって高価な蜂蜜酒と羊の串焼きを給仕の娘に頼んだ。


「ゼノン、支払いは私に任せておけ」


 アルキリアが皮の財布をテーブルに置いた。革の財布は硬貨でパンパンに膨れている。ゼノンは驚いて目を丸くした。


「そんなに金持ちだったのか?」


アルキリアは不敵にニヤリと笑った。


「悪人から金を集めるのは気分がいい。あいつらにはもう必要ないからな、有難く使わせてもらおう」


「アルキリア……何をしているかわかっているのか」


 ゼノンは頭を抱えた。帝国の軍人は、死体の財布を漁って懐に入れるような真似はしない。物資や金品を集めることはあるが、あくまでも軍資金の為だ。通常、すべて一ヵ所に集めたのちに、帝国の軍法に則って兵士たちに支給する賃金となる。もちろん、手柄があった者には賞与が支払われる。


「アスばかりでデナリが少なかったのは残念だった。もっと隠してるはずなんだがな。それでも300デナリくらいはあるぞ」


アルキリアはゼノンの嘆きなどお構いなしに、アス銅貨とデナリウス銀貨を眺めている。


「いいか、俺のことを隊長と思うなら、これからは俺の指示をきいて行動してくれよ。戦利品は一旦俺のところに集めてくれ。今後は人を増やしたい。大所帯になった時にそれぞれが自分の利益ばかり考えていたら、すぐに喧嘩になるだろう」


「うむ。たしかに言いたいことはわかる。私が見てきた傭兵隊ってやつは、いつも分け前で揉めて喧嘩が絶えなかったからな。いいだろう、この金は一旦預ける」


 アルキリアは財布をドン、とゼノンの目の前に置いた。


「わかってくれてよかった」


「まだ会ってから日が浅いが、お前は正直だし強い。信頼できると思っているよ」


 アルキリアは屈託のない笑顔で言った。


「ところで、人を増やしたいと言ったな。やっぱり、傭兵隊を率いる気になったか」


「ああ、ビオンとメリナを探すには人手が必要だ。ラダゴスを尋問して、改めてわかったよ。まだ売られたかどうかわからないが、奴隷市場へ行って二人を買い戻すにしたって、かなりの額が必要になるだろうな」


 健康な子供の奴隷二人なら、高く見積もってデナリウス銀貨2000枚ほどになる。帝国軍の小隊長だった頃のゼノンの一か月分の給金はデナリウス銀貨270枚だ。軍人の7か月分以上の身代金は、並みの仕事では稼げない。


「確かに、傭兵は一度に大金を稼げる仕事だ。しかしな、まだ売られたかどうかわからないなら、同時に居所も探るってことか?」


「二手に分かれるしかないと思っている」


アルキリアは腕組みをして唸った。


「まだ人も集まらないうちに二手に分かれるのは賛成できないな」


「そうだよな」


 二手に分かれるなら、部隊の指揮と訓練の両方ができる者が二人必要だ。現状、両方ができる人材はいない。

 ゼノンはエールを呷った。


 アルキリアは、ふとタクテオスがイリナに渡した遺物のことを思い出した。


「医者に貰ったあの金属片、あれは売れると思うか?」


「『ネレッツェスの愚行』に関わるとかいうアレか? どうだろうな。見たところ、軍旗の部品の一部みたいだが、そんなものはありふれている。戦場跡を掘り返せば似たようなものが見つかるだろう」


 ゼノンは金属片の形状から、帝国軍の旗手シグニフェルが持つ軍旗に取り付けられた部隊表示盤だと気づいていた。


「ってことはガラクタなのか?」


「うーん、高く売れたら運がいいってとこじゃないか」


二人は同時に酒を飲み干してため息をついた。



3.


「何か困っているようだな、友よ」


 声をかけてきた人物を見て、アルキリアは驚いた。


「テュルル!」


「先日は世話になったな。あの時は別れも告げずにいなくなって悪かった」


 ふらりと現れたテュルルは、そのままアルキリアの横に腰を降ろした。手にはワインの入った杯を手にしている。


「で、君がイリナのお兄さんか」


「そうだ。宿屋で戦ってくれたテュルルだな」


 ゼノンは突然現れたテュルルに少し戸惑いを見せながら、イリナが話していたアセライ人のことを思い出した。テュルルとライサは帝国軍を警戒する素振りを見せていた。疑念は残るが、家族を救ってくれた英雄には違いない。ゼノンは疑念が表に出ないように気を付けようと思った。


「俺の家族を守ってくれてありがとう」


「礼には及ばない。傭兵として雇われたのに、途中で雇い主から離れてしまったんだからな。すまなかった」


「いいんだ。お陰で助かった。戦争から逃げてきたんだろう? 帝国軍を警戒するのも仕方ない」


「そうだ。だが、逃げてばかりでは食い扶持に困る。そして、困った時はお互い様ってやつだ」


 テュルルはそう言ってニヤリと笑うと、ワインを一口飲んだ。


「どうも困っているように見えたんでね、少し話を聴かせてもらった」


「一緒に戦ってくれるのか?」


 アルキリアは心底嬉しそうに言った。


「ああ、もちろんだ。きっと役に立てる。奴隷市場の話をしていたな」


「ああ。ビオンとメリナがどこにいるかまだ掴めていないが、南の奴隷市場にいるかもしれない」


 ゼノンがやや厳しい表情で言った。


「奴隷市場のことなら、この中で一番詳しいのは俺だ。アセライでは伝統的に奴隷の数が多くてね。人探しで奴隷市場を訪ねたのも一度や二度じゃない」


「なるほど。帝国人の請戻し仲介人に見つかりにくい、アセライの市場に送られている可能性は高いな」


「奴隷市場の件は、俺とライサに任せてくれないか。見つけたら、手紙を送ろう。買い戻しの資金はどうにかなりそうか?」


「必ず用意する。今はまだあても無いが、絶対に家族を取り戻すんだ」


「よし、決まりだな。ライサにも伝えよう。ところで、この仕事の報酬だが、先にいくらか貰いたい。路銀が尽きそうなんだ」


 テュルルは財布を振ってみせた。僅かな硬貨がチャリチャリと鳴った。


「テュルル、金もないのにワインなんか飲んでいたのか。この辺りは小麦の産地だから、エールが安くて美味いんだぞ」


 ゼノンは呆れていた。テュルルの身なりは整っていて、服の生地もかなり上等なものだ。金遣いが荒いのかもしれない。ゼノンはアルキリアが集めた硬貨から100デナリウスをテュルルに渡した。


4.


 タクテオスはファドンを診察して、毒による症状だと言った。すぐに鞄の中から解毒薬を取り出し、さじでファドンに飲ませた。盗賊が使っていた武器には毒が塗られていたのだった。それから、タクテオスは縫合された傷を一度開き、膿を取り除いて傷口を清潔にしてから素早く縫合しなおした。


「奥さん、この解毒薬を食後に飲ませてあげてください。そして、こちらは痛みが酷い時に服用を」


 タクテオスは解毒薬と鎮痛剤、その調合法を記した紙をローサに渡した。


「ありがとうございます、先生。これで主人は助かるでしょうか」


「ああ、もちろんだ。ファドンさんは強い。並みの回復力じゃないな。盗賊がよく使う毒はトリカブトという毒草を煮詰めたものだ。あっという間に人を衰弱させる強力な毒だが、解毒薬があればすぐによくなる。しかし、もっと早く私がここにたどり着けていたら……」


「『トリカブト』……この辺りには自生していない植物ですね。後遺症は残るんでしょうか」


「斬られた腕が使えるようになるかはわからない」


「そうですか……」


 ローサは俯いている。タクテオスは申し訳なさそうに無精髭を撫でてため息をついた。


「しばらく休ませてくれ」


 タクテオスは桶の水で手を清めると、ぐったりと椅子に腰かけて汗を拭いた。

 イリナは席を立ち、部屋を出て外の空気を吸おうと思った。


「何か食べる物を持ってきます」


 イリナは父の命が助かったことに安堵しつつも、これからのことを考えると不安な気持ちに押しつぶされそうになっていた。


5.


「イリナ!」


 ドアを開けたイリナに、聞き覚えのある声がかかった。弾けるように顔を上げたイリナの視線の先にライサがいた。


「ライサさん!」


 イリナはライサの元に駆け寄ると、子供のように抱き着いた。


「無事でよかった」


 ライサはイリナを抱きしめて、背中をぽんぽんと撫でた。イリナはライサの豊かな胸に顔を押し付けた。安心感が広がり、イリナの眼に涙が滲んだ。


「急にいなくなったりして、ごめんね」


「いいの、また会えたから」


 それからしばらく、イリナはテヴェアで起こったことや盗賊の野営地に乗り込んだことなどをライサに話した。


「色々あったんだね。村の人たちからも聞いたよ。盗賊の一人をやっつけたって」


 イリナは誇らしげに微笑んだが、ライサは一瞬厳しい表情をした。


「無理はダメだよ。これからは周りの人に何をするか言ってね。一人で行動するのは危ないんだから」


 叱られたイリナはむすっとした顔をした。


「じゃあ、ライサさんも、もう私から離れないでね」


「困ったな。実はね、メリナちゃんとビオンくんを助けるために二手に分かれようって話になってて、私はテュルルと一緒にアセライの奴隷市場に探しに行くかもしれないんだよね」


「ダメ、そんなの許さない。テュルルさんが一人で行けばいいんだよ」


「まあ、テュルルなら一人でもできると思うんだけどね。あの男は金遣いが荒いし、目を離したら女にうつつを抜かして遊び惚けるに決まってる」


「誰が遊び惚けるって?」


 ライサの後ろに腕組みをしてしかめっ面のテュルルが現れた。遅れて、ゼノンとアルキリアも一緒に歩いてきた。アルキリアは酒に酔って上機嫌で歌い出した。


「兄さん、ライサさんと一緒に行きたい!」


「うーん、困ったな。テュルル、どうしようか」


 ゼノンは妹のわがままに弱い。叶えてやりたいが、テュルルを一人きりで送り出すのは気が引ける。


「俺は構わないぞ。この小うるさい相棒とはしばらく別行動でもいいと思ってたんだ」


「薄情ね、さっさと行きなさいよ!」


「ああ、お望み通りに」


 テュルルは繋いでいた馬に飛び乗ると、風のように南へ去って行った

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