第二章 白翼発つ
ep.9 断崖の都
――やがてオルニアン岩場とリカロンが見えてきた。完全に要塞化されたその町は塔まで完備した物々しさで、天を突きさすような険しい岩山の上にはハゲタカが旋回していた。(『カルラディアの旅行記』より ヴァルコスの息子にして、ボストラムの書士 アサイオス著)
1.
ゼノンたち一行は、ロバに曳かせた荷車に村人たちの贈り物を載せて、500年前に帝国が築いた道を北上していた。草原に刻まれた石の街道は、どこまでも続くかのように思えた。
地平の向こうから現れた「オルニアの岩」と呼ばれる巨大な岩山の中腹に、街の白い塔がそびえているのが見えた。先頭を進んでいたアリオンと友人二人が、指さして歓声をあげた。
「隊長、リカロンです!」
「ああ、もう少しだな」
ゼノンは以前、リカロンを訪れたことがある。所属していた部隊がリカロンの衛兵隊と模擬戦闘訓練を行った際に、この街をほんの少しの時間歩いた。
計画的に整備された大通りは人々の生活の為ならず、戦時の防衛の為にも最適な構造となっていた。複数の階層に分かれており、それぞれの区域は城壁によって仕切られている。数百年前の帝国人は、岩山から切り出した巨大な石を几帳面に均等に切り分け、街を守る壁を築きあげた。以後、いくつもの塔や壁が増築され続け、街全体が成長し続ける要塞と化している。
街が近づいてくると、東に繋がる道から大規模な隊商の列が見えた。隊商の列は門の関所で止まった。関所の窓口で商人が書類にサインをしている。窓口の横の壁には、「代表者は名前と出身を告げ、商品リストを提出せよ」と書かれた板が掲げられている。
ゼノンは馬を降り、商人の次に並んだ。
「はい、次」
「パラセムノスのゼノン。10人の傭兵隊を率いています」
守衛に呼ばれ、ゼノンは窓口の衛兵に告げた。
「ん? ゼノン?」
関所の奥から聞き慣れた声がした。ゼノンがみると、関所のドアから現れたのはシノールだった。革と鎖帷子の軽装鎧の胸にはリカロン衛兵隊の記章が光っている。
「シノール! リカロンにいたとは」
「また会えるとは思っていなかった。ゼノン、傭兵になったのか!」
シノールは日に焼けた顔でくしゃっと笑った。
ゼノンとシノールは肩を抱き合って、しばし再会を喜び合った。
「仕事が終わったら酒場で会おう。ここで話し込んでいると、後ろに並んだ商人が可哀想だ。前にリカロンに立ち寄った時に飲んだ店があるだろう。そこで待っている」
ゼノンが後ろを振り返ると、次に到着した商人が苛立った様子で腕組みをしてこちらを見ていた。ゼノンは苦笑して「では、また」と手を振って先へ進んだ。
リカロンの門は大きく開け放たれて、奥には長い坂道と石造りの街並みが続いていた。
2.
「ゼノン、依頼を探すって言ったって、どこを探すかわかっているのか?」
アルキリアの顔を見ると、ニヤニヤと何か言いたげだ。
「アルキリアはもともと傭兵だったな。得意先があるなら聞いてきてくれないか?」
「もちろんだ! そう言ってくれるのを待ってたよ。ずっと一人で旅をしてきたけど、一人ではできそうにない高額の依頼を何度も諦めた。皆で稼げる仕事を探して来よう」
「助かるよ。あとで中央広場で合流しよう。夕刻までに戻ってこいよ」
「ああ、わかった。期待して待っててくれよ」
アルキリアは意気揚々とリカロンの歓楽街へ歩いていった。
「私たちはどうする?」
ライサは、イリナの手を引っ張りながら言った。身長の低いイリナは人込みの中で流されて、時々はぐれそうになる。
「ライサはイリナと一緒に宿を探してくれないか。けっこうな人数だからな、早めにとっておこう。荷物の搬入は男どもを使ってくれていい。俺はもう少し歩き回って依頼の掲示が無いか探してみるよ」
「任せて。でも、一人くらい護衛を連れていったら?」
ライサは、後ろで騒いでいる男たちを見た。くだらない冗談で笑い転げているテヴェア出身の三人は、都会の大通りで目立ちすぎていた。
ゼノンは深い溜息をついた。護衛としては、レオシウスから預かった歩兵四人の方が頼りになる。しかし、この田舎者三人組をまとめておくと、この先どんな騒動を起こすかわからない。
「アリオンを連れて行こう。ほら、行くぞアリオン」
アリオンは声を掛けられると、まだ笑い転げている二人から離れてゼノンの横についた。
「あんたたち! いつもでもガキみたいに大騒ぎしない! 行くよ」
ライサが𠮟りつけると、テヴェアの二人は忠犬のように大人しく従ったのだった。
「夕刻の鐘が鳴るころに、中央広場の像の前で会おう。またあとでな」
3.
「本当にこっちであってるんですか?」
始めは大通りを歩いていたつもりが、いつのまにか簡素な家が並ぶ住宅街に入ってしまったようだ。建物の様子がずいぶんボロボロで、住宅というより小屋のような家も多い。いつのまにか舗装もなくなり、通りには砂埃が舞っていた。
「うーん、元来た道を戻るか。こっちに行っても何も無さそうだ」
ゼノンが道を引き返そうとした時、どこからか怒号が聞こえた。
「隊長、あの声は」
「様子を見よう。どうも喧嘩のようだが」
ゼノンとアリオンは路地裏の方からする声を聴くために、建物の角に身を潜ませた。
数人の男の乱闘だ。細い路地の向こうに、ちょっとした広場があり、そこで殴り合いの喧嘩が起きている。
「離せ!」
男たちの声に交じって女の声が聞こえた。
「行くぞ、アリオン」
「えっ、喧嘩なんかに関わってもいいことありませんよ」
「いつもの威勢はどうした? いいからついてこい」
ゼノンが狭い路地を走って突っ切ると、正面に女を羽交い絞めにしている男の背中が見えた。ゼノンは奔る勢いそのままに、拳で男の耳を横から殴りつけた。
羽交い絞めにされていた女は、力を緩めた男の腕をすり抜け、短剣で男の喉を切り裂いた。喉を切り裂かれた男は、両手で喉を押さえて倒れ、咳き込むように血を吐いている。
アリオンが後から追いついた。血だまりの中に倒れている男を見つけて吐き気を催したようで、えずいて青い顔をしている。
「くそっ、下がれ! 仕切り直しだ」
喧嘩の中心にいた顔に傷のある男が言うと、7人ほどの男たちが広場の反対側の路地へ走って行った。
残った男たちは、ゼノンをじろじろと見た。
「何者だ? 手を貸してくれなんて、頼んだ覚えはねえぞ」
薄汚れた髪を後ろで束ねた男が、凄んでゼノンに詰め寄った。
「よせ」
女は短剣を鞘に納めると、気の強そうな三白眼でゼノンを足元から頭まで
「私を誰だか、わかっているのか?」
どうやら厄介なことに首を突っ込んでしまったようだと、アリオンは大きな体を縮めていた。
4.
「あんたは誰だ? ここの流儀には慣れていないみたいだね」
「俺はゼノン。傭兵だ。リカロンには前にも来たことがあるが、こんな騒ぎは見たことがなくてね。つい首を突っ込んでしまった」
女は陶器の板のようなものを差し出した。陶器の板には短剣と二つの目を組み合わせた印が赤い塗料で描かれている。
「これは?」
「礼だ。お陰で今日の喧嘩には勝てたからな。こいつがあれば、揉め事をある程度避けられるだろう。忘れてた、私はリズ。この辺りの通りじゃ『黒のリズ』って呼ばれているんだ。あんまり厄介ごとに首を突っ込むなよ」
リズと名乗った女は、男たちを後ろに連れて、広場を去って行った。
「隊長、あんな怖そうな連中に、よくあんなに堂々と話せますね」
「アリオン、お前は戦場で生きるんじゃなかったのか。威勢のいいことを言っていたじゃないか」
「そうは言ったって、ああいう奴らに関わるのは恐ろしいですよ。一人二人ならいいけど、何かあれば大勢で押しかけて一方的にやるのがあいつらのやり方です」
ゼノンはアリオンの言葉にも一理あるな、と反省した。余計なことはしないに限る。
「それにしても、この陶片は何なんだろうな。見たことはないか?」
「うーん、見たことないですね」
「待ち合わせ場所に行こう。この陶片の印に見覚えが無いか聞いてみないとな」
待ち合わせ場所は中央広場の像の前だ。そんなに時間は経っていないはずだが、夕刻に間に合うかゼノンは少し不安になった。もしかして、自分は方向音痴なのではないかと思ったのだった。
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