ep.10 短剣と双眸

1.

 ゼノンとアリオンが街の広場の像の前にたどりついた時、ちょうど夕刻の鐘が鳴った。像の前では、イリナとライサが待っていた。


「兄さん、遅いよ」


 イリナは雑踏ざっとうの中でも遠慮なく怒った。


「ごめん、ちょっと迷ったんだ」


 実際、ゼノンとアリオンは街の端から端まで歩く羽目になるほど迷っていた。


「隊長、次からは別の人に護衛を頼んでください。せめて土地に詳しい人で。二人で迷ってちゃ、どうしようもないですよ」


「ああ、そうする」


 ゼノンはそこで、あの陶片を思い出した。鞄から陶片を取り出し、ライサとイリナに見せた。


「なに、これ?」


 イリナが首をかしげて言った。


「短剣に、目玉の絵? どこでみつけたの?」


 ライサも見覚えがないようだ。


「知らないか。この印が何なのか知りたくてな」


 ゼノンはもう一度印を見た。『黒のリズ』が言っていた通りなら、役に立つものなのだろうが。何を意味するのか知らないままでは、少し気持ちが悪い。


「おっ、みんな揃ってるな」


 後ろから声をかけてきたのはアルキリアだった。


「アルキリア、良いところに来たな。この印を見てくれ。なんだかわかるか?」


 印を見たアルキリアは、急に大声を出した。


「おい、なんでそんなものを持っているんだ。今は隠しとけ」


「どうしてだ?」


 ゼノンは言われるがまま、陶片を鞄にしまった。


「まあ、後にしようぜ。なるべく、人がいない場所がいい。酒場に個室を借りたんだ。そこでみんなで話そう。こっちはこっちで内緒の話があるからな」


 ゼノンは理解が追いつかないまま、アルキリアについていった。


2.

 アルキリアが案内した酒場は、偶然にもシノールと待ち合わせをした場所だった。酒場の中は仕事を終えた人々でほとんど満席だ。テーブルの間を通り抜けてゆくと、料理と酒のいい匂いに包まれ、ゼノンは空腹を感じた。騒がしい酒場の中を、アルキリアが先導して二階へと上がった。


 普段は誰かが泊まるのに使うであろう部屋をわざわざ借りているのだろう。部屋の中にはベッドが二つ置いてあった。部屋の中で向き合ったのは、ゼノンとイリナとライサ、そしてアルキリアの四人だ。


 アルキリアは入り口に鍵をかけると、「さて」と切り出した。


「わかっていると思うけど、高額の依頼にはオマケに秘密と危険がついてくる」


「仕方ないわね。教えて、どんな依頼がみつかったの?」


 ライサはため息混じりに言った。


「徒党集団の抗争さ。今リカロンでは二つの集団が勢力を争っている。そのうちの片方、『赤蛇』が私に接触してきたんだ。聞いて驚け、この仕事の報酬は1400デナリウスだ」


「かなりの額だな」


 ゼノンは思わず唸った。前職の月あたりの給金の5倍もの報酬にもなる大金だ。


「ああ、すごいだろ。やつらは新興の徒党集団で、今までリカロンを牛耳ってきた『夜の双眸そうぼう』を追い落とすため、手段を選ばないことにしたらしい」


「手段を選ばないって、まさか」


「暗殺だ」


 ゼノンの想像した通りだった。昼間の騒ぎも、喧嘩というにはあまりに物々しかった。


「それで? アルキリア、その殺しに手を貸すと?」


「まさか。私をみくびるなよ。『夜の双眸』には何度か世話になっている。『赤蛇』は、私に金で裏切るように持ちかけてきたのさ。私は上手く乗ったように見せかけてきた。この情報を持って『夜の双眸』に加勢しよう」


 アルキリアは不敵に笑った。裏切りの裏切り。要するに二重スパイをやろうと言っている。


「危険すぎる。そんなことをして、どうなるかわかっているのか?」


 ゼノンには悪手のように思われてならなかった。しかし、そこであの『短剣と目の陶片』を思い出した。鞄の中から陶片を取り出し、改めて眺めた。


「そうか、この陶片の目は『夜の双眸』か」


「ああ。それは、『夜の双眸』が自分たちの影響化にある人々に渡して守るための印だよ。その印を持ってるってことは、気に入られたみたいだな」


「らしいな」


 ゼノンは、昼間の『黒のリズ』を名乗る女の冷たい瞳を思い出した。あれで気に入っているのかと。


「どっちの味方をするかっていうのはわかったけど、どうやってお金に換えるの?」


 イリナの問に、アルキリアは自らの考えを話した。


「『赤蛇』の賞金首を捕えて懸賞金を頂くのさ。ついでに、仕返しなんてできないほどぶちのめしてやろう。『夜の双眸』からの報酬に上乗せで懸賞金まで手に入れば、銀貨2000枚なんて軽く超える」


あまりに危険な賭けだ、とゼノンは思った。しかし、上手くいけば弟と妹を買い戻す資金だけなく、今後の為の軍資金まで手に入る。


 ゼノンはその危険な賭けに乗ることにした。


3.

 ゼノンたち四人は、一旦解散した。思い思いに行動してから、それぞれライサが手配した宿に戻ることにした。


 ゼノンは一階の酒場に降りて、シノールの姿を探した。


「まだ来ていないのか」


 ゼノンは一人席について、エールを注文した。


「また会ったね」


 声をかけられて顔を上げたが、見慣れない女に思えた。裕福な商家の女性のように仕立ての良いドレスを着て、黒髪に銀の飾りを付けている。女はテーブルの向かいに座ると、手にしたワインを口に含んだ。


 訝し気な顔をするゼノンに、女は少し苛立ったような表情を見せた。


「忘れたの? 昼間、会ったでしょ」


 ゼノンは思い出した。『黒のリズ』だ。着ているものが違うと、こうも別人に見えるものなのかと、ゼノンは目をみはった。


「驚いた?」


 黒のリズは、ゼノンの驚いた顔を鼻で笑った。


「昼間の礼だけど、迷惑でないといいな」


「迷惑? とんでもない。あの時は知らなかったが、あれは俺の身を守る印だったんだろう?」


「そう、かつては守るための印だったんだ。でも、近頃ではこの印を目の敵にする一部の『乱暴者』に手を焼いている。守ろうとした人たちを、むしろ危険にさらしてしまう」


 リズは言葉の勢いをなくして、物思いに耽るような眼をした。


「どうしてほしいんだ?」


 ゼノンが問うと、リズはゼノンの目をまっすぐみつめた。


「仲間になってくれない?」


「すまないが、俺は傭兵隊を率いる身だ。君の仲間にはなれない。でも、報酬を出してくれるなら加勢はできるぞ」


 ゼノンも、リズの目をまっすぐ見つめた。


「いいよ。先に言っておくけど、報酬は700デナリウスまで。申し訳ないけど、今の私たちにはこれが精一杯なんだ」


「決まりだな」


 リズは、立ち上がり「これは前金だよ」と言って皮の財布を投げてよこした。デナリウス銀貨が200枚ほど入っているようだ


「詳しい話は明日の昼過ぎに。闘技場前の広場で待ってて」


 一人残されたゼノンは、もう一度周りを見てシノールを探したが、結局その夜にシノールに会うことはできなかった。


4.

 闘技場前の広場は、人でごった返していた。今日は女帝ラガエラが主催する競技会が開催される。ゼノンは、一人で闘技場前の広場に立ち尽くしていた。待ち合わせができるような場所ではない。こんな人込みの中でどうやって人を捜せばいいというのだろうかと、ゼノンはリズに文句を言いたい気持ちだった。


 ゼノンは袖を引かれるような感覚がして、振り向いた。黒のリズだ。昨夜と同じように、裕福な女性のような姿だ。全く気付かないうちに背後に現れるのは心臓に悪い。ゼノンの心臓の鼓動は速くなっていた。


「木を隠すなら森に。人を隠すなら人の中にってね」


 リズは悪戯を成功させた子供のように笑った。


「リズ、どこで話すんだ? まさかこんな騒がしいところで秘密の会議というわけじゃないだろうな?」


「気が早いね。もう静かなところに行きたいのかな?」


 ゼノンが人目を気にしているのが、リズには可笑しいようだ。茶化されたと気づいたゼノンは顔を赤くした。


「俺を馬鹿にするんじゃない」


「悪いね、ゼノン。あなたのような生真面目な男は、私の棲む世界には珍しいのさ。さあ、こっちへ。話そう」


 リズはゼノンの手を引いて足早に歩き始めた。


「手を引かなくても歩ける」


「ダメだよ。少し観察させてもらったけど、ゼノンは方向音痴なんじゃない?」


「否定はできないな」


「じゃあ、大人しくしなよ」


 ゼノンは気恥ずかしい思いをしながら、リズと一緒に闘技場横の路地へ入って行った。通りを歩く人から見れば、一組のカップルが二人の空間を探しに行ったように見えたかもしれない。

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