ep.11 昼下がりの紅

1.

 ゼノンはリズに手を引かれ、薄暗い路地を足早に過ぎ、大通りへ出た。街の中心地は、いつもよりもさらに賑やかだ。競技会目当てに集まった腕自慢の傭兵や、試合を観戦するために周りの街や村から集まった旅人たちの熱気がたちこめている。


 人が集まるところには商人が集まる。通りには普段見られないほどの出店が並び、行商人たちが思い思いの品物を並べていた。焼き菓子、香辛料、ガラスの小瓶に入った異国の香水などが、次々に視界に入っては過ぎてゆく。


 リズは、通りの端で立ち止まってゼノンを振り返った。


「恋人の振りをしてくれない? 『乱暴者』の目を避けるために」


 リズはふいに顔を寄せると、ゼノンにだけ聞こえるようにささやいた。花のような、甘い香りが鼻をくすぐる。


「待ってくれ、俺には難しいかもしれない」


 ゼノンは色恋にうとい男だ。恋人というものがどう振る舞うのかを知らない。ゼノンは、リズのささやき声が自身の体の芯を震わせるのを感じて困惑した。


 ゼノンの知っていることといえば、いかに盾を横一列に並べて前進するか、あるいは長い縦隊じゅうたいを作って険しい道を踏破とうはするか。敵の腹を突き刺し、切っ先を捻り上げて臓腑ぞうふを破ることは知っている。しかし、それ以外を知らなかった。


 ゼノンは、むしろ体を硬くして傍目にも奇妙な動作をし始めた。


「あれ、やっぱり不慣れだね。もっと楽にして」


 リズはゼノンに腕を絡ませて左側にぴったりと密着した。


 それから、ゼノンの記憶は曖昧になってしまった。自分はさぞ情けない男に見えるだろうな、とゼノンは頭の片隅で思った。


 大通りを抜け、商家の邸宅が立ち並ぶ住宅街へ差し掛かった。この区域は街の壁には仕切られていないが、裕福な商人がそれぞれの私有地の周囲に壁を建てている。門には私兵や傭兵を配置して、財産を守るための備えは万全といった様子だ。


 リズは、とある邸宅へゼノンを連れて入っていった。


2.

 邸宅の敷地内には私兵と思われる男たちが警備にあたっていた。


「おかえりなさいませ、リズ様」


 私兵たちは恭しく敬礼をした。


「リズ、君はもしかして」


「ああ、昼の顔ってやつ。私たち『夜の双眸』も、昼間は一般市民と変わらないよ」


 『一般市民』という言葉は適切なのだろうか。ゼノンは、自分の棲んでいる世間との違いを垣間見た気がした。ゼノンの思う一般市民は、リズのような人物を『富豪』と呼ぶ。


 リズは邸宅の中で恋人の振りをする必要がないと気づいたのか、自然と体を離していた。ゼノンの腕には香りだけが残った。


 邸宅に入ってからのリズの振る舞いは、堂々とした女主人といった風情だ。この人は、いったい幾つの顔を持っているのだろうかと、ゼノンはリズの横顔を見つめた。


「そんなに見ないでよ」


 とリズは笑った。


 二人のために開け放たれた扉に足を踏み入れると、意外な顔に再会することになった。


「アルキリア? ……何をしてるんだ」


 後ろ手に縛られ、私兵に首の紐を引かれたアルキリアがバツの悪そうな顔をしてゼノンを見た。


「悪い。こっそり入ろうとして捕まった。なんとかしてくれ……」


 アルキリアは縛られた体をもじもじと動かした。


 ゼノンは呆れて深い溜息をついてから、リズに事情を説明した。


3.

 ゼノンとアルキリアの話を聴いたリズは、しばらく大声で笑った。

まだ笑いを堪えられないまま、私兵に手で指示をしてアルキリアを解放した。


「笑い過ぎだ」


 アルキリアは不機嫌そうに言った。


「堂々と正面から説明すればいいだけでしょ。どうして忍び込もうとしたの?」


 リズは笑いすぎて息切れした呼吸を整えながら言った。


「正面から入ろうとしたら、あんたが不在だって聞いたんだ。中で待とうにも入れてくれないし、ここらをうろついてると他の商人の犬どももうるさいだろう」


「もういい。相変わらずの変わり者だね。あなたが仲間を見つけたって噂に聞いた時は驚いたよ。ゼノンはいい隊長なんだろう。苦労は絶えないだろうけど、ね」


 リズは、そう言ってゼノンを横目で見た。ゼノンは苦笑いでアルキリアの話を聴いていたが、一度も否定したり口を挟むようなことはしなかった。


「ともかくだ。『赤蛇』は暗殺の依頼をアルキリア以外にもしているだろうし、しばらくは一緒に行動しないか? 俺たちは『赤蛇』が雇う殺し屋を捕まえて賞金をいただく。俺たち皆が得をする」


 ゼノンの言葉に、アルキリアは大きく頷いた。


「さて、そんなに上手くいくかな? 相手だって玄人くろうとだよ」


 リズには、何か別の考えがあるようだ。


「アルキリア、一つ聞きたいことがあるんだ」


「なんだ?」


「私たちの調べでは、最近どこかの貴族の放蕩息子が、『赤蛇』のアジトに囚われてるって話なんだ。それらしい人物はいなかった?」


 アルキリアは腕組みをして「うーん」と唸ったあと、何かを思い出したようだった。


「賭けに負けて、実家からの仕送りを全部スッたあげくに借金を作って逃げられなくなった貴族の馬鹿息子がいるって聞いたぞ。姓は確か……ウィザ? なんとか」


 アルキリアは自信なさげに言った。


「ウィザルトス家。フィカオンの領主か。これはなかなか大きな話になってきたんじゃない? でも、そんな大貴族の子息なのに、行方不明だという噂は流れていない。面白いことになってきた」


「どういうことなんだ? 何をしようとしている?」


 ゼノンには、リズが何を「面白い」と言っているのかわからなかった。


「フィカオンの領主様は放蕩息子が徒党集団に捕らえられているなんていう噂は知られたくないはずだよ。不名誉だから。赤蛇の連中はどうにかして、貴族から借金以上の金を奪いたいでしょうね」


「身代金か」


「そう。だけど、こんなのはどう? 『悪の徒党集団が御曹司おんぞうしを誘拐した。そこへ、一人の英雄が颯爽さっそうと現れて御曹司おんぞうしを救う。褒美などいらないと彼は言った。謎めいた陶片を残して』なんてね」


 リズは吟遊詩人ぎんゆうしじんのように節を付けてうたってみせた。


「ゼノン、一緒に来て。赤蛇のアジトに忍び込んで御曹司おんぞうし殿を救出しよう。そのあと、フィカオンまで送って差し上げるんだよ。この仕事の報酬は1000デナリウスでどう?」


 リズは不敵にニヤリと笑って言った。その双眸そうぼうには、出会った時と同じように冷たい輝きが宿っていた。


ゼノンは黙って頷いた。拒否する理由はない。金は必要だ。

なにより、ゼノンはリズの瞳の輝きに魅せられてしまっていた。


 窓の外は曇り空だ。まだ昼下がりだというのに薄暗くなっていた。遠くで雷の音がして、窓が強風でガタガタと揺れている。嵐が近づいていた。



4.

 ゼノンは未だに街の中で再会できていなかったシノールを捜すことにした。貴族の放蕩息子が監禁されている場所については、まだ何の手掛かりもない。シノールと話すことで、何かしらの進展があるのではないかと期待していた。


 とはいえ、嵐に見舞われた街では人を捜すどころではない。ゼノンとアルキリアはリズに招かれて食事をとった。


 高価な香辛料を使った肉料理はアルキリアの口に合ったようだ。アルキリアは会話もせずに食事に没頭していた。


 リズはしきりにワインを勧めたが、ゼノンは一杯だけ飲んであとは丁重に断った。高価なワインは、ゼノンの舌に合わなかった。代わりに酒場で飲み慣れたエールを持ってきてもらったのだが、これも一杯だけに留めた。どうも、酒場で飲むエールとは何かが違うようだとゼノンは思った。どこかフルーツのような香りと甘味を感じて落ち着かないのである。


 食事をとってしばらくすると、嵐は止んだ。ゼノンとアルキリアは『夜の双眸』に別れを告げ、再び街へ出た。


 瞬間的に街を襲った嵐はあちこちに木の枝やゴミを散乱させていた。街の大通りでは、通りに店を構える商人の使用人たちが店の前を片付けていた。


 通りを歩くゼノンとアルキリアの正面から、数人のならず者たちが歩いてきた。

 顔に傷のある大男を先頭に、横に広がって通りを歩く人々を押しのけている。


「アルキリア、見ろ。昨日、リズを襲ったやつらだぞ」


「あいつらか。『赤蛇』の下っ端どもだ」


「やり過ごすか?」


「ああ、今は喧嘩より大事な用があるしな」


ゼノンとアルキリアは自分たちにしか聞こえないように囁き合った。

二人はフードを目深に被り、顔を隠して道の反対側へ避けた。


「行ったか。騒がしい野郎どもだな」


「まったくだ」


 ゼノンとアルキリアはフードを外して、ならず者たちの背中を見送った。


「ちょっといいか? 兄ちゃん強そうだな」


 不意に、暗い路地から粘っこい響きの声が聞こえた。

 ゼノンが路地に視線を送ろうとした次の瞬間、刃が襲いかかった。

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