ep.12 路地裏の凶刃

1.

 路地の暗がりから、一本の短剣が放たれた。放物線を描き、回転しながら迫る刃はゼノンの首を寸分のたがい無く狙っていた。

 ゼノンは咄嗟とっさに、鞄を盾にした。


 短剣は鞄を貫通し、ゼノンの指を傷つけて止まった。鞄の中で陶片が割れる音がした。


「上手い、上手いなぁ」


 粘っこい声の主は、感嘆の言葉を残して、路地の奥へ走って逃げた。暗がりの中の人影はフードを被っていて、顔が見えなかった。


「何なんだ、あいつは」


「ゼノン、大丈夫か?」


「たいしたことはない。陶片は粉々になってしまったが」


 ゼノンは破けた鞄の中から包帯と傷薬を取り出し、自分で手当をした。


「おい、そこで何をしている? ……ゼノン!?」


 大通りからやってきた衛兵は、シノールだった。


「シノールか! ちょうどいいところに来てくれたな。さっき、変な男に短剣を投げられたんだ」


「くそっ、またあいつの仕業か。命があって何よりだ。もう何人も死んでるからな」


 シノールは、足元に落ちていた短剣を拾い上げ、観察していた。


「誰なんだ、その男は。私は卑怯者が嫌いだ。さっさと刑場に吊るしてやろうじゃないか」


 アルキリアが苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「この短剣、『狂気のバイシャール』だ。最近この街を荒らしている、クーザイト人の殺人鬼さ。毎回、ご丁寧に短剣を落としていく。未だに奴を捕らえられないのは屈辱の極みだ」


「俺もそのバイシャールとやらに仕返しがしたい。もっと詳しく教えてくれないか?」


 ゼノンの指の出血はまだ止まらない。巻き終わった包帯の赤いシミは少しずつ広がっているようだ。


「いいだろう。一緒に詰所に来てくれ。詳しい話を聞かせてやろう」


2.

 シノールの案内した詰所は、競技場のある区画の壁に面した通りに建つ、塔の一階にあった。中に入ると、長机に『狂気のバイシャールに注意!懸賞金1000デナリウス』と書かれた張り紙や、被害者の状況をまとめているであろう書類が山積みになっていた。


「ここに座ってくれ」


 シノールは書類でいっぱいの机を片付けながら、ゼノンとアルキリアが座る椅子を用意した。


「なかなか酒場に行けなくてすまない。昨日の夜もバイシャールの起こした殺人にかかりきりでな」


「いいんだ。こっちはこっちで、何かと用事があった」


「ほう、詳しく聞いてみたいところだが、まずはバイシャールだな」


 シノールは、書類の山の中から一枚の紙を取り出して読み上げた。


「バイシャール。通りでは狂気のバイシャールと呼ばれているクーザイト人の殺人鬼。年齢不詳。背は低く、つねにフードを被っている。男にしてはやや高い声。徒党集団『赤蛇』との関係が噂されているが、詳細は不明。フードの中を見た者はいない。短剣を投擲とうてきする技に長けている。毎回現場に同じ形の短剣を残してゆく」


 ゼノンは黙って最後まで聴いていたが、一点引っかかる部分を感じた。


「フードの中を見た者がいないのに『クーザイト人』だとわかる理由は?」


「訛りだ。時々、遊牧民の方言で話すことがある。それに、この短剣を見てくれ」


 シノールは机の上の短剣を拾い上げてゼノンとアルキリアに見せた。


「この鍔の形状はクーザイト人が使う狩猟刀のものと同じだ」


 短剣の身はわずかに反りのある両刃で、鍔は薄い円盤状になっている。


「『赤蛇』と関係があるかもしれないと言ったな。なんでわかる?」


 アルキリアが短剣を受け取って観察しながら言った。


「バイシャールの犠牲者には共通点がある。いずれも、『夜の双眸』の陶片を持っていた者たちや、その縁者たちだ。我々も、徒党集団の対立関係についてはよく承知している。始めは、抗争の一環だろうと睨んでいた」


「始めは?」


「ああ、どうもそうではないらしい。『赤蛇』の構成員の中にも、バイシャールの犠牲者が出ている。いよいよ、わけがわからなってしまった」


 シノールは口惜しそうに頭を掻いた。


「こんなに危険な街になっているとはな」


 アルキリアは嘆息した。


「我々としても不甲斐ふがいないばかりだ。せめて、競技会が開催されている今週だけは、大人しくしていてほしかったのだが。奴は気にも留めないみたいだな」


「そういえば、奴は俺に襲い掛かる前に『強そうだ』と言っていた。強そうな人間を探しているのか?」


「どうなんだろうな。確かに、今までの被害者は所謂市民というよりも、傭兵やゴロツキばかりだった。……なんてこった。ゼノンの見立てが正しければ、次に狙われるのは競技会の参加者だ」


「そうと決まったわけじゃないが、警戒するに越したことはないな。手助けができたならよかった。シノール、この件は俺も協力するから、また何かあったら言ってくれ」


「助かるよ。他に何か聞きたいことはあるか?」


 シノールは、バイシャールについて書かれた書類に新たな項目を書き加えた。



3.

「シノール、一つ聞きたいことがあるんだ」


 ゼノンは、シノールが書き物を一段落させるのを待ってから切り出した。


「なんだ?」


「最近、貴族の行方不明事件は無かったか?」


 ゼノンの言葉に、シノールが僅かに眉を動かした。


「あったとして、お前と何のかかわりがある?」


「あるんだな?」


「あるか無いかで言えば、ある。だが、この件に関しては何も話せない。ゼノン、元帝国兵ならわかるだろう。話せば守秘義務違反で俺はクビになる」


「誰が捕らえているか俺が知っている、という話ならどうだ? 情報交換だ」


「いつの間にそんな狡猾なやり方を覚えたんだ? 全く」


 シノールは立ち上がると、整頓された書類棚から紙の束を取り出した。


「ええと、これだな」


 シノールは束の中から一枚取り出し、机の上に置いた。


「フィカオンの領主、シカニス・ウィザルトスの妹 シルウィナ23歳 リカロンで友人に会いに行くと出かけた後、行方不明。この件については一般に公開しないこと」


「23歳の女? 男だと聞いていたが」


 アルキリアが訝しんだ表情で、書類を覗き込んだ。ただし字は読めない。


「シルウィナ嬢は男装を好む。変装してよく酒場で喧嘩していたそうだ。賭場にも出入りしていたと聞く」


 シノールはそこまで言って、ゼノンを睨んだ。


「俺のクビを賭けてここまで教えたんだ。何か新しい情報を持ってるんだろうな? いくら昔馴染みの為とはいえ、これは危険な橋だぞ」


「シルウィナ嬢とやらは、『赤蛇』のアジトのどこかだ」


「ほう? 情報源は?」


「それは明かせない。でも、これだけでどこを捜すかの候補は絞れるんじゃないのか?」


「たしかにな。『赤蛇』のアジトは、俺が知っている限り街の中に三か所、そして街の北にある谷に一ヵ所だ。だが、この後はどうするんだ? どうやって居場所を特定する?」


「それは、これから考える。でも、一つやるべきことが見えてきたな」


 ゼノンは立ち上がり、「行くぞ」とアルキリアの肩を叩いた。


「お前が何をしようとしているかわからんが、困ったらここへ来い。抜け駆けはするなよ」


 シノールは、ゼノンの変わりようを内心喜んでいた。この男は、帝国の士官に納まっているだけではもったいない人物だったのかもしれないと思った。


4.

 ゼノンとアルキリアは、全員が宿泊している宿に戻った。


「競技会に出るぞ」


 開口一番、ゼノンは全員に向かって宣言した。


「まさかゼノン、自分を餌にしようって言うんじゃないだろうな。面白い、私も参加しよう」


 アルキリアは拳を振り上げた。


「どういうこと? 兄さん、ちゃんと説明してよ」


 ゼノンはイリナが詰め寄ってくるのを宥め、リズやシノールから得た情報を話した。ゼノンが狂気のバイシャールの話題に触れた時、ライサは獲物を見つけた獣のように目を細めた。


「狂気の…バイシャール……」


 イリナは不安げにライサを見た。襲撃を受けた宿屋で聴いた名前だとすぐに気づき、暗澹たる気持ちになっていた。その夜の恐ろしさを思い出して、イリナは身を震わせた。


「その殺人鬼には個人的に用があるんだよね」


 ライサの声色には、あの夜と同じように冷たい響きがあった。


「知っているのか?」


 アルキリアはライサの表情にただならぬ感情を読み取って、小首を傾げた。


「知ってるも何も。私がここ最近探していた男だよ。隊長、奴を捕まえたら少し話し合う時間をもらってもいい?」


「ああ、構わない。奴の命があればの話だけどな」

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