第四話 お前を治す、炎の剣

「ここです」

 等々力が言って、指をさした先。

 家があった。

 それは、草壁が住んでる家だ。

 鞄を置いて早退したので、俺と等々力と三田の三人で届けることになったのだ。

 場所は担任から聞くまでもなく、等々力が知っていた。小学生の時によく尾行して聖地巡礼をやっていたらしい。こんなタイミングで役に立つとは人生なにがあるかわからんな。

 というわけで俺達は草壁家の前にいる。前に等々力とデートした駅から少し歩いたところにある静かな住宅街にあって、見た目は普通の一軒家だ。俺はマンション住まいなので、ちっちゃい庭とか家の中に階段があるのとかちょっと憧れる。

 

 ピンポン

 ちょっと緊張しながらチャイムを鳴らして、俺は言う。

「すいません、草壁さんが早退して鞄を置いていったので、届けに来ました」

 おお、俺ってちゃんとしたあいさつできるじゃんと自分に感心しながら、返事を待つ。


「え、ああ!、はい!」

意外そうな声のあと、どたどたした音がする。言葉も少なく、焦ってる様子だ。

そして扉が開く。顔をのぞかせる。草壁パパだろう。黒髪メガネで温和で真面目そうな風貌。他人の父親への印象ってそんくらいしか浮かばん。


「娘の友達かい? わざわざ来てくれてありがとう」

 平和な流れで中に案内される。豪邸とかじゃなくて、普通の家だ。人の家に入るってなんか興奮するな。生活感を感じる。それって現実だ。

 きれいに揃えられた靴が並ぶ玄関を進んで、草壁父についていく。


「早退なんて初めてで……いきなりでびっくりしてるんだ。なにも話してくれないし……」

 高校生の俺達にも不安を隠さない様子の草壁父に、俺は言う。


「安心してください。俺が治してみせます」

「友達で治しにくるやついないだろ」

 三田がつっこんできたので、俺は言う。


「主犯はお前だけどな」

「父親の前で誤解されそうなこと言うな」

 話をしながら階段を昇る。二階は部屋が分裂してる仕組みらしい。その中の一つ、草壁のと思われる部屋の前に立って声をかける。


「おい草壁、生きてるか?」

「…………え?」

 部屋の主は驚いた様子。当然だ。予告もなしにいきなり来たのだから。しかし俺は引かずに言う。


「とりあえず部屋にいれてくれ」

「……今は、断る」

まだ落ち込んでるらしい。

それはそうだろう。ショックを受けていた。草壁がずっと唱え続けてきた、アイデンティティに関わる問題だ。

だが俺はそんな草壁の心を癒やす秘策を用意してある。


「お見舞いの品も持ってきたんだ」

「……なに?」

 訝しそうな草壁に言う。これで、決める。


「サムゲタンだ。病人にはこれがいい」

「炎上しそうなもの持ってこないで」

 ダメだった。わざわざコンビニで買ってレンチンしてきたのに。仕方ない。廊下に置いておこう。


「……………………」

なにも話してくれなくなってしまった。俺達と父親が廊下で立ち尽くす。気まずい時間だ。


「ど、どうして早退したんだ?」

草壁父が少し緊張した様子で、シンプルな疑問を呈する。真面目な娘の早退。そりゃ心配だろう。原因が知りたくなるのも当然だ。


「体調が悪くなったのか?」

「…………違う」

 扉の向こうから、そっけない返事がかえってきた。


「じゃあ……テストの点数が悪かったとかか?」

 父親は考え込んだ様子で言った。

「…………違う」

 草壁はそれだけ返事をする。これもハズレだ。


「じゃあ……」

 父親がさらに考え込む。しかし次の言葉が出てこない。

 なんか、当てる流れになってるな。


「シンプルに時間を間違えたんじゃないか?」

 俺が聞いてみた。

「…………」

 無視された。ハズレのようだ。


「急に反抗期が来たとかですかね?」

 今度は等々力が大きめの声を出して、反応を伺う。

「…………」

 沈黙。スルーされる。


「これもハズレか。じゃあ……」


「私で黒ひげ危機一髪みたいな遊びしないでくれる?」

 ようやく反応した。


「三田に言われた、腋毛がファッションと同じっての落ち込んでるんだろ」


「……っっ、き、急に直接言うのやめて」

 首が飛んだ音がした。無駄な時間だった。


「当てたので無藤さんの負けですね」

「だから私は黒ひげじゃ……いや……はっ」

 草壁は急にはっと言った。扉の向こうではっとしたのだろう。そして真剣そうに、ぽつりと呟いた。


「あの玩具の彼は、なぜ黒ひげと呼ばれているの?」

 なんか言い出した。


「彼が黒ひげを剃ったらアイデンティティはどうなるのか。黒ひげを失った黒ひげは、ただの人間なのだろうか……では本当の彼はどこに……」

 部屋にこもって黒ひげに感情移入している。だいぶよくない状況のようだ。


「草壁さん、その、ごめんな」

 ここまでずっと様子を伺ってた三田が、急に発言した。


「俺も気が動転して……草壁さんをアイドル視したから反動でつい。それが理想の押しつけだってのはわかってたけど……でもちょっといいこと言った気もするんだ」

「なに最後手ごたえ感じてんだ」

 三田の言葉に、扉の向こうから反応があった。どう返そうか迷ってるような、そんな逡巡。その後、言葉があった。


「……三田君は悪くない。むしろ貴重な意見をありがとう。自分とは異なる人間を肯定することこそこの世界の……ううううっ」

 草壁は冷静に取り繕おうとしたが、最後は三田恐怖症みたいに呻いていた。


「三田さんひどいですよね。みんな薄々思ってたけど言わなかったのに」

「等々力、お前もひどいからな」

「……なんの話をしてるのか全然わからないが、娘と君たちは仲良さそうだな」

 草壁父がしみじみ言っていた。


「え、あ、はい、そうですね」

 いきなりだったので、つい普通の返事をしてしまう。


「早退も初めてだが、家に友達が来るのも初めてだよ」

 父親は少し安心したように笑みを浮かべていた。

 なんか、他人の父親に感情を向けられるとドキっとするな。


「お父さん、結婚しましょう」

「娘とじゃなくて!?」

「……あの、私は大丈夫なので。休んでしまったのは申し訳ないですが、静かにほっといてくれると……」

 草壁から敬語が返ってきた。父親に言ってるのだろう。ためらいの中に、早く帰れという感情が見える。


「どうだ、自分の父親と俺達との会話を聞くのは恥ずかしいだろう」

「早く帰れ」

 感情そのままの言葉が出ていた。俺達には遠慮のない言葉。取り付く島もないとはこのこと。

 俺は考える。


「まあちょっと治ってそうだし帰るか」


「本当になにしに来たの……うううう」

 草壁は最後まで呻いていた。

 元気なのか苦しんでるのかよくわからない人だ。

 でも正直、安心した。

 なんだかんだいつものテンションに戻ったと、言えなくもない。

 よかったよかった。

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