完璧なクラスメイトに、腋毛と世界が生えていた

佐竹大地

第一章 草壁と不毛な世界

第一話 出会いはブラックホール

『女の裸』


 初めてググったのは、その言葉だった。

 小学生の時、親の目を盗んで使ったパソコン。まだネットの作法もスペースキーの使い方も知らないたどたどしい手つきで、俺は検索した。


 それは成功した。


 画面を埋め尽くす肌色。人間の見たことない表情。幼心に感じていたタブー。それらを食い入るように見つめた。本能という言葉そのものの興奮。無我夢中だった。

 これが本当の世界なんだと、そう思った。


 しかし、現実は違った。


 誰もが服を着て、裸なんて存在しないかのように生きている。最も興奮することのはずなのに、世界はそれを無視して成り立っている。


 どうしてだ?

 気持ちいいはずのことを、なぜ隠す?

 女の裸って、本当に存在するのか?

 人間って、なにを考えて生きてるんだ?

 この世界って、どうなってるんだ?


「そんな疑問を抱えながら、俺は高校生になったんだ」


 俺は語り終えた。教室の固い椅子に寄りかかってコンビニのパンをかじる。そして目の前に座っている同級生の反応を伺う。


「……なんの話をしてるんだ?」

 そいつは困惑しているようだった。


「女子についての話だ」


「俺、このクラスの誰と付き合いたいかって聞いただけなんだけど」

 同級生、三田は呆れたような表情を浮かべる。


 このクラス、まだ高校入学して一週間くらいの教室だ。

 緊張や恥じらい、そういうものが入り混じりつつ、若干のグループ分けがなされた青い空間。

 そんな中で俺、無藤はたまたま席が前後だった三田と昼飯を共にし、そしてクラスの女子をどう思うかという無難な話題になったのだ。


「つまり人間に現実感がないから、誰かと付き合うとか本気で考えられないんだ」


「はあ」

 せっかく説明したのに二文字で切り捨てられた。


「でも誰かはいるだろ? 気になるやつとか」

 しつこく粘ってくる。そこまで固執する話題じゃないだろ。


「じゃあお前は誰がいいんだ?」

 聞いて欲しそうだったので聞いてやると、目を輝かせて言った。


「やっぱり、『完璧な草壁さん』だな」

 変な二つ名が着いていたが、そもそも名前を聞いてもピンとこない。


「ほんとに興味ないんだな。ほら、あれだ」

 三田が指差す方に目をやる。


 廊下側の席、黒髪ロングで整った顔の女子がいた。きりっとした表情でなにもしていない。誰とも話してないし飯も食べてない。ただ背筋を伸ばしてじっとしている。昼休みの教室でその姿は少し異様で、凛々しいと言えなくもない。


「で、なにが完璧なんだ?」

「見た目はなんとなく完璧感あるだろ。姿勢とかオーラとか雰囲気とか」

「理由うすっ」

「具体的には知らんけど、クラスメイトのSNSをこっそり見ても草壁は完璧って言ってるやつが多かったんだ」

「せめて本人のSNSこっそり見ろよ。なに回りくどいことしてんだ」

「信憑性は曖昧だが、幼稚園児のころから育児本を読んで自力で成長してたらしい」

 どう考えても信憑性ないだろ。


「それに草壁さんは~」

 三田はまだ語っている。身振り手振りしながら草壁を褒め称える。熱狂的な声。本人にまで聞こえそうな音量だ。聞こえても構わないのだろうか。


「いや……」

 むしろ聞こえてほしいのだろう。自分は草壁を慕っている。その気持ちを直接伝えることはできないが、聞こえてしまうなら仕方ない。好意がもたらした事故、そうやって自分の存在をアピールしているのだ。

「こいつのそういう健気さを、俺は評価してやりたいと思っている」


「お前が俺に聞こえてるよ!」

 図星だったようだ。

 

 草壁、少し気になった。どんな人間も服の下には裸がある。しかしみんな取り繕っている。俺も含め、それが普通。では、完璧とはなんだろう。どんな人間なんだ?。

 それはすぐにわかることとなった。


 ★


 ある日、新入生特有のイベントがあった。入学式、自己紹介に続き一年を左右する重要なもので、全く楽しくないもの。

 委員会決めである。

 初々しい学生達を密室に閉じ込め、役割を押し付け合わせる一大イベント。昼休み前の四時間目を丸々と使用し、決まらなければ兵糧攻めというエグいタイムスケジュールになっている。

 担任教師が黒板の前に立ち、のほほんとした雰囲気で言う。


「じゃあまず委員長だけど、誰か立候補してくれる人はいるか?」


 いるわけなくて草という空気が流れる。答えは沈黙。授業中もこんなに静かなら教師も嬉しいだろう。しかしみんなの目線だけはちらちら飛び交っている。長期戦になりそうだ。


「はい」

 そんな状況を早々に突き破る声と手が上がった。腕を伸ばして、指先までまっすぐな姿勢。

「私がやります」

 草壁だった。完璧とか言われてたが、なるほど、こういうのに立候補するタイプか。


「そうか、じゃあ決まりだ」

 安心した様子で担任が言う。一発で決定された。

「じゃあ次は各種の委員会を決めたいんだが、誰か立候補してくれる人はいるか?」

 おらんやろという空気が再び流れる。手は上がらず、再び無の空間になった。


 俺は下を向きながら、草壁のことを考える。

 委員長に立候補、たしかに完璧風だ。でもそれだけじゃ魅力を感じない。真面目なやつなど一クラスに一人や二人はなぜか配置されてるもの。

 では、完璧とはなんだ?

 そんなことを考えていると再び、手が挙がっていた。さっきと同じすらっとした動作。草壁のものだ。


「先生、委員会にはどのくらいの時間が拘束されて負担があって仕事内容があり、また利点はなにかを説明されないと皆も立候補できないと思います」

 教師に対して堂々と発言している。予想外の行動に担任も驚いている。しかし彼女の行動はそれだけに留まらなかった。


「しかしみんな、現実的に全ての仕事内容が説明されることは珍しい。躊躇う気持ちは理解できるけれど、自分の予想してないことが起きるのも楽しいと思う」

 俺たち生徒に向けても堂々とカマしてきた。


「もし部活などのスケジュールがわからずすぐに立候補できなくても問題ない。それまでは私が代わりに埋めるから、いつでもやる気がある時で構わない」

 それはさすがにひどいわねえという空気が流れる。


「……あ、あの、私、副委員長、やります」

 俺の隣の席から、小さな声でおずおずと手が上がった。

 そこからは、あっという間だった。

「あ、俺もなんかやります!」

 三田も手を挙げていた。信者らしい行動だ。その後もぽつぽつと立候補が続く。

 教室の空気が変わった。

 いや、草壁が変えたのだ。


 ★


「まさに完璧だったな」

 昼休みになって三田が言った。自分が仰いでいた草壁の活躍を見てご機嫌の様子だ。


「完璧というか、委員会決めであんな喋るやつ初めて見た」

「すごかったよな。俺も合唱祭実行委員になっちゃったし」

「そんな役職あんのかよ」

「今年の合唱祭は俺と草壁さんのデュエットになるかもな」

 キモい三田は無視して、考える。


 草壁の行動、見事なものだったと思う。真面目でかつ柔軟さがあった。

 でもなあ。やっぱり完璧な人間って、そんな面白くないよなあ。現実感はない。別に付き合いたいとか思えない。

 ただ、少し興味は惹かれた。完璧、その奥に隠されてるなにかがあれば見たい。そう思わされた。


 廊下側に目を移して、草壁を見る。あの大立ち回りを誇るでも照れるでもなく、一人で座っている。相変わらず平然とした様子。

「……ん?」

 観察していると、変化があった。静かに立ち上がり、教室を出て行ったのだ。

 昼休みの行動、学食もトイレもなんでもある。誰も気にしていない。

 だが草壁は首をきょろきょろと振って周囲の様子を伺っている。先程の自信ありげな態度とは異なる不安げな動き。


 なにかある。そんな予感がした。


 俺は後を追う。早足で廊下を歩く草壁の後ろを、バレないようについていく。

 そのまま校舎を出た。上履きを履いたまま、たまに後ろを振り返りつつ、人がいない方向へ歩いていく。異様さが明らかになってくる。


 歩みを止めたのは、校舎裏だった。

 敷地の塀に囲まれてすぐ裏にはマンションがあるような、隠れるにはうってつけの空間。こんな場所があったのか。

 俺は音を立てないようにして、たまたまあった茂みの裏に隠れる。俺も不審だが、草壁も不審だ。


 なにかが起きる。

 予感は、確信に変わった。


「……はぁ」

 草壁は周囲に誰もいないことを確認したのか、ため息をつく。

 

 そこからは急展開だった。

 ブレザーに手をかけそのまま勢いよく袖を外す。

 白いワイシャツになる。ボタンをじれったそうに指でつまんで、どんどん外していく。

 そしてバッと開いて近くの茂みに置く。

 一連の動作にためらいはない。

 

 服を脱いだのだ。

 上半身、下着だけになる。肉体が露わになった。


「っ」

 思わず声が漏れそうになる。

 女の裸。存在を疑っていたそれが今、目の前にある。

 なんだ? 着替え? こんな所で? 次は体育でもない。なにがしたいんだ?

 疑問に埋め尽くされる俺をよそに、草壁の動作は続く。左腕を大きく挙げる。そしてそのまま頭に手を乗せる。扇情的なポーズを取っている。


「これでよかったのか……それとも……」

 妙な体勢でぶつぶつと呟いている。本当になにしてるんだ? 俺は茂みから身を乗り出して、目を凝らす。


「……は?」

 俺の声が自然と漏れていた。

 草壁の目線の先、外にさらされた白い肌と対比される、圧倒的な黒。腋の下、絡まる物体。その集合体。

 腋毛が生えていた。

 ブラックホールのようなそれに、目線が吸い込まれる。

 もさぁ、そんな擬音がよく似合う重圧感。

 草壁はしなやかな指でそれを触っている。

 

 光景に、圧倒された。

 もっと……もっと近くで見たい。


 ガサッ

 音がした。俺が隠れていた茂みのものだ。同時に草壁の目線がこっちを向く。そして俺の存在を捉える。


「っ!?」


 目があった。バレた。

 というか、俺が覗き込みすぎていつの間にか茂みから這い出ていた。

 草壁の足下まで匍匐前進していた。興奮したが故のミスだった。


「……え、ど、どうして」

 草壁の驚きの声と、見下ろす視線が突き刺さる。

 仕方ない。俺は観念して立ち上がる。

 制服についた土や草を払って、努めて冷静に口を開く。


「草壁、なにをしてるんだ?」

 俺は誤魔化さず単刀直入に尋ねる。

 さあ、完璧な草壁はどういう反応をするんだ?


「あ、あ……なっ……」

 普通にパニックになっていた。

 そりゃそうだ、上半身裸で謎のポーズをとってたら、急にクラスメイトが現れたのだから

 草壁は声にならない声を出しながら、咄嗟に、手は腋を隠している。腕を組むよりも少し腋を緩めた間抜けな姿勢。

 

 それがなによりも物語っている。

 腋毛の存在を。


 ……俺はどうしたらいいんだ? 見てないふり? 謝罪? 言い訳? 逃走?


 口からこぼれ出たのは、自分でも想像しない言葉だった。


「美しいな」


「……えっ?」


 不意をつかれたような声を出す草壁。顔をあげて、不思議そうに俺を見る。ぽかんとした表情で、俺を見つめている。


 なぜそんなことを言ったのか、俺にも理由はわからない。


「邪魔したな」


 それだけ言って、俺は校舎裏を後にした。

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