第二話 俺は戦士 彼女は森
草壁と別れた後の記憶はあまりない。漫然と五六時間目を過ごし、幽霊のように帰宅した。
「……うーむ」
俺は唸る。自分の部屋でただ椅子に座って呻く。無の時間が続いている。原因は明らかだ。
腋毛。
目を閉じる。それでも鮮明に蘇る。あの黒が脳に焼き付いて離れない。考えようにも頭がまとまらない。わからないことだらけだ。
そういうとき、やることは決まっている。
机に手を伸ばしノートパソコンの電源を入れる。今はもう自分用に買い与えられているそれが起動する。検索エンジンを開き弾むようにキーボードを叩く。言葉を打ち込む。
『腋毛 剃らない なぜ』
『腋毛 生やす 理由』
『腋毛 女子高生』
『腋毛 画像』
『腋毛 動画』
『腋毛 同人誌』
「……ふぅ」
一息つく。賢者モードになった。男子は得てして、そういう切り替えが可能である。
考える準備は、整った。
謎の解決には、なにが謎か見極めるのが重要だ。整理すると、三つに分けられる。
まず腋毛があったこと。シンプルにそれが第一の謎だ。
剃り残しではない。しっかりふさふさの量だった。ではどうして草壁は腋毛を生やしているのか。
面倒だから? 単純に考えればそうなのだろう。腋毛は俺にも生えている。剃ろうと思ったことはない。
ただ男女の違いというのもある。女性は手入れが重要、そういう風潮はあるだろう。先程までのネットサーフィンでもそれは確認した。おかげでサイトに出る広告は脱毛サロンばっかりになっている。邪魔すぎる。
そして第二の謎。草壁はわざわざ昼休みに校舎裏で自分の腋毛を触っていたこと。
いや普通にやべーだろ。生やしてるにしてもなぜ触る? 場所も放課後の家でいいだろ。マジでなにがしたいんだ?
第三の謎は、俺について。
どうしてこんなに、腋毛が気になってるんだ?。
クラスメイトの秘密、それは甘美な響きだ。委員会決めで見た草壁の完璧な姿、それとの意外性。つまりギャップ萌えもあるだろう。
しかしそれだけではないはずだ。腋毛そのものに俺を惹きつけるなにかがある。
その証拠に、調査はとどまることを知らない。腋毛画像、腋毛が生えている作品をまとめたサイト、腋毛を脱毛する過程を撮影した動画、ブックマークが膨れ上がっていく。
賢者は再び、戦士になっていく。
「……やれやれ」
それからも俺は、腋毛の調査に精を出した。
★
「腋毛ってどう思う?」
翌日の昼休み、三田に聞いてみた。一般人の意見も欲しい。
「はあ?」
めっちゃ怪訝そうな顔で聞き返された。
「腋毛だよ。お前にも生えてるだろ」
「お前さ、飯食ってる時にキモいことばっか言うなよ」
正論だが、俺は止まらんぞ。
「じゃあ腋毛生やしてる女子がいたらどう思う?」
少し声のボリュームを上げて言った。こいつは女子の話題なら食いつくだろう。
そしてちらっと、視線を廊下側の席に向ける。
「……っ」
草壁の顔がピクリとこちらを向いた。
狙い通り。昨日の今日だ。俺の動向が気になるのだろう。
「いや、いくら女子でも腋毛は萎えるな」
三田の反応、常識的なものに思える。だがあえて尋ねる。
「なんでだ?」
「改めて聞かれるとなあ。なんか嫌ってか、不潔な感じ?」
「でも俺たちにだって生えてるだろ?」
「そりゃそうだけどさ。なんかめんどい感じがすんだよなあ」
三田の言葉に頷きつつ、俺は草壁の様子を伺う。
「……っっ」
眉間にシワを寄せて俺たちを睨んできている。苛立ちが如実に見て取れる。三田の評価が下がったようだ。ざまあ。
「じゃあ剃り残しどころか森みたいにもりもり生やしてる女子がいたらどうする?」
「そんなもん論外だろ。俺が一発KOしてやるよ」
「……っっっ!!!」
草壁の怒りのボルテージがあがっていく。三田は心の中で一発KOされてるだろう。
「やっぱ草壁みたいな完璧なのがいいか」
「そうだな! 草壁さんは手入れも完璧だろうし、そもそも生えてこないだろうな!」
哀れな男よ。
「じゃあもし草壁に腋毛が生えてたらどうする?」
「おいおい、そんな思考実験みたいなあり得ない話されても……あ」
三田が突然フリーズした。目線が俺から外れて、驚きの表情を浮かべている。
「ちょっといい?」
背後から声が降ってきた。俺はゆっくりと振り返る。そこには、草壁が立っていた。
「無藤君、話がある。ついてきて」
教室から出る。草壁はなにも言わず、ズンズン校舎を歩いていく。俺も黙って着いていく。
なにをされるだろうか。口封じ、懇願、脅迫。
なんでもいい、どんとこい。
連れてこられたのは昨日と同じ校舎裏だった。
草壁は俺に向き直って口を開く。
「ここなら誰にも見られない」
「いきなり嘘つくな。ばりばり俺に見られてただろ」
草壁は俺の言葉をスルーしつつ、凛とした目で俺を見据えて口を開いた。
「無藤君、きちんと話すのは初めて。これからよろしく」
丁寧な挨拶。完璧な態度は崩さないらしい。なら俺も見合った対応をしよう。
「よろしくな。ところで草壁はどうして昨日わざわざ昼休みに人気の無いところに来て制服脱いで自分の腋毛を触ってたんだ?」
「っ、それは……」
目を見開いている。よし、カマしてやった。
狼狽えながら言葉を探す草壁。開幕早々、完璧な態度を崩すことに成功した。どんな返事が来るか楽しみだ。
「見間違いだと思う」
堂々とシラを切っていた。
「いや明らかに生やしてただろ。腋毛」
「それは違う」
いきなりはっきりとした口調になった。なにが違うんだろう。
「腋毛は生やすのではなく、自然に生えてくるもの」
名言っぽく言っていた。違いはよくわからないが、謎の自信を感じる。
「まあそうかもな。じゃあどうして草壁は、腋毛を自然に生えたままにしてたんだ?」
「……見間違いだと思う」
意外と馬鹿なのか?
しかしずっと見間違いで来られると話が進まない。頑なな態度を和らげるために、信用を得る必要があるようだ。
「安心してくれ。俺は口が堅い。腋毛が生えてようと誰にも言わないし、それで草壁を馬鹿にすることはしない」
「さっき思いっきり教室でしてた」
「見間違いだ」
「っっ」
言葉に詰まる草壁。よし、一本取ってやったぜ。
「…………」
校舎裏に沈黙が舞い降りた。
まずい、話してくれなくなってしまった。一本取るべきではなかったか。
「なあ、俺は草壁に呼ばれたんだが、なんの用なんだ?」
「……あなたに、尋ねたいことがある」
草壁はためらいながら言葉を発した。ようやく進展しそうだ。
「私は昨日、独創的な行動をとっていた。それは一旦置いておく。無藤はなぜかそこにいた。それも置いておく」
色々置いてあるな。
「気になるのは、あなたの最後の言葉。あれはなに?」
最後の言葉。
美しい。
俺はそう言った。はっきり覚えている。
草壁にとってほぼ腋毛を認めた上での質問。それでも俺の真意を聞きたいのだろう。
正直、理由は自分でもわからない。
だから一日考えた上で、ただ本心と思う言葉を、俺はぶつける。
「なんかめっちゃ興奮したんだよな」
「さようなら」
失敗した。
「話はそれだけ。もう用はない」
「勝手だな」
「腋毛とは勝手に生えるもの」
草壁は決め台詞のように言って去っていった。もう普通に腋毛とか言ってるし。
「おい! なんの話してたんだ!?」
教室に戻ると、三田が息を切らせてやってきた。草壁と俺の話が気になるらしい。
「大した話はしてないぞ」
「嘘つけ! 草壁さんに呼び出されるとか、なんかあるだろ!」
引いてくれない。そりゃあんだけ堂々と誘われたら気になるか。話したことない他のクラスメイトからもちらちら視線を感じる。
先に戻っていた草壁は教室の隅で話しかけるなオーラを放っていて、誰も寄っていない。聞き出すなら俺の方と判断されたらしい。
面倒な展開だが、これは草壁からの信用を得るチャンスかもしれない。
腋毛はバレてはならない。しかし中途半端に否定しても収まりがつかないだろう。うまく誤魔化す必要がある。
「わかった、正直に言う。俺は草壁と……」
俺は考えて、宣言する。
「セックスしてきた!」
「真面目に聞いてんだよ!」
「舌を絡めあってきた!」
「そんなわけねえだろ!」
「腋毛について議論してきた!」
「……もういいわお前」
三田は諦めたようだった。
クラスメイト達からも、あー無藤ってまともに会話できないタイプかーというため息が聞こえてくる。失望がビンビン伝わってくる。
構わん。腋毛について議論してきたのは本当だが、誰も信じていない。
木を隠すなら森の中。変態を隠すなら変態の中だ。別にわざわざ森を生やす必要はない気もしたが、目的は達成できた。
俺はみんなにバレないように、草壁にグッと指を立てる。
当然、反応はない。相変わらずの無表情。
望むところだ。
その完璧の裏に隠された秘密、突き止めてみせる。
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